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11.ニンゲンじゃないのだ

11.ニンゲンじゃないのだ



「さあて、そろそろ帰る準備でもすっか」


あれから。

昼寝から目覚めたじいさんが井戸で冷やしておいたというスイカを切ってくれたので、みんなで美味しく頂いた。

井戸から汲んだという水を飲んでみたらば、これがまたすごく冷たくて甘かった。


いいなー。こんな水が飲み放題なのかー。田舎万歳だな。


「そうね。向こうに着くのが遅くなっちゃうし。にしても、2人とも帰ってこないわねー」


柚葉さんが時計を見上げた。

あ、ほんとだ。あれからもう2時間も経ってる。


「祈がゴネてんじゃねーの? あいつ、頑固そうだしな」


確かに。

意思の強いあの子のことだから、素直に納得しそうにないよな。


「とにかく、帰り支度をして待ってましょ」

「そうだな」


と、会話してからまた1時間が過ぎた。


「なっげえなー」


ごろんと寝転がった三津が言った。

日も落ちかけていて、空を見ればオレンジ色に変わっていた。


「なにかあったのかなー?」

「どうなんでしょうね? 加賀父の実家の寺まで行くって言ってたから、向こうにいるはずなんですけど」

「向こうに車置いてるんだし、行ってみるか」

「そうですね。そうしましょうか」


なんとなく不安めいたものを感じながら、じいさんの家を後にすることにした。


「また来なさい。いつでも待っとるからの」

「はい、お世話になりました!」


出会いの時とは人が変わったように落ち着いたじいさんが見送りに出てきてくれた。

あたしを見て、悪戯っぽく笑う。


「美弥緒ちゃん、といったかの。あんたの言うこと、信じとるからの」

「はい、信じててください。あ、でも体調管理には気をつけてくださいよ。あんまりお酒を飲みすぎないように!」

「む、わかった。志津子に言われとるようで敵わんわい」

「9年後、また会いにきますからね。待っててください」

「なんと、9年後かい。そりゃまた長い。それまでは来てもらえんのかい」


じいさんがしょんぼりしたように肩を落とす。

うーん、こればっかりは早めてあげられんしなあ。


「みーちゃんは無理でも、オレたちが来るって。な?」


三津がじいさんの背中をぽんぽんと叩く。

じいさんは少しだけ笑顔をみせた。


「ありがとよ。でも必ず、そっちの彼女つきでな」

「ほう? オレだけじゃ不満ってか」

「男だけ来ても全然楽しくないわ。まあいい。気をつけてな」

「はあい。じゃ、また!」


じいさんに手を振りながら、心地よい家を後にした。


「おもしろいじいさんだったなー」

「ほんと。あ、そういえば、志津子さんってどんな顔してたんだろ。写真見せてもらいたかったなー」

「あ、あたしも見たかったです。でもきっと、地味な日本人顔ですよ」

「あはは、みーちゃんてば、もう少し自己評価を高くしろよー。自分で言っててむなしくななんないか?」


三津が頭をぐりぐりと撫でてくる。

む。金吾様に撫でられた後なんだぞ。触るでないわ。


「別に。だって本当のことだし」

「あら、みーちゃん。そんな消極的な言い方はだめだよ」


柚葉さんが綺麗なアーチ状の眉をきゅ、と顰めた。


「アタシだって素顔は地味だけど、ほら、今はすんごーく綺麗でしょ?

見た目なんて努力次第でどーにでもなるもんだよ」


いやいやいや。やっぱり土台とか基礎とかって大事じゃないっすか。

家建てるときも、基礎が大事だし。

相撲も下半身が大事だし、ってそれはちょっと違うか?


「あー。信用してない顔だ。ホントだよ? 手をかけたら大抵の子はかわいく綺麗になるもんよ。それに、みーちゃんみたいな特徴のない顔って化粧栄えしやすいし」


ああ、そういう言い方のほうが受け入れやすいです。

あれだ、豆腐みたいな、そういうやつでしょ。

シンプルで地味な食材だけど、手をかけたらあら不思議、メイン料理に変身! みたいな。なるほどね、あたしって豆腐女だったのね。


って、いやいやいやいや。

あたしがメインディッシュって、そりゃ無理だろ。

具沢山の豚汁にこっそり浮いてるくらいなら、豆腐でもいいけど


「柚葉さんの言ってくれることは嬉しいんですけど、急には納得はできないですねー」

「む、意固地ね。よし、今度アタシが腕ふるってあげるからね。見てなさいよー」

「あはは、楽しみにしときます」


歩いていると、前方から誰か駆けてくるのが見えた。


「あれ、風間さんじゃね?」

「あ、ほんとだ。風間さーん!」


加賀父は一人だった。

イノリは寺に置いてきたのだろうか。


「い、祈は!?」

「は?」


顔色を失った加賀父は、息を整えながらあたしたちに重ねて訊いた。


「祈、一緒じゃない、か?」

「へ? 風間さんと出かけたじゃないすか」

「いや……目を離した隙に、いなくなった……」

「うそ!?」


思わず辺りを見渡した。


「先生に電話したら、来てないっていうし。途中で会わなかったか!?」

「いや、会ってないです。いつ、いなくなったんですか?」

「30分ほど前だ。今、節ばあさんが寺の中を探してくれてるんだが、靴がない」

「じゃあ、外に行ってる可能性がありますね。じいさん家に行く途中で迷ったとか?」

「それはないですよ!」


寺から織部のじいさんの家までは一本道。

迷うような脇道はなかったはずだ。


「アタシもそう思う。どこかへ散歩……いや、一言もなくそんなことしないか」


柚葉さんの言葉に頷いた。

不用意に人を心配させるようなこと、あの子はしないはずだ。

となれば、わざと一人で出かけたってことになるけど……。


「祈と話し終わったとき、少し様子がおかしかったんだ。まだ納得していないんだろうとは思っていたんだけど。もしかして」

「逃げ出した、ですか?」


加賀父の飲み込んだ言葉を三津が引き取った。

苦い顔つきで加賀父が息を吐いた。


「これから向こうに帰る、と言ったんだ。それが嫌だったんじゃないだろうか」


それは、ありえる。

行動力のあるイノリなら、やりかねない。


「探しましょう」


言うと、全員があたしを見た。


「見つからないように隠れているはずです。早くしないと暗くなる。そうなったら危険ですし、すぐに探しましょう」

「そう、ね。見つけにくくなるし、そうしましょ」


柚葉さんが傾いた太陽を仰いだ。


「30分かそこいらじゃそんなに遠くまで行けないだろ。あいつはオレたちと一緒で土地勘もないし。とにかく手分けして探そうぜ」

「はい!」

「任せて! アタシ探し物みつけるの得意だから!」

「すなまいが、よろしく頼む」


加賀父が深く頭を下げた。


「そんなの別にいいんでやめてください。えーと、オレはじいさんの家の方向行ってみます。風間さんは向こうへ。柚葉たちはついて行って、風間さんの指示で動け」

「わかった。なにかあったらケータイに連絡して」

「おう。じゃあ!」


言って、三津は駆け出していった。


「こっちも行きましょう」

「ああ」


走りだした加賀父についていく。


イノリ、どこにいるの?

こんな心配させるような真似したらだめだよ。


「俺たちが勝手、なのかな」


走りながら独りごちた加賀父の声を、拾ってしまう。

何も言えず、背中を追った。



「――イノリー!? イノリどこぉ!?」

「祈! 祈-っ!」


もう日が暮れてしまう。

薄闇が、空全体を塗り替えようとしている。

あれから寺周辺を駆けまわり、声をあげて探し回るけど、イノリは見つからないままだった。

加賀父が近隣の人たちにもお願いして一緒に探してもらっているのに、姿が見えないのだ。


「困ったわね……。どこにいるんだろう」

「あ、柚葉さん。三津はどうでした?」


息をきらした柚葉さんが、ケータイを手にしていたので訊く。

残念そうに首を横に振られた。


「ダメ、いないって。今、織部のじいさんと一緒にこっち向かってる」


そっか……。

額を流れる汗を拭って、空を仰いだ。

イノリはここに来たのは初めてで、土地勘がない。

入り組んだ場所には行ってないと思うんだけど……。


「あ」

「あ? なに、みーちゃん」

「蛍、昨日どこで見ましたっけ?」

「蛍ぅ? ええと、向こう……ちょ、みーちゃん!?」

「探してきます!」


みんなで季節ズレした蛍を見た場所。

ここに来て、記憶に残っている場所といえば、そこしかない。

イノリはそこにいるかもしれない。


イノリを探す幾人もの声を聞きながら、必死に走った。

おおよその位置しか覚えてないけど、確か……。


見覚えのある巨木があった。蛍2匹が柔らかな光の線を描きながら消えていったのは、この木の向こうだったような気がする。


「イノリー! 出ておいでー! もう夜になるよ!」


木陰から奥に向かって声を荒げてみる。

鬱蒼とした木々の重なりの奥は既に夜に支配されていて、真っ暗闇だった。

足元を見れば、完全な獣道。

草があたしの膝丈ほどの高さに成長している。

うあ、マムシとかごろごろいそうな感じだなー。

つーか、いるだろ、これ。


ん。草を踏み分けたような跡?

くしゃりと折れた葉が横に伸びている。


イノリ、もしかしてここに入っていった?


うーん、誰かを呼びに行って、一緒に行ったほうがいいかな。

慣れない場所は危険だったりするしな。


しかし周囲に人の気配はない。

イノリを探す声も聞こえないし。

戻るか? でも。


「あ」


ふと、イノリがハーフパンツ姿だったことを思い出した。

ホントにマムシなんかに噛み付かれちゃってたらどうしよう。


「あー。くそ」


メッセンジャーバッグから、小さな懐中電灯を取り出した。

元々はオリエンテーリング用のものだったんだけど、まさかこんな形で役に立つとはね。

カチリとスイッチを押して、電気をつける。


どうか無事にみつけられますよーに!

意を決して、ぼうぼうの草原に足を踏み入れた。



「イノリー! イノリー! ぶあっ!」


声をあげながら進んで行く。

木の枝を避けたつもりが、べろんと吊り下がった蔦が顔面にヒット。


うう、けっこう痛い……。


顔を撫で擦り、空を見上げた。

うあ。星、でちゃった。

完全に日が落ちたな。


うーん、このまま突き進んでいいのかね。

足元を見る。

イノリが踏んだ跡なんてものは、入ってすぐに見失っていた。

歩きやすいほうに進んだんじゃないかと勝手な判断で進んだものの、些か不安になってきた。

このままじゃあたしが迷子になってしまうんじゃないだろうか。


「とりあえず、一旦戻……ん?」


子どもの泣き声を聞いた気がした。

イノリ!?


「イノリ!? どこ! 返事しな!」

「…………! …………!」


やっぱり声がする。

耳を澄ませて、声の方向を探る。


「…………あっち!」


見極めた方向に向かって走りだした。


「イノリー! イノリーっ! 返事!」

「…………!」


よし、方向は間違ってない。

しかしなんでこんな奥にまで来たんだ。

行く手の邪魔をする草を踏みつけ、それに隠れていた木の根に躓きつつ進む。

ぬあ、またも蔦が。

ええい、もう引きちぎってやる。


「おまえなんかこうだ! えい! ぶぎゃ!」


蔦を引っ張ると、思いのほか長く頑丈だったそれはずるりと伸び、ぼたりと頭に落下した。


痛い。

うう、怒りにまかせるとロクなことが起きない。


「……オ! ミャオ!」


あ! 今はっきりと聞こえた!


「イノリ!」


蔦に構ってる暇はないんだった。

払いのけて声のするほうを探った。


「イノリ! どこ!?」

「ミャオ! だめ、ストップ!」


足を踏み出しかけたところで、イノリの鋭い声がした。

それに驚いて、足をとめる。

バランスを崩しかけて、慌てて手近な木の幹にしがみついた。


「え、イノ……うわ、なんだこれ」


懐中電灯で足元を照らして、唖然とした。

すぱんと刀で切りおとしたかのように、地面が途切れていたのだ。

幹に手をかけてこわごわと下を覗く。


「ミャオ!」


暗がりから声がした。

小さな光で探ると、まぶしそうに目を顰めたイノリを見つけた。


「イノリ! よかった……。怪我はない?」

「それが……じつはそこから落ちちゃったんだ。それで足がいたくて動けなくて」

「え!?」


地面の一部に、土が削れた箇所があった。

ああ、ここからイノリは落ちたのか。


下までは約2mといったところか。落ち方によっては、もしかしたら骨折しているかもしれないな。


「イノリ。そこでじっとしてな」


懐中電灯でイノリの周辺を確認する。

よし、いける。


「ミャオ!?」

「とう」


地面を蹴って、下に飛び降りた。

着地と同時に、両足首に鈍い痛みが走る。

むう、少し痩せたほうがいいか。こんなに負担がかかるとは。


「ミャオ! だいじょうぶ!?」

「あ、イノリ。へーきへーき。これくらい余裕っしょ」


心配そうに体をこちらに向けるイノリに笑ってみせる。


「よいしょ、と。イノリ、足見せてみな」


ぺたんと座り込んだイノリの傍に行き、足を確認する。

左足首が熱をもって腫れていた。

出血している箇所は……なし、と。


「ちょっと触るね……、うん、捻挫みたいだね」


よかった。でも、早く冷やしたほうがいい。

イノリに背中を向けて、屈んだ。


「あとは、どっか痛いとこはない?」

「ない。ない、よ」


間近で顔を見ると、泣きはらしたように瞼が腫れていた。

体はひくひくと震えている。


「よかった。心配したんだぞ、もう」


にこりと笑って言うと、それが我慢の糸を切ってしまったらしい。

くしゃりと顔を歪めたかと思うと、あたしにがば、としがみ付き。

大きな声をあげて泣き始めた。


「こっ、こわかったよぉ! 真っ暗で、すごくこわかった!」

「よしよし。もう平気だから。安心しろ。な?」


背中を撫でさする。

怯えてるじゃないか。だいたい冒険しすぎなんだよ、お前は。


「考えなしに山道に入るんじゃない。毒のある虫とか、蛇とかいるかもしれないし、こんな風に予測できない危険もあるんだぞ」

「ご、ごめんなさ……いっ!」


うん、素直でよろしい。

わあわあと泣く体を、落ち着くまでしっかりと抱きしめた。


「さて、早く戻って足冷やさなくちゃな。イノリ、おんぶするから背中に乗って」


ひとしきり泣いたら、すっきりしたらしい。

ずるずると鼻をすすりながらも涙を止めたイノリに声をかけた。


「……やだ」

「は?」


さっきまで号泣していたくせに、あたしにしがみついたまま、頑固な返事を返してきた。

おいおい、今はそんなこと言ってられないでしょう、イノリさんよ。


「足、痛いでしょ? 冷やすなり湿布するなりしないと、ずうっと痛いままなんだよ。もしかしたら骨にヒビ入ってるかもしれないし」

「いやだもん」


ふい、と体を離した。

とその拍子に腫れた左足を地についてしまい、うう、と呻いて蹲る。


痛いくせに。

ふう、とため息を一つついて、少年の頭に声をかけた。


「どうしてそんなこと言うのさ? 今も、みんなイノリを心配して探してるんだよ」

「……ぼく、にげてきたんだもん。かんたんに戻れないよ」

「あー、やっぱ逃げてきたのか」


だよねー。

道に迷ったにしては、盛大な逸れ方だもんね。


「でもさー、怪我してるし、早く処置しないとさ」

「やだ。いいんだ、ぼくなんか」

「あ。『なんか』とかいうなよ。探してくれてるみんなにも失礼だぞ」

「……だって。だって、父さんはぼくを追い出そうとしてるもん。ぼくはいらない子なんだもん」

「んなコト言うなって。いらないわけないだろ」


あー。スネてんなー……。

加賀父、一体どんな会話したんだ。

上手く納得させんかったんかい。


って、簡単に納得なんてさせらんないよなあ。

難しい問題だもんなあ。


「父ちゃんはイノリのことが大好きで、すんげー大切なはずだって」

「じゃあどうしてぼくをおおさわの家に連れて行くのさ。ぼくがいらないからだろ? ぼくがきらいだから、追い出そうとしてるんだ」

「あー、もう。ばかちん」


ぐずぐず言う男はダメだ。魅力激減。大きなマイナスポイントです。

って、あたしの我慢がきかないだけかもしれないけど。

美弥緒さんは短気なのだ。


言葉と同時に、ごつんとげんこつを頭に落とした。


「いたい!」

「殴られれば痛いのは当たり前! あの父ちゃんがあんたを追い出そうとしてるはずないだろう。自分が大切にされてることくらい、あんたはわかんないの?」

「だ、って……」


頭をさすりながら、むう、とあたしを見つめる。


「だって、そうじゃないか。ぼくがきらいだから、おおさわの家につれてったんでしょ。ぼくのためだとか、ためになるとか、そんなこと言われても全然わかんないもん」

「そういうのは、イノリが大きくなるとわかるようになってんだ。今はわかんなくても仕方ないんだよ。でもさ、父ちゃんが自分のこと好きか嫌いかくらいは、イノリは分かるよな?」


言動の端々にあんなに愛情を滲ませているんだ、分からないはずがない。

イノリはバツが悪そうに俯いた。


「それは分かる、けど……。だけど、ぼくをおおさわの家に連れてくのはわかんないよ」

「ふむ」


イノリの横に座り直した。胡坐をかいて、自分の足首を掴む。


「大澤の父ちゃん、嫌いか?」

「え……?」

「大澤の父ちゃんだよ。イノリは嫌いなのか?」


隣から返事はない。

しかし聞いてはくれているようだ。


イノリは加賀父のことはもちろん好きなのだろうが、大澤父を嫌っているというわけではなさそうだった。

ただ、加賀父が好きで、傍にいたくて。

加賀父と離れたくない、それだけなんじゃないか、そう感じた。


イノリは大澤父を嫌ってなく、むしろ興味を持っているし、多少なりとも好意だってあるんじゃないだろうか、とも。


「……きらいじゃ、ない、かも」


果たして、イノリがぽつんと言葉を落とした。


「たぶん、ぼく、きらいじゃないと思う」

「ふむ、そうか」

「少しこわいけど、父さんよりも好きじゃないけど、新しい父さんもきらいじゃない」


うん。なるほど。

自分に確認するように呟くイノリに頷いた。


「うん。ずっと一緒にいた父ちゃんのほうが好きだよな。当たり前だよ、過ごした時間が違うもん」

「ぼく、ずっとあの父さんがほんとうのお父さんだと思ってたんだ」

「ああ、そうだったよな。急に『違ったんだよー。ホントはこっちでしたー』、なんて言われても困るよな。イノリからしてみれば迷惑な話だよな」

「そうなんだ。父さんはさ、ぼくにワガママ言うなとか言うけど、父さんたちのほうがよっぽどワガママだよ!」


急に語気を荒げて、イノリは頬をぷう、と膨らませた。

次いで、地面をだん、と叩く。

おお。いきなり怒った。


「ぼく、学校も変わったんだよ? 保育園のころからの友達とも、近所の友達ともお別れしてきたんだよ!?」

「う、うん」

「おおさわの父さんはお仕事が忙しいっていっしょにご飯食べてくれなくてさ。ぼく、かせいふさんが作りおきしたのをひとりで食べてたんだよ! ひとりぼっちといっしょじゃないかっ」


ほう、大澤父は家政婦を雇ってるのか。

すげえ。お金持ちー。セレブー。


じゃない。

そうか、一緒に食事できないのも、寂しいよな。

イノリは溜まっていた不満を吐き出すように、次々に愚痴をこぼした。

あたしの返事なんてどうでもいいようで、ただ、外に出してしまいたかったのだろう。


たくさん溜め込んでたんだなあ。

脈絡もなく、ぽんぽんと話題がとぶイノリの言葉を、短い相槌で受け止める。


「だからさ、父さんたちのほうがワガママで、じぶんかってなんだ」

「うむうむ。大人ってのはそんな生き物なのさ」


鼻息荒く語るイノリに頷いてみせる。


「で、子どもっていうのは、大人に振り回される生き物なんだ。大人のワガママに文句言わずに付き合えば『お利口さん』で、そうじゃなかったら『悪い子』扱いされるんだよ」

「え!? そんなのオカシイよ」


ひとしきり話して、幾分すっきりしたようだ。

さっきまで耳を素通りしていたはずのあたしの言葉に反応した。


「オカシイけど、そうなんだよな。でさ、これをどうにかするには、多分大人になるしかない、とあたしは思うんだ」

「ええー、そうなの?」

「全部がそうとは言い切れないけどな。あたしが考え付かないだけで、中には上手く回避する方法もあるのかもしれない。でも、大人になったら問題は絶対解決する。まず、大人の言い分も理解できるようになる。

ついでに、大人と対等になる。

だからさ、きっと大人になるのが一番簡単で手っ取り早いんだよ」

「そんなの、長いよ。全然てっとりばやくないよ」


不満げに鼻を鳴らし、全身でため息をつく。


「そうかあ? イノリは案外早く大人になるかもしれないぞ。あたしより遥かに色んな経験してるしな」

「大人ってハタチになったら大人なんでしょ? だったらミャオのほうが早いにきまってるよ」

「違うよ、それ。ハタチは単に成人扱いされるだけだ。本当の大人になるっていうのは、気持ちの問題だよ。ハタチ越してもコドモみたいな人はいるし、逆にハタチになってなくてもオトナっていう人もいる」

「ええ、本当? じゃあ、ぼくミャオより早く大人になれる?」

「可能性は、ないとも限らんな」

「そっかあ……。ねえ、ミャオはぼくが早く大人になったほうがいい?」

「ん? そうだなあ。子どものままもかわいいけどなあ。でも、大人のイノリも見てみたいかな。あたしがクラクラするくらいのいい男になってるだろうしなあ」


大澤父ばりの大人のイノリを想像しようとしたのに、何故か大澤の顔が思い浮かんだ。


いや、何故かも何も、あいつはイノリの成長後なんだっけ。

あたしの中では未だにイノリと大澤がイコールで繋がってないので、違和感があるのだけど。


ふむ。大澤、かあ。

あいつは、まだ大人という感じじゃなかったなー。

けっこう感情的だったような気がする。

駄々っ子、というか。


しかし身体的成長という視点からすれば、ばっちり追い抜いてはいたか。

見上げるくらい背が高かったし。

って、こんなかわいい子が本当に(綺麗だけども)あんな仏頂面になるの?

意味わかんない。

納得できない。

時間の流れって残酷すぎじゃないの。恐ろしすぎる。


いやいやしかし、大澤父のDNAと加賀父の教育の末には、2名の父親を凌駕するほどの渋い大人の大澤が存在するのかもしれない。


あたしのハートを鷲摑むような、素敵紳士に成長したイノリ、はたまた大澤、か。

うーん、想像できない。


いや、もうこの際、あるかどうか分からない未来はいらない。


いっそのこと、イノリの成長がこのまま止まってしまえばいいのだ。

この小さくかわいいまんまで、永久にぐりぐりもふもふさせてくれればいい。

ああ、それが最善策。幸せルートだわ。


「ミャオはさあ、やっぱりぼくはおおさわの家に行ったほうがいいと思う?」

「へ?」


ほんの少し煩悩の海に浸かっている間に、少年の思考は次のステージに行っていたらしい。

ふいに質問された。


「ぼく、おおさわの家に行ったほうがいいのかな?」

「ふ、む」


それねえ、既に何回も考えた問題なのよ。

でね、答えでなかったの。


何が正解なのか、わかんないんだ、あたし。

真っ直ぐにあたしを見つめる瞳。

真剣に考えている瞳。

これに、きちんと答えたい。答えなくちゃいけない。


「あたしにも、わかんないや」

「へ?」


ひょいと肩を竦めて言うと、張り詰めた表情が、一瞬緩んだ。

それに対して、小さく頭を下げた。


「ごめん、イノリ。あたしにもわかんない。あたし、まだあんたと一緒の子どもなんだ。だから、加賀父たち大人の考えてることが、ちゃんと理解できない。納得できない。イノリがこんなに頑張ってるんだから、加賀父が一緒にいてあげたらいいじゃん! って思うんだ。でも。でもね?」


一旦言葉を切って、イノリの瞳を覗き込んだ。


「でも、きっと、大人の言うことを聞いておいたほうがいいんじゃないかな、と思う。大人ってワガママ言うけど、勝手なこと言うけど、でも、子どもに本当に悪いことは言わないんだよ。子どものためを思って言ってる、それがワガママのように思えることもあるんだ。あの父ちゃん2人の考えてることだぞ。イノリにとって悪いことを勧めるわけがない。

だから、今回のこともイノリのことを考えた末のことなんだから、それに従うのが正解なんじゃないか?

って、ごめんな。あたしまであんたの嫌がること言ってるよな」


素直な気持ちだった。

イノリの求める回答じゃなかったかもしれないけど、でも真剣に考えた答え。

イノリは考え込むように、ついとあたしから視線を外した。

暗闇を見つめる。


やっぱり、不満だっただろうか。

あたしの言ったことで、イノリが益々意固地になってしまったらどうしよう。

絶対に帰らない、ってごねたりとか。

無理やり抱えて帰るしかないか。

うーん、でも。うーん。


「……いつか」

「へ? なに、イノリ」

「いつか、ぼくにも父さんたちの気持ちが分かるようになるのかなあ」


視線が戻ってくる。

その眼差しは、何かふっきれたような色が見えた。


「分かると思うよ。イノリが大人になったときに」

「そっか」


こくん、と頷いた。それから、


「ぼく、おおさわの家に行く」


はっきりと告げた。


「へ?」

「おおさわの家に行く。おおさわの父さんと暮らしてみる」


はて、これは一体どうしたことか。

自分がまともな説得ができたとは思えない。


ということは、この子はあたしとの会話で勝手に答えを見つけたんだろうか。

なんというか、すごい。


「い、いいの?」


つい、イノリの意思を確認してしまう。

だってだって、ついていけてないんだもん、あたし。

いつ考えを変えたのか、皆目見当もつかない。

あたしの問いに、少年はこっくり頷いて見せた。


「うん」

「そ、そう……、なんだ」

「ぼく、大人になる。父さんたちの考えが分かるようになるよ。そのときは、ミャオにも教えてあげる」

「あ、うん。お願いします」


ぺこんと頭を下げた。

しかし、そうか。この子、完全にあたしを抜くつもりでいるのか。


むむ、生意気な。

あたしは追われるほうが萌える……じゃない、燃える性格なのだ。

簡単に抜かれるものか。

って、どんな競争だ。


「仕方ない。かえろうか」


少年はえらそうに言ってのける。

しかしまあ、ぐずられるよりよっぽどいい。


「あいよ。じゃあ、背中にのりな」

「ええー。おんぶって、やだよ。はずかしい」

「じゃあ歩けるのか?」

「う……」


悔しそうに唇を噛む。


「だって、ぼく男だぞ。女の子のミャオにおんぶされるのなんて、いやだよ」

「男だとか女だとか、関係ないだろ。怪我してるんだからさ」

「でもぉ……」


おいおい、この問題でぐずるのかよ。

難儀な男心だねえ、全く。


「仕方ないだろ。今、イノリは歩けないんだからさ」

「そうだけどー、でも、ミャオにおんぶされるのは、いやなんだもん」

「いやなんだもん、って言ってもさ。ここにずっといるわけにはいかないだろ。ワガママ言うなって」

「あ! ミャオもぼくをワガママって言った! ミャオも父さんといっしょなんだ!」

「いや、この場合は本当におまえのワガママだろ」


ぶう、と頬を膨らませたイノリの頭を軽くぺしんと叩く。


「おまえは怪我してて歩けない。あたしはおぶって歩ける体力がある。ここにずっといるわけにはいかない。な? イノリが大人しくおぶされば問題解決だ」

「でも、ぼく男だし……」

「あのなあ、イノリ」


こいつの頑固なとこ、一体誰に似てるんだろうな。

困ったもんだ。

ため息を一つついた。


「あのなあ、大人の男ってのは、状況判断ができるもんだぞ。自分だけで移動できないとなれば、きちんと他の人の手を借りる。恥ずかしいとか、みっともないとか、そういうのはただのワガママなんだ」

「…………」


少年はむう、と唇を引き結んだ。

どうにも納得がいかないらしい。

さて、どうしたもんかねー。

さっきより頑なじゃないか。


「うーん……、いずれさあ、イノリはあたしよりおっきくなるよ。ひょいっとおんぶできるくらいにさ。そのとき、あたしが怪我とかして困ってたらおんぶしてよ。今回のことは、貸しってことで、いつか絶対に返して?

それで、今回は納得してくれないかな」


こんな提案じゃ受け入れないかなー、と半ば諦めながら言った。

しかし、イノリの瞳がキラリと光った。


「ぼく、ミャオよりおっきくなる?」

「当たり前だろ。だからさ、そのときははイノリがあたしをおんぶしてよ。いや?」

「ううん、いやじゃないよ」

「そか。じゃあ、よろしく」


ふう、ようやく機嫌が直ったか。


「しかし、イノリ」

「なに?」

「おまえ、『おれ』って言うんじゃなかったのか。いつの間にか『ぼく』に戻ってるけど」

「……っ!」


不覚! というように、少年は顔をしかめた。

悔しそうに唇を噛む。


新しい自称が定着するまでには、もう少し時間がかかりそうだ、その様子にくすりと笑った。


「ミャオ、いつから気がついてたのさ?」

「え? ええと、ついさっき、かな?」


すっとぼけて答える。

疑わしそうにあたしを窺っていたイノリだが、問い詰めても仕方ないと思ったらしい。

ため息を一つついて、


「これからは気がついたらすぐに教えてね! おれも気をつけるけど!」


と言った。


「はいはい。気をつけます」

「うん。そうして!」

「じゃあ、とりあえず行きましょうか。ほら、乗りな」


改めてイノリに背中を向けると、今度は素直に背中に体を預けてくれた。

細い腕が首に巻きつく。


「よし、帰ろうか。あ、懐中電灯はイノリが持ってくれないか?」

「うん。ミャオの足元に向けたらいいんだよね」


懐中電灯を手渡してから、よいしょ、と立ち上がる。

お、意外に重みがあるんだな。

少し体が傾いだが、どうにか体勢を整えた。


……う、む、よし。

さて、帰るか。


と言いたいが、はてさて、どっちに行けばいいんだ?

イノリの声を頼りに考えなしに走ってきたから、帰りの方向がわからない。

とりあえずこの崖の上に移動しなくちゃいけないよなあ


うーむ、とりあえず上に行けそうな道を探すか。


「ミャオ? どうしたの?」

「いや、別に。さ、行こう」


うーん、とりあえずあっちに行ってみるか。

向こうの方角から来たような気がするし。上に登れるような場所があればいいんだけど。

なんとなく方向を決めて、歩き出した。



……迷った。

完全に迷子になってしまった。


行けども行けども、木。木、木、木、木。

たまに蔦。

うーむ、全っ然帰り道が分からない。


イノリを背負ったまま、こっそりため息をついた。

迷子になっちゃった、てへ。

なんてこの子に言ったら不安がるだろうしなあ。


しかし。

どうすっかなー、もう。


ああ、ケータイが使えたら、こんなときにさっ! とかけて、

「ヘルプ! ヘルプ!」とやるんだけどなー。


は! そうだ!

地面にでっかくSOSと描いて、救助ヘリに見つけてもらえば……ってここ森の中だし!

つーかヘリ出てねーだろ。そんなにでかい問題になってたら大変だしな。


いやでも、このままだとそうなる可能性も否定できんな。

イノリを発見してから、かれこれ1時間……いや2時間は経過しているし。


ヤバい、早く戻らなくては。

でもどっち行けばいいのぉぉぉ。


「見てー、ミャオ。星がきれいだよ」

「んあ?」


背中からののんびりしたイノリの声に、空を見上げた。

うあ、ほんとだ。綺麗だなー。


一面の星だ。プラネタリウムみたい。

って、本物のほうがもっともっと綺麗だけど。


「……ちょっと休憩しよっか」


草むらにイノリをおろし、並んで座った。

イノリは夜空を楽しげに眺めている。


気づかれないように、肩をぐるぐると回した。

ふあー、やっぱり重いわ。肩痛ー。

早くどうにかしないと、あたしの体力が限界を迎えるかもしれん。


ふう、と胡坐をかく。

疲労した足首をそっと撫で擦った。


あ。星の位置で方角が分かるとか、聞いたことあるな。

って、星なんて北斗●拳のアレしか知らないんですけど。

それに、目指す方角も分かんないし。


「あ」


バッグの中に、お菓子とジュースが入っているのを思い出した。

昨日の晩、コンビニで三津に買ってもらった残りを入れっぱなしにしていたのだ。

よかったー、全部食べなくて。

ごそごそとあさると、封を切ったクッキーの箱と、半分ほど中身の残っているスポーツ飲料のペットボトルがあった。


「イノリ、はんぶんこしよ」

「うわ、お菓子だあ!」


チョコが少し溶けた、チョコチップクッキーを仲良く齧る。

カリカリとゆっくり食べて、ぬるくなったスポーツ飲料を流し込む。

うん、少し疲れがとれたかな。


一息ついたのち、時計としてしか機能を果たしていないケータイを取出し、時間を確認。

おえ。もう2時回ってんじゃん。

うーん、このまま無為に動き回るより、ここでじっとしているほうが得策かなあ。

日が昇れば行動しやすいしなあ。


…………あれ?

ちょっと待て。


何か忘れてる気がするんだが。

重要なことがあったような……。


「ぬわああああああああああああっ!」


7時45分!

7時45分にK駅に行かなくちゃいけなかったんだ!!


ちょ。ちょっと待てよ。

えーと、三津の運転でここまで何時間かかったっけ。


4時間……、か? いや、でも休憩挟んだしなあ。

でもとりあえず4時間だとして、7時45分にK駅に着くには最悪でも3時45分にはここを出なくてはいけないんだ。

ってことは、約2時間でここを抜け出さなきゃいけないのか。


おいおいおいおいおい。

既に数時間迷ってるんだけどー。

出られるのかよー。


「ミャ、ミャオ? どうかしたの?」


あわあわとうろたえていると、イノリが服の裾を引っ張った。

見上げる不安そうな顔に、う、と詰まる。

何て説明したらいいんでしょうか。


この子には、あたしのタイムスリップのことは秘密にしておきたいし。

うーん、うーん。


「あ、あのね、あたし、帰らなくちゃいけないのね」

「かえる?」


きょとんとして、小さく首を傾げる。


「そう。あたしも自分のお家に帰らなくちゃいけないの。だけど、このままだと帰られなくなっちゃうんだ」

「ミャオのおうちって、どこなの?」

「へ?」

「ミャオのおうちだよ。どこにあるの? おれの家……ええと、おおさわの家の近く?」

「あ、ええと、大澤の家って、どこ? K駅の近く?」


こくんと頷くイノリ。

それなら、あたしの家からさほど遠くはないかもしれない。


しかし、それは9年後のことで、この時代ではあたしは遠く離れた県に住んでいる。

それに、あたしが再びイノリに出会うのは約9年後。

しかもあたしはイノリを知らないときたもんだ。


うーん、二度と会えないくらい遠くに行ってしまうようなもんだよな。


「ミャオ? ちかいの? すぐ会えるくらい近いとうれしいなあ」


えへへ、と顔をほころばせて笑うイノリに、ちくりと胸が痛む。

会えない、んだよね。

少なくとも、目の前の、無邪気に笑うあんたにはもう会えない。


「……ちょっと、遠い、かもなあ」


言葉を選びながら、ゆっくり告げると、笑顔がさっと曇った。


「遠い、の?」

「うん……。簡単には、会えない場所なんだ」

「そんな……」


呆然として、けれどすぐにイノリはぎこちなく笑ってみせた。


「じゃ、じゃあ夏休みとか、冬休みには会える? ミャオのいるところまで、おれ会いにいくよ。父さんたちや、三津さんたちに頼むよ。ううん、今度こそ電車に乗って、一人でも行くよ」

「ごめん。無理だよ。だってすごくすごく遠いんだ」


頑張って答えた男の子の希望を、痛みを覚えながら否定する。


ごめん、ごめんね。


「っ! が、がいこくとか?」

「まあ、そんな感じ、かな」


力なく笑った。

寂しい、なあ。こんなに慕ってくれる子に、あたしはもう二度と会えないんだ。


俯いたイノリの、小さな頭にそっと手をのせた。

柔らかな髪が、汗で少し湿っていた。

この頭に触れることも、もうできない。


「がいこく……。じゃあ、大人になれば、会いにいける?」

「え?」


俯いたまま、ぽとんと呟いた。

小さな声に問い返すと、


「おれが大人になったら、ミャオに会いにいけるよね? 飛行機にも船にも一人でのれるようになったら、会いにいけるよね!?」


がば、と顔をあげた少年は、真っ直ぐにあたしの目を見つめていた。

また会えると信じている、迷いのない瞳。


「イノリ……」


ちょっぴり、いやだいぶ、嬉しかった。

そう言ってくれるほどの思いを抱いてくれることが。

そして、悲しかった。

だって、会えないって分かってることだもん。


「おれ、絶対にまたミャオに会いにいくよ。遠くても、絶対! 大人になったらどこにでもいけるんだからな!」

「イノリ……」


微かに、目尻に涙が滲んだ。イノリの熱に押されてしまった。

なんでこの子はこんなにもあたしになついてくれるんだ。

こんなにも素直に気持ちを表してくれるんだ。

情が、うつっちゃうじゃないか。


「……会えるよ」

「え?」


口が勝手に動いた。


「会えるよ。あたし、イノリが大きくなるの、待ってるよ」

「ほ、ほんと?」

「うん。でも、イノリがあたしよりも大きくなるまでは、どうしても会えないんだ。でも、イノリがそれでもいいって言うなら、きっと会えるよ」


言って、すぐに焦った。

ヤバい。言ってよかったのか、こういうこと。

柚葉さんの『未来を変えて死んだ人』の話がぐるぐると頭を回る。


い、いや! 死にたくない! まだ死にたくないの、あたし!

死んでもいいとかつい口にしちゃうけど、言葉のアヤだし、それって!


「それでもいいよ! おれ、早く大きくなるもん!」


と、イノリが不安を吹き飛ばすくらいの勢いで言った。


「ミャオくらい、すぐに追い抜いてやるよ。だから、もう会えないとか言うのはなしにしてよ!」

「……おっきくなったとき、『やっぱ会いたくなかった』とか言うのはダメだぞ?」

「言うわけないじゃん! ミャオこそ、言うなよ!」

「あたしは……」


ええと、会いたくなかった的なことは大澤に言ってない、よな?

記憶を辿る。

うん、言ってない、よな。

よし、約束してOK。


「うん、言わない。あ、でもさあ、イノリが大きくなるころにはあたしはオバサンになってるかもしんないぞ。いいのか、それで」


ふと湧いた、からかいめいた気持ちで訊いてみた。

少年は、考え込むように顎に手をあてた。


「ええと、ミャオって年いくつだっけ?」

「じゅうご」

「えーと、おれは6さいだから、んーと、9さいうえ、かあ」


指を折って確認する。

さて、この早熟の男の子は何て言うだろうか、とわくわくしながら言葉を待った。


「……まあ、だいじょうぶかな」

「は?」


に、と笑ったイノリは、


「だいじょうぶ。いまね、おばあちゃんになったミャオの顔を考えたんだけどね、やっぱり好きだなっておもったから」

「いや、あたしがおばあちゃんになってたら、さすがにあんたもおじさんだよ」


ばあちゃんくらいになれば、9歳差なんて大した差ではないのでは?

つーか、そんなに簡単にばあちゃんになんねーし。

仮に10年後としても、25だろ? 女としてはまだ発展途上、うなぎ上り中だろうが。


「あ、そっか。じゃあもっとだいじょうぶじゃん」


へへ、と笑って、イノリはあたしの顔を覗きこんだ。

その無邪気さに、思わず笑みが零れた。

それに、おばあちゃんになっても好きって、いいこと言うじゃないか。

いい口説き文句だと思うぞ。


「うそだよ。あたし、今のままでいるよ」

「ん? どういうこと?」

「イノリが同じくらいの年になるまで、待っててやる」

「ええ? そんなこと、できないよ」

「できるよ。じつはあたしさあ、ニンゲンじゃないんだ」

「え」


ひそひそ話をするように、そっと声をひそめて言った。


「イノリにだけ教えるヒミツだよ? あたし、ニンゲンじゃないのだ」

「ええ。にんげんじゃん」

「じーつーは、違うのだ。なので、簡単に年をとらないのだよ」


自信たっぷりに言うと、少年の顔つきが次第に変わってきた。

笑みが引っ込み。次に疑いの色が濃くなり、それから驚愕。


「ほ、ほんと?」

「うむ」

「にんげんじゃないなら、じゃあミャオはなんなの?」


ふむ。さて、なんと言おうか。

妖精? いや、分不相応ですよね。

幽霊? えー、こんな生活感のある幽霊ってどうよ。

妖怪? いやいやいや。化け猫呼ばわりされるきっかけが自分ってことになっちゃわね?


「……ね、」

「ね?」

「ねこの……精霊?」


はい、すべりました!

口にした瞬間に後悔しました!


「ぷ。ミャオっておもしろい」


失敗した、と眉間にシワと寄せたあたしと違い、くすくすとイノリが笑った。


「そんな話したらおれが怖がると思ったんでしょー? でも騙されないもんね」

「む」


せっかく半信半疑の状態まで持っていけたのに、ねこの精霊で丸つぶれになってしまったではないか。

ああ、センスのない自分が嫌!


「あははははは、ミャオってばー。あ、そ、それより、帰らないといけないのは本当なの?」


はう!?

それは完全に事実です!


「そ、そうだ! 時間がないんだった!」


イノリと再び出会うにしても、帰らないことには何も始まらないのだ。


「と、とにかく移動してみよう。イノリ、背中にのって」

「うん」


よいしょ、と再び背負う。

さっきと同じく、少しよろけたのち、歩き出した。


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