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10.袈裟姿の美僧って卑猥

10.袈裟姿の美僧って卑猥


朝風呂ってなんでこんなにも気持ちいいんだろう。


あれから加賀父に勧められるままに、お風呂場に直行した。

昨日は随分汗をかいたから、肌がべたべたして気持ち悪かったんだよね。


じいさんのこだわりだという、でっかい檜風呂にざぶんと浸かり、鼻歌。

あ。もちろん、鳴沢様のテーマです。

お風呂のときはこれと決めてるのだ。


「ふんふふんふ、ふーん。ふふ……あ」


続けざまに人が来て、話をうやむやに終えてしまっていた。

加賀父にイノリを頼もうとしていたのに、何してるんだあたし。


むー、金吾様スマイルにやられてたからなー。くそう。

ちゃんと話をしなくちゃいけなかったのに、馬鹿だなあ、あたし。


いや、でもしかし、なあ。

これ以上何も言わないほうがいいのかなあ。

加賀父が、イノリのことを大事に思ってるのはわかる。

で、大澤父も、不器用そうだったけど、イノリを同じように大事に思っているのもわかった。

そんな2人の父親が話し合って決めていることに、急に現れたあたしが異議を唱えていいものなのかどうか。

んー、でも。


「むずがびい(難しい)……」


お湯に顔まで浸かり、呟く。

どうもあたしはイノリの気持ちのほうを重要視してしまう傾向にある。

どっちかっていうとあたしも子どもだし、イノリの気持ちに同調しやすいのかもしれん。

なのでどうしても、父たちの意向などよりも、イノリの思いを優先してもらいたいと思ってしまうのだ。


もちろん、人生経験の浅いあたしより、大人の父たちのほうが思慮深いはずで、イノリのことを色々考えた末でのことなのだろうとは、思うのだ。

むう、さてはてどうしたものか。


と、脱衣所に人の気配がした。


「みーちゃん? アタシも一緒に入ってもいいー?」


柚葉さんの声。

おっと、考え事はあとにしようかな。


「いいっすよー。めちゃくちゃ気持ちいいっすよ」

「じゃ、入りまーす」


タオルで隠すことなく、巨乳を惜しげもなくさらして柚葉さん登場。

おー、迫力。つーか、やっぱスタイルいいっすね。


「昨日お風呂入らないまま寝ちゃってさー。うわ、純和風風呂―」

「いいっしょ。そこの洗面器も檜ですよ」


洗面器の裏には、織部という焼印入りだった。

じいさんはお風呂が何より好きなのらしい。江戸っ子か。


椅子に腰掛けた柚葉さんが、勢いよくお湯をかぶり、

長い髪を丁寧に洗い始めた。

手つきが美容師っぽいと言ったら、何それと笑われた。



「そういえば祈くん、まだ寝てたわよー。あと、ヒジリも」


頭の泡を順調に増やしながら柚葉さんが言った。


「昨日、遅かったですもんね」

「ヒジリは飲みすぎだけどね。あれから結構飲んだんだ」


うへ。元気だなー。


「あ、でさあ。さっき風間さんと話したんだけど、今日の夕方にこっちを出ることにしたから。あ、ありがと」


泡まみれになりながら洗面器を探している柚葉さんに、お湯を満たしたものを手渡す。

ざぶんとかぶって空になったのを受け取り、再び満たして返す。


「夕方、ですか?」

「そう。今晩は三津の部屋に泊まって、朝になったらK駅に行こうって。

7時40分、だっけ? その時間にいけば、未来に帰れるんでしょう?」

「もしかしたら、って加賀父は言ってましたけど」

「大丈夫よう。だって風間さんが言うことよ? 間違いないって」


化粧が取れて、麻呂眉になった柚葉さんが自信ありげに笑う。


「そうです、よね」

「そうよ。だってや組の金吾様よ?」

「ですよね!」


顔を見合わせて、くすくすと笑った。


「でも、ちょっと寂しいわねー。みーちゃんが帰っちゃうのって」


濡れた髪を背中に流し、石鹸を手にした柚葉さん。

次は綺麗な肢体を泡まみれにしてゆく。

って、この言い回しは変態オヤジぽいな、あたし。


「もちろん、元の時代に戻ったらすぐに会いにいきますよ?」

「ふふ、ありがと。でもさー。それって9年後の話なんだよね。せっかく仲良くなったのに、9年も待たなくちゃいけないって、やっぱり寂しい」


そっか。あたしにとっては戻ればすぐの話なんだけど、柚葉さんから見れば9年後なんだ。

9年、か。長いよなあ。


「あの、9年後に会いに行っても、忘れないでくださいね?」

「やだ、忘れるわけないじゃない。みーちゃんって、アタシの初めての護衛隊仲間なのよ」

「あたしだって、じいちゃん以外だと初めてなんです。じゃあ、約束ですよ」


洗面器にお湯を満たして渡す。

ざばん、と柚葉さんが泡を流したとほぼ同時に、前触れもなく脱衣所への戸が開いた。


「ゆーずはっ! ヒジリくんもお風呂入るーぅ!」

「ぎゃあああああああああああ!」

「馬鹿ヒジリぃ! みーちゃんもいるのになにしてやがるっ!」


全裸の三津が飛び込んできて、あたしがお湯に頭まで浸かる間に、柚葉さんが洗面器を投げつけた。

おずおずと顔をだすと、サイアクなことに、三津がこちらにきったない股間を丸出しにした、M字開脚でダウンしており。

柚葉さんが雫を残した体で、三津に向かって蹴りを放とうとしているところだった。


「簡単に女子高生の体を拝めると思うなよ! この煩悩馬鹿!」

「し、知らなかったん、で……ぐはあっ!」


技を見たい気持ちはあるものの、三津の股間はもう二度と見たくない。

再び湯船に頭まで漬かり、遠くに三津の叫び声を聞いた。


「――みーちゃん、さっきはスミマセンデシタ。あの、一所懸命作りましたので、お召し上がりクダサイ……」


目の前に、コトリとお皿が置かれた。

きゅうりやトマト、ナスなど彩り鮮やかな野菜がたっぷり乗った、えーと、そうめん?


「ヒジリくん特製の夏野菜の冷製そうめんでございます……。あ、柚葉さんもどうぞ」

「ん」


あれから三津は柚葉さんにがっつりとおしおきを食らい、せめてものお詫びということで朝食(時間的には昼食か? のんびりしていたら太陽はすっかり高みにいた)を作ってくれたのだ。

顔を窺い見れば、柚葉さんに右頬を攻撃されたらしく、ほんのり赤い。


うーん、なんだか申し訳なくなってしまう。

汚いブツを見せられたのは迷惑至極だが、こちらの体に関しては見られていないし(柚葉さんに瞬殺されてたので)、もういいやと思うんだよなー。

超絶いいカラダの柚葉さんを見慣れた三津にとっては、貧相なあたしの体なぞ別に見たくなかっただろうし。

たぶん本当に、あたしがいることを知らなかったんだろうな。


「えーと、とにかく、いただきます」


目の前のものはすごく美味しそうだ。

せっかくなので頂くことにしましょう。

添えられたフォークを手にして、まずはイタダキマス。


「あ。おいしい」


さっぱりして、すごくおいしい。

トマトもきゅうりも瑞々しくて甘いー。

あ。茄子の素揚げだ。大好きだー。


「三津、すんごくおいしい!」


なんだこれ。味付けも完璧。この三津がこんな素敵飯を作れるとは!


「へへん。だってコックだぜ、これでも」

「うん、おいしいな。三津、後で祈にも作ってやってくれな」


一緒に食べていた加賀父も驚いたように言う。


「うっす。これくらい簡単っすから。それに、じいさんの作った野菜が旨いんすよ」

「丹精こめとるからのー。たんと食え」


じいさんはすっきりとした顔で、庭先でえっほえっほと体操をしている。

無精ひげも剃り、健康そのもの、といった様子。

こんなに血色のいい顔色をしておいて、余命わずかなわけないだろう、と改めて思う。


しかし、急にこんな人数が家に泊まっていても平然としているのがすごい。

誰じゃ、とか聞くだろ普通。

いや、聞かれて一番困るのはあたしだけどもね?


「そろそろイノリを起こしてこようかな」


先に食べ終えた加賀父が立ち上がった。

じゃあオレは祈の分を作っておくか、と三津も台所へ向かう。

柚葉さんとのんびりそうめんを食べていると、遠くから蝉の鳴き声がした。


「なーんか、夏休みに田舎のおじいちゃんの家に来たって感じー」


汗をかいたガラスのコップには並々と麦茶。

それを半分くらい一気に飲んで、柚葉さんが言った。


「そうですねー。すんごく落ち着くし」


ちゅる、とそうめんを啜って、室内を見渡した。

年季の入った家具に、少し色あせた畳。

広い縁側の向こうには朝顔が咲いていて。

ついでに体操中のじいさん付き。

父方のじいちゃんとは同居だし、幸子(母)の実家は都会ど真ん中のマンションだし、あたしにはこんな田舎はないのだけれど、柚葉さんの言っていることはよく分かる。


いーよなー、こういうの。

年とったら田舎に住みたいって人が多いとか聞くけど、こういう雰囲気の中にいたいということなのかな。


「おは、よー……」


目を擦りながらイノリが現れた。


「おはよー、イノリ」

「おはよ、祈くん。疲れはとれた?」

「んー……」


少年は大きな欠伸をしつつ、ちょこんとあたしの横に座った。


「ねむい……」

「そっか。でも、結構長く寝てたよ。もうお昼だもん」

「へ? あ、ほんとだぁ」


壁にかけられた時計を見上げてへらりと笑う。


「よく寝てたから、起こすのがかわいそうなくらいだったよ」


後から入ってきた加賀父が苦笑した。


「ほら、祈。目が覚めるから顔洗ってきなさい」

「むー……」


いやいや、と首を横に振る。

よっぽど眠たいんだなー。


「イノリ、顔洗ってきな? ほっぺたに豪快にヨダレの跡があるよ」

「へ!?」


意地悪く言ってやると、ぼんやりしていた目が大きく開いた。


「ど、どこ?」

「左側。いやー、かわいいなあ、イノリちゃんは。あたしが拭いてやろうか?」


にやにやと頬を指差すと、案の定すっくと立ち上がり。


「父さん! せんめんじょどこ!?」

「あ、ああ、あっち」


加賀父の先導を受けて行ってしまった。


「みーちゃん、扱いになれたねー」

「イノリからしてみれば不服でしょうけどね。と、ごちそうさまでした。おいしかったです」


三津の評価急上昇だ。料理のできないあたしからしてみれば、この味は天才と呼ばざるを得ない。


「あ、柚葉さんのお皿も空ですね。一緒に片付けちゃいますね」

「え、ああ、ごめんね?」

「いえいえ」


台所へ行けば、三津が祈の分のそうめんを作っているところ。

流し台には、使い終わった調理器具がまだ残っていた。


よし、人間食器洗い機の出番ですな。


「あ。みーちゃん、さんきゅ」

「これぐらい当たり前だし。ごちそーさまでした」


カチャカチャと洗っていると、子どもが駆ける足音がして、


「ミャオ! きれいにしたからな!」


とイノリが突進してきた。


「ふわ!? え、ああ、うん」


がっしとあたしの背後にしがみつくイノリ。

驚いて見れば、前髪に雫をたっぷり残している。


「ほらー、ここ濡れてる。ちゃんと拭かなくちゃだめだよ」

「へへー。ミャオが拭いてー」

「はあ? もう子どもらしいことはしないんじゃないの、あんた」

「これは違うもん」


なんのこっちゃ。

子どものすることじゃんよ。


しかしまあ甘えられると拒否はできん。

ポケットに入れていたハンカチで拭いてやると、イノリは気持ちよさそうに目を閉じた。


「うーん、成長早すぎだねー。祈は」


加賀父が感慨無量、といった声音で呟くのが聞こえた。

なんのこっちゃ。


イノリも食事を済ませると、みんなダラダラと畳に転がり、少し早い夏休みの昼下がり

といった雰囲気になった。


体操をし、畑に手を入れたじいさんは、昼寝といって早々に部屋に引っ込み。

今はぐわぐわとウシガエルのようなイビキを響かせている。

加賀父は、節子おばあさんからちょっと寺に戻って来いと言われ、一旦帰ってしまった。


「はー、まったりぃ」


縁側の日陰部分に寝転び、ひんやりとした床に頬をくっつけているあたし。

三津と柚葉さんは、座布団を枕に、畳の上で仲良く眠っている。

んごご、と三津のイビキがだんだん大きくなってきたので、熟睡しているのだろう。


しかし、いいのかねー、これで。

あたしは一応9年前にタイムスリップという異常事態のさなかにいるはずなのだ。

なのにこんなことでいいの?


これがSF映画ならば、問題が矢継ぎ早に起こっているだろうに。

いや、問題が起こっても困るんですけどね。

あたしってばごく普通の女の子だし、困難なんてそうそう乗り越えられないし?


む。誰だ、あたしに近寄ってきたのは。


「なんだ、イノリかー」

「ここでいっしょにねててもいい?」

「いいよ。ここ冷たくて気持ちいいんだよ」


あたしの横で、同じようにほっぺたを床にくっつけるイノリ。


「ほんとだ、つめたーい」

「だろ?」


どちらからともなく笑い、冷たさを堪能する。

はー、こういう些細な幸せって、いいわー。


ネコのように瞳を細める顔を見て、今朝会った大澤父の顔を思い出した。

うん、やっぱり似てる。

親子ってすごいわー。

まあ、あたしも幸子似だってよく言われるしね。

ふふ、と笑うと、イノリが不思議そうな顔をした。


「どうかした?」

「いや、やっぱ親子って似るんだなあと思って。父ちゃんによく似てる」

「……ええ? ミャオ、どうしておおさわの父さんの顔を知ってるの?」

「あ」


いかん。うっかりしゃべってしまった。

言ってよかったんだろうか、うーむ。

しかし、大澤父はイノリが心配でやってきたわけだし、別にいい、か?


「ミャオ? 知ってるの?」

「えーと、はは、実は今朝、会った」

「え!? なんで!?」

「それがさあ、イノリのことが心配で来たみたい。仕事前に無理に来たみたいで、加賀父と話してすぐに帰って行ったんだ」


イノリの顔が曇った。


「そ、う……、なんだ」


呟くように言って、口を閉じた。


「えーと、優しそうな人だね。すごくかっこいいし」


沈黙が長く続いたので、少し考えてから言った。

しかし発言を間違えたようだ。イノリはむう、と唇をまげてしまった。


「父さんのほうがかっこいいよ!」

「へ? ああいや、そりゃもちろん加賀父もかっこいいよ。当たり前だよ。

でも、大澤父もかっこよかったよ? スーツがよく似合っててさあ」

「……そ、うなの?」


かっこよかったことは本当だし。

少し強く言うと、イノリはちらりと興味の色をみせた。


「そうだよ。かっこよかったよ。イノリもきっとあんな感じの大人になるんだろうなあ、って思った。将来が楽しみだね」

「え、そうかなあ。おれもあんな風になるのかなあ」

「きっとなるよ。しかも加賀父のワイルドな感じもうまいこと引き継げば、あんた怖いものなしだよ。どっちの父ちゃんよりもいい男になるよー」

「えー、ほんとうにー?」


まんざらでもないようにへへ、と笑う。

ふむ? 


「まあ、イノリの努力も必要だろうけどな。がんばるんだ」

「あ、うん」


ぽんぽんと頭を叩くと、イノリは素直に頷いた。

しかし、瞳をあたしに向け、躊躇いながら訊いた。


「え、と。あのさあ、ミャオ。おおさわの父さん、何か言ってた?」

「ん? ああ、イノリをよろしく、って言われたかな」

「それだけ?」


不満げに唇を尖らせる。

ふむ、む?


「それだけって、どんなこと言ってほしかったのさ」

「え……い、いやべつに。何か言ったのかなあっておもっただけ」

「ふうん。まあ、でもイノリが無事で安心してたみたいだったよ。昨日もずいぶん探してまわったんじゃないかな」

「そ、そっか」

「大澤父のこと、気になるの?」

「そんなことないよ! ただ、ぼくを迎えに来たのかなって思ったからっ」

「あ、そういえば明日は日曜だから、今晩も泊めてやってくれ、って言ってた」

「!? ふう、ん……」


ふむ、ふむ。

ぷい、と顔を逸らした少年の横顔を眺めた。

なるほど、なあ。

6歳児でも、複雑な気持ちを抱えてんだ。

相反する感情、かあ。


あたしはこの子くらいのときって、何考えてたんだっけなー。

ぼんやりと考える。

うーん、その日のおやつのことが一番の悩みだったような気がする。

あとはアニメと鳴沢様の放映時間?

むう、平凡というか、平和というか……。

いや、そうか。そうなんだ、平和だったんだ、あたしは。

そっか……。


イノリに対して、少しの申し訳なさを感じた。

イノリに偉そうに何かを言うには、あたしは経験不足だ。

そして経験不足を補うものを持ちあわせていない。


考えてたつもりだけど、考えなしなんだよな、あたしは。

人間が浅いんだ。

むう、ヤバい、自己嫌悪だ。


イノリに投げかけてよい言葉がみつからず、瞳を閉じた。

もっともっと色んな経験しなくちゃなー。

不足を補えるくらいの知識と想像力を身につけるのだ。


うーむうーむと考えていると、なんだか、眠くなってきた……。

いかんいかん、これだからあたしはダメなんだ。

しかしもう少しこうしてまどろんでみようかな……、そんな感じで意識を手放していた。


次にぱちりと目を開けると、ポーンポーンと壁掛け時計が鳴っているところだった。

瞳だけ動かして時間を見れば、15時ちょうど。

うえ。1時間以上寝ちゃってたのか。


むく、と起き上がると、すぐそばに加賀父がいた。


「あ、起きた?」

「ふ、ふへ?」


ぎゃ!? もしかしてだらしない寝顔を見られたのだろうか。

やだやだ、ヨダレ垂れてないよね!?

ささささ、と口元を拭う。よし、問題なし。

と気付けば、加賀父はあたしの真横で寝ているイノリの顔を覗きこんでいた。


ああ。そっちですよね、普通。

意識しちゃってはずかしー。


「少し日に焼けたなあ」

「あ、昨日は日差し強かったですからねー。イノリは帽子かぶってなかったし」

「そっか。あ、この絆創膏はどうしたんだろう」

「こけたんです。あたしのために昼食とれそうな場所探すって張り切ってくれて」

「ふ。そうか、いいところみせようとして失敗したか」


そっとイノリの額を撫でる。

すうすうと寝息をたてていた少年が、微かに眉間にシワを寄せた。


「うわ、大澤の表情にそっくりだな」

「9年後はもっと似てるんですよ。さっき大澤父の顔を見て驚きましたもん」

「そうか。やっぱり本当の親子なんだなぁ」

「あ。いや、その、えと」


うわ、またもや考えなしの言い方しちゃったか。

うろたえたあたしを見て、加賀父がくすりと笑った。


「気にすることないさ、本当のことなんだから」

「いやでも、その、すみません」

「謝ることじゃない。大澤は祈の父親なんだから、似ていて当たり前だしね」


加賀父がイノリの頭をそっと撫でる。今度はシワが寄ることはなかった。


「そういえば今朝、どうして俺が祈を引き取らないか、って訊いたよね?」

「え……、あ、まあ、はい」


さっき自己嫌悪と共に眠りに落ちたせいか、申し訳なさが襲ってくる。

考えなしに発言しまくってすみません。

イノリのことを思っただけだったんです。


「理由、なんだと思う?」

「へ?」


え。それを訊くわけ。

ちょっと、言いにくいじゃん。

しかし、あたしも勝手に加賀父の事情に踏み込んでいるわけだし、わかりません、じゃいけないよな。


「ええと、失礼を承知で言いますけど、金銭面じゃないんでしょうか」

「金銭面?」

「はい。柚葉さんに少し聞いたんですけど、劇団って貧乏なんでしょう?

加賀父はお金があまりなくて、だから金銭的に余裕のある大澤父にイノリを渡した、んじゃないかと思っています。子どもを育てるのに、お金が必要ですもんね。塾とか習い事って、結構高いですし」


言って、申し訳なくなる。本当に失礼だよな、あたし。

貧乏だからでしょ、って言ってるんだもんなあ。

しかし、きちんと答えないほうが、加賀父に悪い。

怒らせてしまっただろうか、とおずおずと様子を窺えば、加賀父はうんうんと頷いた。


「そうそう、劇団ってどこも貧乏なんだよ。資金繰りが大変でねー。夢を壊して悪いんだけど、金吾役もギャラ欲しさが大きかったんだよ。あの時アパートの家賃を滞納しててさー、追い出される寸前でね。まあ、お陰で無事支払えたんだけどね」

「は、あ」


本当に夢にヒビが入りました。

うう、あの金吾様の裏には滞納家賃があったのか。


「でも、それが理由じゃないんだな。劇団は俺よりも優秀な人に託したことだし、普通に働けば祈一人くらい育てていけるだろう。元々さやかが病気になる少し前から、会社勤めをするつもりでいたんだ。いつまでも夢を追ってはいけないしね」

「え、そうなんですか」

「ああ。祈が小学校に入学したのを機に、きちんとしようとね。まあ、そう決めるのが遅くて、さやかには死ぬまで苦労をさせたわけだけど」


少しだけ寂しそうに笑った。


「じゃ、じゃあ何が理由なんですか?」


金銭面で大丈夫なのだというなら、問題はなさそうなもんなのに。


「祈に、自分の本当の父親と向き合ってもらいたかったんだ」

「え?」

「大澤という男は、本当によくできたいい男なんだ。本来なら、祈はあいつの背中を見て育つことができた。祈は俺のことをいい父親だと言って慕ってくれる。それはすごく有難い。でも、本当の父親がもっと尊敬できる人間だということを知らない。

それはすごくもったいないことだと思わないかい?」


話を聞いているわけではないだろう、イノリがへらりと笑った。

その笑顔に加賀父が微笑む。


「祈にたくさんのことを教えてやれる父親がいるんだ。一緒にいさせてやりたい。多くのことを学んでもらいたいんだよ」


ああ。いいな。

イノリ、あんたってすごく幸せな子かもしんないよ。

父親2人は、あんたをいい男にするために、すんごく考えてくれてるよ。


「で、祈が大澤のところにいるその間に、俺も少しでも自慢に思ってもらえるような父ちゃんになっていたい。てなわけで、ここに帰ってきたんだけどね」

「……え、と。と言いますと?」


感動しやすいあたしは喉元にこみ上げてくるものをこらえており。

それをどうにか飲み込んで訊いた。


「いや、俺さー、寺の息子のくせに、修行を一切してないんだよね。本当はきちんと修行にいかないといけないんだけど、逃げ出しちゃってさー」


あはは、とさっきとは打って変わって軽い調子で言われた。

この切り替えのよさ、ついていけないんですけどー。


「高校卒業後に別の寺に修行にでる予定だったんだけど、あの時は自分がこんな田舎で一生生きていかなくちゃいけないことが我慢ならなくてさ。

修行に行くふりして逃げたわけ。で、たまたま知り合った人に演技の道を進められて、あの街で生活していた、と」


ふうん、やっぱりお坊様になるには修行なんてするんだ。

どんなことするんだろ。

滝に打たれたり? はたまた炎の中をくぐったり?

山の中で荒行……は山伏だっけ?


うーん、わかんね。


「でも、さやかがいなくなって、祈を大澤に任せることになって。

一人になったときに、俺って何にもないなー、と思ったんだ。俳優というには中途半端。劇団だって、俺がいなくても回っていく。今から会社員になるっていったって、何をしたい、なんてのもない。みっともないよなー。真面目に修行してここにいたほうが、もっと立派な人間になってたんじゃないかな。

だから、もう一回修行やり直してくる」

「え? ああと、それはお坊さんになるために、その、別のお寺に行くと?」

「そう。で、ゆくゆくは実家のあの寺継ぐつもり。まあ、オヤジの仕事自体は元々嫌いじゃなかったし、身をいれて真剣にやれることだとも、思ってるんだ」


はー。

そっか。お坊さんになるのかー。

ということは、あたしが妄想した袈裟姿が現実になるという、そういうことですね?


うはあ、それってそれって最高ではないか。

袈裟姿の美僧って、卑猥な感じ。

いや、あたしの頭が卑猥なのか。

罰当たりな発想して本当にすんません。

でもいいです、素敵です。


「どうにかこいつに尊敬される男にならないとね。今のままじゃ大澤に大きく差を開けられてるからさ」

「が、がんばってください!」


あたしの目の保養のためにも!

思わず手を握ってしまっていた。

すぐに我に返って慌てて手を離したけど。


「ありがとう。だから、これから祈にきちんと話さなくちゃいけないんだ。

わざわざ追いかけてきてくれた子に、酷なこと言わなくちゃいけないのは辛いんだが……、それも最初に俺が話をしておかなかったせいだもんな」


イノリの寝顔を覗きこむ。

この顔が歪むのは、できれば見たくないよなあ。

でも、仕方ないんだよね……。


「ん……、あ、父さん? に、ミャオ?」


イノリが瞬きを繰り返して、目覚めた。

自分を見下ろしているあたしたちに気付いて、驚いたように体を起こす。


「起きた? よく寝てたね、イノリ」

「あ、うん。ええと、どうしたの?」

「少し、父さんと散歩に行かないか、祈」

「え?」


加賀父の言葉に首を傾げて、戸惑いながら頷いた。


「いく、けど」

「じゃあ、行こうか。父さんの実家の寺まで歩いてみよう。けっこうでっかい建物なんだぞ」

「きのうは暗くてよくわかんなかった」

「そうだろ? ほら、いこう」


イノリの手を掴んで立ち上がらせる。

2人でゆっくり話すつもりなんだろう。


「ミャオもいっしょにいかない?」

「やめとく。まだ眠いから、あたし」


邪魔するわけにはいかないしね。

欠伸をして見せると、イノリは重ねて誘うことをしなかった。


「じゃあ、いってくるね」

「いってらっしゃい」


連れ立って出て行く2人を見送った。


「行ったな」

「へ? あ、三津」


いつから起きていたのか、玄関の戸が閉まる音と同時に、三津の声がした。


「やっぱ少しかわいそーだよな」


ぼりぼりとお腹を掻きながら言う。


「でも風間さんの言うこともわかるしなー」


本当にいつから起きてたんだ、こいつ。


「三津も、加賀父の言ってること、わかる?」

「あ? ああ、父親がトクベツかとかって話だろ? 影響力はあるな、確かに」

「ふうん、なるほど」


そんなもんなのか。

父・孝三を思い出す。

別に特別って感じじゃないけどなー。

影響力って問題になると、孝三より鳴沢様のほうがよっぽど大きいしな。

って、これはあたし個人の問題だろうか、うーむ。


「オレは風間さんも充分いい男だと思うけどなー。でも、風間さんがあそこまで誉める弁護士父っつーのも気になるよな」

「あ、すげえかっこよかったですよ。イケメンスーツでした」

「は? いつ見たの?」

「今朝早くに、様子を見にきたんです。加賀父と話してすぐ帰ったんですけどね。祈が心配だったみたいで」

「へえ。弁護士父も、祈に愛情があるんだなあ」

「ですね。それがあたしにも分かりました」

「そっか。最初は辛いかもしれないけど、きっといつか祈のためになるさ」

「です、よね」


2人でぼんやりしていると、柚葉さんがふあああ、と大きな欠伸をした。

目を擦りながら、あれえ? と寝ぼけた声をあげる。


「寝ちゃってたあ。この家、ほんとに気持ちいいわよねー」

「ふふ、ですねー」

「あ。みーちゃん、縁側で寝たでしょー? 床板の跡がついてるー」

「嘘!? まじすか!?」


ちょ! そんな間抜けな顔で加賀父と真面目な会話してたっつーの?

いや! 恥ずかしい! みっともない!


「つーか三津! なんで教えてくんないの!?」

「え、別によくない? あとでとれるんだし」

「そんな問題じゃないし! ああああ、はずかしいいー」


洗面所までダッシュして鏡を確認。

……まあ。クッキリと跡がついてること。


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