織田信忠と松姫 ~時代に引き裂かれた純愛~
織田信忠と武田信玄の娘 お松の悲運の物語は、お松の誕生から幕を開ける。
【名付け】
1561年1月 甲斐 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
おお、 生まれたのは娘だったか。今の俺には男子が必要なのだが、親の気持ちとしては、娘のほうが可愛くて嬉しいものだ。
この子には〈松〉と名付けろ。一月生まれだし縁起も良いからな。武田松、本当に良い名だ。おお、今 笑ったぞ。松、お前もその名が気に入ったようだな。
1563年1月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
松は本当に可愛いな。人懐っこくてよく笑う。器量も良さそうだし、とても賢い。言葉もどんどん覚えていく。この子を嫁がせるなら、人格、才能、家柄、すべてに優れた者でなければならん。
まあ、そんなのはまだまだ先の話だが、幸せな花嫁姿を見るのが待ち遠しいぞ。おお、松と一緒にいると、つい時間を忘れてしまう。お父さんは、そろそろ仕事をしなければダメなんだ。また明日遊ぼうな、松。
【苦悩】
1567年5月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
徳川家康は姑息で卑劣なやつだ。俺との同盟があるのに、勝手に上杉謙信とも手を組もうとしているし、今川氏真を殺さずに、俺が戦っている北条氏康に引き渡してしまった。
駿河を統治するうえで、今川家の嫡流が生存していることがいかに邪魔かは分かるはずだ。
三河松平の、ちっぽけな国衆の小僧が調子に乗りやがって、八つ裂きにしても許さんぞ。…ん? 三河松平…松平…。松……。
1567年6月 躑躅ヶ崎館にて お松の乳母
殿はなぜ、あれほど可愛がっていた松姫様を、急に遠ざけるようになったのか。幼くも賢い松姫様は、父親に嫌われたと、敏く感じ取ってしまっている。ご自分が悪いのかと悩み悲しんでいる。松姫様が不憫でならない。
1567年6月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
むうう…。あの子に松などと名付けなければ良かった。松を見るたびに、どうしてもあの松平の舐めた小僧を思い出してしまう。
当然、松は何も悪くない。抱き上げて遊びたい。松がたくさん覚えた言葉で話もしたい。だが、どうしてもダメだ。顔が強ばってしまう。手に思わず力が入ってしまう。
俺は父親であると同時に、いやその前に武士の棟梁だ。だから館では鋭気を養い、他国の情勢を見定め、今後の方策を練らなければならない。そのためには、心の平静を保つ必要がある。しかし松を見てしまうと、それができない。それを悩めば悩むほど、さらに心が乱れてしまう。血圧まで上がりそうだ。だが、お前の名のせいだなどとは絶対に言えない。
松に会うのを我慢するしかないな。松、こんな弱くて愚かな父を許してくれ。
1567年7月 躑躅ヶ崎館にて お松
父さんに嫌われたのは、私が悪いからだ。松は醜い。松は汚い。松は愚かだ。そんな父さんの声が聞こえてくるようだ。父さんに嫌われた私だから、家の者たちも私をなるべく見ないようになった。
ごめんなさい。迷惑をかけないように生きて、もう少し大きくなったら、家を出ていこう。
1567年8月 躑躅ヶ崎館にて お松の乳母
殿の態度が急変した理由は分からないけど、松姫様は武田家にいる限り幸せにはなれない。
ならせめて、早く良い縁に恵まれるのを願うしかない。賢く心優しい姫様ならば、あと数年でどんな立派な男にも似合いの妻になれる。いつも地味な装いだけど、綺麗に着飾れば美しさも目を瞠るほどなはずだしね。もう少しだけ耐えれば、きっと幸せになれるよ。
1567年12月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
松平の小僧とはとっくに手を切ったが、織田信長との同盟はまだ続いている。織田と松平が同盟して いる以上、いつ織田も敵になるかは分からんが、これから松平を攻めるにあたって、念のため織田との同盟を強化しておきたい。
織田信長の養女が勝頼に嫁いでいたが、昨年死んでしまった。その代わりとなる縁談を申し込む。松と信長の長男だ。松はまだ七歳だが、思い切って織田家に嫁がせてやったほうが、幸せになれる気がする。頭角を現わしてきた、あの織田信長の嫡男ならば、夫としては申し分ないだろう。俺がたとえ織田家と手を切ることになっても、こちらが要求しなければ、正室を実家に帰らせはしないし、身に危険が及ぶこともない。これが松にとっても、一番良い方法だ。
1568年1月 美濃 岐阜城にて 織田信長
武田信玄が婚姻を申し込んできた。同盟を再度 強化しておきたいらしいな。武田信玄の同盟って、戦の前ぶれみたいなもんだと思うけどな。
そもそも武田と同盟してるのは、信濃から美濃に侵攻されると鬱陶しいからってだけで、本気で信用しているわけじゃねえんだ。武田信玄が家康を攻めれば、俺は家康に援軍を出すから、数年以内に武田との同盟は解消になるんじゃねえのかな。今、婚姻に意味があるとは思えねえんだよな。しかも武田信玄の七歳の娘と、奇妙丸(信長の長男 後の織田信忠)の縁談だってよ。俺が心配することではないが、七歳の娘では密偵の役も務まらんぞ。こちらとしては、甲斐守護の武田信玄の娘を嫁にもらえるなら、別に断る理由もないが。
ああ、でもやっぱり七歳ってのは厄介だ。もし病弱で、すぐに死なせるようなことがあったらどうすんだ?もう少し成長してからでどう?
1568年2月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
信長は縁談を承知したが、実際の輿入れは、あと五年は延期することを提案してきた。遠距離結婚ということか。五年はちょっと長いが、それで縁談がまとまるなら俺も同意しよう。
1568年2月 躑躅ヶ崎館にて お松
私は自分から家を出て行くつもりだったけど、父さんも早くそうしてしまいたかったようだ。私みたいな子供を結婚させるなんて、普通はしないからね。
でも、それならそれで構わない。決まったことなら早く行ってしまいたかった。織田家っていうのがどんなところでも、相手が何歳でどんな人でも良いの。どうせこんな私に、結婚相手を選ぶ資格なんてない。幸せになる資格もない…。
【結婚】
1568年3月 尾張 清洲城にて 奇妙丸
俺が結婚?婚約ではなく、すでに結婚したのか。相手は武田信玄の娘…。顔を見たことも話をしたこともない者を娶るのは決して珍しいことではないが、妻はまだ七歳で、輿入れしてくるのはまだ何年も先のことらしい。俺は結婚なんかより、早く元服し織田家の天下取りのために働きたいのだがな。
そもそも織田家の天下に、いずれ武田家は邪魔になるじゃないか。いくら政略結婚とはいえ、ひでえ話だな。俺も、妻になったという武田信玄の娘も、親たちの都合の良い道具のようだな。
1568年4月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
織田の婿殿からの書状だと?義理の親になった俺への挨拶か。政略結婚だと分かっているだろうに、丁寧だな。良い夫を見つけてやれたようで良かったぞ。おお、松に宛てた手紙も一緒に入れられている。これは開封せずに松に渡してやれ。
1568年4月 躑躅ヶ崎館にて お松
手紙?奇妙丸様から?手紙をもらったのなんて初めてだ。うわあ、難しい字がいっぱいだ。でも分かる…。なんでか分からないけど、分かる。分かるんだ…。
1568年5月 清洲城にて 奇妙丸
おお、松殿からの返書か。とても綺麗な字だな。言葉も七歳とは思えないほど丁寧だ。松殿は手紙をもらったのは初めてらしいが、そんなの俺だって初めてだ。顔を見たこともないのに…。手紙とは、こんなに伝わるものなのか。
1568年6月 躑躅ヶ崎館にて お松
ああ、お返事が来た。また難しい字だけど、今度は本当に読める。勉強したのよ。分かる。読める分かる。色々色々、分かる。会ったこともない奇妙丸様のことが、すごく分かる。
1568年10月 清洲城にて 奇妙丸
相変わらず綺麗な字だ。ああ、表現が柔らかく無邪気になった。なんて素敵な人なんだ。だが夫婦なのに、いつまで会うこともできないままなのだ。親同士で勝手に決めたんなら、俺たちの年齢なんてどうでも良いだろう。
1569年5月 躑躅ヶ崎館にて お松
ふと気づいた。私は今のままが一番幸せなのかもしれない。父さんに嫌われた私は、きっと醜くて愚かなんだ。それで奇妙丸様にも嫌われてしまうくらいなら、ずっと手紙だけが良い。いや、嘘だ。でも…どっち、どっちなんだ?
1571年8月 清洲城にて 奇妙丸
この手紙の往復が始まってから、もう三年にもなる。松のことなら何でも分かった気がするほどだ。
だが一つ気になることがある。父親のことだけは一度も手紙に書かれていたことがないのだ。もちろん軍事や政事に関わることは書けないだろうが、名前すら一度も書かないのは、なぜだろうか。娘からすると、男親とはそんなものなのかな。
1571年11月 躑躅ヶ崎館にて お松
私も もう子を産める体になった。奇妙丸様も来年早々に元服されるようだ。ずっと、とても複雑な気分だったけど、やっぱり私は奇妙丸様に会いたい。私が本当に望むのはそれだけ。
でも、夫である奇妙丸様に会う。たったそれだけの望みも、おそらく叶わない。私が生まれてくるのが、遅かったんだ。
【暗雲】
1572年7月 岐阜城にて 織田信忠
最近、松の返書が遅くなった。どうかしたのだろうか。
それに、不安なことがもう一つある。義父がついに、遠江に兵を出すようなのだ。それが現実となれば、織田家と武田家の同盟も破棄され、松が輿入れしてくる意味がなくなってしまう。
夫婦が共に暮らすことに本来は意味など必要ではないのに。なぜ同盟なんてものがある。そしてなぜ、戦なんてものがある?
【敵対】
1572年9月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
娘の幸せを願わない親などいない。だが俺は、人の親である前に武田家を束ねる身だ。娘一人より、数十万の民の安寧を優先しなければならない。
婚姻は解消し、織田家を敵とする。松、信忠…お前たちにどれほど憎み恨まれても、受け入れる覚悟はできている。
1572年10月 躑躅ヶ崎館にて お松
思い出した。私は元々 幸せなんて望んじゃいけなかったんだ。何も失ってはいない。初めから何も持っていなかったんだ。むしろこれ以上、誰かに嫌われることに怯えなくても良くなった。 そうだ。何も悲しくないし嬉しくもないよ。
1572年12月 岐阜城にて 織田信長
俺も、こうなるとは思っちゃいなかった。好きでやったわけじゃねえんだぞ。
1573年5月 躑躅ヶ崎館にて 武田勝頼
松、三河への遠征中に親父が死んだよ。病と過労で、心身ともボロボロだったんだ。お前に何か書き遺したみたいだが、倒れてからは、筆もちゃんと持てなかった。だから何を書いたのかは分からないと思う。吐いた血も染み込んでいるしな。それでも一応、渡しておくぞ。
1573年5月 躑躅ヶ崎館にて お松
父さんからの、初めての、そして最後の手紙。
「松」。このたった一文字…。他には、何も書けなかったのかな。
でも分かった。私は、分かるようになっていた。ごめん。父さん大好きだよ。それを教えてくれた信忠様もね。
手紙はもう来ない。私も送らない。でも私たちは、今でも夫婦なんだ。
1573年5月 躑躅ヶ崎館にて 武田信玄
武田信玄。あんたが壊し傷つけ引き裂いたのは 、同盟だけではない。なのに病で勝手に死ぬなんて許されるものか。そうまでして、あんたが守りたかったものは何だ?
俺は必ずそれを破壊しに行くぞ。地獄で見ていろ。そして俺がやることでまた別な何かが壊れ、別な誰かが傷つくんだ。だから俺も親父も、ロクな死に方はしないだろう。男はみんな馬鹿だからな。
一人の男が一人の女を幸せにする。人の世は、ただそれだけで良いはずなのによ。
1582年1月 躑躅ヶ崎館にて お松
信忠様から、十年ぶりの手紙が来た。この字…変わってない。この字だけは…。
信忠様に会える…でも…。
1582年2月 甲斐 織田軍陣中にて 織田信忠
武田家は、この手で滅ぼすつもりだった。 だが滅ぶのは天命だったようだ。自ら滅びゆく武田家には、もう興味はない。
俺は織田家の人を迎えに来たのだ。最後の手紙、届いているだろうか。
【逢瀬】
1582年2月 躑躅ヶ崎館にて お松
信忠様が本当に来てくれる。やっと、会える。やっぱり、会いたい。
でも一緒に付いて行くことはできない。私は武田家の人たちも好きだから。信忠様に、たった一度会えるだけで良いの。
信忠様に、いえ奇妙丸様に会って、ありがとうと さよならを伝えたい。
1582年2月 甲斐 善光寺にて 織田信忠とお松
「松、やっと会えた。俺に会うのを躊躇っていたと聞いた。どうして躊躇うのだ」
「私は愚かで醜くて、信忠様に嫌われるのが怖くて…」
「何を言うのだ。お前が愚かなはずがない。心もとても清らかだ。それは手紙で十分に伝わってきていた」
「でも」
「そしてその姿…俺が思い描いていた以上に、美しい」
「では、嫌いにはなりませんでしたか?」
「当たり前だ。それに、仮にお前の容姿がどうであっても、俺はお前を連れて帰る気でいた。一緒に来てくれるな」
「お気持ちは嬉しい。でも、それはできません」
「なぜだ?」
「武田家が滅びゆくのに、私だけが幸せにはなれませんから」
「お前は俺の妻なのだから、織田家の者だ」
「それでも一緒には行けません。ここへは、お礼とお別れを伝えるために来ました」
「どうしてもか?」
「分かってください」
「そうか。ならばせめて、一日だけ妻でいてくれないか」
「それを、許してもらえるのなら」
「許すも何も、俺たちは、ずっと夫婦だったではないか」
1582年3月 甲斐武田家 滅亡
松は武蔵に移り住み出家 信松尼と称した
1582年6月 織田信忠 二条新御所で明智光秀軍に囲まれ自害
1616年 信松尼 没
武蔵の、ある寺に葬られた
その翌年の信松尼の命日、墓前で掌を合わせる男がいた。三十歳ほどで、痩せていて身なりは粗末だが、編笠の奥の目は優しげだった。立ち去り際に、寺の和尚が男に声をかけた。
「お待ちください。ああ、私はここの坊主です。 あなた様は、あの仏さんのお知り合いですかな?」
「昔、ちょっとな」
「そうですか。あの仏さんは、寺の外とはあまり繋がりがなかったもので、墓参りに来られる方は珍しく、つい声をかけてしまいました。失礼ながら、お名前を聞いてもよろしいですかな?」
男は少し間を置いてから、短く答えた。
「奇妙という者だ」
*表記されている年・月、及び出来事には、創作の都合上 史実・通説と異なる部分があります。




