またある日の昼下がり
ミシェルが調書の整理をかって出たかと思えば、入れ違いでふらっと現れたエルサから一方的な世間話をされる。
「あの世も様変わりしたよねぇ」
「火炙りとか、太古の文化に感じてしまうよ」
「キミはひたすら判子押しだし」
局長代理のアスモだって、彼が嫌いだ。
正確に言うと、エルサの上司が大っ嫌いなのだが、彼は今のところ動けないし、その彼の指示を仰いでいるとなると、もれなく嫌ってしまうのは当然なわけで。だからと言って、嫌いな素振りをしてしまうのは、アスモ的にナンセンスだった。
エルサばりの薄っぺらい笑顔を張り付けて、相づちに徹する。彼の言う通り、ひたすら判子を押しながら。
「たまには誰かを絞め殺したいとか思わない?」
「今はとくに」
「綺麗な女性を魅了して」
「わざわざ出向くまでもないよ」
「また僻地に幽――」
「窮屈なのは御免被りたいな」
「最高の夢を視せてやるから死んでくれ、だなんて、無慈悲にもほどがあると思わない?」
「……なんの話だ?」
最後だけ心当たりがないアスモの手が止まった。心なしかエルサに覇気がない。
「最近、連中が行った一斉摘発の件。下界では砂になる奇病だって言われて、大パニックなんだよ」
――真夏に降る雪は冷たくない。
「あの世に渡ってこないから、いいだろう? って良くはないよね」
「連中、それだけ焦っているんだろう。自己犠牲を植え付けて、人工的に自分たちの欠片を作ってるぐらいだからな」
「人が先に壊れること、予見できなかったのかなあ」
「かき集めたって、天界も、溶けたおまえたちの上司たちも、元には戻らないのにな」
「ほんとにそう。バカだよね」
「やけに素直だな」
「僕は元々素直だよ」
いつもの調子が戻ってきたところで、エルサはアスモに愚痴をこぼしに来たのではないと、話を変えた。
「シドは元気かい?」
瀬尾悠を看取って病院から出てきた彼は、アカツキとニクスに連行され、勾留の身となった。
彼は言い訳などせず、故意に死期を延ばしていたと認めた。そんなことができるのかと、刑視局側はどう処分するか判断に困っているところに、エルサがやってきたのだ。
――人の心に押しつぶされるような玉だと思う?
驚く彼に言えば、まぁそうですよね、とぽつり。
「彼、偉いよねえ。人の心、ぐっちゃぐちゃにできるのにさ。あぁ、だから昇格したんだっけ?」
シドは、人として生まれ変わることを拒んだ。
「今なら、あのお嬢さんと運命の出会いができちゃうってのに。普通断るかな」
「こちらに肩入れしすぎていないか?」
「そう? 今の僕に〝想う心〟や〝翼〟も必要ないからね」
エルサは、その選択を祝福しにやってきた。
公平でありたいため?
そんな使命感、はなから彼にはない。
どうにもならないものに一縷の望みにかけて、すべてを捧げる、天使みたいな想いなど不必要なのだ。
「それに、お嬢さんに言ってしまった手前、破るわけにもいかないだろう?」
『――悪いようにはしないさ』
いつものカフェテラスに向かっていると、シドのふくらはぎにぽてっと体当たりする小さな女の子がいた。
「あう」
「ん?」
「ぱぱ、じゃない?」
「じゃないな……」
シドは腰を落として、女の子と同じ目線になった。
幼い彼女を知っているわけではないが、直感がそうだと思わせる。
あどけなさしかない、かわいらしい彼女。
「流架!」
「まま!」
「すみませんっ、この子ったら……」
「……いえ」
母親に手を引かれながら、シドに手を振る。
「ばいばーい!」
「ん」
「ばいばぁぁぁい」
振り返してくれないシドに、女の子は大きく手を振って催促する。
「流架っ、お兄さん困ってるでしょっ」
「ばいばああああい」
半ば、泣き叫んでいた。
あの積極性は、理想が反映されているのだろうか。
永遠に手を振られそうなので、シドは照れつつもそれに大きく応えた。
「……ばいばいなっ」
いつものカフェテラスからばっちり見えるところなので、先にいたアカツキには筒抜けだ。席に着くや、一連のことをツッコまれた。
「流架ちゃん、かわいかったねー」
「口説かないでくださいよ」
「さすがに3歳の子はね。せめて、あと15年……俺たちにはあっという間だろうけどさー」
母親に手を引かれていた彼女は、アカツキから見ても綺麗だった。生まれ変わったシニガミたちには、ない輝き。
「やっぱ腐ってもあちら側なんだねー」
エルサの計らいで、瀬尾悠は新しい生を受けていた。
「流架ちゃん守るために死神になるなんて、シドも隅に置けないじゃんっ」
「貴方も同じようなものでしょう。1人ではなく大勢というところが、なんとも言えませんが」
お日さまの下、いつものカフェテラスに3人が集う。
「ニクスさんの飲み物、可愛すぎません?」
「ふわふわにゃんこのカプチーノの、なにがいけませんか?」
「ぶふっ、そーいうの、好きだもんねー」
「うるせえ。ぶった斬ってやろうか」
「あっ、俺そろそろ次のお仕事だぁー」
サラリーマン風。
ホスト風。
大学生風。
様変わりした死神たちは、今日も誰かを守っている。
女の子の自尊心であったり、シニガミの規律だったり。目に見えない、尊いものを。この世の秩序が失われる日まで、ずっと。
―――――――― alea jacta est.




