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約束の審判  作者: 次野/うずらの


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「志藤、おまえ学生証落としてるだろ?」

「あ? ……やべっ」

「ステラの店員が届けてくれるって」

「は?」


 ステラとは大学に行く途中にある喫茶店だ。アイスコーヒーが美味くて、よく買っていた。


「なんでっつーか、なんで?」

「俺の彼女、あそこでバイトしてんの。あ、でも持ってくるのは別の人だからな。たまたま近くで用事があるから、そのついでだって。よかったじゃん」

「よかったじゃんって、おまえ。……どう受け取るんだよ」

「受付にでもあずけてくれるんじゃね?」

「ないと講義出れねえだろうが」

「ゲストパスもらったら?」

「めんどくせえ」


 友人と受付に向かっていると、やたらあたりをきょろきょろする同世代の女性を見つけた。


「あれって――」


 女性と目が合うと、こちらに駆けてきた。


「あ、あのっ」

「もしかして、ステラの?」

「はいっ」


 ギフトカードを入れるような小さな封筒を渡される。


「あ、すみませんでした。出しゃばったことして。ないと、困るかなって思って……」

「いや助かった。ありがとうございます」

「……よかったぁ」


 控えめに微笑んで、一礼。隣にいた友人にもして、去っていった。



 小さくて、か細くて。

 どちらかというと、おとなしめ。

 でも、フリルが似合うような感じではなく、小動物のような。

 その内気な性格からか、なかなか嫌とは言えないようで、よくシフトの交代を持ち掛けられていた。

 くそ暑い外掃除も嫌な顔せず黙々と。店内で涼しそうにくつろぐ、他の店員がいても、だ。

 つっ立ってることもまずない。


『いつも頑張ってるね』

『私なんて、……まだまだです』


 そう謙遜してばかり。

 丁寧な仕事ぶりに、客から「ありがとう」と言われて、本当に嬉しそうに笑う。

 それが、彼女――瀬尾悠だった。


 学生証を届けてもらった日から、目で追うようになった。視線に気づいて、恥ずかしそうに一礼する彼女がとにかく可愛かった。



 そんなある雨の日。

 ビルの軒先で雨宿りしている彼女がいた。

 びしょ濡れだった。


「店員さん?」

「あ、学生証の」


 雨に濡れた前髪をかき分けるふりして、頬に伝う水滴をはらった。


「今、帰りですか。お疲れさまです」

「店員さんも?」

「はい」

「傘は?」

「忘れてしまって」


 折りたたみ入れたはずなんですけど、と笑ってみせるが、一度緩んだ涙腺がそれを阻んだ。

 とっさに引き寄せて、その小さな頭を胸に抱く。

 想像以上に細くて、折れてしまいそうだった。


「店員さんの傘とったやつ、今頃雷落ちてますよ」

「……」

「それか、滑ってケツ強打。尾てい骨、骨折で」

「……」

「じゃあ、前方不注意で顔面強打。ついでにスマホ落として大破」

「……それ、雨関係ない、かも」


 ふふっ、とちょっと笑ってくれて。


「ありがとう。もう、大丈夫です」


 そっと離れていこうとする店員さんをまだ抱き留めていたくて、ぎゅっと力を入れる。


「店員さんの大丈夫って、大丈夫じゃない気がするし……」


 離れたくない。

 離したくない。

 下手な口実に店員さんは身をゆだねてくれた。



 ――大雨の中、傘で隠れる2人を気に止める人はいない。行き交う傘もまた、あらゆる視界を奪い、そして。雨でスリップした車が歩道に乗り上げ、横転する。

 車に気づいた時にはすでに遅く、大多数の人を巻き込む大事故へと変貌し、これから始まるはずだった2人を別った。


 彼女を庇って。

 即死、だった。



    *



 真っ白な場所に出た。

 あるのは大きな窓枠と、その先の大海原を木製のロッキングチェアに揺られながら眺めている女性の姿。


「……志藤、くん?」


 攻撃性の欠片もない、シドもよく知る彼女がそこにいた。


「あ、その子」


 彼女は、シドが抱えている黒猫に反応した。シドから大切そうに受け取って「かっこよく、なかったですか?」と聞いてくる。


「……かっこいい?」

「うん。はっきり自分の意見持ってて、いざというときは志藤くんを守る! みたいな……。紅茶よりもコーヒーってのは、私の偏見だけど」


 ふふっ、と笑う彼女は、あの頃と同じ。


「誰に対しても物怖じしない、媚びない、へつらわない――――、こうでありたいっていう私の理想。どうしても、壊したくなかったんです」


 ――幸せはっ……自分で掴むのっ!!


「笑ってばっかじゃ……ダメだよね……」


 しかし結局は、自らの手で壊してしまった。


「違う、違うんだっ」


 彼女が透けてくる。


「店員さんのせいじゃないっ」

「ごめんね、志藤くん。変な心配かけちゃった」


 こんな……、と言い掛けて、首を横に振る。

 接客用でも、愛想笑いでもない。

 学生証を届けてくれたときよりも、ずっと自然な笑顔を携えて、彼女はルカと共に昇華していく。



「私を、想ってくれてありがとう」



 ひとり、彼女の枕元に立つシドは泣き崩れた。

 あの世の都合で死に、間接的に巻き込まれた彼女の末路が、あまりにも報われなくて。

 安らかな寝顔だけが、シドの救いだった。




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