12
10階で降りようか迷っての、13階。
そう都合良く止まってはくれなく、階段を下って目的の部屋へたどり着く。
1117号室。
足を踏み入れると、今度こそ現世だった。
夕暮れどきの個室には人工呼吸器と点滴に繋がれた、20代半ばくらいの女性が静かに眠っていた。首と左腕には包帯が巻かれている。
ヘッドボードに記された入院日は最近のものではない。
『瀬尾悠』という人は、通り魔事件に巻き込まれたわけではなさそうだ。
しかし、病室には彼女以外、誰もいない。
部屋を間違えたのではないかと、ルカはエルサを見上げる。が、エルサは視線を落とすことなく、眠る女性の枕元に立った。
彼女の肩に手を伸ばす。
いつかの、シドのように。
――だが、それを拒絶するように、見えないなにかに弾かれてしまう。と同時に、銀白色に光る大鎌が女性の首にあてがわれた状態で現れた。
綺麗な大鎌だった。
量産型でも、ニクスが扱うような禍々しいものでもなく、ただただキラキラしていて。触れてしまえば、砕けそうな脆さをはらんだ造形物のようだった。
「なるほど。考えたね」
感服するエルサは言うが早いか、「僕の手を取って」とルカに囁いた。
「目を閉じて」
小さな黒い前脚を優しく包む。
――ゆっくり、僕を見て?
耳心地の良い声が、脳の奥にまで響いてくるようだった。さすが、天の使いなだけある。
そんなことを思いながら目を開けると、ルカの視界いっぱいにエルサが。
「上手くいったようだね」と離れていけば、青空が広がり、どこまでも草原が続く知らない場所に立っていた。
「凪いでるね」
「どこ、ここ……」
バスケットも消え、直接エルサに抱えられていた。
「あの女性の潜在的な部分、とでも言おうかな」
「潜在的な部分……」
「頭の中、心の中のほうが分かりやすいかな。にしても、なにもないね。もっと散らかっててもいいはずなんだけど」
もう少し深いところに行こうか、とエルサはなにもないところを撫でた。
そこから燃えるように景色が反転……したのか、してないのか。同じような場所に出る。強いて言うなら、草原がシロツメクサ咲くクローバーで生い茂っているぐらい。
そこに、真っ白なワンピースを着た女の子がひとり、しゃがみ込んでいた。
あの女性の、幼い頃の記憶だろうか。
土で汚れるのも厭わないで、4つ葉のクローバーを探してた。すでに何本か手にしている。
「 ちゃん」
ゆらりと現れた 影 が女の子を呼ぶが、ノイズがひどくて聞き取れない。
なにを言われたのか、女の子は持っていた1つを 影 に渡した。消えゆく 影 に嬉しそうに手を振っていると、別の 影 が声をかける。
「貴女のせいで――」
恨めしそうな声に、女の子は持っていた4つ葉をすべて差し出した。
また見つければいい。
女の子はクローバー探しに戻っていく。
ずっと笑顔なのが、逆に怖かった。
――ぷつん、と引きちぎる音が聞こえる。
摘みたての4つ葉を手にした女の子は、どこかへ駆けていった。
「行ってみる?」
そう問うエルサは、もう1歩踏み出していた。
一定の距離を保ちながら追っていくと、公園のような場所に着く。
ただ、遊具だと思っていたものは、ツタが絡み合ってできた十字架で――――そこに拘束されたシドに、女の子は4つ葉を受け取るよう強いていた。
「はいっ、おにいちゃんっ」
「いら、な――!!」
拒否するシドに、ツタが絡む。
「おにいちゃんのだよ」
腹部に、手首に、足首に。
「い……らっ……」
無数の細いツタが、シドの首に食い込む。
「……っ……は、る」
「おにいちゃんの――」
シドに無理やり握らせようとする女の子の手に、黒い影が飛んでくる。
がぶり、とひと噛み。
いても立ってもいられなくなったルカ渾身の1撃に、女の子は腹をたてるどころか、満面の笑顔を向けてきた。
「これあげるっ」
「耳を傾けてはいけないよ。彼の二の舞だ」
そうエルサは忠告してくれるが、ルカは口を開いた。
「……どうして、笑っていられるの」
思いっきり噛みついた女の子の手からは流血していた。
「どうして痛いって言わないの、なんで噛んだこと怒らないのっ?」
そんな必要ないでしょ? と微笑まれる。
差し出される4つ葉。
与えられる、幸せ。
ニセモノの自己犠牲。
「ずっと笑顔で相手の期待に応えても、自分が殺がれていくだけだって、まだ気づかないのっ!?」
――そんなことない。
屈託のない笑顔が否定する。
「渡した4つ葉は返ってもっ……」
生い茂るクローバーから伸びてくるツタが、ルカの主張を全否定してくる。
「巡ってもこな、い……のっ……幸せはっ……自分で掴むのっ!!」
小さな体に群がるツタにルカは屈しない。
そんな彼女を助けるべく、エルサは右手をかざし、ツタを焼き切った。
「こだわりも、趣味も思考も、全部捨てて。人の幸せに従事する――本当にそう思ってるなら、すぐに攫ってるよ、養殖の天使ちゃん」
ルカを抱きかかえ、あたりをちりちりと焦がしていく。
女の子は燃え広がる炎に巻かれていった。
燃えたクローバーの下から、コンクリートの床が露出してくる。
「なにを絆されているのかな」
くすぶる十字架から解放されたシドはうなだれたまま、顔を上げようとしない。
「こんな上辺な綺麗事、本心とでも?」
「……」
無言を貫くシドの足もとに、マネキンの頭が転がってくる。手当たり次第に燃やしたことによって、より深いところへ来てしまったようだ。
開放感しかなかった景色から一変、窓のない、コンクリート打ちっぱなしの、ほの暗い部屋に出る。
圧迫感しかなかった。
壁にはナイフや包丁などの凶器が刺さり、床には壊れたマネキンがごろごろ転がって。4つ葉を配っていた女の子……に似た人形が、ずたずたに引き裂かれていた。
あまりの惨状と、さっきの空間とのギャップ、そして鈍器を引きずる音に、ルカの体は強ばった。
奥からやってくるのは、病室で眠っていた、あの女性。
手にしているのは、錆び付いた大きな斧。
――無表情。なのに敵意を感じる。
「土足同然なんだ。攻撃されても文句は言えないよね」
彼女が斧を振りかぶる。
けれど、エルサは逃げる素振りすら見せなかった。それは同時に、体が強ばって動けないルカをも巻き添えになるということ。
シドは叫んだ。
「悠、やめろっ!!」
どこからともなく飛んできた鉈が、悠と呼ばれた女性を砕いた。
砕いた、のだ。
今の今まで動いていた悠は、彼女を模したマネキンになっていた。
そして、鉈を握る女性もまた〝悠〟だった。
「私は、ずっと一生懸命生きてきた。誠実に向き合ってた。相手を不快にさせないようにって――」
そう微笑む彼女が砕けた。
また別の“悠”が自分を模したマネキンを壊したのだ。
「――なのに、どうして幸せになれないのっ」
また。
「あの子はお金持ちと結婚した」
砕けて。
「あの子は専業主婦になって、自由な時間を過ごしてる」
砕いて。
「私より、不真面目だった子たちばっかりっ」
砕かれて。
「私はっ? まだ努力が足りないのっ?」
繰り返す彼女の心は、もう壊れていた。
だから。
だから――……
「そう、瀬尾悠は自ら命を絶った。だから、鎌つけて現世につなぎ止めていたんだね。シド?」
「……」
「彼女に根付いてしまった自己犠牲は――」
「うるさい!!」
自分を壊そうとする彼女を、シドは必死で止めた。
「俺が、俺が死ななかったら、こうはならなかった!!」
けれど彼女には、自分の身を案じてくれる人さえも分別がつかなくなっていた。包丁を持った別の彼女がシドに襲いかかる。
逆手に持った包丁が、腹部に刺さった。
シドと悠の間に飛び込んだ、ルカに。
「あ……あぁっ……!!」
ルカを刺した悠は目を見開き、包丁を落とした。
あんなに敵意に満ちていた彼女たちから、なにもかも消えた瞬間だった。他人を本当に攻撃してしまったことへの自責に耐えられなくて、〝悠〟たちが一斉に壊れていく。
瓦礫と化した彼女たちから、シドはルカをすくい上げた。
血は出てない。でも、確かに貫かれた。
シドの手の中で、ぐったりしたまま動かない。
「ルカ、ルカっ!!」
「にー……」
「猫みたいに鳴くなよっ、喋れよっ!!」
「――応えてるよ」
「は?」
「僕に亡霊が視えないように、シニガリには聞こえないだけ」
コンクリートの壁や床に亀裂が入る。〝悠〟の消失によって、この空間までもが壊れようとしていた。
「あの課にいたら分からないだろうけど。キミの鎌に共鳴していたのかな」
壁から水が入り込もうとも、床が崩落しようとも、エルサは動じず。
足場を失ったシドはエルサに手を伸ばすが、彼はその手を掴もうとしなかった。
「逢っておいで、彼女に」
そう言い残して、空間と共に消えていった。




