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現世は真夜中で、あいにくの雨だった。
「すみませんね。こんな悪天候で連れ出して」
「お、おかまいなくっ」
ビニール傘にあたる雨粒は大きくて、多い。
ニクスはできるだけ濡れないように、高い位置でルカを抱えた。
「寒くないですか?」
「平気よ」
「ならよかった」
そのまま鳥居の周辺をぐるぐるする……かと思いきや、つかつかと橋を渡っていく。
その先は以前事故か事件で封鎖されていた、あの中州エリアで、夜の街だった。目を刺すようなネオンサインは雨でぼやけ、ちょっと幻想的。そんなところを突っ切るニクスに、ルカは期待と疑問をぶつけた。
「なにか分かったの?」
「全く」
「まったくっ!?」
「えぇ、全く」
キャッチのお兄さんに、黒猫に話しかけてるやべぇ奴とドン引きされようが、ニクスは顔色ひとつ変えない。
「50万件ほどシ因を遡ってみましたが、しっかり狩られているものばかりで、意志不明の死者は見当たりませんでした」
「ご、ごじゅう……まん?」
「180日分と言ったほうが分かりやすいですかね」
「ひとり、で?」
「はい」
それがなにか? みたいな顔をされる。
「まぁ、あまり意味はなかったんですけどね。貴女はそもそも死んではいないので、調書に記されるはずがないんです。それでも調べたのは、貴女が肉体は極めて危篤なのに精神は活力に満ちていて、しかしアカツキの知人には黒猫としか認識されない、特異な存在だったから」
聞けば聞くほど、ルカは自分というものが分からなくなる。
紅茶が飲めないこと以外、好き嫌いはとくにない。
未来も過去も、今この瞬間のことしか考えられないのは、猫故か。
「貴女から伝わってくるものは多くない。正直なところ、お手上げ状態といいますか。皆目見当もつかなくなりまして、こうして気分転換をと」
少々お付き合いしていただければ、とニクスは言うが、ルカの顔は引きつる。
今歩いている通りは男性客がターゲットの、60分うん万円のマッサージ店ばかりだ。
それに付き合え、と言うのか。
仕事のしすぎで、頭がバグっているのでは。
見られて興奮するタイプ? ……と、悶々としていると、ニクスの足は止まる。
いつのまにか街のはずれに、年期の入ったトタン製の簡素な建物の前に立っていた。進入禁止と阻むものは鎖1本で、ニクスは傘をたたむことなく、それをまたいで入っていく。
周辺の看板やライトのおかげで、真っ暗ではなかった。
所々錆び付いていて、雨漏りがひどい。
鉄パイプやドラム缶が転がり、蛍光灯の破片が散乱していた。落書きや不法投棄も多数。今は使われてない資材置き場のようだ。
いかがわしいお店ではないが、気分転換できそうな場所でもない。
「やんちゃな高校生が殴り合いでもしてそうな雰囲気ー……」
ルカのぼやきにニクスは首を傾げるが、「殴り合いで済めばいいんですか」と、言葉を濁した。
「少し、お話よろしいですか?」
そう暗がりに声をかければ、物影からぞろぞろと死神見習いたちが現れる。
ニクスとルカを囲むように、10人いるかいないか。
その中心にいるのは、あのライダースの見習いだった。
「あいつ、シドのこと殴ってたやつ!」
前方に気をとられていると、背後から別の見習いが強襲してくる。
「にゃーにゃー、うるさいなぁ」と、不愉快さを全面に押し出して大鎌を振るう。
ほぼ不意打ちだった。が、ニクスはそれを華麗に避け、大鎌を足で押さえつけた。量産型の鎌とは少し形状の違う、ブルーブラックの大鎌は音も重い。
「最近起きた通り魔の件で、少々お聞きしたいことがありまして」
「は? シドを殴ったことじゃなくて?」
「シニガミは大勢いるのですから、多少の小競り合いぐらいあって当然ですよ」
あしらった見習いに見向きもしないで、ライダースの青年を直視する。
「私が聞きたいのは、殺人を焚きつけたか否か、です」
「そんなことできるわけねえだろッ」
「なぜ断言できます?」
不意打ち失敗の見習いは苦痛に顔を歪めていた。片足1本で押さえられた鎌は微動だにしない。
「この鎌は肉体を斬るわけじゃない。座学でしましたね? 精神とを切り離す、己の器だと」
ニクスは押さえつけていた鎌を踏み抜き、破壊する。刃を砕かれた見習いは操り人形の糸が切れたように倒れ、闇に溶けていった。
「未熟者じゃあ気落ちする程度。それを根気よく続けて、シに誘え――耳にタコができるぐらい言われたさ。そのうち体壊すから、病院にかつぎ込まれる前に狩れって。脳卒中なり、心不全なりで検去できるってな」
「そう。あなた方の鎌は1発でしとめられるほど成熟していません。だから、考えた。自分の思い通りにならないことを他人のせいにする人間を狙うことで、漁夫の利を得ようと。個人では無理でも集団なら、そう時間はかかりませんから。巻き込まれた人間はもれなく狩れ、目撃した人間もショックを受け、狩りやすくなる」
「……だったら、なんだってんだよ」
ライダースの青年は怒りに満ちていた。
「他のやつらも対して変わらないだろ。個人はよくて、どうして集団はダメなんだ? どんなやり方だろうが〝シ〟は〝死〟だろ!! 手っ取り早くが、そんなにいけねえのかよ!!」
彼の叫びに同調するように、他の見習いたちも牙を剥く。
誰も大鎌を持っていない。手にしているのは、そこらに転がる鉄パイプやバールだ。
ニクスは傘をたたみ、側面から襲いかかる見習いの脳天を突く。ルカを狙おうとする輩には回し蹴りを。
しかし、多勢に無勢。
ニクスの死角からライダースが振りかぶる。
「一課のエリート様は、期限なんてカンケーねえもんなあ!!」
ニクスはぎりぎりのところで傘で受け止めるが、ライダースが手にしていたのは蛍光灯だった。
破片が舞う。
血が伝う。
左瞼から、重力に逆らうことなく、まっすぐと。
とっさに抱き込まれたルカに、怪我はない。
「転生したい気持ちも、現世に行くたび、かすかにヒトらしくいられる瞬間がどれだけ辛いか、分かるはずねえもんなあ!!」
ニクスの視界が狭まる。
ライダースたちはここぞとばかりに、追撃の姿勢を見せてきた。割れた蛍光灯で、もうひと殴り――されれば、瞼どころではない。傘でたたき落とし、その勢いのまま近づいてくる別の見習いに投げつけて、なんとかかわす。
「まともに狩ってたんじゃあ、いつまで経っても生まれ変われねえんだよ!!」
ライダース渾身の右ストレートが飛んでくる。
ニクスはルカを小脇に抱えた。うざったそうにネクタイをゆるめ、ボロ布に巻かれた大鎌を手にして、ライダースの青年を真っ二つにする。
「――てめえみたいなやつが生まれ変わったって、どうせまたくだらねぇことでシんでくるんだよ」
と、腹の底から唸る彼は、もう敬語ではなかった。
ボロ布から見え隠れする刃文が紅に、にぶく光る。それだけで斬れてしまいそうだった。赤黒い、ここにいる誰よりも禍々しい大鎌は、年期の違いを物語っていた。




