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009 ドッグショー2

 現在私は、くしゃみをした謎のお兄さんとやらのお陰で、無事ドッグショーに潜入したところだ。


 会場内には、犬の鳴き声や歓声、そして観客たちの笑い声が響き渡り、活気に満ちた雰囲気が漂っている。


 そんな中、私はターゲットであるステア様を発見する。


 トップハットにステッキにウエストコートに細身のパンツ。紳士を表すマストアイテムを身に着けたステア様は、見知らぬ女性をエスコートしている。


 上品な色をした光沢のあるドレスを身にまとったその女性は、かなりの美人だった。

 ステア様が親しげに言葉をかけていることから、どうやらお相手のクラウディア・ アーベラインなのは間違いないだろう。


「むう……」


 なんだか急に胸がモヤモヤしてきた。けれど、ハンナの代わりに、私が嫉妬している場合ではない。今は任務優先だ。


 私はパーティの参加者たちに交ざってステア様に近づく。

 二人の会話を盗聴するためだ。


 今回ここでステア様を弾劾する気はサラサラない。


 それは私が持ち帰った情報を元にハンナが決める事だから。


 私に出来るのは、彼女が間違った選択をしないよう、事実をしっかり見極めて彼女に伝えることだけ。


 私は強い決意を持ち、ステア様の背後で耳を澄ます。


「――ですから、こういった場所で優勝した犬を盗んだ場合、平均すると一人あたり、六金貨ほどの身代金を要求するそうです」


 私は『身代金』という言葉に肩をびくりとさせる。


 なぜなら、幼い頃より王女であった私は、耳が痛くなるほど父からこう言われていたから。


『お前の奔放すぎる行動の結果、悪い考えを持つものに誘拐され、身代金を要求された場合。私はありったけの金をかき集め、犯人に支払うだろう。その結果国家が成り立たなくなるやも知れん。それでもお前の命の方が大事だからな。けれど言い換えれば、お前の命と引換えに、この国が滅びる可能性があるということだ。だから近衛や侍女をまくような事は自らしてはならぬ。わかったな』


 まだ幼い頃、かくれんぼ感覚で側にいる者から姿を消す事を楽しんでいた私に、父は恐ろしい顔でそう告げた。


 あまりに恐ろしい顔だったので、言葉の意味よりも父の顔の方が印象に残っている。


 ただ成長するに連れ、私は自分が誘拐犯にとって非常においしい存在だと自覚した。それからは、誰かが側にいることを当たり前に思うし、それを嫌とも思わなくなった。


 そんな経緯もあるため、身代金という言葉に私は過剰反応してしまうのである。


「犬の身代金に六金貨ですか。それはまた、相当な額だ」


 ステア様は驚いた様子をみせた。


 そんな彼の背後で私も驚く。


 私が個人的に雇う侍女であるカルラに年間支払っている金額は、六十金貨。つまり月平均で換算すると五金貨になる。


「犬に六金貨?やだわ、私の月給より高いってこと?」


 カルラが目を見開きショックを受けている。


「つまりそういうことみたい」


 私はカルラには、平均の侍女よりお給金をあげている方だと思って、安心しきっていた自分を恥じた。


「噂によると、有名なオペラ歌手が愛犬であるキングチャールズ・スパニエルを誘拐されて、百五十金貨を犯人に支払ったという話もありますのよ」


「つまり犬の市場価値には、愛情が加算かれていないということか」


「えぇ、今やわんちゃんは人間の家族の座を得ましたから」


「確かにそう言えますね」


 ステア様はそう呟いて少し考え込むような仕草を見せた後、隣にいるクラウディア嬢の肩を抱き寄せた。そして微笑むクラウディア嬢の耳元に口を寄せ、そっと囁く。


「……私はクラウディアになら、いくらでも払えますよ」


「!」


 ステア様の甘い囁きをうっかり耳にしてしまった私は、彼の発した声のトーンと言葉の内容に激しく混乱した。


「まぁ、嬉しいですわ。後悔させませんことよ」


 クラウディアは、さも当たり前といった感じでステア様を見つめる。


 その反応を見るに、二人の間がただならぬ間柄なのは明白だ。

 私はハンナに「いったい、この話をどう伝えたらいいのよ……」と胸がツキンと痛んだ。


「では、参りましょうか」


 ステア様はクラウディアの手を取り、会場の奥に誘導しようとする。


 すると、突然派手な音楽と共に、ステージ上に男性が登場した。


「みなさん、長らくお待たせしました! これより第五グループの審査を開催いたします!」


 司会の男性がそう叫ぶと、観客たちは歓声をあげた。


 物凄い熱気だ。まさか自分の両親がきっかけとなった犬ブームが、ここまで市民に浸透しているとは思わなかった。


 私は驚きながら、壇上を見つめる。


「最初に登場するのは、このワンちゃんです!」


 司会が手を挙げると、大きな犬がステージ上に現れる。


「まず一番! ゴールデン・レトリバーの『ラズ』! 毛並みが美しいですねぇ。よく手入れされているようです」


 司会の紹介と共に、ラズと呼ばれたゴールデン・レトリバーがステージに上がる。


 隣に立つ飼い主は誇らしげな表情だ。


「二番! アイリッシュ・ウルフハウンドの『アレキサンダー』いやぁ、とても大きい。馬かと思いました。ハハハ!」


 司会の紹介と共に、アレキサンダーがステージに上がる。

 飼い主は、司会者を睨んでいる。大事な愛犬を馬扱いされたことに怒っているようだ。


 そりゃそうだと、私は苦笑する。


「三番! ジャーマン・シェパードの『チャーリー』オールブラックというのは珍しい。これは審査の結果に期待できそうですね!おっと、噛まないでくれよ?」


 ひらりとシェパードの噛みつきをかわす司会者の紹介と共に、チャーリーがステージに上がる。


 飼い主が懸命にリードで荒ぶるチャーリーを抑えている。


 シェパードは従順な性格で、警戒心が強い。そのため飼い主や仲間を守ろうとして、他人や犬に対して攻撃的になる場合があると聞いた事がある。まさにチャーリーはその通りのようだ。


 その後も次々と犬たちが登場し、観客たちから歓声が上がる。中には興奮した様子で犬の名前を叫ぶ人の姿もある。


「さあ、最後はキュートなこの子です!」


 司会者の紹介と共に、小さな犬を大事そうに抱えた人物が登場する。


「え?」


 私は犬を抱えた人物を見て驚く。


 なんとここにいるはずもない私の夫、ユリウス様だったからだ。


「四番! ミニチュア・シュナウザーの『エミリア』!」


「はいっ!……あっ」


 私は思わず返事をしてまい、慌ててその身を小さくする。


「でも何でユリウス様が私を……じゃなくて、私と同じ名前の犬を抱えて、しかもステージに立ってるの?」


 思わずカルラに恨めしい顔でたずねる。


「さぁ……」


 流石のカルラも唖然とし、ポカンと口を開けている。


「これは、これは、シュナイダー卿ではないですか。折角ですので、こちらへどうぞ」


「くしゅん、うむ」


 なぜか、真っ赤な目と鼻になったユリウス様は手慣れた様子で、エミリアと呼ばれた犬を抱えステージ中央に移動する。


「まさか、彼は私に内緒で犬を?」


 でも一体どこで?

 誰と?


 私は先程ステア様がクラウディア様に囁いた現場を目撃した時以上に、心が苦しくなる。


 まるで、心臓を誰かにギュッと握りつぶされたような感覚だ。


「おや、この犬種でこの色は珍しいですね」


「ミニチュア・シュナウザーの、くしゅん、こ、子犬らしい。くしゅん、この色はミルクティーと、くしゅん、言うそうだ」


 観客たちは物珍しそうに、彼の連れたミニチュア・シュナウザーの方のエミリア見つめる。


 犬のエミリアは尻尾を振って、ユリウス様の手をベロベロと舐めている。


「エミリアについて「これだけは」と、何か言っておきたい事はありますか?」


「くしゅん、そうだな。彼女が美しいのは、くしゅん、皆も知っての通りだと思うが、性格は賢く、陽気な性格。明るく活発でさらに甘えん坊な部分もある。しかし、少し気が強い一面を見せることもあり注意が必要だが、くしゅん、結局のところ許せる程度のものなので、特に私は気にしていないし、むしろ好ましいと感じているし、かけがえのない存在だ」


 饒舌に語るユリウス様の『犬』への賛辞は続く。

 そう、犬への……。


「そして誰に対しても気遣いを忘れぬ。そのうえで自分の芯をしっかりと持ち、決して曲げない所は凛々しくもあり、尊い部分でもあり……くしゅん」


「な、なるほど。いやぁ、これぞ飼い主のお手本といった感じで、愛溢れるお言葉ですね」


 司会者が引きつった笑顔を貼り付けながら、永遠に続きそうなユリウス様の言葉をうまい具合に遮る。


 私は一体何が起こったのかわからず、呆然と立ち尽くす。


「犬のエミリアには、あんなふうに愛を囁やく事が出来る人なのね……」


 その事に驚きつつも、なんだか悲しくて悔しくなってきた。


 同時に、普段は可愛いと思える犬でさえ、今は目にするのも嫌になってくる。

 可愛い犬に罪はないというのに……。


「思っていたより重症っぽいですね。あれはないわ。エミリア様、ご実家に帰りたくなったらいつでも二十四時間、三百六十五日。私にすぐ知らせて下さいね。ほんとナイワー」


 眉を下げたカルラが、呆れたように首を横に振る。


「ありがとう、カルラ。覚えておくわ」


 そんな放心状態の私たちをよそに、ふと気付けば観客たちがこちらに注目していた。


「おい、あれ」


「まさか……」


「エミリア王女殿下じゃ」


「だよな、壇上にいるのは、シュナイダー卿だし」


 私の容姿に気付き、ざわざわと騒ぎ出す観客たち。


 当然の反応だろう。だって壇上にいるユリウス様が連れている犬が、私の名前なのだから。

 どうしたって人々の脳裏に嫌でも彼の妻であり、王女である私の顔が浮かぶというもの。


 私はパッと王城の広報による訓練で培った、一番美しく見える状態の作られた笑顔を顔に貼り付ける。


「ふふ、とても愛らしいわんちゃんばかりで癒やされましたわ。今日はお忍びですの」


 最後にもう一度ふんわりと優しく微笑む。


「きゃー! 王女殿下よー!」


 観客の中から上がった黄色い悲鳴にビクリと体が震える。


 その声に導かれるように、今まで気付いていなかった人々にまで私の正体が知られてしまう。


「え? あれって……」


「まさかエミリア王女殿下?」


 そんな声があちこちから上がる。


「エミリア様、危険だと判断致しましたので、ここまでとさせて頂きます」


 緊張した表情の近衛に告げられた。

 私は静かに頷く。


「エミリア様、こちらへ」


 カルラが私を守るように手を広げる。


「皆さま、楽しんで下さいね。では、ごきげんようー」


 笑顔を貼り付けた私は、カルラと近衛に守られながら、急いでその場を後にしたのであった。

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