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008 ドッグショー1

 本日ドッグショーが行われる展示会場前はすでに多くの人々で賑わっていた。


 大人も子供も一様に顔を輝かせて歩いているのは、お祭りみたいなものだからだろうか。私も気を抜くと足がスキップを始めそうだ……なんて思っていたのだけれど。


 ドッグショーに潜入といったところで、私は足止めを食らっている。


 理由は王女だと知られたからではない。

 受付カウンターの人が駄目だと言い張るからだ。


「申し訳ございません。本日は大盛況のため、前売り券をお持ちのかたのみのご入場となっております」


「お金を多めに払っても駄目なのかしら?」


 私はゲスい手を容赦なく使う作戦に出る。


 褒められる交渉術ではないけれど、親友のピンチなのだから仕方がない。


「……申し訳ございません」


 少しの迷いは見せたものの、彼女の中で職務への忠誠心が勝利してしまったようだ。


 普段であれば、素晴らしい国民を抱えていると、喜ばしい気持ちになるところだ。けれど今だけは、職務に忠実な彼女の心がうらめしい。


「では、私は可愛いワンちゃんを今日は眺める事が出来ないのね。はぁ……帰りの馬車が事故に遭ったら、犬を見たくてこの会場を亡霊となってうろついちゃうかも知れないわ」


 ポケットからハンカチを取り出し、しくしくと泣き真似をする。


 作戦その二。

 心情に訴えるを発動した。


「何か策はないのでしょうか。お嬢様は無類の犬好きなのです」


 カルラが助け舟を出してくれる。


「……前売り券を転売している者はおりますが」


「え、それはどこに?」


 パッと顔を上げると、カウンターの女性は困惑した表情をこちらに向ける。


「前売り券を購入した人を紹介してもらえるかしら?」


 私は万事解決だと、心を踊らせる。


「一応、あちらにいますけれど、彼らはこちらの足元を見て金額をふっかけてきますので、あまりお勧めできません」


 カウンターの女性が虫けらを見るような視線を、私の背後に送る。


 私はその視線の先を追って振り返る。


 そこにはこちらをニヤニヤしながら眺める男がいた。もしかしたらいいカモだと思われているのかも知れない。


 確かにあまり私の周囲にはいない人種だ。対応を間違えると厄介な事になりそうなのは間違いない。


「ゴロツキのような男性ですわね」


 カルラが渋い顔をしている。


「でもこの際仕方ないわ」


 親友のピンチだし、何かあったら近衛が守ってくれるだろう。


「ありがとう、交渉してみる」


 私はカウンターで対応してくれた女性に笑顔で礼を告げた。


 そして意を決し、前売り券を転売している男性に近づく。


「ちょっといいかしら?」


 彼らは五人でたむろしていて、その真ん中に小太りの男がいる。恐らく彼がリーダーだ。


 その男が胡散臭い目でこちらを見た。


「ドッグショーの前売りなら、一枚二銀貨だ」


 これはなかなかいいお値段だ。


「……思ったよりも高いのね」


 言い値で買うのも悔しいと思った私は、一応不満を口にする。


「そうかい? なら買わなくてもいいんだぜ?もっと高く買ってくれるヤツを探すだけだから。それにイチャモンをつけてくるような嬢ちゃんには、三銀貨でも安いくらいだぜ」


 ニヤニヤと笑い、さらに値段を上げようとしてきた。


「あなたたち、全然分かってないわ」


 私はやれやれといった様子で肩をすくめる。


 すると男たちは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。


「な、何も分かっていないってどういう意味だ?」


 リーダーの男は怪訝そうにこちらを見ている。

 私は人差し指を立て、左右に揺らして見せた。


「そもそも価格というのは需要と供給で決まるのよ。もし私を逃したらそのチケットは紙くずになり、あなたたちは大損をする事になるわ」


「はぁ? 生意気な嬢ちゃんだな」


 男の表情が険しくなる。


「あのな、ここはそんな道理が通るような、甘い世界じゃねぇんだよ!」


 男はそう言うと、こちらに身を乗り出してきた。


 近衛は今にも飛びかかって来そうな男を取り押さえようと、体勢を整える。


 私もいざとなったら逃げ出せるよう、視線をせわしなく動かし、避難経路を確認しておく。


 まさに一触即発状態の中、険悪な雰囲気の私たちの前に小さな影がスタッと降り立った。


「ちょっと待った。はい、このチケットが欲しいんだろ?」


 小さな男の子が私に向かって、チケットを差し出す。しかもきっちり三枚だ。


「え、いいのかしら?でも、いくらで売ってくれるの?」


 私は腰をかがめ、男の子と視線を合わせてたずねる。


「お金はくしゃみをしたこわいお兄さんが払ってくれたから、いらないよ」


 男の子はニカッと笑う。


 生憎くしゃみをした怖いお兄さんという人物に全く心あたりがない。というか、情報が少なすぎるというものだ。


 とはいえ、チケットは欲しい。


「じゃ、これはあなたへの御駄賃ね」


 私はポケットからコインケースを取り出し、銅貨を数枚ほど手渡そうとした。だが彼は受け取ろうとしない。


「配送料を、たっぷりもらってるから大丈夫」


「な、なるほど」


 全く意味がわからないと首を傾げる。


「エミー様、どうやらそのくしゃみをした目つきの鋭い、悶々とし、初恋を拗らせたような、いくじなしの勘違い男は、私たちの知り合いのようです。ですから、遠慮なく受取りましょう」


 カルラがとても失礼な説明を早口でしてきた。


「その説明はどうかと思うのだけれど」


 チケットを譲ってくれた見ず知らずの恩人に対し、悪口とも取れる言葉を吐き出すカルラに、私はつい注意してしまう。


「間違っていないですし、問題ないかと。では行きましょう」


 カルラに促された私は、確かに時間が惜しい事には違いないと、有り難く少年の手からチケットを頂戴したのであった。




 ◇◇◇




 ~ユリウスSIDE~




 いつも通りを装い、家を出た。


 エミリアいわく、「行ってらっしゃいの家族のキス」とやらが、今日に限って唇に落ちてきたものだから、僕は朝から思考を停止させた。


 正直そのまま彼女を小脇に抱え、寝室に戻りたい気持ちを必死に押し殺すという苦行を強いられた。


 その結果、爽やかな朝を紳士的に演出出来ていたかどうか。もはや動揺しすぎて自分ではわからない。


 ただし、あの唇へのキスは、彼女にやましい事があるからだと思う。


 なぜなら僕の頬を狙い背伸びをする彼女の、まるで新芽のように鮮やかな瞳がほんの少しだけ、揺れ動いていたから。


 だから愛する妻に朝からキスをされたくせに、悶々とした気持ちのまま職場である王城に向かう羽目になった。


 もちろん昼過ぎあたりに計画的に腹痛を起こし、早退する気マンマンで。


 しかし登城して早々、陛下に確認したい事があり、彼の執務室に立ち寄った際、衝撃的な事実を聞かされた。


「そう言えば、エミリアはお忍びでドッグショーに向かったようだな。儂も仕事がなければ妻と共に見学にでも行きたいところだが、お互い仕事からは逃れられないようじゃ」


 僕の愛する妻の面影を感じさせる端正な顔を破顔させ、はっ、はっ、はっと笑顔を見せる陛下。


「全くその通りですね。体調不良でも起こさない限り、私たちには休みなどありませんから。しかしこれも国の為と思えばこそ、仕方ありませんね」


 僕は笑みを浮かべ、陛下に相槌を打つ。


 しかし彼の何気ない言葉に、内心動揺を隠せない。


 僕の中にしっかりと刻まれている『犬の毛』『浮気』『涙の痕跡』『別居』に『ドッグショー』そこに新たに『お忍び』が追加された瞬間だからだ。


 これはもう、かなり怪しい。


 彼女は犬アレルギーの僕に愛想を尽かし、もはや犬好きな男と新たな人生を歩む準備をしているとしか思えない。


「おや? 顔色が悪いように見受けられるぞ。おぬしは大丈夫なのか?働きすぎではないのか?」


「お心遣い痛み入ります。実は、今朝から少しお腹が痛むものですから」


 そう答えると陛下は眉を八の字にした。


「お主に何かあれば、我が国にとって損失だ。何より娘が悲しむ。ふむ……早く帰って休むがいい」


 案の定、娘を想う父の顔になった陛下は、僕をすぐに帰宅させてくれた。


 そして、慌てて執事のヨハンと共にドッグショーに向かったのだが。


 その結果、最悪な状況を更新中。


「何故よりによって、犬だらけなんだ。くしゅん」


 見渡す限り、犬、犬、犬。お陰でこっちは鼻水が凄いし、目も痒くなってきた。


「坊ちゃま、それはここがドッグショーだからです」


 引率とばかり僕についてきた、我が家の執事ヨハンが的確な指摘を飛ばしてきた。


「わかってる、くしゅん、それから人前で坊ちゃまはやめてくれ」


「申しわけございません。ティッシュはいりますか?」


「いや、まだ自分のがある。ありがとう。くしゆん」


 鼻をかみ、僕はティッシュをウエストコートのポケットに突っ込む。


 人前で鼻水をかむだけでも恥ずかしいのに、何が悲しくて自分のポケットに湿ったティッシュを入れておかなければならないのか。


「全く最悪だ」


 僕は自分の体質を恨めしく思い、ため息をつく。


「それにしても大盛況だな」


 犬たちの鳴き声で満たされる会場は、興奮と期待した表情をした飼い主、それから観客たちのどよめきや笑い声が響き渡り、活気に満ちた雰囲気が漂っている。


 視線の先には、豪華に飾られた首輪やリボンを身につけ、美しく整った犬がおりこうに並び、審査員の前に立っている。


 審査員たちは、厳格そうな表情で犬たちの姿勢や品質を見極めていた。


 飼い主たちは、犬たちの姿勢や歩様を整え、緊張と期待に胸を膨らませながら、その様子を見守っている。


 一方出番を待つ飼い主たちは、犬たちに声をかけ、愛情を注ぎながら、彼らが最高のパフォーマンスを見せるように手助けしていた。


 彼らの目には、犬たちへの深い愛情と、勝利への強い願いが宿っているように思える。


「入場制限がかかるのが、わかる気がしますね。それにしても旦那様はナイスフォローでしたね」


 ヨハンに声をかけられた僕は、苦笑いする。


 チケット売り場付近に近づいた時、エミリアが困っている様子なのに気付いたので、先に転売ヤーからチケットを購入した。もちろん正規の値段でだ。


 それを道行く子どもに駄賃と共に、彼女に渡すように言いつけた。


 大したことをした訳ではない。

 愛する妻が困っているのを助けただけだ。


「消費者権利法が五年前の議会で制定されたからな。そのおかげでぼったくられなくて済んだよ。当時はそんな細かい法律はいらないような気がしていたが、実際自分が被害に遭いそうになると、くしゅん……制定を急いだ市民の声が身にしみて理解できた。それにゴロツキたちも物わかりが良かったしな」


「それはゴロツキをも怯えさせる鋭い目つきで、「消費者保護の歴史を有する我が国においては、不正取引から国民を守ることを消費者保護の基本原則とし……」なんて具合に淡々とまくしたてられたら、そりゃ怖くて引くでしょう」


「そうなのか?」


「はい。坊ちゃまはお美しいお顔であるが故に、無表情に徹した場合、物言えぬ迫力がございます。ですから彼らにもそれが伝わったのですよ」


 そうだろうかと、僕は首を傾げる。


 しかしすぐにその事に思考を奪われている場合ではないと気づく。


「ワン!」


 足元で犬が吠える。あろうことか、僕の足にミルクティー色をしたモサモサした犬がじゃれついてきた。


 しかも長い口ひげを僕の染み一つない完璧な黒いパンツになすりつけている。


「お、おい」


「クゥゥン」


 うるっとしたまん丸の瞳でコチラを見上げる犬。


「君は……かわいいな」


 思わず自らつぶやいた言葉に愕然とする。


 しかも今はこんな犬ごときにかまっている場合ではない。


「くしゅん、と、とにかく彼女を追わないと……くしゅん。す、すまない。この犬を退けてくれないだろうか」


 僕はティッシュを鼻にあて、こちらを見て「何でアレルギーなのにきたの?」といった感じで訝しげな顔を向ける貴婦人に、即刻犬を退けるよう、お願いしたのであった。

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