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006 僕のもの(ユリウスSIDE)

 またやってしまった。


 いや、夫婦なのだからやましい気持ちになる必要もないし、彼女から望まれた結果なのだから、むしろ嬉しい。


 ただ、紳士的に二日連続はまずい。

 我慢の効かない男だと思われたら最悪だ。


 僕は彼女より四歳も年上なのだから、常に余裕あるところを見せるべきだし、古くより王家の信頼厚いシュナイダー侯爵家の当主として、感情に流される事なく毅然と物事を判断しなければならない使命を背負っている。


 だからいくら彼女に潤んだ瞳で誘われたとしても。


『無理をしないで下さい。あなたはお疲れでしょう?それに、今日はこうしているだけで幸せですから』


 ぐらい言える、余裕ある男になるべきだ。


 そうじゃないと、きっと彼女は屋敷と仕事を往復するだけしか脳がない、つまらない男である僕にいつか愛想を尽かすだろうから。


 彼女に嫌われたら、僕はこの先どう生きて行けば良いのかわからない。


 僕に与えられた大事なものは、彼女以外ないのだから。


 隣で僕に張り付き、ぐっすり眠る彼女を視界に入れると、それだけで体が幸せで満たされる。


 でも、エミリアは僕と同じ気持ちでいてくれるのだろうか。


 ただ、子どもを願い、体を重ねているだけなのだろうか。


 そんな不安が胸をかするのは、幼い頃より親同士により決められた結婚で、仕方なく僕の元に嫁いできてくれた事を知っているから。


 けれど僕はエミリアに契約者以上の感情を抱いている事を、彼女は気付いてくれているのだろうか。


 侯爵家の当主としては失格なのかも知れないし、恥ずかしいけれど、でも君が望むなら、僕は何だってしてあげたい。


 彼女の頬にかかる髪をすくい、その滑らかな頰をそっと撫でる。


「ん……」


 少しくすぐったかったのか、彼女は身じろぎしたものの、そのまま眠っている。


 僕はエミリアにそっと覆い被さり、その唇に触れるだけのキスをした。


 嫌がる素振りもなく、彼女の寝顔は穏やか。

 僕を信頼し切っているように見える。


 それは凄く嬉しい事だけれど、複雑だ。


 なぜなら、今日は彼女の帰りが遅かったと報告を受けたから。

 これは由々しき事態だと言える。


 執事のヨハンによると。


『本日の奥様は、午後のあいだラインマイヤー邸で過ごされていたようです。侍女のカルラ様によると、ラインマイヤー邸に到着するや否や、侍女部屋で休憩していて良いと奥様より人払いされたとのこと。その後奥様はハンナ様と屋根裏、執務室などを探索された模様です』


 とのこと。


 全く持って彼女の意図がわからない。


 彼女が王宮から唯一連れてきた侍女であり、僕と同類で彼女をこよなく大切に思い、僕を目の敵にするカルラによると、今日はハンナ嬢の方に涙の痕跡ありとのこと。


 その事についてカルラに詳しく聞くと。


『心優しいエミリア様は、ステア様に浮気疑惑が浮上して落ち込むハンナ様に寄り添っているだけだと思いますけど。というか、ご自分でエミリア様にお確かめになればよろしいのでは?では失礼します』


 僕を睨みつけながらそう言って、颯爽と去っていった。


 正直、エミリアにそんな事を聞き、嫉妬深い男と思われるよりは、彼女の侍女に疎まれ睨まれる方が断然マシだ。


「しかし、ステア氏が浮気をするなんて事はないだろうに」


 僕は信じがたい気持ちで呟く。


 彼らが心から愛し合い、恋愛結婚したのは半年前のこと。


 しかもステア氏がハンナ嬢に熱をあげ、しつこくリルケ伯爵に彼女との求婚を迫ったのは有名な話だ。


 かつてエミリアが、庶民であるステア氏に親友が嫁いで大丈夫なのだろうかと悩んでいた時期があった。


 生まれた時から、厳重に守られた王城で暮らす王女である彼女が、庶民の暮らしを不安に思う気持ちは理解できる。なんせ想像もつかない未知の世界だろうから。


 だから僕は彼女の代わりに、彼の事を調べ会いに行った事がある。


『確かに私は庶民ですが、心から彼女を愛しているんです。爵位がないから愛の重さが違うなんて事はないと思います。根本は同じ人間でしょう?ですから僕は、そういった尺度で自分の愛を差別されたくはありません』


 意志の強い眼差しを僕に向ける彼を見て、誠実な男だと感じた。


 同時にステア氏の身辺を調べてみた所、年相応に浮いた話はあれど、ハンナ嬢に一目惚れをしてからは一切それらを断ち切った様子がうかがえた。


 その潔さもあり、彼は信じるに値する人間だと思い、エミリアにもそう伝えた。


 そもそもステア氏はその辺の貴族より裕福だ。よって、彼が事業で失敗しない限りハンナ嬢が金銭面で困るような事はないだろう。それは、見栄を張り、貧乏貴族に嫁がせ、娘経由で相手から金をせびられるような事がないということだ。


 そう考えてしまうのは、ハンナ嬢の実家であるリルケ伯爵家が、貴族の中では、領地経営をそつなくこなし資金繰りも悪くはないから。


 そもそもこの時代に恋愛結婚を許す貴族などいないにも等しい中、実に一年間もステア氏を試し、それを美談として広めた上で、娘を庶民の元へ嫁に出すという判断はリルケ伯爵が遣り手である何よりの証拠。現にラインマイヤー商会の経営手腕を学ばせるため、ハンナ嬢の弟はステア氏の下で働いているらしい。


 世間では彼らを恋愛結婚だと言うが、僕個人としては水面下でリルケ伯爵が仕組んだものだと疑っている。


 それはたぶん、自分の娘にすら明かさない、完全犯罪に近い政略結婚だ。


 ただし、ラインマイヤー商会のような庶民出身の才ある商人が、国内で頭角を現してきているのも事実。よって、貴族だけが特権を持つ時代という考えは、近い将来古いものとなる。


 それらを考慮するとステア氏との結婚は、ハンナ嬢、そしてリルケ伯爵家の未来を見越したものであり、充分評価に値する。


 それにステア氏は、爵位に縛られず自由な身だ。


 よって妻に対し、身分相応の振る舞いを求める必要もない。


 彼は食べる物も、着る服も、それから付き合う連中も、将来も、自分で好きなように選び生きている。


 それは名のある侯爵家の嫡男として、親から相応しいと思う物しか与えられず、その他の選択肢を許されなかった僕にはわからない世界だ。


 僕が置かれた世界は、シュナイダー侯爵家に名を連ねるかつての当主達と同じように国を支える者として教育され、付き合う連中も制限され、横道に逸れる事が許されないもの。


 間違った道に進めば鞭による体罰でわからされたし、そんな父から僕を助けてくれる人もいなかった。


 そもそも横道にそれる事を許されない人生なんて、年相応に芽生えた自分の自我を押し殺す事でしか、成り立たないものだ。


 もちろんいずれ国を支える一員となるのだから、一点のシミすらあってはならぬ。


 その教えが理解出来ないわけじゃない。


 ただ、そうやって育った僕の世界はあまりに小さくて窮屈な物でしかなかった。


 もちろん、病で共倒れしあっさり他界した父と母を恨んでいるわけじゃない。

 僕を生んでくれた事に対する感謝の気持ちは、しっかり持っている。


 正直なところ僕は両親が亡くなった時、悲しいという感情よりも、「あぁ、もうこれで解放される」と心底安堵した。


 何なら口元が緩むのを堪えるのに必死だったくらいだ。


 そして、そう思ってしまう自分をシュナイダー侯爵家の人間らしくない、駄目な者だと自覚し、一人落ち込んでいた僕に寄り添ってくれたのが、当時十五歳でまだあどけなさの残るエミリアだった。


『お辛いでしょうね。何と言葉をかけていいかわからないけれど、今すぐにユリウス様の家族になれたいいのにと思いますわ。そうしたら、夜になって寂しくなっても、ずっと側にいてあげられるから』


 僕にそう告げたあと、人目を気にせずポロポロと目から涙をこぼす彼女を見て、僕の心はスッと軽くなった。


 なぜなら、両親を亡くしたから悲しんでいる。そう勝手に思い、僕の代わりに泣いてくれたから。


 盛大な勘違いではあるけれど、泣けない自分を責めていた僕にとっては救世主のように感じた。


 それに彼女が僕の感情を理解しようとしてくれているのだと理解した瞬間、心臓が跳ね上がったのを今でも覚えている。


 その結果、彼女を睨みつけてしまったようで、それだけは今でも反省しているけれど。


 でもあの時、僕の悲しみをまるで自分の事のように受け止め、泣ける彼女を愛おしく感じた。


 僕は両親が死んでも、泣けないような身勝手で冷酷な人間だ。けれど、彼女が泣いてくれたから、罪悪感を拭い去る事が出来たという事実がある。


 その事に気付いた時、彼女を特別な存在だと自覚した。


 誰かにそのような感情を抱くのは生まれて初めてのことで戸惑った。けれど彼女の言葉や流した涙が僕の心に響き、忘れられない。そして、その感情が「恋」なのだと僕はすぐに気付く。


 同時に生まれて初めて、この縁談をまとめてくれた両親に心から感謝の気持ちを感じた。


「エミリア、愛してる」


 本人には言えない気持ちをそっと口にする。


 僕にはそれなりの身分がある。


 だから制約される事ばかりだし、人付き合いも難しい。なぜなら、相手が常に緊張し、こちらの顔色をうかがうのを肌で感じて窮屈だから。


 けれどそんな僕に対等に付き合ってくれる王女である彼女を好きになったし、尊敬している。


 そんな彼女を腕に抱く事が出来ている。


「やっぱり僕は幸せだ」


 独り占めしたいと、我儘な気持ちでこちらに背を向ける彼女を抱き寄せ、その頰にキスをした。


 すると彼女は大胆な寝返りをうち、僕の胸に自分の頰を寄せてきた。


「んー、ドッグショー」


 不穏な言葉を口にするも起きる気配はない。


 僕は彼女を抱きしめ、髪にキスを落とす。


 すると彼女の手が、無意識に僕の背中に触れるのを感じた。その感触に僕の心は幸福感でいっぱいになる。


 こうして一つのベッドを共有し、抱き合って眠ることが幸せだと感じさせてくれるのは、彼女だけだ。


 そう自分に言い聞かせてみたものの。


「ドッグショーか……」


 やはり彼女は怪しい。


 僕と離縁したいと願っていたとしても、その願いだけは叶えてあげるのは無理そうだ。


「犬の毛、浮気、涙の痕跡、別居に……ドッグショー」


 彼女にまつわる不穏な言葉を口にすると、どうしたって離縁に向け動いているようにしか見えない。


 これは早めに調べる必要があるようだ。


「今のところ早急に片付ける仕事は……」


 頭の中で抱えた仕事の算段をする。


 議会が閉会し、そこで決議された法案の制定に関する書類作成でそれなりに忙しい時期ではある。


「いやしかし」


 大事なのは目の前でスヤスヤと眠る彼女のほう。


 そもそも仕事で成果を出せたのは、彼女が二十歳になった時のため。

 堂々と僕の妻として迎え入れられるように、彼女の人生に責任を持てる男になっていなければと、寝る間を惜しみがむしゃらに学び、働いてきたからだ。


 そして実績を積み上げ、周囲を爵位だけではなく、実力で王女の夫に相応しい男だと納得させた。

 だから今、彼女が隣にいてくれるわけで。


「あの時の努力と熱意を……」


 今度は彼女に注ぐ時がきたようだ。


「よし、決めた」


 僕は初めて仕事を休もうと、密かに決意したのであった。

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