020 彼と一緒に
ユリウス様はわりと意地悪だ。
私を困らせる言葉をわざと口にし、こちらの反応を見て楽しむところがあるから。
けれどそういう時の彼は、いつもの澄ました顔ではなく、子どもっぽい笑みを携えているから、ちっとも嫌いにはなれない。
今日はそんな意地悪で出不精な所があるユリウス様と、外出に漕ぎ着ける事に成功した。
とはいえ、彼が出不精なのは主に私のせい。
彼の妻でもある私は、王女でもある。だから出かけるとなると、王城から派遣した近衛を付けないといけない決まりになっているから。
その結果、場所によっては大所帯でぞろぞろ出歩くことになり、人々の視線を「何事?」と釘付けにしてしまう羽目になる。もちろん、私はそういう環境で育ったので慣れている。けれど、ユリウス様はそうじゃない。
そして、人から注目されるということは、ユリウス様も私と同じように、シュナイダー侯爵家の当主として、そして王女の夫として振る舞う事を余儀なくされてしまう。
だから、結局のところ出かけると気が休まらないし、私もユリウス様がお休みの日は家でのんびり過ごす方がいい派だ。
そもそも休日とはそういうものだし、屋敷にいれば二人きりの時間を気兼ねなく楽しめる。むしろ、それに勝る休日はないと思うくらい。
しかし今日はそうも言っていられない事件が起きた。
私の渾身の作、アクアリウムの水草が枯れてきてしまっているからだ。
ユリウス様から犬の代わりにと、ドロッセル様のご主人が経営するペットショップで、金魚とアクアリウムのケースをプレゼントしてもらった。
彼が選んでくれたアクアリウムケースは、ゴシック様式の美しい装飾が施されたガラス製のもの。
繊細な彫刻が施された木製の台座が取り付けられ、水槽部分を支えている。
ケース自体は透明なガラス板で仕切られた水槽になっており、繊細なフィリグリーの彫刻がガラス板の周囲を飾っている。そして、ケースの周囲には、彫刻されたロゼットや蔦のモチーフが施され、それ自体が観賞用の家具として成り立つくらい素敵なケースだ。
問題は素晴らしいケースの中に作られる世界のほう。
水槽の中には、鮮やかな色合いや美しい模様を持つ熱帯魚が泳ぎ、水草がゆらゆらと揺れる光景が広がっている。
緑と赤、それから鮮やかな黄色といった組み合わせの水草が水槽の中を彩り、その間を色鮮やかな金魚が気持ちよさそうに泳ぐ。
まるで絵画のようなアクアリウムは、眺めているだけで心が癒され、リラックスする効果があると自負していたのだけれど、最近は金魚の調子が悪そうだ。だから観賞用の水槽というよりも病気治療のための飼育箱になりつつある。
ユリウス様も「長生きできないだろうね」と事あるごとに私に言ってくる。たぶんそれは、別れを先に覚悟しておけという意味だと思う。
生き物を扱う以上、失敗はつきものだし仕方ないのかもしれない。けれど、私としてはなんとかしたい。
そのためには、私なんかよりハマると研究熱心な所を遺憾なく発揮するユリウス様の力添えが絶対に必要だと考えた。
日々、進化する彼の様子からするに、私の考察はあながち間違っていないと思う。
そして、夫婦共通の趣味としてアクアリウムを楽しみたいと願う私は、そのための第一歩として、アクアリウム専門店に彼を連れていく必要があると考えた。
だから今日ばかりは我儘を言い、彼と出かける約束を勝ち取ったというわけだ。
そして現在私は、中央公園でユリウス様とのんびり散策デートを楽しんだのち、本来の目的地であったアクアリウム専門店にてお買い物中。
ここは貴族御用達のアクアリウム専門店。
珍しい魚や水草を取り扱っており、値段も少し高めの設定になっているけれど、その分品質は確か。さらに、年に二回開催されるアクアリウムの品評会では、多くの賞を総なめしているくらい凄いお店だ。
店には様々なる世界観を持ったアクアリウムが展示されており、見ているだけでとても楽しいし癒される。
「そういえば、この店に入るのは初めてだ」
ユリウス様は興味深そうに店内を見渡す。
「そうですよね。だから是非一緒に来たかったんです」
「なるほど」
私に答えつつもユリウス様は、ケースの中を真剣な目つきで観察している。
こういう姿を見ると、ユリウス様には是非ともアクアリウムにハマってもらいたいと思う。
「私もこういう素敵なアクアリウムを一応は、目指していたはずなんですけど……」
私は目の前の、美しい金魚の入ったアクアリウムケースを恨めしそうに見つめる。
「アクアリウムって奥が深いんです。私、もっと簡単なものだと思っていました」
「そうだね。私もそう思っていたよ」
私に告げるユリウス様の手には、すでに店で販売しているアクアリウムの専門書が広げられている。
今回の作戦は上手くいったかも知れない。
私はしめしめとほくそ笑む。
「でも、こうして見ると、どれも素敵で迷ってしまいますね」
私は水槽に顔を近づける。
「確かに、どれも美しいね」
ユリウス様も私の隣で水槽を覗き込む。
「ユリウス様はどの水草がお好きですか?」
私は彼に尋ねる。
「うーん……。どれも甲乙付け難いね。君ならどれが好み?」
「そうですね、私は……」
どれも素敵に思える私にとって、それはだいぶ難しい質問だ。
しばらく悩んでいると、店員さんがこちらに向かってくるのが見えた。
「これはこれはエミリア王女殿下とシュナイダー卿ではございませんか」
店員さんは恭しく頭を下げる。
「今日はどのようなご用件で?」
ユリウス様は店員さんに水草の購入を考えている旨を伝える。すると店員さんは店の奥に案内してくれた。
「こちらのお部屋は優秀作を取った水槽を並べた部屋となっておりますので、ご自宅のアクアリウムの参考になると思います。是非水中で繰り広げられる美しい世界をお楽しみ下さい」
店員さんは笑顔で告げると、私達の前から姿を消した。
私たちが案内されたのは、確かに美しいアクアリウムがズラリと並ぶ部屋だった。
まるで水族館のようなその場所は、見ているだけでリラックでき、幸せな気分に包まれる。
もちろん、水槽の中には様々な水草が芸術的に植えられていた。
「うわぁ、素敵」
私は目を輝かせた。
美しい色鮮やかな水草と魚たちは、まるで宝石箱のようで、見ているだけで心が躍る。
そして同時に、自分ならどれを、どんなふうに育てるかを想像してみる。
そんな私の心に浮かぶ気持ちは……このお店で売られているどのアクアリウムにも負けないような素晴らしいものを、ユリウス様と一緒に作り上げてみたい、というもの。
アクアリウムを作る過程も含めて、二人で考えて作ったものならば、どんなものでもきっと素敵だと思う。
「私はユリウス様と一緒に考えて決めたいです」
私がそう伝えると、ユリウス様は嬉しそうに微笑んだ。
「奇遇だね。私も同じことを考えていたよ」
彼は私を見つめ返す。
「アクアリウムは確かに奥が深そうだ」
どうやら私の作戦は大成功したようだ。
私は「上手くいった」と頬が緩む。
「何か気になる魚や水草はありましたか?」
私はユリウス様と同じ水槽を覗き込む。そこにはたくさんの種類の魚たちが優雅に泳いでいた。
「いや……。ただ綺麗だと思って。うちのアクアリウムもこうなる可能性があるのかと」
「そうですね。どの水槽も水草と魚が調和していて綺麗です。二人で頑張ればもっと凄いものが出来るかも知れませんね」
「ああ……」
水槽を覗くユリウス様は静かに頷いた後、ふっと微笑んだ。その横顔があまりにも美しくて、私は思わず見惚れてしまった。
「どうかした?」
こちらに顔を向けたユリウス様に問われる。
「あ、いえ……」
まさかアクアリウムを鑑賞しているユリウス様に見惚れていました、なんて言えない。だってこのお店に行こうと誘ったのは私なのだから。
水草ではなくユリウス様に見惚れていたなんて、絶対に言えない。
「ええと、魚が」
私は慌てて誤魔化そうとしたけれど、彼の瞳は私の心を見透かしているようで。
「嘘は吐かなくていいよ。僕は最近君の事が手に取るように理解できるようになってきたから。だから誤魔化しても無駄ってこと」
優しく私を諭すように呟いた後、彼はゆっくりと私に顔を近づけてくる。そして、そのまま私の唇を塞いだ。柔らかな感触と熱い吐息が唇を通して伝わってくる。
もう何度もしているのに、この瞬間はどうしても慣れない。心臓の鼓動が跳ね上がり、頬が熱くなる。
けれど嫌な感覚じゃない。むしろ幸福な気分になるのだから不思議だ。
「ふふ」
私が大人しく口づけを受け入れていると、ユリウス様は微かに微笑んだ後、ゆっくりと顔を離していく。そして、その綺麗な瞳で私を見つめると。
「照れた君も、とても可愛い」
なんて囁いてくるものだから私はもう何も言えなくなってしまう。
ああ……私の旦那様は今日も素敵すぎる……。
私はまた、彼のペースに乗せられて、完全敗北するのであった。