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016 浮気の真相3

 ラインマイヤー邸のサロンにて、正妻、愛人、正妻の友人という図式で修羅場を繰り広げていた所、張本人であるステア様が登場した。


 ステア様は妻と愛を確かめあい、愛人であるドロッセル様はそれを微笑ましく見守るという、もはや「人類皆家族。正妻も愛人もまるっとまとめて家族」といった、平和と紙一重とも言える状態だ。


「ご無沙汰しております、エミリア様、妻がいつもあなたに良くして頂いているようで。本当に感謝しております」


 ステア様は、ハンナをしっかりと抱きしめながら、私に照れたような表情を向けた。


「ハンナのお陰で、ここ数日はスリリングな日々を過ごせておりますわ。ところでステア様。あなたとこちらのドロッセル様はいったい、どのようなご関係なのかしら?」


 少なくとも愛人なんて許せない派の私は、ステア様に責める視線を送る。


「彼女とは……そうですね。まあ、はい」


 ステア様はもごもごと言葉尻を濁す。そんな彼にハンナがすかさず言葉を添えた。


「愛人なのよね。あなたを誰かと共有するのは納得がいかないけれど、それでも私はステア様と暮らしたいわ」


 ハンナは「絶対に逃さない」といった勢いで、ステア様の首にその腕を回す。


「ハンナ、君はなんて可愛いんだ」


 そして再び二人の世界に入った二人を前に、私は眩暈を覚える。


 いったい全体、どうなっているの?


 それが今の私の正しい心境だ。


「はっきり申し上げますけれど、私は彼の愛人ではございませんわ」


 ドロッセル様が毅然とした声で告げた。


「え?」


 私は耳を疑う。


「で、でもあなたは、昨日ドッグショーにステア様といらしてたわ。しかもステア様はクラウディアにならいくらでもお金を払うと、そうおっしゃっているのを私は耳にしました」


 じっとしていられない私は、全てをぶちまける。


「それにクラウディアはあなたのお嬢様なのですよね?」


 動揺し、矢継ぎ早に質問を投げかける私。それに対し、ドロッセル様は顔色一つ変えず、こちらを見つめ返した。


「エミリア様におかれましては、大変申し上げにくいのですが」


 ドロッセル様はそこで一旦切ると、再度口を開く。


「クラウディアは私の飼っている犬の名ですわ」


「!?」


 私は息を飲む。


 いま彼女はなんて言った?


 私の聞き間違いじゃなければ、クラウディアは彼女の飼っている犬といったような。


 それは一体どういう事なの!?


 犬?犬ってあの四足でもふもふで、フワフワで、つぶらな瞳で、とっても可愛いあの犬のこと?


 私の頭の中を『犬』が支配し、もはや情報処理が追いつかない状況だ。


「つ、つまりあなたはドロッセル様で、クラウディアはあなたの愛人……いえ愛犬で、でもあなたはステア様とも面識があるという事でしょうか?」


 私は混乱した頭でドロッセル様に問いかける。


「ええ、そうですわ」


 ドロッセル様は当然とばかりに頷いた。


 そんな馬鹿な。だって彼女は今さっき、自分は愛人だって……いや、そう口にはしていなかったような。


「なんだ、君たちが最近やたら一緒にいると思ったら、私が彼女と浮気をしていると勘違いしていたんだね?」


 ステア様の言葉にハンナは「本当に勘違いなの?」と不安げな表情で呟く。


 その気持は良くわかる。


 誰だって自分の夫が綺麗な女性と歩いていたら嫌だもの。


「そもそもどうしてステア様は、ウエストコートに犬の毛をつけてらしたのかしら?」


 私はこの騒動の始まりとなった件をステア様に問う。


「ハンナが犬を好きなのに、アレルギーで飼えない事を私は理解しているつもりだ。でも君は毎週末一緒に出かけた公園ですれ違う犬に対し、それはもう僕が妬けるくらいとろけそうな視線を犬に向けていた。そのあと必ず、泣きそうな顔でくしゃみをするんだ。だから何とかならないものかと、彼女……ドロッセル夫人に相談したんだよ」


「では、週末誘ってもお出かけしてくれないのはどうしてですの?」


 ハンナがジッとステア様を見つめる。


「それは最近、季節風が強いだろう?それに加えて気候が良くなって皆が犬を連れて散歩に出るようになったから。妻をアレルギーの危険に晒したくなかったんだ」


「ステア様ったら、私のために……。大好きですわ!」


 ハンナは嬉しそうに、ステア様の頬にキスを落とす。


 正直もう、解決でいい気がする。


 私は思わず薄目になる。


「本当は、ドロッセル夫人に頼んで、サプライズで君に犬をプレゼントしたかったんだ。でもアレルギーの事とか、詳しく君から話を聞きたいってことで、今日は彼女に足を運んでもらったんだ」


 ステア様がドロッセル様に視線を移すと、彼女はニコリと微笑んだ。


「ええ。その通りですわ。ちなみに、昨日ドッグショーにいたのは、犬アレルギーを発症しにくい犬種を、ドッグショーの会場で実際にご覧になって頂きたかったからです。ドッグショーに行けば、流通するほとんどの犬種をご覧になれますから」


 ドロッセル様の言葉に頷く。


 確かに昨日は一生分の犬を見た気がする。


「一応もう決めた犬はいたんだけど、後で後悔する事のないよう、足を運んだんだ。それにどこにビジネスチャンスが落ちているかわからないしね。犬ブームについて、市場調査をするいい機会でもあったんだ」


 爽やかな笑みを浮かべ真相を話すステア様。

 どうやら本当にやましい事はなさそうだ。


「それとステア様のウエストコートについていた犬の毛は、我が家の愛犬のものだと思います。うちにはわんちゃんが、五匹ほどおりますので」


 どのこも可愛いですのよと、ドロッセル様は誇らしげな表情をみせた。


「つまり、ステア様は犬アレルギーがある私でも犬を飼えるようにするために動いて下さっていたってこと?」


 ハンナはすでに犬を手にしたかのように、喜ぶ笑顔で問いかける。


「ああ、そうだよ。貿易商でもある私の仕事は他国への出張も多いからね。その間、君が淋しくならないように犬を飼う事を提案しようと思って」


 ステア様は当たり前だろうといった表情で頷いた。


「それじゃあ全部私のためだったのね。あなたってなんて素敵なの!」


 ハンナは感動したのか、ステア様の首元に腕を回す。


 先ほど抜けかけていた魂は収まる所にしっかり収まったようだ。


 めでたし、めでたし。


「それで、アーベライン夫人から提案されたのがミニチュア・シュナウザーだった。昨日シュナイダー卿が壇上で連れていた犬種だ」


「……えぇ、そんなこともありましたわね」


 幸せな二人を前に、ユリウス様が私の名がついた犬に愛の言葉をかけている姿を思い出し、思わず遠い目になった。


「そして、アーベライン夫人が私に譲ってくれるミニチュア・シュナウザーの子犬の名は、クラウディアというわけだ」


「まぁ、ではウエストコートに入っていたピンクの名刺は、人間のものではなく、ワンちゃんのものだったのね!」


 ハンナは驚きを隠せないといった表情で、目を丸くした。


 私だって密かに「そんなことってある?」と唖然としているという状況だ。


 ただステア様がドロッセル様の耳元で「私はクラウディアになら、いくらでも払えますよ」という言葉は、言い換えれば「ハンナを喜ばすためになら、いくらでも払う」ということだろう。


 そしてドロッセル様が「後悔させませんことよ」と言っていたのは、犬を飼って後悔させないという意味だったようだ。


 ただ、あと一つどうしても気になる事がある。


「では、昨日ペットに関する誘拐や身代金のお話をなさっていたのは、なぜかしら?」


 私は最後に残る謎について尋ねた。


「エミリア様には参ったな。そこまで聞かれているとは……」


 困惑した表情をステア様に向けられ、私は恥ずかしくなる。


 淑女たるもの他人の会話や個人情報を勝手に盗み聞きすることは適切ではないからだ。


 それに知りたい事があれば、まずは個人のプライバシーを尊重した上で、相手とのコミュニケーションを通じて情報を共有することが望ましい。


 それは当たり前の事だから、盗み聞きをしたなんて隠しておくべきだった。


 私は今回、自ら墓穴を掘ってしまっていたようだ。


「ご、誤解しないで頂きたいのだけれど、普段は盗み聞きなんてしないわ。今回は親友のハンナが困っていたから、私は仕方なくお話を静かに聞いてしまっただけで……本当よ?」


 私は悪あがきと知りつつ、一応付け加えておいた。


「えぇ、もちろんです。あなたが妻のために動いて下さったということは、理解しております」


「因みに誘拐に身代金の話は、実際そういう事件が多発しておりますので、注意喚起としてお話させて頂きましたの。狙われやすいのは、富裕層の方が飼ってらっしゃる犬が多いので」


 ドロッセル様が私の質問の答えを明かしてくれた。


 彼女の話を聞き、私は納得する。


 なぜなら、身代金を要求するにしても、お金の無い所からは請求できない。どうせ危険を冒すのであれば、ハイリターンが見込めそうな家から犬を盗んだ方が割がいい事は間違いない。


「でも、どうしてドロッセル様はそこまで私に良くしてくださるのかしら?」


 ハンナは、まさに純粋な疑問といった様子で小首を傾げる。


「私の夫は、ペットショップを経営しておりますの。そして私は主人が運営しているペットショップで、犬を購入された方に対するアドバイザーといったような仕事をしておりますのよ」


 誇らしげな表情で告げるドロッセル様。


 どうやらドロッセル様は、私やハンナが所属する『貴族の夫を献身的に支える妻の会』のような事をされていただけのようだ。


 確かに夫を支えるのは妻の責務。何らおかしな事はない。


 むしろ愛人だなんて勝手に疑い、本当に申し訳なかったという気持ちでいっぱいだ。


「彼女の夫とは昔からの知り合いでね。だから今回相談したら、そういった事なら妻の方が適任だと言われて。でもまさか、浮気を疑われるとは思ってなかったけど。これは完全に私の配慮が足りなかったようだ。すまなかったね」


 ステア様はハンナに頭を下げる。


「まあ、良いのよ。誤解していた私の方も悪かったのだし、ね?」


 そう言ってハンナはステア様の手を取り、納得した様子で頷く。


「ではこれで、誤解は解けたと思っていいのかな?」


 ステア様がハンナと私を見て問いかける。


「もちろんよ。疑ってしまってごめんなさい」


 ハンナが謝罪の言葉を述べる。


「私も、本当にごめんなさい。それに、ドロッセル様にも謝らなくてはならないわ」


 私は立ち上がり、ドロッセル様にきちんと向き直る。


「今回は早とちりでドロッセル様にまでご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ございませんでした」


 深く頭を下げる。


「そんな、顔をあげて下さいませ」


 ドロッセル様は慌てたように、告げる。


「最近の犬ブームのおかげで、活動も軌道に乗り、施設で働く従業員も増えました。本当に両陛下には感謝ですのよ?ですからそのように謝罪などなさらないで下さい」


 ドロッセル様は、私に視線を合わせ優しく微笑んだ。


「両親の思いつきで、ここまで犬ブームになるとは思いませんでしたけれど、新たなチャンスが市場に生まれ、この国が活性化されているのであれば、陛下もお喜びになると思います。今度登城した際に、お知らせしておきます」


 私は王女らしく、優雅に微笑む。


「ありがとうございます。光栄ですわ。それに、これをきっかけとして、これから長いお付き合いになるかも知れませんし。ねぇ、エミリア様」


 ドロッセル様はにこやかに微笑んだのち、意味深な視線を私に向けたのであった。

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