9. ガラク家でお茶会
ヘレン視点に戻ります。
兄さんに求婚の話をした時、疑問をぶつけてみた。
「これって、何かの策略だと思う?」と。
すると、兄さんは驚いた様子で、「それは絶対に!無いから!!」と、何やらものすごい必死に否定してきた。初めて見るくらい必死だった。
一目惚れとか本命とか変なこと言ってたけど、疲れてるのかしら?
(でも、宰相閣下も誠実そうに見えたし……)
とりあえずは、国外逃亡の準備だけ整えて、流れに乗っかることにする。
ということで、本日は約束したお茶会の日です。
「ようこそいらっしゃいました、クォルナ伯爵令嬢。歓迎いたします」
「本日はお招きありがとうございます、ガラク侯爵令息」
邸の前で待っていて、馬車から降りるのを手伝ってくれた宰相閣下は、ふんわりと微笑んだ。
「どうぞ、私のことはユランとお呼びください」
「でしたら、私のこともヘレンと」
「光栄です、ヘレン嬢」
手の甲に軽くキスを落とす宰相閣下……ユラン様。
顔を上げると、はた、と三つの瞳と目が合った。アメシストの両目に、エメラルドの第三の目。
ふ、と笑みを作る。
(やっぱり、令嬢二、三人は殺せそう……)
案内していただいていると、ユラン様はふとこちらを見やった。
「先日も思いましたが、良い香りですね。何の香水ですか?」
「金木犀です。昔からこれが好きで」
「金木犀……」
しかし、ユラン様は少し考え……質問を重ねた。
「それもそうですが、何か他の……焼き菓子のような……?」
ぎくっ。
引き攣らないよう気をつけながら、笑みを作る。
「……趣味で、たまにクッキーを焼くものですから」
兄さんとセリナたちの間食を作ってから来たのが、不味かったか……。しかし、ユラン様は顔色ひとつ変えず、にこにこと機嫌良く応じた。
「そうなのですか。とても素敵なご趣味ですね」
……噓も蔑みも感じない声音。ちょっとホッとする。
貴族、特に古い考えの方は、貴族の女が台所仕事をするのを嫌がることが多いのだが、ユラン様は違うらしい。
(お父様とお祖母様にバレた時は、「はしたない」だの「毒でも仕込む気なのか」だの、散々だったからなあ……)
柔軟な方で、良かった。
と思ったのも束の間。
「そういえば先日、クォルナ伯爵とお会いしまして。話の流れで、ヘレン嬢にドレスを贈ることになりました」
「はっ?」
美しい庭園の見えるテラスに案内され、席に着くなりそう切り出された。なんのこっちゃ。
とりあえず、気になるのは。
「兄をご存知なのですか?」
そう問いかけると、ユラン様はぽん、と手を叩いた。
「ああ!言いそびれていましたね。彼とは、学園時代からの友人なのです」
「そうだったのですか」
驚きの新事実だった。道理で、兄さんやユラン様の話の端々から、お互いをよく知っているような言葉が飛び出すわけだわ。
(ということは、求婚は兄さんとの繋がり強化が目的かも)
もしそうなら、兄さんの言う通り、必要以上に警戒しちゃったな……恥ずかしいし、申し訳ない。
「それで、何かお好きな色やドレスの形などはございますか?」
……しまった。そちらがまだ解決してなかった。
侯爵家の侍女が、優雅な手つきで紅茶を淹れてくれた。ふわりと立ち昇る優しい香りに心を落ち着かせ、とりあえず返事をする。
「え……っと、申し訳ありませんが、ご遠慮させていただきたく」
話の流れはサッパリだけど、とりあえず、二、三回会った程度の方に、そんな高価なものを贈っていただくのは……。気にしない人もいるかも知れないけど、私はものすごく気になる。
「何故?」
「我が家の財力では、それに釣り合うお返しをご用意するのが難しいので。それではユラン様に失礼です、お気持ちだけ頂戴いたします」
「私としては、こうして会ってくださるだけで、返礼として十分過ぎるのですが……」
あからさまにしょんぼりするユラン様。しかし頭を下げたままじっと待っていると、最後には納得してくださった。
「……そうですね、贈る相手に気を遣わせるのは、よろしくありません。分かりました、また別の機会に」
しょんぼりと肩を落とすユラン様。諦めてはくれないのか……。
「では、宝石や美食、花などにご興味は……?」
「あまり……」
「そうですか……」
再びがっかりするユラン様。ええと……何がしたいかしら、この方? 要らないですよ?
否定してばかりもなんなので、話題を変える。
「ですが、それらの背後にある文化や物語は好きですね」
「ほう!」
ユラン様がぱっと顔を上げ、目を輝かせた。元気になった、良かった。
なら、この話題を続けよう。
「昔から、文化や言語、歴史などについて学ぶのが好きでして。学園時代は、図書館に籠って関係する本ばかり読んでいました」
懐かしいなー。「本が好きなだけ読める!」って感動して、二年上の兄さんの誘いをガン無視して、本読んでたなー。
……我ながら、可愛げないな!! 分かってたけど!
「クォルナ伯爵領といえば交易ですが、そういったことも関係あるのでしょうか?」
「恐らくは」
私たち兄妹は、兄さんが王都の学園に通い出すまで、領地の邸で育った。
時折訪れる商人や貴族たちの、不思議な言葉や珍しい衣服の数々に心奪われたのは、何歳の時だったか。
とにかく物心ついた頃には、図書室や執務室、応接間に潜り込んで、その美しさを堪能していた。あまり良い思い出はないけど、あそこで育った十一年が、私の原点だ。
「他には何がお好きですか?」
「動物が好きですね。特に犬!」
「犬……ふむ。テオ」
ユラン様がそう呼びかけると、足元に黒い霧のようなものが現れた。
霧はそのまま、犬の形を取る。思わず声を上げた。
「『辺境伯家の黒犬』っ?」
「おや、ご存知でしたか」
「実物を見たのは初めてです」
じ……とこちらを見るつぶらな目。
「触っていいですか?」
「逃げられなければ」
許可をもらったので、そーっと手を伸ばす。かすかに硬直したが、逃げない。喉元あたりを撫でると、ほっとした様子で目を細めた。
「かっ、可愛い……っ!」
おとなしい子だ。ベルベットのような撫で心地を堪能し終えると、黒犬は音もなくユラン様の足元に移動して、丸くなる。
席に戻ってからも、ちらちらそちらを見ていると、ユラン様は楽しそうに尋ねた。
「……先日、王都のシュゼイラ辺境伯邸で黒犬の子が生まれたと聞きましたが、ご興味は」
「あります!!」
「では、今度二人で見に行きましょうか」
勢い込んで返事をすると、ユラン様が微笑んだ。
と。
「お兄様〜」
お茶をしていたテラスに、光り輝く美貌の女性が侍女を伴って現れた。
「話の流れで、ヘレン嬢にドレスを贈ることになりました」
→イワン「なってねえよ!?」
『辺境伯家の黒犬』については、また後ほど。
お読みいただき、ありがとうございました。