8. ユランは愛を伝えたい*
凄まじい速度で、しかし正確に受け取った書類を確認していくイワン。優秀は優秀なのである、シスコンだが。
頬杖をつきながらそれを眺めていると、イワンが書類を見つめたまま、ぼそりと問いかけてきた。
「……三ヶ月の交流期間を設けたらしいな」
「ああ。どうにも、ヘレン嬢の反応が良くなかったからな……」
何故だろう?と首を傾げる。心底不思議そうなその姿は、異性から見た自分が魅力的であることを、一切疑っていない。
一通り書類を確認し終えたイワンは、ため息を吐いて答えた。
「……そりゃそうだ。ヘレンは、ガラクの『愛執の呪い』を、知らないんだから」
「…………は?」
ユランの三つある目全てが、はっきりと見開いた。
硬直するユランを尻目に、構わず続ける。
「昨日会ったばかりの、雲の上の相手からの求婚。しかも、やたらしつこい。そりゃ不審にも思う」
「ちょ、ちょっと待て」
ガタタ、と椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「愛執の呪いを……知らない?君がいつも『自分より優秀』と言っていた妹が?……嘘だろう?」
「本当だ。……勘違いするなよ、間違いなくあの子は優秀だ。ガラク家にも、三つ目の賢人という人種にも、知識だけなら呪術にも造詣が深い」
「なのに、そこだけピンポイントで?」
「知らない」
「何故だ!!」
机に額を叩きつける勢いで突っ伏す。ユランにとって、最悪の虫食い状態だった。
さすがにちょっと同情し、頭を掻く。
「ヘレンは昔から愛とか恋とか大嫌いだからなあ………。『愛執』なんて聞いて、無意識に記憶から消去したんじゃないか?」
「き、嫌い……? 愛も、恋も…………? 無意識に記憶から消し去るレベルで……?」
顔を上げるも、真っ青なユラン。小動物の如く小刻みに震え、半分涙目の情けない姿に、美形宰相の面影はどこにもない。
「絶対知っているものだと思ったのに」
「あの子ははっきり意思表示するタイプではあるが、お前の事情を知っててバッサリ拒否するほど、薄情じゃないぞ?」
ガラク家の人間は、己の「唯一」以外の相手と結ばれることができない。
何故ならば、「唯一」以外の相手と結ばれた場合、愛執の呪いによって狂死するからだ。
ただガラクの者が一人死ぬだけなら、まだ可愛い。発狂したガラクの人間は、死ぬまでのわずかな時間、元凶に向け呪いを撒き散らす。
まずは、結ばれた相手。
次に、その家族。
その結婚を強制した者がいるならば、その者を。黒幕、実行犯、協力者、悪意をもってそれを見過ごした者。
死の呪いの発動によって強化された呪術をもって、血筋や因果のわずかな糸を手繰り寄せ、関係者全員漏れなく呪い殺しにかかる。そのため、被害規模がえげつない。
鉱国史上最も古く、最も強烈な呪いなだけあって、解除法も防御法も存在しない。歴史を辿ると、ガラクに「唯一」以外との結婚を強要したせいで、国が滅びかけたことすらあった。
加えて、ガラクは「唯一」至上主義でもある。己の「唯一」が嫌がることは絶対にしないし、他人の「唯一」でも最大限その意思を尊重される。
こんなところで躓くのは、論外にも程がある。
涙目のまま問いかける。
「本当に……本当に知らないのか……? 君の勘違いということは……?」
「ないと思う。その証拠に昨日……」
『この求婚って何かの策略だと思う? ちょうど良い感じの隠れ蓑がほしいとかなんとか……』
『は?一目惚れ?……兄さん、出張先で変なものでも食べた?拾い食いしちゃダメよ?』
「ーーーと」
「何故そうなった!?」
「知らねえよ」
不幸なことに、ヘレンは美青年からの求婚に対し、喜ぶより先に警戒する女性だったのである。
「もっと言うと、ヘレンは、自分に女性としての魅力があると微塵も思っていない。お前の身分や顔に誤魔化されるタイプでもない。そもそも恋愛に興味ゼロ」
「クッ!」
苦々しく吐き捨てるも、これでもイワンは相当頑張った方である。「これは何かの策略では」と神経を尖らせるヘレンに、最終的には「そうなの、こちらを利用する気はなさそうなの」と安心した顔で言わせるまでに、改善してみせたのだ。大健闘だとイワンは自負している。
とはいえ、ユランにとっては未だ非情な現実である。
「………それじゃあなんだ? 今の彼女にとって私は、何故か分からんが突然婚約を申し込んできた、変な男というわけか?」
「そうなるな」
「クソッ!!」
再び机に突っ伏すユラン。
「……素直に一目惚れだと伝えたら、軽蔑されるか……?」
「されないと思うが……当事者になるのは、初めてだからなあ……。気味悪がりはするかもしれん」
「気味悪………」
ぐらあ、とユランの頭が後ろに揺れた。
そうやってしばらく呆然と虚空を見つめていたが、突然、音を立てて立ち上がる。
「……よし、ドレスを贈ろう。とりあえず二十着」
「はっ?」
顔を上げたユランは、うっすら笑った口元に、光のない、虚ろな目。
明らかに様子のおかしい友人に、思わず身構える。
「……落ち着けよ」
「そうだな。想いを伝えるなら、やはりオーダーメイドでなければ。明日、採寸にトード夫人を向かわせる」
「話聞いてた?」
話が飛んだっきり戻ってくる様子のないユランに、青ざめるイワン。
「なあ、あの子の好みなら教えてやるから、もう少し無難なところから始めろって。いきなりドレスは……はっきり言って、重いぞ」
しかし、ユランはまるで意に介さなかった。
「止めてくれるな!! 私のこの愛を!この想いを!なんとしてでも伝えねばならんのだ!!」
「ダメとは言っていない、段階を踏めと言ってるんだ! ヘレンが怖がるだろうが!!」
額に青筋を立てて怒鳴り返したイワンの心配の対象は、やはり妹だった。安定のシスコンである。
「では、彼女は一体何が好きなんだ!?最高品質の宝石?王都の最上級のディナー?あるいはこの世にまだ十株しかない新種のバラ!?」
「だから! 『突然求婚してきた変な男』から、『突然求婚してきた上に、馬鹿高い贈り物をしてきたヤベェ奴』になるだけなんだって! 聞けェ!!」
結局、二人の言い争いは、昼休憩終了の鐘が鳴るまで続いたのだった。
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