7. イワンは妹を守りたい*
目が合った瞬間、心が震えた。
令嬢には珍しい、短めの茶髪。
鋭くも静かな灰色の瞳。
鼻の辺りに散ったそばかす。
優美にして堂々たる振る舞い。知性と理性を感じる声音。
彼女の方は、自分を認識もしていないであろう、一瞬。しかし、それで十分だった。
手に入れなければ。誰にも取られないよう囲い込んで、羽虫を蹴散らし、狂おしいほどの愛を注ぎ、私だけの花だと見せつけねば。
私の「唯一」、私の無二……。
◆ ◆ ◆ ◆
ユランがヘレンに求婚した翌日、昼休み。
「ユラン・ジス・ガラァァァァク!!」
ーーーヘレンの兄・イワンの怒声が、王城宰相室に響き渡った。
名指しされた男……宰相ユラン・ジス・ガラクは、一瞬だけ目を見開くも、すぐに爽やかな笑みを浮かべた。
「ご機嫌よう、クォルナ外務官。長期の国外出張、大義であった。……で、どうした」
「『どうした』じゃない!!」
さりげなく宰相専用の執務室に誘導されたイワンは、ユランが席に着くなり机を殴った。
「お前、俺の可愛いヘレンに、粉かけやがったな!?」
ユランの侍従兼護衛が咄嗟に剣を抜きかけたが、ユランはそれを片手で制した。お構いなしで怒鳴るイワン。
「っざけんなよ! 俺はお前みたいな性格の悪い義弟、御免だからな!!」
「なるほど、もし彼女が受けてくれれば、君とは義兄弟か。それはいい」
「ちっとも良くないッ!!」
ころころと笑うユランに、再び机を殴るイワン。
驚くほど慣れきった二人の様子に侍従が困惑していると、それに気がついたユランが、手でイワンを示した。
「ああ、伝えていなかったな。友人だ」
「ただの!同級生!!」
いつも通りしれっと言い放つユランと、不本意極まりないという口調で応じたイワン。
そう、実はこの二人、学園時代の同級生である。加えて、切磋琢磨した良き友人同士……イワンは絶対に認めないだろうが。
「そもそも、筆頭侯爵家長男が朝っぱらから突然乗り込んでくるとは、何事だ」
ようやく少し落ち着いてきたイワンが苦言を呈する。
「いくら格下相手とはいえ、非常識だろう」
「仕方がないだろう、『唯一』だぞ!? 居ても立っても居られなかったんだ……!」
そう言うと、ユランは紫の両目と額の第三の目を、ほの暗く輝かせた。
ガラク侯爵家。
アロイジア王家、シュゼイン公爵家と並ぶ、建国御三家のひとつ。
その家に生まれた者は、一人残らず魔女の祝福と呪いを授かる。
祝福は、優れた頭脳と魔女の知識、そして呪術の才能。
呪いは複数あるが、代表的なものは「愛執の呪い」だ。
ガラクの人間は、呪いが示すたった一人の相手しか愛せない。そして、ひとたびその相手を見つけると、異常なまでに執着する。
彼ら彼女らが狂おしいほど求め、愛する、文字通り唯一の異性。それが、「唯一」だ。
ほう、とため息を吐く。
「愛とは、『唯一』とは、こんなにも素晴らしいものだったのか……。知らなかった一昨日までの自分を殴ってやりたい、ヘレン・サシャ・クォルナ伯爵令嬢、愛しい人、私の全て………」
「俺も殴りたいよ。今、目の前にいるお前を、五発ほど」
うっとりと語る一方で、今にも舌打ちしそうな顔をするイワン。
(恋をしている自分に酔ってるだけじゃないか、コイツ?)
まあだからこその呪いか、とため息を吐く。
「というかお前、一昨日の夜会来てたのか? 社交嫌いのくせに」
「ああ。陛下がお忍びで出席したいと仰ったから、付き添いでな。まさに運命の導きだ」
「ふーん……。……………。………………?」
何気なく交わされた会話に、どこか引っかかったイワン。
少し考え……ガッ、とユランの襟を掴む。
「……お前、国王陛下置き去りにして、ヘレンのエスコートしたの!?」
「だからなんだ。護衛はいたぞ」
「バカ!バカバカ!! そういう問題じゃあない!!」
判明した驚愕の事実に、襟を掴んだままがくがくと揺さぶる。さすがに侍従二人による仲裁が入った。
引き離され、頭を抱えてその場に蹲る。
「……なんでお前、クビになってないんだよ……!?」
「それは、私が国にとっても陛下にとっても必要な人材だからだな」
「もうやだ、この傲慢自信過剰男」
肩にかかった髪を気障ったらしく後ろに払い、不遜に口の端を吊り上げる。「コイツが可愛い妹の夫になるかもしれないのか……」と思うと、本気で泣きそうになるイワンである。
「で?用はそれだけか?」
落ち込む友人とは対照的に、平然とした様子で、襟を直すユラン。
「まさか苦情を言うためだけに、わざわざ休日に職場へ乗り込んでくるほど、暇ではあるまい?」
その言葉に、イワンがゆらりと顔を上げた。地を這うような声を出す。
「……本命はこっちだ。お前に渡すのが一番早いだろ」
「ん?……なるほど、爵位継承の手続きか」
差し出された書類に目を通しながら、ユランが呟いた。
「相変わらず仕事が早いな」
「当然だ。帰国して最初の俺の執務、なんだったと思う?奴の愚行に対する謝罪行脚だ」
「……うん、必要書類は揃っているな。手続きしよう」
そう言うと、ユランはさらさらと慣れた様子で書類を処理し始めた。壁に寄りかかり、それを見守る。
しばらく、ユランのペン先が紙の上を滑る音だけが響いていたが、やがてポツリとつぶやく。
「……本当に妹が大事なのだな」
「ん?」
「昔から散々聞いてはいたが、まさか翌日に怒鳴り込んでくるほどだとは思わなかった」
ユランにも、妹はいる。仲もそれなりに良い方だと思っている。だが、ここまでではない。
「当たり前だ。ヘレンは俺の、たった一人の血の繋がった家族だ」
「……そうか」
その言葉に、ユランは一瞬顔を上げたが、またすぐに素知らぬ顔で手続きに戻った。
自分たち兄妹を駒としてしか見ない祖父も。心労で吐こうが過労で倒れようが勉強させる祖母も。そんな状況にも無関心な両親も。
イワンは家族とは認めない。絶対に。
「あの家で、俺を愛してくれたのは、ヘレンだけだったんだ。ルネと会うまで、ずっと」
「……」
「長期の国外出張が終わって、国内勤務になって……今度は、俺があの子を守る番だと。できる限り望みを叶えてあげよう、めいっぱい幸せにしてあげようと……そう思っていたのに、お前ときたら!俺の可愛いヘレンを、横から掻っ攫おうと!!」
「爵位継承処理終わったぞ、クォルナ伯爵」
ーーーそんなわけで、イワンが自他共に認めるシスコンに育ってしまったのは、まあ仕方のないことではある。
再び騒ぎ出すイワンに、宰相印の入った書類を押し付けるユラン。
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