43. わくわくお料理教室②
結論から言うと、セラ様のクッキー生地は五回作り直した。
なんでも、ガラク一族は物を作る時、無意識に呪術をかけてしまうことがあるそうな。
はっきり意識すれば、きちんとした呪術になるらしいけど、そうでないなら件の謎のブツが生成される。何故、よりによって食べ物を選んだ……。
問題のブツは、シュゼイン公爵の部下が回収していきました。誰がどう処分するんだろう……。
生地を寝かせている間、作業台で紅茶をいただいていると、アン様がぽつりと呟いた。
「でも良かったわ、気分転換になったみたいで」
「?」
「ヘレン、最近悩んでいるみたいだったから」
───カップを、危うく取り落とすところだった。
「踏み込んで良いかも分からないし、心配だったの」
「お気を使わせてしまって……!」
「あら、クッキーの作り方を教えて欲しかったのは、本当よ?」
慌てて立ち上がるも、平然とした様子で、ね、とお二人に声をかけるアン様。頷くミーネ様とセラ様。
「でも気晴らしになったのなら、嬉しいわ」
「……ありがとうございます」
少しだけ牙の見える可愛い笑顔。ほっとして、座り直す。
「……あの」
「なあに?」
「恋って、なんでしょう……」
ずっと考えていた。私があの人に向ける感情は、何だろう、と。
好意なのは間違いない。でも、それはユラン様が私に向ける感情に、釣り合うものだろうか?
そもそも、異性として好きって、なんだろう。あの狂気と執着が、愛と恋の全てじゃないことは、さすがにもう分かっている。
でも結局、じゃあ何なんだ、という話で。
恋愛小説や詩集を義姉さんに何冊か貸してもらったりもしたけど、どうもピンとこなかったし。
「……アン様にとって、恋ってなんですか? 男女間の愛でもいいんですが……」
「えっ?う、うーん」
そんなことを考えつつ尋ねてみると、アン様は困惑しながらもしっかり答えてくれた。
「……陛下といるとね、幸せな気持ちになるの。木漏れ日の森で微睡んでいる時みたいに、暖かくて、ふわふわして……。この時間のために頑張ろうとか、もっと一緒にいたいと思うの。この気持ちが私にとっての恋で……愛、なんだと思うわ」
やだ恥ずかしいわ、と頬を染めるアン様。可愛い。
「セラ様は?」
「生きる意味そのもの」
即答だった。
「水や食べ物のように、なくてはならないもの。失っては生きていけない人。あの人の全てをわたくしで埋め尽くしたい……」
紫の瞳を狂気に染めて、口元だけは笑顔でそう宣うセラ様。正直、こういう系が怖いんだよなあ……。
思わず笑みが引き攣ると、ぺし、とセラ様の頭に手刀を落とすアン様。それを横目で見たミーネ様は、私と目を合わせて言った。
「…私は恋をしたことがないので、力になれそうにないが……代わりに、これをやろう」
「……? あの、これは……?」
渡されたのは、一冊の本。首を傾げると、こくりとひとつ、頷く。
「…私の父と母の話を元にした、恋愛小説だ」
その瞬間、ものすごい勢いで振り返る将軍閣下。
「…二十年以上経った今もなお、劇や小説で謳われるほどの大恋愛をした人たちの話だ。参考になると思う」
「え、あの」
「…母は既に亡いが、父は見ての通り健在だ。分からないところがあれば本人に聞くことも……」
「ミーネ、ミーネ」
鬼気迫る空気を醸しながら、早足でこちらに近づいてくるシュゼイン公爵。呼ばれたミーネ様は、きょとんとした様子でそれに応じる。
「…?…はい、父上」
「何故持ち歩いている」
「…布教用です」
布 教 用。
目が点になっている私を尻目に、こころもち誇らしげに続ける。
「…ご安心ください。母上の教え通り、きちんと読む用と保管用もあります」
「イシュ……!!」
奥方の愛称を呼びながら、額を手で押さえてうめくシュゼイン公爵。申し訳ありません、盛大に飛び火させてしまいました。
そんなお二人のやりとりを完全に無視して盛り上がる、セラ様とアン様。
「お二人のお話を元にした恋愛小説はたくさんありますけど、これは一番事実に近いものですの。さすがミーネ様ですの!」
「まあ、面白そう! ねえヘレン、読み終わったら、私に貸して?」
「…殿下も、よろしければどうぞ」
「ミーネ……ッ!」
さっと二冊目を取り出すミーネ様。
「何冊持ち歩いている……!?」
「…五冊です。…帰宅次第、補充します」
「……………お前という子は………本当に、イシュターリアそっくりに育ちおって…………」
ふっと怒りが抜け落ちて、遠い目をするシュゼイン公爵。……もしかしてシュゼイン公爵夫人って、かなり愉快な御仁でした?
今度、ミーネ様に詳しく聞いてみよう。
生地を寝かせ終え、皆様が型抜きに入った隙に、コソッとシュゼイン公爵に話しかける。
「あの、先ほどは申し訳ありませんでした……。本は、お返しした方が……?」
「…別に良い。…探せば普通に売っているものだ」
ミーネ様そっくりの仕草でこめかみを指先でなぞりながら、はあーと深いため息を吐く閣下。
「…それに、イシュは書籍化を喜んでいたからな……まったく……」
「……閣下は、奥様のどこがどうお好きでしたか?」
そう尋ねると、閣下は一瞬怪訝そうにこちらを見たものの、すぐに視線を前に戻した。
「……………明るく、よく笑うところ」
視線の先にいたのは、真剣な顔で型抜きをするミーネ様。静かに続ける。
「…なんでも、楽しそうに話す人だった。…彼女の言葉を、表情を思い出すだけで、世界は美しいと、そう、思える」
「…今も、昔も、これからもずっと、愛している」
「……そうですか」
すると、シュゼイン公爵はわざとらしいくらい大きく手を振った。
「……ガラでないことを言ったな、忘れろ」
……もしかして、照れてらっしゃる? なんか可愛い。
ちょっと小説読むの楽しみ、かも。
焼き上がったクッキーを、持ち寄った綺麗な包み紙に包み、リボン・レースで結ぶ。ニコニコご機嫌のセラ様。
「ダーリンにプレゼントしますの〜」
「陛下とのお茶会の時に渡すわ」
「ミーネ様はどなたに差し上げるんですか?」
「…父上に。今日の礼にちょうど良いと思って……」
だから将軍閣下、さっきからちょっとそわそわしてるのか……。本当に仲良いな、この父娘。どこぞのダメ父にも見習わせたい。
ふと、セラ様が顔を上げた。
「ヘレン姉様は、ユラン兄様には渡しませんの?」
「え」
……思わず固まった。
「多分、飛び上がって喜びますの」
「い、いやでも」
ユラン様は、筆頭侯爵家の御令息だ。贈り物にせよ普段の食事にせよ、クッキーなんて腐るほど召し上がっているのではないだろうか。それこそ、プロが作った高級品を。
戸惑っていると、アン様が助け舟を出してくれた。
「とりあえず包んだら? 宰相は置いておくとしても、兄君や義姉上には渡すでしょう?」
「あ、そうですね」
それはその通りだ。兄さんたちは私の作ったクッキーが好きだし、きっと喜ぶ。
ほっとして、形の良いものをせっせと集める。
……と、言いつつ、結局三袋包んでしまった。リボンが可愛いから、つい……。
この一袋、どうしよ……。
フリード「……ユラン……さっきシュゼイン公爵の部下が持ってきたそれ、何………?」
ユラン「愚妹が生成した、第五級呪物です。なに、蠢くのとうめく以外、何もできないので、お気になさらず」
ミルドラン「今の発言のどこに、安心できる要素があったよ?」
お読みいただき、ありがとうございました。