4. 宰相様の襲来①
夜が明けた。
のっそりベッドから起き上がった私は、ふあ、と大きな欠伸をした。
(……色々考えることが多くて、全然眠れなかった……)
あの後、無事家まで辿り着いた私は、兄さんに簡単に事情を説明した手紙を出した。多分今頃は、手紙を読んで激怒している。
兄さんと父の仲は、控えめに言ってもよろしくない。帰ったらすぐに、父を当主の座から引きずり下ろしにかかるだろう。
そこまで考えて、ふと、笑いが漏れた。
(……いや、私と兄さん夫婦以外、相性の良い組み合わせは、我が家にないわね)
本当に、壊れている。
部屋で朝食を摂った後、ふと考える。
(私も、自分のために行動しないと)
何度も言うように、私は仕官するつもりだったので、結婚する気はハナからない。その方針を変えるつもりも、ない。
(仕事、探そう)
とはいえ、学園時代の友人たちから、時々通訳や翻訳の仕事を頼まれているので、急ぐ必要はない。焦らず探そう。そういえば、「専属にならないか」と誘われたことが何度かあったけど、まだ有効かな? 落ち着いたら聞いてみよう。
さすがにここまで醜聞晒したら、仕官は無理だし……。
ボフン、とベッドに倒れ込む。
「……外務官、なりたかったなあ……」
兄さん夫婦以外の家族から要らないもの扱いされる私でも、国の役に立てると示したかった。
兄さんみたいに能力を活かして、バリバリ仕事して。「鉱国にクォルナ兄妹あり」と……。
じり、と目頭が熱くなる。
「あーっ、もう、考えるのやめ!! 謝罪の手紙書こう!」
がばりと起き上がると、扉の方からノックの音がした。入室の許可を出すと、私の侍女のセリナがひょいと顔を見せる。
「お嬢様〜、お父上がお呼びですけど、どうしますー?」
「は?」
……うっかり低い声が出てしまった。あの人、二日酔いのはずなのに、なんで今日に限って起きてきているの?
ものすごくイラッとする。
「忙しいから無理って言っておいて」
「私もそうだろうな〜って思ったんですけど……なんか、急ぎみたいですよ?」」
「?…………分かったわ、今行く」
「お呼びでしょうか」
入室すると、父はいつものように両腕に侍女をくっつけて執務机についていた。額を押さえて呻く。
「静かに入ってこないか……あ、頭に響く……」
「自業自得です」
やっぱり二日酔いの真っ最中だ。辛辣に言い返す。酒量の管理くらい、自分ですれば良いのに。
「で?何の御用です?」
「ン?ああ……」
淡々と問いかけると、父は衝撃の事実を告げた。
「宰相閣下から先触れがあったんだ。九の刻にいらっしゃるから、準備しておけ。いいな」
「何ですって!?」
ザッ、と血の気が引いた。
(あと半刻じゃない! なんでそんなギリギリに……!)
準備しておけと言うなら、そのくっつけてる侍女二人にも手伝わせてくれたら良いのに!
とにかく、今はお迎えの準備だ。慌てて振り返る。
「セリナ!今から指示すること、メモして!」
「はっ、はい!」
パパッとメモ帳を出すセリナ。
「部屋を整えて、一番良い部屋よ」
「はいっ!」
「お茶はペリオン・ブルーの初摘み、茶器はパルフェ・ソーン……いや、いらっしゃるのが宰相閣下なら、ロイヤルアロイジアね。クロスの色は淡いパープル!」
「はいぃっ!!」
「だ、だから、静かに……」
何もする気のない父を全力で無視して、指示を続ける。
「……うん、そんな感じね」
「はひ……」
必死で頭を回していたら、気がついた時にはすごい量の作業を頼んでしまっていた。ごめん、分担します。
すると、小声で復唱していたセリナが、はっと顔を上げた。
「お嬢様、お茶菓子はどうしましょうっ?」
「棚のクッキー……じゃダメね」
宰相閣下に、素人の手作りお菓子は無い。
さっとスカートの裾を持ち上げる。
「ひとっ走りして、そこの角のお菓子屋さんで買ってくるわ」
「は……」
セリナの声が途中で止まった。
「……いやいやいや!? 待ってください、まさかお一人で行く気ですか!?」
「時間がないのよ」
家のことをセリナ一人に任せるのは心苦しいけど、私じゃ部屋の準備はできない。
「できるだけ急いで帰るから、お願いね!」
「ちょっ、お待ちくださいお嬢様!! せめて護衛代わりにジェフを……えっ、速!? 待って! お嬢様、待って!!」
セリナも頑張ってくれたけど、結局私の準備も含めて、一刻かかってしまった。
急いで応接室へ向かうと、宰相閣下は窓際に立って、庭を眺めていた。
「お待たせして申し訳ありません」
その呼びかけに、つ、と振り返る。
吸い込まれるような魅惑的なヴァイオレットの瞳。腰まで伸ばしたサンドベージュの髪が、日差しを受けて金に輝く。
額には、鮮やかなエメラルドグリーンの第三の瞳。長いまつ毛が瞳に影を落とし、その神秘性を強めている。
中性的な美貌に、いかにも高位貴族らしい優美な佇まい。
(自然光だと、本当に絵の中の人みたい……)
そんなことを思っていると、宰相閣下はご令嬢の二、三人は殺せそうな美しい笑みを浮かべた。
「お気になさらず。急な訪問で申し訳ありません」
その笑顔のままこちらに歩み寄ると、私の手を取り指先にキスを落とす。
「またお会いできて光栄です、クォルナ伯爵令嬢」
「こちらこそ。昨夜は、素敵なエスコートをありがとうございました、閣下」
無難に返事をしつつ、微笑み返す。マナーに従って、挨拶の役目を終えた手を、そっと引き抜こうとする……が、抜けない。
「……?」
今度は少しだけ腰も使って、引っ張ってみる。抜けない。結構しっかり握られている。
宰相閣下の様子を伺うと、相変わらずにこにこ笑ったまま。
どういうこと?
困惑していると、宰相閣下はその薄い唇を開いた。
「不躾ですが、早速用件に入らせていただきます。
クォルナ伯爵が第二子、ヘレン・サシャ・クォルナ第一令嬢」
「はいっ?」
よっぽど厳正な場でしか使われない、最も正式な呼び方だ。自然と背筋が伸びる。
そして私の手を取ったまま足元に跪き、よく通る澄んだ声でこう言った。
「ガラク侯爵が第一子、ユラン・ジス・ガラク第一令息が求婚します。どうか、私と婚約していただけないでしょうか?」
……。
………。
…………。
……今、何吐かした、この御仁?
お読みいただき、ありがとうございました。