3. エスコート
「な……っ」
「本当にな……」
父が言葉を失うと、人垣の中から地を這うような声がした。
「カイラム伯爵」
「伯爵!」
途端、嬉しそうにする父。
「いやあ申し訳ない、すぐに退出させますので。おい!さっさと出ていかないか!」
父が私を怒鳴りつけると、カイラム伯爵は怒りか動揺か声を震わせた。
「……本気で言っているのか? このような公の場で騒ぎ、あまつさえその咎を擦りつけるなどと……!」
私は無言で歩み寄り、品位を損なわないギリギリまで深く礼をした。
「お騒がせして、申し訳ありません」
すると頭上から、はっと息を呑む音がした。
「顔を上げてくれ。経緯は聞いている、君に責を問おうとは思っていない。大変だったね……」
「え? カイラム伯爵……?」
お言葉に甘えて顔を上げると、申し訳なさそうにこちらを見つめるカイラム伯爵と、呆然と伯爵を見る父。
私はお目溢しもらえたらしい。ほっとして微笑む。
「温かいお言葉を、ありがとうございます。父の言動には慣れておりますので、お気になさらないでください」
そう、私は今日突然キレた訳じゃない。ずっと、ずーっと言ってきたのだ。公衆の面前でキレたのが、今日初めてというだけで。
哀れみのこもった眼差しで私を見るカイラム伯爵。そう思うなら、父の分の招待状は送らないでほしかったです……。
ともあれ、チラリと背後を見やる。
「それで……大変申し訳ありませんが、本日は帰宅させていただいてもよろしいでしょうか? 父はこんな状態ですし、これ以上ご迷惑をおかけするわけには……」
「そうだな……貴殿も疲れただろう。ゆっくり休むと良い」
「ありがとうございます」
私の礼に鷹揚に頷くと、今度は心底嫌そうに父を見やる。
「クォルナ伯爵には、しばらく休憩室で休んでから、お帰りいただこう。馬車で体調が悪化して、吐いてしまっては大変だ」
「いえ私は」
「お連れしろ」
そう言うと、カイラム伯爵についてきていた使用人たちが、父を羽交締めにして会場の外へ引きずって行く。酔っ払いの対応にも慣れてるんだ……さすが名門伯爵家の使用人。
「おっ、おい、何をする!? 私は伯爵だぞ!?」
「……早く連れていけ」
何から何まで、本当に申し訳ありません……。
謝罪したのち、速やかに退場した私は、廊下を歩きながら、頭をフル回転させる。
(兄さんたちが帰ってくるのは、明日の夜だったわね)
我が国……アロイジア鉱国では、三ヶ月前に大事件が起きた。
第一王子が長年王位を争っていた第三王子を殺害し、父王に殺されたのだ。
父王はそのまま乱心、二十年以上続く勢力争いの旗頭だった王子は、三人から一人に。ゴタゴタの末、唯一残った王子殿下が即位したのは、つい先日のことだ。
それに伴い、大規模な人事異動が発生。義姉さんを連れて同盟国に行っていた兄さんも、帰国し王城に勤務することになった。
(帰宅を待たずに、すぐにでも報告すべきね。あとお父様に絡まれていた方とカイラム伯爵へのお詫びの手紙と、謝罪の日程調整……)
そこまで考えて……足を止めた。
ぽとりと、言葉がこぼれ落ちる。
「……頭でっかちで、可愛げのない娘で……悪かったわね……!」
ずっと言われてきた。「小賢しい」とか、「生意気」とか。「地味女」とか、「そばかすのブス」とか、他にも色々。
あの人には元々なんの期待もしていないし、私なりに色々考えて、行動してきた結果だ。後悔はない。
でも、いくら何でもこの仕打ちは、酷くないか。
湧き上がる暗い気持ちを振り払うように頭を振り、うつむきかけた顔をぐっと持ち上げる。
(……やめよう)
やらなきゃいけないことはまだ、たくさんあるのだから。
足を再び前に出した、その時。
「クォルナ伯爵令嬢!」
背後から、聞き覚えのない声で呼び止められた。不思議に思い、振り返る。
そこにいたのは、一人の男性。
金に近い砂色の艶やかな髪に、真珠のように輝く真っ白な肌。すっと通った鼻筋。中性的な美貌。
アメシストのような紫色の両目に、額には神秘的な第三の目。三つの目すべてが、長いまつ毛で縁取られていて。
絵画でしかお目にかかったのことのない美青年が、こちらに駆け寄ってくる。
それだけでも十分衝撃的なのに、この方……ただの美青年じゃない!!
「宰相閣下!?」
なんでここにいるの!? 社交界には滅多に出てこないはずでは!?
慌てて呼びかけに応じる。
「こ、ここにおります! いかがなさいましたか?」
追いついた若き宰相閣下は、軽く髪と服装を整えると、優雅な仕草で肘を突き出した。
「お疲れでしょう。馬車止めまでお送りします」
その言葉に、一瞬固まった。差し出された肘と麗しのお顔を、何度か見比べる。
(……まさか、エスコートされろと!?)
身分・美貌共に国で十指に入る御仁に!?
「お断り申し上げます」
即刻全力拒否を示すも、笑顔のままずい、と肘を近づける。
「ご遠慮なさらず」
遠慮じゃないです、バレたら多方面から来るであろう嫉妬と面倒ごとの嵐が嫌なんです。
しかし宰相閣下は、袖で口元を隠し、ころころ笑いながら嘯いた。
「ここしばらく社交をしてこなかったので、レディーをエスコートするチャンスを逃すまいと思いまして。フラれてしまったら、あまりに情けないでしょう? どうか、このささやかな矜持を守るのに、ご協力を」
その言葉と再度差し出された肘に、思わず笑みが引き攣る。こっ、断りづらい言い方を……!
……でも確かに、高貴な方自ら、わざわざ追いかけていただいたのだ。断る方が失礼かもしれない。
ぱっと見人目はないし、良い……かな?
そう思い直し、差し出された腕に、そっと手を添える。
「……では、お願いします」
「はい、お願いされました」
そうして、二人で歩き出したわけだが。
(……すごく歩きやすい)
私は、ちょっと感動していた。
父は、隣にパートナーがいても、歩幅の違いへの配慮とか、方向を変える時の気遣いとか、微塵もない。
自分の行きたい方向にさっさと行ってしまうし、こちらを見もしない。エスコートの後はいつも、「足を挫いてないか」「首は大丈夫だったか」と、周囲に心配される。多分引きずられているか、ぶん回されているように見えるんだと思う。首って。
その点、宰相閣下のエスコートは、ものすごく丁寧で、スムーズだった。
きちんと歩幅を合わせてくださるし、自然に気遣ってくれる。ヒールで小走りする必要も、急な方向転換で首と足首がグキッ!となる心配もない。
気品があるって、こういうことなのか……。
元々大した距離ではなかったので、馬車止めにはすぐに到着した。ちょっと残念に思いながら、腕を解く。
「送っていただき、ありがとうございます」
「どういたしまして」
さようなら、快適なエスコート……。
馬車に乗りこむと、扉が閉まる間際、見送りに残っていた宰相閣下が美しい顔で笑んだ。
「……貴方は、大変ご立派でしたよ。誇っていい」
「え?」
「それでは、また」
扉が、閉まった。
お読みいただき、ありがとうございました。