22. ある不運な二人組の話*
後半から、ヘレン目線に戻ります。
その日の夜。
寝静まったクォルナ伯爵邸。微かな足音共に、二つの人影が現れた。
前後を警戒しながら、サササッと廊下を移動する。
後ろを警戒しながら歩いていた小柄な方の男が、ふと振り返った。
「兄貴、今日の仕事は何です?」
「コロシだ。この家の娘の暗殺」
身を屈めて前を歩いていた年嵩の方の男が、振り返らず答えた。
廊下の端まで行き着いた年嵩の男は、小男に背後を警戒させたまま、曲がり角の先を慎重に確認する。
「依頼人にゃ惚れてる男がいてな。だがその男には、熱を上げてる女がいる。そいつを消してこいとのお達しだ」
「なにもこんな急じゃなくても」
「仕方ねえだろ。依頼人によれば、明日にも警備員が入るって話だ。やるなら今夜しかねえ」
不満そうに口を尖らせた小男を窘めつつ、合図を送って二人して角を曲がる。小男は首を傾げた。
「でも、アレじゃないっすか、シー……」
「バカ!不用意に名前言うんじゃねえ!!」
「す、すんません。えぇーと、じゃあー……あの家って確か、王家の恨み買ったとか聞きましたけど。女一人消しただけで、そんな上手いこと行きます?」
「バァーカ、行くわけねえだろ?」
呆れを隠さない声で、年嵩の男は小男の疑問を一刀両断した。
「誰がテメェの家や仕事場で騒ぐアバズレに惚れんだよ? 大体なあ、ンなバカ女じゃすぐボロが出らぁ」
恐らくは、依頼人よりも冷静で客観的な見解だった。そしてそれは正しい。
手すりに隠れるようにして階段を登りながら、心持ち低い声を出す。
「金だけいただいたら、すぐトンズラするぞ。なんのために、テメェに高飛びの準備させたと思ってやがる」
「さっすが兄貴! アッタマいい!」
「よせやい」
小男におだてられ、まんざらでもなさそうな年嵩の男。
二階に上がり、目的地近くまで進入していく。
「さあて、この辺りのはずだが……ん?」
『きゃわ』
愛らしい鳴き声と共に、暗闇から青白い光がふたつ、浮かび上がった。
目を凝らして、その持ち主の姿を認める。
「……ああ、『辺境伯家の黒犬』か。そういやあ、依頼人からの情報にあったな」
「辺境伯家の!?……って、なあんだ、子犬じゃないっすか」
一瞬驚くも、小さな子犬を見て嘲笑う小男。年嵩の男は鬱陶しそうに追い払う仕草をした。
「ホレ、あっち行きな。しっしっ」
『……』
「行けって!ウゼェな!!」
男が凄んだ瞬間、子犬の姿が闇に溶けるように揺らいだ。
現れたのは、廊下いっぱいの巨体。
「え?」
その姿は霧のように判然とせず、しかしどこか犬に近い。
息を呑む侵入者たちの眼前で、真っ赤な口から、真っ白な牙が剥き出しになった。
『……がるる』
◆ ◆ ◆ ◆
「んにゃ?」
明け方、扉のところで何か聞こえた気がして目が覚めた。
寝ぼけ眼をこすりながら、のっそり起き上がる。
「ん〜……何の音……?」
ベッドから降りようとすると、ぐんっと何かが服を引っ張った。
振り向くと、半目のエリオが眠そうにネグリジェの袖を咥えて弄んでいる。
その姿に、また瞼が重くなった。
「……そうね、わざわざネグリジェ姿で確かめに出る必要ないわ。鍵だけ確かめて……誰かが呼びに来るのを待ちましょう……」
『きゅうん』
確認した後、エリオと二度寝を決め込む。
再び目が覚めると、部屋の外が騒がしくなっていて、ノックとほぼ同時に扉が開け放たれた。
「ヘレン!入るよ!」
「……兄さん?」
のっそり起き上がると、強張った顔の兄さんが部屋に踏み込んできた。あくび混じりに、用件を聞く。
「ふぁあ……何?いくら兄妹とはいえ、年頃の娘の部屋に勝手に入るのは……」
「あなた退いて!ヘレンちゃん、大丈夫!?」
「義姉さん?」
義姉さんまで青い顔をしていて、さすがにただ事ではないと気がつく。
「大丈夫ですけど……え、何かありました?」
「……それなら良いのよ。ああ、よかった……!」
抱きすくめられ、きょとんとしていると、兄さんは小さな黒犬の所在を尋ねた。
「ヘレン、エリオはどこにいる?」
「エリオ?ここよ?」
いつも通り私の枕でおへそを晒し、すぴすぴと眠るエリオを指差す。可愛いエリオを見てなぜか引き攣った顔をする兄夫妻。
「そ、そう……」
「何にせよ無事で良かった……詳しいことは朝食の席で話すよ……とりあえず、着替えて降りておいで……」
兄さんが言うには、なんでも、夜中に侵入者があったらしい。
先ほど、紫色(?)の顔色でぶっ倒れていたのを発見されて通報されたのだが、その場所がなんと。
「私の部屋の前!?」
「ああ」
思わず腸詰肉を切る手が止まる。朝食のミルクを飲んでいたエリオが一瞬顔を上げたが、再びミルクに集中する。
「扉を開けた形跡はなかったけど、やっぱり心配でね」
「何ともなくて、良かったわ」
「……開けなくて良かった……」
「?」
今度から夜、廊下から不審な音がしても、絶対に開けない……!
固く誓っていると、セリナが食堂に顔を出した。
「お嬢様!ご歓談中、失礼します、お客様が……」
「ヘレン嬢!!」
「ユラン様!?」
悲鳴のような声と共に、ユラン様が食堂に飛び込んできた。慌てて立ち上がった私に、つかつかと歩み寄り、ぱっと両腕を掴む。
「ご無事ですか!?」
「え、ええ」
頷くと、ユラン様は安堵のため息を吐いた。
「良かった……!部下から、この家に衛兵が入って行ったのを見たと報告があったもので」
よく見ると、ユラン様はいつもより簡素な服で、髪もぼさぼさだ。かなり急いで来てくれたらしい。ごめんなさい、私、のんきに寝てました……。
私の背中に手を回し、ぎゅ、と抱きしめる。
「差し上げたテオのぬいぐるみの呪術が反応しなかったので、大事無いことは分かっていたのですが、心配で心配で」
「え」
思わず固まると、兄さんが悪鬼の形相で近づいてきた。
「おい、お前ちょっとこっち来い。今聞き捨てならんこと聞いたぞ」
「おはようございます、クォルナ伯爵。爽やかな朝ですね」
「恐怖の朝の間違いだ」
いつも通り優雅な笑みを浮かべるユラン様から、鬼気迫る顔の義姉さんが私をぺりっと剥がした。
あのぬいぐるみ、呪術付きなの?ハグとかキスとかしちゃったんだけど。
………可愛いし、捨てたくないなあ。
(よし、呪術の内容だけ確認して、問題なさそうならそのままにしよう)
うん、と頷いていると、ててっとエリオが駆け寄ってきた。
『きゃわっ』
「あらエリオ。ご飯終わったの?」
同意するようにぱたぱたと尻尾を振ったエリオは、私の周りを楽しそうに走り回る。
『きゃっわ、きゃっわ』
「ふふ、今日は機嫌良いのね? 後でボール投げしましょうね」
『きゃわあ!!』
キラキラした目をするエリオ。可愛いなあ。
野生種の成体は、準災害指定魔獣。
王城で大人しいのは、自分よりヤベェ奴の縄張りだと本能で理解しているため。王城騎士への認識は「なんか鉄臭いのいる」程度。
お読みいただき、ありがとうございました。