18. 王妃教育担当者として
「それでね、世界樹信仰とは別に聖樹信仰というものがあるのだけれど」
「聖樹信仰は世界樹信仰の一部分から発展したものと予想されるの。根拠としては、この二つは信仰の基幹的な部分に複数の類似点があって」
「先生、午後には家具の査定が来るんでしょ。その調子じゃ日ぃ暮れますよ」
引き継ぎのために会ったルクヴルール先生は、全然変わっていなかった。開口一番脱線し始めた先生から、どうにかアン様の学習状況を聞き出す。
鉱国語……詩から公用文書、古語までスラスラ読み書き可能。
教国語……東西南北全地方語完璧。
鉱国・教国の歴史の知識、高位貴族並み。文化についても、ちょっとした外交官程度の知識はある。
その他国交のある国の言語・歴史・文化も、おおよそ問題なし。
「……姫様と陛下がご婚約されたのって、何年前でしたっけ?」
「三、四年前?」
「私たちの担当科目が特別得意、というわけでは……?」
「無いわね。どの科目もおおよそ同じくらいの進行状況だったはずよ」
えーっと、普通王妃教育って、幼少期から始めて、成人前後に完成するものじゃなかったっけ?
超人かな??
「超人様……じゃなかった、姫様が習っていない箇所って、むしろどこですか? 私、教えることあります?」
「あるわよ。鉱国の歴史と文化について、もう少し枝葉をつけておいて」
そういうと、先生は数冊の本を机の上に重ねる。これをやっておけ、という意味らしい。
「あと、会話の練習ね。とっさの文章構築なんかは、やっぱり経験がものを言うから。それと必要に応じて、他の王妃教育の通訳もして差し上げて」
本当に座学はほぼ終わってるんだなあ……。
先生と話し合ってカリキュラムの原案を作成し終えると、ちょうどお昼の時間になった。家に帰って昼食を摂ったのち、王城に向かう。
ユラン様……この場合は宰相閣下ね。「本日午後、都合の良い時間に登城するように」との指示を受けているのだ。
(ついでに、原案提出しちゃお)
登城し、宰相室まで辿り着くと、政務官の方々が忙しそうに働いていた。
緊張感をひしひしと感じつつ、手近な方に声をかける。
「あの、お忙しいところ申し訳ありません。私、クォルナと申します、宰相閣下から……」
「ああ!良かった、来てくれて!」
なんとなくユラン様に似た灰色の髪の政務官様は、ぱっと笑顔になった。
「これ、お願いね!」
「えっ」
どさどさどさ!と、私の前に書類が積み上げられる。
「急で悪いけど、今はゴブリンの手も借りたい状態なんだ、任せたよ!」
「えっ、いえあの、私、お仕事のやり方とか何も習っていなくてですね!?」
咄嗟にそう伝えるも、「分かる範囲でやってくれれば良いから!」と言い残し、さっさと自分の仕事に戻ってしまった。た、大変そう……。
(よく見たら、机の数の割に人が少ない)
本当に忙しそうだ。
幸い、私でもどうにかなりそうな内容だったので、適当な机を借りて作業を開始する。
しばらく作業をしていると、唐突に耳元で名前を呼ばれた。
「ヘレン嬢」
「ひゃいっ!?」
甘い囁きに、バネのように顔を上げると、隣の席にユラン様が。
「失礼、驚かせてしまいましたね」
「い、いえ……」
ユラン様はくすくすと笑うと、ちらと私の手元を見た。
「……ヘレン嬢。その仕事は、一体誰に?」
「え?あの、あちらの……。……?」
あちらの方です、と言いかけたところで、思わず止まる。
「……あの、どうしてあの政務官様は、叱られてらっしゃるので……?」
何やらものすごく叱られている政務官様の横で、ユラン様に説明していただいたところ。
「人違いだったあ!?」
「ええ。恥ずかしいことに」
なんでも、現在進行形で遅刻中の臨時文官が、私と髪の色が同じで、歳の頃も近いらしい。それで最初に対応したあの政務官が、私をその人と間違え、仕事を渡してしまったのだとか。
ちなみにその女性文官の名前は、「コールナー」。
「そんな偶然あります?」
「私も耳を疑いましたが、事実でした」
ユラン様は深くため息を吐いた。
「とはいえ、外見的特徴は、共有してあったのですがねえ………。クォルナ教務官は茶髪に灰目、コールナー臨時政務官は茶髪に『水色の目』だと……」
その瞬間、問題の政務官がびくりと肩を跳ねさせた。
やらかした。それは、やらかした。
ユラン様を含む、私やコールナー女史の顔が分かる政務官が出払っていたのも運が悪かった。王家の馬車(はぐらかされたけど、外交関係っぽい)が事故に遭ったらしく、対応に駆り出されていたらしい。
途中、ユラン様が何度か人をやって私が来ていないか確認させたのだが、人違いしている状態ではどうにもならず。
今に至る、というわけだ。
「ヘレン嬢には大変ご迷惑をおかけしました」
「それは構いませんが……あの、これ、私が処理しちゃ不味い書類だったってことですよね!?」
すわ処罰ものかと戦々恐々としていると、ユラン様は首を横に振った。
「ヘレン嬢含む王城外の王妃教育担当者は、宰相室所属の高位文官扱いですから、問題ありません。最悪、書類を破棄して、他の者がやり直せば済む話です」
良かった!本当に良かった!!
「ありがとうございます、お手数をおかけします……」
「いえいえ。……ですが、破棄するにはもったいない出来ですね、このまま使えるよう処理しておきましょう」
その後、姫様のカリキュラムの原案を提出し、首を傾げる。
「……あの、結局私は、どうして呼ばれたのでしょう……?」
「こちらを渡そうと思いまして」
ユラン様が目配せすると、侍従の方がトレイを持ってきた。その中央に鎮座するものを見て、口を開く。
「……ブローチ、ですか?」
「ええ」
剣を抱えた竜の周囲に茨がデザインされた、黄金のブローチ。
磨き抜かれた表面に、私とユラン様の姿が映った。
「王城での貴方の身分を保証するもの……言うなれば、身分証です。仕事で登城する際は、必ず身につけてください」
「分かりました」
ユラン様がついとブローチをつまみ上げる。
「貴方は陛下が選び任命した、王妃教育担当者の一人、未来の王妃を教え導く立場です。貴方が侮られるということは、殿下、ひいては陛下が侮られるということ」
そう言いながら、ブローチを差し出した。
「これをつけるからには、その立場に恥じぬ行動を心がけるように」
「………はい」
神妙に頷き、受け取る。微笑むユラン様。
「……ちなみにですが、これがあれば、王城の各所施設も利用できますよ」
「ということは図書館も」
「もちろん利用できます」
やった!本読んでから帰ろう!!
いそいそとブローチを胸につけると、ふとユラン様が思い出したように付け加えた。
「それと、イワンから伝言です。『閉館半刻前には自分かアドルフが迎えに行くので、絶対に確実に間違いなく、間に合うように本を選べ』……だそうです」
信用がない。当たり前か……。
ユラン「ブローチを口実に、可愛いヘレン嬢に癒されたかっただけなのに……どうしてこうなったのか……」
宰相補佐「元凶じゃないですか」
副宰相「反省してください」
お読みいただき、ありがとうございました。