11. 二通の手紙①
「だあああ!!」
お茶会翌日。我が家の執務室。
「どうして契約書の箱に、娼館の請求書が入ってるんだ! あのクソ親父ぃぃぃ!!」
兄さんが書類の山の中で叫んでます。今日も平和です。
まあ、それは冗談として。
先日、領地送りになった父に替わって、クォルナ伯爵家を継いだ兄さん。今日は仕事の合間を縫って休暇を取り、執務室の整理整頓に当たっている。
……が、前当主の父のずぼらさに発狂寸前になっている。気持ちは分かる。
どうにか分類だけは済んだ書類を前に、ぐったりとした顔をする。
「ヘレンが手伝ってくれて、本当に助かったよ……。ルネはこういうの全く分からないから……」
「義姉さん、生粋の武人だからね……」
ルネ義姉さんは、武の名門・シュゼイン家に連なる由緒正しい武門出身だ。義姉さん自身優秀な武人で、兄さんの国外出張でも、妻兼護衛として同行した。
学園時代からの恋人である兄さんとの夫婦仲は良好。お邪魔虫の私にも優しい、素敵な人。
但し、座学は絶望的にできない。大丈夫か、伯爵夫人。
(しばらくは兄さんと私でフォローして……その間に叩き込むしかないなー)
そんなことを考えていると、兄さんがうんうんと頷いた。
「本当に助かるよ。ヘレンが継いでも良かったんじゃない?伯爵家」
「まあ実際、兄さんの帰りがあと一年遅くなるか、お父様が私の婚約を決めてきたら、簒奪するつもりだったわね」
サラッとそう答えると、兄さんは笑顔のままピシリと固まった。
「……本当にごめん」
そんなに青い顔しなくても、兄さんが帰ってきたら、返すつもりだったわよ?
すると、軽快なノックと共に、セリナが入ってきた。
「お嬢様〜! ガラク家からお手紙が届いてるんですが〜……ちょーっと、判断に困る感じでして……」
「え」
そう言って、セリナがそっと「それ」を机に置くと、兄さんが顔を引き攣らせた。
「何?そのやたら肥えた封筒。しかも六通?」
限界まで手紙が詰められてぱっつんぱっつんの封筒。よく見ると番号が振られている。
大長文だ。重ねると、ちょっとした辞書くらいあった。血の気が引く。
「わ、私、何かあちらのお邸で粗相でもしたかな……?」
「そんなことはないと思うけど……ヘレンが開けないなら、僕が開けちゃうよ?」
そう言うと、「1」と記された封筒をペーパーナイフで開ける兄さん。うわ、ぞろぞろ出てきた……。
「…………………………………………………………」
兄さんは六通分きっちり読み終えると、眉間を揉む。
そして無言で鍵付きの引き出しを開け、奥の方にユラン様の手紙の束をそっと押し込み……閉じた。
なんで??
「え、私に読ませられない内容? そんなに不味い!?」
「不味くはないけど………うん……まあ、そうだね……ある意味そうだね……」
どっちよ。
「ちょっと見せて」
「あっ、ちょっ」
まだ鍵をかけていなかった引き出しをスパーンと開け、手紙を奪取する。
一番上の封筒を開くと、こんな文章が目に飛び込んできた。
『次は問答無用で無礼打ちしてすぐ戻るから、許してほしい』
『既にシーバ家には父から厳重な抗議をしてもらった』
『個人的に呪った』
『宰相として政治的な制裁も検討中』
『ヘレン嬢が希望されるなら呪殺も』……。
ぱっと手から手紙が消えた。
取り上げた兄さんは、綺麗に感情の抜け落ちた笑顔。
「……何も、見なかった。いいね?」
「…………うん」
私は何も見なかった。うん。
「……要点だけ伝えるね。ええと……」
手紙の中身は、ものすごく丁寧な謝罪文だったらしい。
具体的には、途中退席の謝罪と、黒犬の子犬を見に行く話について。どうやら、あの後すぐに確認を入れたら、直近で訪問可能な日、ユラン様はお仕事だったとか。
その日を逃すと、しばらく向こうの予定が合わないそうだ。下手すると、子犬期が終わってしまうほどに。
なので、もしも私の都合が良いようだったら、兄さんとでも行ってほしい。連絡はこちらが入れておくから、とのこと。
「絶対伝えなきゃいけない内容はそんな感じかなあ」
「その内容で、何故あの枚数と文章に……?」
「さあ……?」
ちょっと怖……いや、忘れよう……。私は何も見なかった………。
そんな私の考えを見透かしたのか、兄さんは苦笑いした。
「でも、ユランも大変だったらしいよ」
「?」
お茶会を途中退席した後。ユラン様は門扉越しに子爵兄妹の対応をしたのだが、うっかり近づきすぎて、ご令嬢に腕を掴まれてしまったそうな。
侯爵家の騎士たちが引き剥がそうとしたものの、しっかり抱え込まれてしまって、全く剥がれない。あまりのしつこさに、ブチギレたユラン様が呪術で強引に振り払おうとしたのだが……。
「子爵たちが乗ってきた馬車の馬が呪術に驚いて暴れて、ひと騒ぎに……」
「馬、無事!?」
「馬含め全員無事だけど、人も心配してやって」
侯爵家の騎士は優秀だから、人は大丈夫だと思って……。
手紙を持ったまま、兄さんはがしがしと頭を掻いた。
「まあ……つ絡みで、判断力鈍ったんだろうなぁ……あんのバカ……」
「?」
「こっちの話」
とりあえず、ユラン様には、兄さんから注意してくれるとのこと。一瞬だけ、さすがにそれは……と思ったけど、「あれがまた届いたら怖いな……」という気持ちが勝った。素直に感謝しておく。
「ユラン様って、もしかして怒ると怖い?」
「まあ……そうだね。多分だけど、本気でキレたら一生根に持つタイプだよ」
一生……。
すると、兄さんがちらと手紙と一緒に送られてきたものを見やった。
「そうだ。そっちの箱は、お詫びの品だって。開けてごらん」
「分かったわ」
添えられた花はマリーゴールド、私の一番好きな花。ちょっとわくわくしながら、リボンのかかった箱を開ける。
箱の中身は、ぬいぐるみだった。抱きしめると良い感じで顔が埋もれる、黒犬テオそっくりのぬいぐるみ。
なめらかな手触りが、テオのあの素晴らしい触り心地を彷彿とさせる。首のリボンはシャンパンゴールドで、抱きしめると、ふんわり金木犀の香りがした。
「すっごい可愛い!」
「よかったね」
どこもかしこも私の好みだ! 嬉しくて嬉しくて、ついはしゃいでしまう。
ぬいぐるみを抱えたまま、ドアノブに手をかける。
「部屋にこの子置いてくるね! お返事も書かなくちゃ!」
「あ、ヘレン、その前に……」
半分部屋の外に出たところで、呼び止められた。
「当主の印章、知らない? 簡易版はあるから、正式なやつ」
「当主交代の書類を作る時、ヘレンが持ってきてたよね? どこにしまってあるの?」
「あ、ごめん。私の部屋の引き出しだわ。ついでに取ってくる」
「……ヘレン? それ、もうほとんど乗っ取り完了してない? ねえ」
父がしょっちゅう失くすから小言を言ったら、「じゃあお前が持ってろ」って投げつけられたのよ。
これに関しては、私のせいじゃない。
お読みいただき、ありがとうございました。