10. ガラクの結婚事情
とっさに立ち上がりカーテシーをすると、どことなくパステルカラーを連想させる愛らしい声が響いた。
「お楽しみのところ、失礼いたしますの。楽になさって?」
促され、顔を上げると、ユラン様によく似た、やはり三つ目の美少女がそこにいた。
「ご機嫌よう。貴方が、クォルナ伯爵令嬢?」
「……は。次期アメシスト侯爵におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
ガラク侯爵の子は三人。
長子にして長兄、ユラン様。
この場にいない次兄、シグルズ様。
そして、末っ子で唯一の女児、セラ様だ。緊張しつつ礼をすると、ころころと笑う。
「呼びづらいでしょう? セラとお呼びくださいな」
「……光栄です、セラ様。私のこともどうぞ、ヘレンとお呼びください」
「ありがとうございますの、ヘレン姉様〜」
しれっと衝撃発言ぶち込んでくるな、この方。別にいいけど。姉ではないです……。
(この感じ、先週も見たなあ……)
唐突に求婚してきた、目の前の御仁とか……。
思わず遠い目をしていると、ユラン様が苛立たしげに吐き捨てた。
「セラ、用がないなら放っておいてくれないか。せっかくデートの予定を取り付けられたところだったのに」
(デート!?)
一瞬困惑したが、男性が求婚中の女性を誘って出かけるのだから、確かにデートかもしれない。目的は子犬だけど。
すると、セラ様の瞳からす……と光が消えた。
「ご用はございますの。シーバ子爵と妹君が押しかけてきましたの」
「……へえ」
ユラン様の瞳からも、光が消えた。
「予定もなく、先触れもなく、お兄様と話をさせて欲しいとまあうるさくて。お父様が不在の今、屋敷の責任者はお兄様でしょう? お兄様を訪ねてきたのですし、お兄様、どうにかしてくださいませ?」
二人とも、顔は笑っているのに目の奥が全く笑っていない。セラ様は限りなく「無」で、ユラン様は……。
「……あんの無礼者どもめ……恥に恥を上塗りするか」
はい、大激怒です。めちゃくちゃ怖い。
ユラン様の澄んだよく通る美声が、地を這うレベルで不機嫌一色に染まった。……うっかりでもケンカする気にすらなれないお声です。めちゃくちゃ怖いです。
「良いでしょう、良いでしょう、身の程を思い知らせましょう。ヘレン嬢、申し訳ありませんが、少しの間席を外します」
「ハイ」
静かに怒り狂ってテラスを出ていくユラン様。見送ったのち、紅茶を一口飲む。
(それにしても……シーバかあ………)
確かその家は、先日ご令嬢が盛大にやらかして、降爵したばかりだったはず。本人はとっくに勘当されたはずだから、今来ているのは、新当主の長男と下の妹かな?
必死なんだろうなあ……。
(……うん、長くなりそう!)
帰ってくるかな、ユラン様……なんて考えていると、先ほどまでユラン様が座っていた席に、当然の如く腰掛けるセラ様。
「では、お兄様の代わりに、わたくしがお話し相手をお務めしますの〜」
どうしてそうなる。
いや、格下とはいえ、客人を放っておけないと考えれば、普通の対応なんだけども。
カップ越しに、そっとその姿を伺う。
セラ・アスト・ガラク。
デビュタント以降、社交界の話題をあっという間に掻っ攫い、男女問わず虜にしてきた美姫。
(近くで見ると、ますますお姫様だぁ……)
ユラン様と同じ、金に近い砂色の髪とアメシストの瞳。でもユラン様より女性的な顔立ちは、まるでよくできた人形のよう。
顔はびっくりするほど小さいし、肌は真っ白できめ細やかだし……。ユラン様だけでもいっぱいいっぱいなのに、こんな本物のお姫様相手に、何を話せと………?
若干途方に暮れていると、セラ様はにこりと微笑んだ。
「お兄様が異性を邸に招くなんて、喜ばしいですの、わたくし歓迎しますの」
「はあ……」
つい気のない返事をすると、セラ様は心底楽しそうにこちらを見た。
「ガラク家は、代々恋愛結婚ですの、ええ、一人の例外なく」
そう話し始めたセラ様曰く。
「侯爵であるお父様は、若い頃、侯爵家お抱えの商会の娘で、売り込みにいらしていたお母様に一目惚れしましたの。そして数年かけて外堀を埋め、お母様の抵抗心をへし折って結婚まで持ち込みましたの」
へし折ってって……。
「もう一人の兄は、宰相室の研修中に、視察先の総領娘にやはり一目惚れして猛アタック……。以降、こちらに一度も顔を出すことなく帰らぬ人に……」
「婿入りしたんですよね!?」
「一男二女の幸せパパですの」
ころころ笑うセラ様。
「そして、このわたくし。父や兄の代わりに領地を治めている時に、文官の一人に一目惚れしましたの! それが今の夫ですわ」
「な、なるほど……」
確かに、一人残らず恋愛結婚だ。しかも、ガラク家側の一目惚れ。惚れっぽい一族なのかしら……?
にしても、王家に連なる高位貴族が、恋愛結婚か……。
でも、そうね。今のガラク侯爵家にとって、政略結婚するほどの価値のある家、無いわ。
ガラク家は有能な一族。「あれっ?宰相って世襲制だったっけ?」となるレベルで、政治の中枢を占めている。ちなみに実力制である。
王家の信頼厚く、領地は農業が主産業の、南西部の豊かな土地。
先代侯爵は王姉殿下を娶り、その二代前は王弟殿下が婿入り。今代は国王陛下の父親代わり、その姉は隣国の皇妃。そして次代は王の腹心。
才能、財産、地位、名誉、血筋……。
無いものはそれこそ、「そのどれとも弊害を起こさない嫁」くらいだ。
「ユランお兄様、早く結婚して下さらないかしら……そう思いません?」
じっ……と期待に満ちた目をこちらに向けるセラ様。な、何でしょう……?
「わたくしはお祖母様からアメシスト侯爵位をいただく予定ですし、シグルズお兄様はミンゼ子爵の夫。残るはユランお兄様のみですの、未婚も、侯爵家を継げるのも」
「そうですね」
「なのに、社交嫌いのせいでまだ婚約者すらいないなんて! わたくしたちはお兄様の選んだ方なら、誰だって祝福しますのに!」
ぷんすこ怒る姿に、ようやく気がついた。
(あ、なるほど。ご家族……少なくともセラ様は、ユラン様にさっさと適当な娘とくっついてもらって、侯爵家の相続問題が片付くことをお望みなのか)
でも、代々恋愛結婚である以上、文句も言いづらい。で、やきもきしてたら、やっと良い感じに都合のいい娘……要するに私を連れてきた、と。
微かな緊張感を漂わせ、にこ、と笑う。
「おおよその内部事情は察していただけました?」
「ハイ」
「兄はともかく私に逃す気はないぞ」と。大変よく分かりましたとも。
(これ、ユラン様はどうするつもりなんだろう……?)
ひっそり外堀埋められてません? このままだと、私と結婚させられちゃいますよ?
その後も、言質を取ろうとするセラ様をどうにか躱しながらユラン様を待ったものの。
結局、ユラン様は帰って来ず、帰宅時間になったのだった……。
お読みいただき、ありがとうございました。