表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

見知らぬ人に電車で肩を貸すと彼女になる。

作者: 午後十時

『まもなく、電車が発車します。閉まるドアにご注意ください…』


機械的なアナウンスをぼんやりと聞きながら、閉じていくドアを見つめた。


社会人になって二年目。仕事にも慣れはじめ、電車での通勤も慣れつつある。


俺が乗る駅は電車の始発で、人は比較的まばらだ。座席の半分程度が埋まる、といったところか。


会社まで電車で40分。そこから徒歩で10分と少し遠いが、必ず座れるメリットがあるため、苦にはならない。


電車の二両目だと、改札口まで近くて良い。

通勤を繰り返していくうちに、最も効率の良い乗車場所を見つけてからは、おおよそ同じような定位置に座るようになった。


電車が動き始めたのを身体で感じたところで、スマホを取り出す。


揺られながら40分。ニュースを読みながら仕事モードへと徐々に切り替える。オンオフのスイッチのいい切替だ。


(企業の不祥事…経済情勢…社説…)


適当にスマホでニュースを斜め読みすると、5分程度で一駅目に到着する。


この辺りから8割程度は座席が埋まり、人が隣に座ってくる。

薄いビジネスバッグを自分の膝におきながら(必要なものは会社に全て置いてある。鞄はほぼポーズのようなものだ)ゆったりとスマホを見ていると、隣に誰かが座る気配を感じた。


おそらく女性な気がする。チラリと視野には入ったが、特に気にせずニュースを読み進める。


(コラム:セクハラの基準は?か…あまり女の人との距離感を気にしたことなかったけど、今はいろんな人がいるって言うからな)


始発駅から二駅目を出ようとするあたりで、肩に違和感を感じた。

席が平行になっているので、隣の人と肩が触れることはあるが…


(寝てるのか)


触れるどころでは無く、重さを感じるレベルなので、隣をチラリ見てみる。


顔はあまり見えないが、ショートボブの栗色の髪の女の子が俯きながら身体をこちらにもたげている。


うつらうつらとしている人に肩を乗せられることはたまにあったが、そこそこな負荷を感じるレベルだ。


(疲れているのか、あるいは朝早いから眠たいのか。どこかで起きるだろうし、放っておこう)


これこそ、セクハラにはならないよな、と刹那考えたが、俺からくっついていないのは明らかだし、大丈夫だろう。


こういうこともある。俺はこのときは何も気にしていなかった。



ー結局、彼女は、俺の降りる駅まで肩を預けてきていた。





翌日。いつも通りの朝に、いつも通りの時間に来る電車に、いつも通りの席でスマホを開く。


座った時に、ふと思い出した。


(そういや、昨日の子は無事に降りれたのだろうか)


俺が降りる駅で席を立ったときに、彼女が起き上がる気配を感じた。


混み合っていたのでその子を見るために振り返ることもなく、改札を出たのだけれど。それからすっかり気にしていなかった。


(あの人痴漢です!なんて後日言われたりしないよな…)


特に何もしていない自信しかないが、相手が不快に思ったらセクハラです!なんて記事を読んだ後だとちょっと怖くなる。


(次会うことはないだろうし、現行犯でもないんだから気にすることもないか)


そんなことを考えながらスマホを触っていると、一駅目に到着する。


ドアが空いた時に無意識に目線をやる。

そこには昨日いた女の子がーー


いるわけではなかった。おじさんが一人とOLらしき女性が一人見えた。


(定位置から乗る人ではなかったみたいだ。訴訟は無さそうだぜ)


どうでもいい心配が解決したところで、スマホに目を落としたのだが。


スマホを握る右手のすぐ隣に人が座る気配がする。見たドアとは逆の方向だ。


(…まさか?)


横目で一瞬だけチラリと人の座った方向を見る。


(…これ、人生終わったかもしれん)


昨日、肩を密着してきた女の子が昨日とは逆の席に鎮座されていた。




目線をスマホに合わせている振りで、視野の右側に神経を集中させる。


顔をしっかり見ているわけではないが、雰囲気からかなりの美少女であることは伺える。逆の正面に座った男の子が少し見惚れるくらいには。


白い制服を着ているので、学生のようだ。顔の位置的には正面を今は見ているのだろう。


(声をかけられてあなたを訴えます、なんて言われたらどうしよう。最高裁まで争う姿勢を見せるしかないのか)


痴漢で最高裁に掛けられるかは知らないが、無実を証明するために潔白な態度でいねば、と謎の決意をする。


ひとまずは知らない振りをしてやり過ごそう。

俺はスマホの閲覧に全力を捧げることにした。



ー5分後、二つ目の駅に到着する。


(ダメだ。情状酌量を求めるしかない)


俺は、昨日とは反対側の俺の肩に身体を預けて眠りはじめた少女を見ずに、感情のない車内の蛍光灯を仰ぎ見た。




『まもなく、電車が発車します。閉まるドアにご注意ください…』


いつも通りの朝。いつも通りの電車。


いつもと違うのは、座る位置。俺は普段の位置とは違う、角の席に座った。


(自意識過剰とは思うけど)


昨日も結局俺が立ち上がるまで、彼女は眠り続けていた。

なんなら、一昨日のときよりもさらに密着してきていたので、更に眠りが深かったのかもしれない。


逃げるように(というか逃げた)電車を降りたので、彼女が起きたのかは分からないけど、手を掴まれて人生が終了とならなかったことに感謝をしたい。


普段、角に座ると立っている人のリュックが座席を越えて押されることもあり、避けていたのだけど、セクハラ事案に怯えるよりかはマシだろう。



そもそも、彼女が隣に座ってくるなんてことはないだろうし。そんなことを考えながら、俺はスマホを取り出し、日課を始めた。



始発から一駅目のドアが開く。この2日のことがあるのでうっすらと意識してしまう。


元々の定位置から見えるドアから、白い制服が見えた。彼女だ。


チラ見ではあるが、横ではない彼女を初めて見る。ショートボブのウェーブが掛かった髪型がよく似合う、凄く可愛らしい女の子だった。


その子をそれ以上見ることなく、自分は背景であることに徹する。静かに。まるで街路樹かのように。静かに。角の手すり近くにスマホを動かし、何も見ていないように位置をずれて、扉が閉まるのを待つ。


『まもなく、電車が発車します。閉まるドアにご注意ください…』


機械的なアナウンスが流れて、ドアが閉まる音がする。


俺は正面に向き直ることなく、少しだけ傾けた身体と、スマホに意識を全て向ける。


頼む、もうおじさんが隣に座ってくれ…!




俺の祈りもむなしく、2分後には、身体を傾けた影響か、俺の脇近くにまで密着しながら眠る彼女がいた。


俺は自分から触れないよう、左半身が動かなくなる30分を過ごす羽目になった。




「はぁ…」

思わず、職場でため息をつく。


あの後は例の如く、彼女は俺が降りるまで眠り続けていた。

傾けた身体をもどすと、確実に俺の腕が胸に当たる位置まで密着されていた。

よくよく考えて身体傾けすぎだろ。隣に俺いなかったらシートに倒れとるやん。


向かいに座ったおじさんからは羨望の目で見られていたが、こちとら通報されたら逮捕確定だ。女の子の柔らかさよりも背中の冷や汗の方が感じていた。


今回は立ち上がった時に振り返ったのだけど、彼女はさも、最初からきちんと座っていたかのように着座していた。


特に通報される雰囲気もなかったので、一安心ではあったけども。



「うぃー、どした。なんかわからんことあった?」


気風の良い声で、先輩が話しかけてくる。


「前にお願いした資料でなんかあった?」


「いえ、それは先ほど終わったので共有フォルダに入れました。後で更新内容記載してメンションするので見てみてください」


「はやいね!ありがとー!」「んじゃ、何か別の件?」


「いえ、たいしたことではないんですけども」


俺は、先輩に話したことすらない年下の女の子が三日連続で座られて、密着された話をする。


「同じ女性としては、警戒心がカケラもないとは思うけど、結構レアな話ね」


「ですよね。自分としてはいつ痴漢で通報されないか恐怖でしかないです」

「違いない」

そういって先輩はカラカラと笑う。


「意図的じゃない可能性ももちろんあるだろうしさ、一回試してみたらどう?」


「試す…ですか?」


「簡単なことよ。いつも乗る車両を変えるか、時間を変える。それでもついてくるようなら意図的なんじゃない?」


「なるほど。確かにそれを試せば意図的かどうかは分かりますね」


「乗る時間を変えても乗ってきたら通報する立場に変わりそうだけどね」


「全く知らない人にGPS仕込まれてる可能性ありますね…」


そんな軽口を先輩とかわしながら考える。

確かに、この偶然が意図的かどうかは確認した方がいい気がする。


意図的じゃないなら気にしなくても良いし、そうでなければ本人に直接聞くとか、聞けないような相手ならそれこそこちらの乗車時間をズラしてしまえばいいのだから。



『まもなく、電車が発車します。閉まるドアにご注意ください…』


いつもの時間。違うのは車両の仕様と、隣の席。


理由は分からないが、たまにある、車両が違うパターンに遭遇した。


いつもは進行方向に並行な、たくさんの人が乗れるタイプの車両なのだが、今日は二席シートが複数並ぶタイプだ。


そのうえ、なにかイベントでもあるのか、始発のこの駅も若干混み合っていた。


(今日は流石に確かめるもなにもないな)


座席が少なく、混んでいる日のため、俺の隣には、既におじさんが座っている。


隣に座れる要素がカケラもないため、彼女に寄りかかられることもないだろう。


(しかし、見知らぬ女の子に密着されるシチュエーションとか…普通にドキドキするな)


ネットの掲示板で、隣にJKに座られた時に、生きてて良いんだって思う、みたいな書き込みを見るけど、なんとなく気持ちがわかる。


少しだけ残念な気持ちもあるけど、今日はゆったりとスマホをいじりながら通勤しよう。




一駅目に到着すると、正面の入口に彼女か見えた。


席が埋まっているといってもまだ座ろうと思えば座れる位置はあるし、彼女も空いた席に座るだろう。


…と思っていたのだが。


(なんで?)


あろうことか、彼女は俺とおじさんの座っている席の前にある手すりに捕まり、じっとこちらの席を見ていた。


空席は、まだある。


(うそやん。マジで狙われてる?何がどうしてそうなる?)


混乱しながらスマホからは目を離さないふりをする。『今日の魚座は、衝撃的な再会をして、彼女と急接近しちゃうかも!?』という記事が開かれていたが、俺は魚座ではない。


結局、隣のおじさんも俺と同じ駅で、俺が降りるまで隣同士だったから彼女が隣に座ってくることはなかったけども。


(なんか、おじさんのこと睨んでなかったか…?)


おじさんもうっすらと感じてたらしく、彼女をチラチラと見て疑問符を浮かべた顔をしていた。



「おーい、すまん。今日取引先に書類を持っていってくれないか?」


昼休み明け。職場で上司から声をかけられる。


「わかりました。何時までに持っていけばいいでしょう?」


「それがちょっと遠くてな。社用車も別件で全部埋まってて、電車だと2時間近くかかるんだよ。戻っても夕方すぎるから、書類届けたら直帰でいいぞ」


「いいんすか!分かりました!」


「んじゃ、頼みまーす」


住所を確認したら、帰宅の電車ルートに乗れる取引先だ。書類を届けて直帰となると、17時には家に着ける。楽で早めに帰れる素敵なおつかいだ。


ウキウキ気分で書類を受け取り、外勤準備をして、俺は会社を出た。



書類を届けることはつつがなく終わり、帰宅の路を進む。


いつもと違う駅から乗り換えで、いつもの帰りの電車が駅に到着する。


これに乗って、後は終点まで運ばれていくのを待つだけだ。


時間的には学生の帰宅時間なのか、学生で若干混み合っており、しばらくは座れそうにない。


電車の扉が開いたので、前の人が乗り込むのにぼんやりと後から続き、座席の前にある吊革を掴む。



ふぅ、と一息をつくと、妙な視線を感じたので、座席を見てみると。


ーー目を丸くしながらこちらを見上げる、彼女が座っていた。


(oh…)


油断していた。帰りに出会うことなんてこれっぽっちも考えていなかった。


今から場所を変えるか、とも考えたがー


(明らかに避けてる、という印象で何か起きても嫌だし。別にやましいこともないし、このままでいいか)


混み合い始めた電車内で、特に気にせず立っていることにした。



…視線を感じる。


終点まではおおよそ1時間といったところか。


ずっっっと、じっっっと見上げられている。もはや観察されているという感覚まである。


俺は知らないふりでスマホに目を落としているが、視野の中に彼女が入ってしまう。彼女自身はスマホや本をみることなく、こちらを見つめている。


…気まずい。次の駅に到着したら、さりげなく移動しようか。


そう考えていると、駅に到着するアナウンスが聞こえた。これはチャンスだ。


ーそう思っていると、俺の目の前の座席に座っていた女性が立ち上がった。見事に彼女の隣のスペースが空く。


(座らず、他の人が座るのを待とうか)


そんな考えがよぎったがー


こちらを見ている彼女が、意図的に隅に寄る。


そして、右手を空いている席に置いて、じっっとこちらを見てきた。


「ーー座ってほしいです」


目が明らかにそう訴えている。


ちらりと左右を見た。左右の人は俺の位置のせいで座れない。そのため、動く気配もない。


ー拒否権は、なさそうだった。




鞄を前に抱え、両サイド(特に左側に座る彼女に)ぶつからないよう、そっと席に着く。


彼女は俺が席について満足したのか、こちらを見るのをやめて、前を見ているようだった。


(わっかんない。話しかけるでもなく、捕まえるでもなく、座らせるだけというのは意図が不明すぎる)


内心大混乱だ。でも分かったことは、彼女が意図的に俺の隣に座ろうとしていること。ただ、理由はまったく分からない。


発車する列車がゆっくりと動き出す。


動いた反動で、彼女の肩が少しだけ触れる。


…普通反動が無くなった後は触れないように戻ると思うのだけど、ずっと触れ合ってる気がする。


ー2分後、そこには、俺にしっかりと寄りかかって眠る彼女の姿があった。




チワワのような顔で見上げてみるが、誰も目を合わせてくれない。皆、我関せずである。これが都会のドライな関係性というのか。


俺が少し浅く座ったせいで、彼女は俺の方に大きく傾き、彼女の腕が俺の背もたれと背中の間に埋まっている。


(普通、自分で腕組んだりして、ガードしたりしないもんかな)


手が背中に埋まっているとなると、必然的に体は密着するわけで、頭というか、顔が肩に接触している始末で、恋人が腕を組んで、彼氏にくっついて寝ているような構図だ。


左肘はもう余裕で逮捕の領域で、彼女の双丘の柔らかさと思われる感触はダイレクトに伝わっている。


(俺にできることは、オブジェになることだけだ)


さらにいえば、右手で俺のワイシャツの一部が握られている。まるで逃がさないといわんばかりに。


(わかるー。ぐっすり寝る時ってなにか掴みたくなるよねー)


現実感がなさすぎて、他人事に感じてきた。


「んん…」


小さく声を出した彼女は、顔を動かす。やめてくださいもう僕の肩はちゅーされています。



というか、はじめて彼女の声を聞いた気がする。猫のような甘い声だった。



異性からのキスを肩で緊張するのか俺は。口同士でしたら死ぬんじゃないか?


そんな邪な考えがよぎりながら、俺は目を閉じて瞑想にふけっていった。





次は彼女がいつも乗ってくる駅になる。

それでも彼女が起きる気配はない。


乗車している人は大分減り、針の筵のような状況では無くなった(それでも、なんだあのバカップル?みたいな目では見られた)が、このまま乗りすごされても俺が困るし、起こすことにする。



ここまで密着されているならもういいだろう。肩をトントン、と指先でつつく。



ー反応がない。


指先で、肩をもう一度叩く。


ー少し身じろぎをしたが、居住まいを正しただけだ。(離れてはくれない)



声をかける。


「すいません、降りる駅につきますよ」

声がけとともに、肩をぽんぽんと叩く。


「んー」


「乗りすごしてしまいますよ。起きてください」


「…」

少しの沈黙の後、彼女は。


「んー」

俺の腕をギュッと抱き抱え、睡眠を継続しはじめる。


「待って待って待って!起きてください!知らん人抱き枕にしてますよ!!」

思わず少し大きな声をだす。


すると、うっすらと目を開けて、こちらを みる。顔は目の前にあり、息を呑むような美少女だ。


「…………好きです」


!?!?!?

そう口に出して、彼女はまた眠る準備をしているが、止めるとかではなく色々と情報の整理が追いつかない!



今告白された!?なんで!?電車の中で見知らぬ人に!!?


混乱している間に彼女が降りる駅が通過していることに気づく。


(終点で話を聞いてみるか…いやもうなんか色々ともたない…)


頭は真っ白、身体は真っ赤。他の乗客の生暖かい目線と共に、電車は進む。



終点。扉が開く。


「終点ですよ。そろそろ起きてください」

乗客もほとんど降りたため、彼女に向けて普通に声を出して肩を揺らす。


「…んぅ…ん?」

先ほどのようなうっすらとした目の開け方ではなく、覚醒したような反応をする。


「おはようございます。よく眠られてましたが、大丈夫ですか?」

先ほどの告白は俺の中で無かったことにした。きっと寝ぼけていたのだろう。一周回って冷静になる。


そう声をかけた彼女はこちらを至近距離で見つめてフリーズしている。




(人の顔がみるみるうちに真っ赤になっていくのって、漫画だけではないんだなぁ)


どこか客観視した自分を感じながら「少し、近くの喫茶店でお話をしませんか」と続けた。



「二人で、ボックス席でお願いします」

駅に直結している喫茶店。疲れた時にたまに利用するが、人もそこまで多くないし、背もたれの高いボックス席も多いため快適な場所だ。


彼女は真っ赤な顔を俯かせて、てくてくと後ろをついてきている。



席について、一息つく。

さて、話でも…って。


「正面で座らない?」

俺の座るシートの隣までついてきた彼女に声をかける。


「すいません…」

真っ赤だった顔がさらに赫く染まっている。

正面にちょこんと座った彼女を見届けて、飲み物を注文する。


彼女は「なんでも…」とだけ言って喫茶店の置物になってしまったので、アイスミルクティーあたりを頼んでおく。


……しばらく、無言の時間が続く。

彼女は下を俯いたままモジモジしているし、しばらく落ち着く時間も必要だと思う。

注文が来てから話そう。


しかし、正面でゆっくりみても、本当に綺麗な子だ。さぞかし学校でもモテるのだろう。ショートボブにウェーブがかかった髪型もよく似合っている。



上目遣いでチラチラとこちらの様子を伺っている。こちらと目があったと思えば目を丸くして下を見つめるの繰り返しだ。



ー少しして、注文した飲み物が届く。俺は自分の分のアイスコーヒーに口をつけてから、口を開こうとしたのだが。


「あの…」

彼女から声をかけてきた。


「ーーティッシュ、ありがとうございました」

「へ??」


全く意味不明なお礼から、彼女との会話は始まった。



「私、両親が海外出張になってしまって、1年間一人で過ごすことになって」


「高校生だし、家政婦さんがいなくても平気って強がっちゃって。ちょっと前からひとりの生活がスタートしたんですけど」


「初日から全然ダメで。完璧だと思ってたのに失敗ばかりしちゃってて」


「でもお母さんもお父さんもまだ連絡取れなくて。初めてひとりの休みのときにお出かけしたけど寂しくてひとりぼっちな気がして。もうダメだと思って。電車で思わず泣いてしまったときがあって」


「泣いてるのにティッシュも鞄から取り出せなくて」


ぽつりぽつりと、思い出すように言葉を紡ぐ彼女の話を聞く。


ティッシュと俺の繋がりがどんなものがあったか。まだその繋がりには、俺自身至っていない。


「そんなときに、お兄さんが何も言わないでポケットティッシュを渡してくれて」


……………?

そんなことがあっただろうか?


「あ…多分お兄さんは覚えてないんでしょうね。渡してくれてすぐいなくなっちゃいましたし」


そう言って彼女が持っていた鞄から、何かを取り出す。


もう後数枚しか入っていないポケットティッシュだ。中には、ポケットティッシュの裏に入っていた広告の『一人で悩まないで! 皆一緒だよ』という紙が入っている。


「ただの広告なんですけど、この言葉が最初に目に入ったときに凄く嬉しくて」

微笑みながら、ポケットティッシュを見つめている。


ーそういえば、ひと月くらい前に、似たような広告のティッシュを貰って、電車にいる人に渡した気がする。鼻をすすりながら鞄をゴソゴソし続けていたから、みかねて渡したような。花粉症かと思っていたけど。


「なんの見返りもなく優しくしてくれて、それにとても救われた気がして」

熱っぽい目線で見ないでほしい。こっちがドキドキしてしまう。


「ありがとうございました…本当に嬉しかったです」


「いや、たまたまティッシュがあったから渡しただけですよ。うっすら覚えていますが、ピンクのカーディガンを着ていた子ですよね?元々花粉症か何かだと思ってましたし、そんな大それたことはしてないですよ」

ドギマギと、タイミングが良かっただけであることを伝える。


それでも、彼女は首を振る。


「…何回か、お礼に声をかけようと思ったんです。でも、いつも見かけるときには誰かを助けてたりしてました」


「ホームに落ちていたゴミをゴミ箱に入れたりとか。おばあさんに席を譲っていたりだとか、降りた人が荷物を忘れたと気づいたら、自分の降りる駅じゃないのに降りて荷物を持っていったりとか」


え、何この子めっちゃ見てるやん。確かにそういったことをした記憶はある。あるにはあるけれど別にいつもやっているわけではない。たまたま気が向いていただけだ。


「いや、たまたまですよ。いつもそんなことをしている立派な人間ではないです」

俺は彼女の言葉に苦笑で返す。


「だとしても」


何が一番ドギマギさせるかといえば、こちらをじっと見てくることだ。

観察されているという嫌な感じではなく、本当に見ているというか。正面に座って離れても、まるで隣にいるような感覚になる。


「いつみても素敵な人だな…って…」


最後の方は我に返ったのか、彼女は途中から小さな声で俯きながら呟く。

相手は真っ赤になっているが、自分の顔も熱くなっているのを感じる。


一息つけるため、アイスコーヒーを飲む。いつもより苦味を感じなかったが、冷えた飲み物で少しだけ落ち着いた。


「私、ひとりになってからあまり眠れていなくて」

彼女の話は続く。でも上目遣いはやめてくださいしんでしまいます。そんな気持ちを顔に出さないよう、大人の振りをする。


「少し前にたまたまお兄さんの隣に座れて。お礼を言えると思ったら安心してしまって」


「お兄さんの肩で眠ってしまったときは、すごい幸せな気持ちで起きれて」


「そのせいで…今日みたいに寝てしまって…その…ごめんなさい…」


しょんぼりと、小さくなりながら彼女は謝罪した。


これで、ここ数日の状況はよく分かったわけだけど。


(このあとどうしようかって話なんだよな)


家庭の事情も分かったうえで、ここで、もう隣に座らないでくれ、とも言いづらい。


「御迷惑をおかけしました…よね」

そんな捨てられた犬みたいな顔で俯かないでほしい。


「いや、迷惑というか。セクハラで訴えられないかが一番心配だったというか」


「そんなこと!しないです…お兄さんなら別に、なんでも…いいんです」


発言の節々が結構過激な発言というか。おとなしそうな美少女なのに大胆な爆弾が多数落ちてくるというか。


ー本当に困った。言葉に詰まっていると。



♩〜


俺のではないスマホの音が鳴る。おそらく彼女のだ。


彼女はスマホを一瞥した後…「すみません」と、こちらに目礼して電話に出た。


「お母さん!?……うん。久しぶり。落ち着いた?…うん…うん」


どうやら彼女のお母さんのようだ。通信アプリでの通話なので音量が大きいのか、途切れ途切れでは会話が聞こえる。


『んね、仕事が…で…っと少し落ち着いて…父…ん…らは…る』


「…ううん。先週きた…うん」


先ほどの話だと、久々の親子との会話なのだろう。俺はエキストラになることにする。


『…なら…せいふさん…とえるし…きさんも…るから…』


「うん…大丈夫、家政婦さんがいなくても平気…うん…トキさんにお願いしなくても平気…」


トキさんとは誰かわからないが、親戚か誰かだろうか?


『…なら…もだちとか…ムシェアとか…カレ…もいいけ…パパに…れる…ら』


「え…いいの?部屋とか使って平気なの?」

こちらをチラリと見ながら、何かの会話をしている。


『…わよ…シか誰か…るの?』


「ううん…好きな人なら…」


『あらー!!いいわね!!…マも安心で…!んな人…!?』

電話越しに興奮した声が聞こえる。


彼女はその声の後、顔を赤くして、もう一度こちらを見て目礼し、席を立つ。立つタイミングで声が聞こえた。



「うん…今一緒にいる…聞いてみる」



…それが俺に聞こえる位置で言う前に、立つべきだったんじゃないかな。



アイスコーヒーを飲み切ったところで、彼女が戻ってくる。


「すみません、久々に母から連絡があって」

「いいですよ、良かったですね、連絡が取れて」

申し訳なさそうにする彼女に、何事もなかったかのように応える。改めて遠回しに告白された気もするが、とりあえずスルーだ。



「それで、母からひとつ、御相談がありまして」

戻ってきた彼女はどこか緊張した面持ちで切り出してくる。


「母から、やはり一人だと不安じゃないかと言われまして」

「なるほど。高校生ならたしかにそうですね」


「私の家には、ハウスキーパーさん用の部屋があって、プライベート空間とは分かれているのですが」

「おお、それは凄い」


「今はその部屋は空いていて、家政婦さんとか、誰かを雇ったりで、住んでもらってもいいみたいです」


「住み込みで家のことをしてくれる人には、私と一緒にご飯を食べるなら食費や生活費と、お給金も出していいそうです」


すぅ、はぁ。と、彼女は深呼吸する。


「お兄さん」


話の流れを察するに、肩を貸して寝かしてくれる人に、ボディガードでも兼任で住み込みで対応してほしい、といったところだろうか?


今の会社は副業は認められてはいるが、社内申請やら決裁もあるし、受けることはできない。


今の不眠に解決策がありそうなら、他をあたるべきー



「好きです、付き合ってください」



「ごめ…いや、えぇ!?今の話の流れで!?」

言葉の不意打ちで後ろからぶん殴られる。


「はい。好きです。お話して思いました。もっと一緒にいたいです。お付き合いして欲しいです」


顔が赤くとも、真剣な眼差しで、真っ直ぐこちらをみてくる。


「もしかして、彼女とか…もういますか?」

悲しげな目でこちらを見つめる。困り眉と潤んだ瞳が凄く心に刺さる。


「いや、いないけど…」


「なら、私みたいなのじゃダメですか?」


「そんな、凄い…可愛い子だとは思うけど」


「いきなり隣で寝る人は不気味ですか?」


「理由が分かった以上、むしろもっと寝て欲しいとは思うよ」


「年の差が気になりますか…?」


「それは気になるかな。まだ未成年でしょ?」


「でも真剣なら付き合ってもいいと、お母さんには言われました」


「親御さんの許可が出てるんだ…」


「お兄さんが良ければわたしに、なにをしてもいいです。なにもしないならそれでも我慢します…ですから」


「隣に、いさせてください」


人生初めて受けるガチの告白だ。


涙目で頭を下げる女の子を、無碍にできるものか。俺自身、世間体を取り除いたとき、何が正解かなんてわかってるはずだ。



ふぅ、と相手にわからないように嘆息する。



「ありがとう。よろしくお願いしますと言う前にひとつだけ」

俺は、一番大切なことを聞かなければ。






「名前、教えてくれるかな」


 




こうして俺は、名前も知らなかった年下の女の子と、肩を貸したことでお付き合いすることになった。

読んでいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ