第128話 焦り
紗奈は、悠の荷物が置いてあるベッドに腰掛けている。その隣には、当然悠も座っていて、少しの無言の後、悠から口を開いた。
「大分良くなった。広い水場はまだちょっと駄目だな。怖くてさ……。本当は、紗奈が来るまで震えてたんだ」
軽く苦笑した悠に、紗奈は眉を下げる。紗奈は無言のまま悠の腕に軽く触れて、コツンと肩に身を寄せる。
「励ましてくれてる?」
「……」
紗奈はまだ無言のままだったが、雰囲気からして、悠の質問の答えはイエスだろう。悠はくすっと笑うと、紗奈に倣って軽く身を寄せた。
「ありがとう。これでも前よりは大分マシなんだよ。昔なら、絶対に海に触れたりできなかったし」
「悠くんは凄いよ。すっごく頑張ってる」
紗奈がそう言ってくれるのなら、悠はもっと頑張ろう。と勇気が出るし、簡単に励まされる。
「早く紗奈は俺のだよって言いたいからね」
「友達も増えたよね。さっき、クラスの男の子達が何人か声を掛けてたもの」
「見てたんだ。うん。少しずつだけど、人と話すのも苦じゃなくなったよ。囲まれるのは相変わらず苦手なんだけどさ」
もっと努力しなければ紗奈の隣には立てない。悠はそう思っている。
そして紗奈は、頑張ろうとしてくれている悠の気持ちが嬉しい。自分はそんな悠に甘えてしまっているのに……。そう思ったら、少しだけ寂しくて、焦ってしまった。
「私には、何が出来るかな?」
紗奈がそう聞いてみると、悠は紗奈の頭に手を回して優しく撫でてくれる。
「こうしてそばにいてくれるだけで嬉しい。また頑張ろうって思えるよ。それに、いつも励ましてくれる。大丈夫だよって言ってくれるし、かっこいいよって…頑張ってるねって言ってくれる。お菓子を作ってきてくれたりもするし。今は俺が好きな卵料理を覚えてるんでしょ? 真人さんから聞いてる」
「な、内緒で練習してたのに」
紗奈が唇を尖らせるのが、声の雰囲気でわかる。
「紗奈も頑張ってくれてるよ。だから焦りもするんだけど」
「え?」
紗奈が顔を上げると、悠は苦い顔をしてカーテン…と言うより、その向こうの海を睨んでいるのだろう。そちらをジッと見つめている。
「紗奈がいい女すぎて、困る。俺の彼女なのにモテるから。焦るんだよなあ」
「私は悠くんしか見ないのに?」
紗奈の大きな瞳が悠を見つめてくる。本当に、悠だけを見つめてれている。
悠はそう思うと嬉しかったが、それだけでは満足出来ない程、紗奈を独占したがってしまう。
悠は少しだけ拗ねるようにして、紗奈をもう一度優しく撫でた。
「他の男は紗奈を見るだろ」
「でも……。悠くんだって、最近ちょっと人気なの知ってるよ?」
紗奈はぷくっと頬を膨らませて、悠を見上げる。紗奈だってヤキモチくらい妬くのだ。悠の噂はもれなく耳に入ってくるし、悠と同じクラスであるあおいからの報告ももらっている。
「性格もいいし、運動も出来るし、成績も結構いいし。これで垢抜けたら完璧かもって噂されてるの、知ってるんだから」
それを言われると辛い。悠自身も、和也からたまにそういう噂話を聞くのだ。
「う」
「そろそろ私だけの王子様じゃ無くなっちゃうのかなあ……」
「そんな訳ないでしょ。俺だって、紗奈しか見ない」
紗奈の可愛いヤキモチに焦って、悠は紗奈を必死に宥める。
「ずっと紗奈だけの王子でいるから。王子らしくは無いけど。紗奈の彼氏だから」
「……絶対だからね?」
ジトッと半目で見つめてくる紗奈ですら可愛らしいと思う。悠はふっと笑うと、大きく頷いて見せた。
「うん。もちろん」
それを聞いて満足した紗奈は、「えへへ」と小さく笑って、さっきまで悠が睨んでいたカーテンからチラッと顔を覗かせる。海の方は人がいっぱいいて、どこにあおい達がいるのかはわからない。
「ここから見るのも怖い?」
「さっきまではね。今は多分平気。紗奈といる所を見られたら困るから、覗かないけど」
「少し寂しいけどね」と、悠は眉を下げてそう付け加えた。
「そっか。じゃあ私も離れなきゃ」
そう言いながら、紗奈が部屋の中に戻ってきて、また悠の隣にポスッと座る。




