第110話 看病
暫くは、ずっと悠の寝顔を見守っていた。と言うのも、紗奈が手を抜こうとすると抵抗して、悠の手で頬のそばに戻されるからだ。その度にドキドキしてしまうので、紗奈は途中から、もう大人しくしていよう。と誓った。
ベッドの脇に置いてある椅子に腰掛けて、紗奈は悠の眠る顔をジッと見つめる。
顔は普段よりも赤くなってはいるが、やはり安らかな寝顔をしていた。
「ん……。かぁ、さん?」
瞼をゆっくり上げた悠が呟いた。自分の頬に触れている手に気がついたのだ。どう考えても父のゴツゴツした手ではない。女性特有の、角のない柔らかな手だった。
「水、欲しーんだけど…冷蔵庫ぉ……」
悠がのそっと起き上がり、寝ぼけ眼でかくんと頭が動く。紗奈が小型の冷蔵庫から水を取ってくると、悠はそれを飲む。
その直後、お礼を言おうと紗奈に目を向けて、やっと気がついたようだ。
「は……?」
「お、おはよう……?」
将司からは許可を貰ってはいるが、悠がこの部屋に紗奈を入れてくれたことは、一度もない。勝手に入って怒られないか……と、紗奈は緊張しながら悠に声をかけてみた。
「紗奈!? なんでここに!?」
完全に覚醒した悠は、目を見開いて紗奈を見つめる。
「将司おじさんに入れてもらったの。悠くんのお見舞いに来て……。お粥食べられる?」
「あ、ああ……。うん」
悠の頬は少し染まっていて、紗奈は勝手に寝室に入った事を謝った。
「いや、別にいいよ。いつか、招き入れようとは思ってたし」
それが熱のせいで。とは思わなかったが、椅子ごとベッドに近づいてきた紗奈に、そっと手を伸ばす。
「ずっといてくれた?」
「…うん。悠くんが離してくれないから」
紗奈が照れくさそうな表情で、伸ばした悠の手に頬擦りをした。熱のせいか、すぐに悠にも照れが移ってしまう。(何をしてしまったんだ)と、記憶のない自分を責める。
「ごめん」
「ふふ。いつもと違って甘えん坊さんで、可愛かったよ」
「……ね、熱のせいだ」
悠の照れは更に深まった。無意識に紗奈に甘えてしまっていたようで、自分が小さな子どもみたいに思えて恥ずかしい。
「うん。昨日から体調悪かったんでしょ? ごめんね」
「なんで紗奈が謝るの」
「昨日も待っててくれたじゃない? 話だって聞いてくれて……。私、彼女なのに何も知らなくて、こんなことになって初めて気がついたの。彼女失格だよ」
自分で言ってどんどん落ち込んできてしまう。紗奈はしょんぼりと肩を落としていた。
悠はしょぼくれている紗奈の腕に手を伸ばして、自分の方に引き寄せた。熱があるはずの悠の力は案外強く、紗奈は簡単に引き寄せられてしまう。
「きゃっ……!」
「紗奈のせいじゃない。紗奈に気づかれないように必死だったんだ。俺はこれでも元役者だからね?」
ギュッと紗奈を抱き寄せ、紗奈の耳元でそう呟く。
「それに、紗奈は俺が勇気を出せないせいで、落ち込んでるだろ? 山寺桐斗には言い寄られて、女子には妬まれて……。俺がちゃんと、紗奈の彼氏だって言えてたら、紗奈を悲しませないで済むのになって…ずっと思ってたんだ」
悠が、より一層紗奈をきつく抱きしめるから、紗奈の体は完全にベッドの上に移動した。もぞもぞと辛くないポジションを見つけて、悠をそっと優しく抱き返す。
「悠くんは私の事、沢山考えてくれてるよ? 私がもっとしっかり者だったら、悠くんの事を傷つけないのにって……。私も悠くんの事、沢山考えてたの。一緒で嬉しい」
紗奈の声が少しだけ泣きそうで、悠はもっと強く紗奈を抱きしめる。
「俺も、同じこと考えてて嬉しい」
「でも、辛い時は無理しないでね。悠くんが私を想ってくれるだけで、私はきっと大丈夫になれるから」
「うん……」
悠は自分の体勢を少し変えると、また紗奈をギュッと抱きしめる。
「ねえ、熱で辛いから……もっと甘やかしてよ」
グリっと軽く紗奈の肩に頭を押し付けて、悠は紗奈の耳元に甘く囁く。紗奈はビクッと肩を震わせて、恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。別の意味で泣きそうになっていた。
「ひぇ……。悠くんの声、熱っぽい」
「熱があるからね」
紗奈の耳に軽く唇を当てて囁くと、紗奈の口から声が漏れてしまう。それが聞こえてきた悠も、紗奈に見えないように頬を真っ赤に染めた。
「んぅ。ここ、こんなの恥ずかしいっ……」
「…自分で言っといてなんだけど、ベッドの上だし。俺もちょっとやばいかも」
やっと離して貰えたから、紗奈は大人しくベッドから降りて悠を軽く睨む。耳まで真っ赤になって、その耳を手で押えているし、瞳は羞恥で涙目になっていた。
「ゆ、悠くんは、全部あーんでお粥を食べてもらいますからね!」
ぷくっと頬を膨らませて、紗奈は冷めているであろうお粥に手を伸ばした。
「自分で食べれるよ?」
「駄目、お返し! 悠くんも照れて」
「全部?」
悪戯のせいで怒らせてしまったようだった。悠は引き気味に頬をかいて、「本当に?」と聞くが、紗奈はニッコリと笑って頷くだけだった。
やっぱりこの子は真人の娘なのだ。と、笑顔に圧を感じた悠はそう思った。
「全部よ。寝ている間にだいぶ冷めたから……悠くん、はい。あーん?」
ニコニコと紗奈がお粥を差し出してくる。ケーキの時とは少し違う。確かに、「甘やかして」とは言ったが、悠は流石に照れくさくなって、躊躇ってしまった。
「悠くん……? ご飯食べなきゃ、梅雨バテ良くならないよ?」
怒り方すら可愛らしい。ジッとこちらを見つめて、唇を尖らせている。
「もっ、もう……。紗奈には適わないよ」
完全敗北だ。悠は紗奈が差し出してくるお粥に口をつける。物凄く照れくさいし、いたたまれない気分なのだが、紗奈が満足そうに笑っているので大人しく介抱される事にした。
(いつか仕返ししてやるんだから)
こんな事を思いながら……。




