8.悪役妻
「あの、フレディ様っ?!」
アリアがフレディに連れられて来たのは、二人の寝室だった。
「まだお食事が……それに私もまだお仕事が……」
フレディの背中に必死に呼びかけるも、応答が無い。
寝室のドアが閉められ、アリアはフレディに勢いよく腕を引かれ、ベッドにぼすん、と倒される。
「あの……?」
「こういうとき、悪役令嬢のアリアはどうするんだろうね?」
アリアに覆いかぶさるように、フレディがベッドに乗る。
「悪役令嬢を……お望みですか?」
少し嬉しそうな表情を見せると、フレディに両手をベッドの上に縫い留められてしまう。
「ねえ、悪役令嬢は、こういうこともするの? 他の男たちとはこうなったことは?」
「あ、あ、あ、あの?」
怖い顔で迫るフレディに、アリアは息を飲んだ。
「ねえ、他の男にも君は、触れるのを許したの?」
義兄であるライアンからは、アリアがそういうことをしていない、とは聞いていた。しかし、手が触れることくらいはあっただろう。
そう思うと、フレディの中にフツフツと怒りが湧いてくる。
「……仕事……ですので……」
「――――っ!!」
「ふっ――う――?!」
カッとなったフレディは、思わずアリアの口を塞いだ。
急で強引なキスに、アリアは思わず身を固くした。
(け、潔癖なフレディ様が……どうしたんでしょう?!)
唇を激しく貪られるも、甘い熱に思わずアリアはトロン、としてしまう。
唇を離したフレディが自身の唇を親指で拭い、熱い眼差しを落とす。
(な、な、な……)
色っぽいフレディに、アリアはもうキャパオーバーだった。
「悪役令嬢なら、この続きも受け入れるの?」
「うっ……」
意地悪な物言いに、ついにアリアは泣き出してしまう。
「アリア?!」
「うっ……うう――」
泣き出してしまったアリアにフレディは狼狽えた。
「ご、ごめん……無理やり……嫌だった? よね……」
顔を両手で覆いながら泣くアリアに、フレディは必死に繕う。アリアは泣きながらも必死に首を横に振った。
「あく、やく、令嬢にっ……私が成り切れないからっ……」
しゃくりながらも必死に言葉を出すアリアに、フレディは身体を起こし、アリアから離れる。
「……ごめん。君が仕事、仕事言うから……。そもそも、こんな仕事を引き受けて、危ないとは思わなかったの? 俺がどんな男かわからないのに――」
ベッドに腰掛け、できるだけ優しく話すフレディ。
「……ライアン様からは今までで一番安全な仕事と聞いておりました。フレディ様は女性がお嫌いだとも……。その、そんなことになることは無いだろうと……」
アリアの言葉にフレディは頭を抱えた。
「……君の信頼を裏切ってごめん……」
アリアに手を出したことに平謝りするフレディ。
「いえ……通いだと思いこんでいたのは私の方なので……。完璧な悪役妻を演じるならば、寝室くらいは一緒ですよね……」
「ん?」
泣いていたはずのアリアはいつの間にか泣き止み、何故か何かを納得していた。
「フレディ様が、本気で演じられているのに、私は泣き出す始末で……! 悪役妻として失格です!! 本当に申し訳ございませんでした!!」
「は?!」
謝っていたのはフレディのはずなのに、いつの間にかベッドの上で土下座をしているアリアが視界に入る。
「ええと、……既成事実というやつですよね?! 私たちの夫婦の間柄を疑われてはなりませんから!」
「は?!?!」
泣いていたアリアは、何故か自分で納得し、おかしなポジティブな方向へと舵を切ってガッツポーズをした。
「待て待て待て待て、俺が?! 演技で君にキスしたと?!」
アリアの肩を掴み、訴えるフレディにアリアはきょと、とした瞳で見つめた。
アップルグリーンの瞳は濁りのない綺麗な色でフレディを見ている。
う、となりながらもフレディは必死に訴える。
「俺は! 好きでもない女に、キスなどしない!」
「素晴らしい設定維持です! 私も見習います!」
どうやらフレディの本当の想いがアリアには演技だと思われているらしい。
『お前を愛することは無い』と契約の時に言い放った言葉をフレディは後悔した。
アリアから無駄にキラキラとした瞳を向けられ、フレディはがくりと肩を落とした。
「そもそも……俺は、君だから触れられるんだが……」
潔癖なフレディは手袋無しに他人、特に女性に触ることが出来ない。触れるのはアリアだけなのに。
「フレディ様は、優秀な魔法使いです。あの素晴らしい魔法薬のような物で、何とかされているのでは?!」
キラキラと期待した瞳を向けられ、フレディは再びがっくりとうなだれた。
アリア自身は自信がなさげで、自己評価も低く、先程だってキャパオーバーで泣いていたのに。
悪役令嬢、仕事のことになると斜め上のポジティブさで前向きになるのは何でなのか。
「うん、まあ……、今はそういうことで良いよ」
根負けしたフレディはアリアに困ったように微笑んだ。
「? 悪役妻、頑張ります!!」
フレディの言わんとすることを理解出来ないが、アリアはとりあえず、両手の拳を胸の前で掲げてみせた。
「うんうん。僕が触れるのは君だけだから、社交場ではそのことをアピールするために君にいっぱい触れるからね?」
アリアの髪を一束掬い、フレディはそこに唇を落とした。
「は、は、は、はい!!」
顔を赤くしながらも、「仕事」だと張り切り、瞳を輝かせるアリア。
フレディはそんなアリアを愛おしく思いながらも、自身の気持ちがまったく届かないことに肩を落とした。