32.約束
「フレディ様っ!!」
フレディの風の防壁は、アリアだけにはすり抜けられた。フレディが無意識に、アリアだけを受け入れているからだった。
「離して、アリア……俺は、この女を生かしてはおけない。王族の立場を利用して、今回だって罪から逃れる気だ。そしたらまた君に危害が及ぶ……」
後ろから抱き締める形でフレディを止めるアリア。
アリアは、フレディもまた、涙を流していることに気付く。
(フレディ様……そんなにも私を心配してくれて……)
アリアはフレディの自分への想いに、先程までの恐怖や悲しみが癒えていくのを感じた。
「フレディ様……あなたの魔法は人を傷付けたりなんてしません。もしそんなことをしてしまったら、虹色の薔薇の庭園を一緒に見られなくなってしまいます……」
アリアの言葉にフレディは目を大きく見開き、後ろにいるアリアに顔を向けた。
「アリア……記憶が……?」
振りかざしていた手から力が抜け、フレディの手から魔法の剣が消える。
「フレディ様、アップルグリーンの薔薇、凄く嬉しかったです。約束を守ってくれてありがとうございました。それに、私が悪役令嬢に変身出来た薬は、あの約束から続いていた物なんだってわかって、私、嬉しかったです」
ふわりと笑うアリアの目の下にはまだ涙が残っていた。
「アリア……俺は、あの時から君のことを……」
そっとアリアの涙を拭い、フレディの瞳はラピスラズリの輝きを取り戻す。
涙を拭ってくれたフレディの手を取り、アリアは自身の頬を寄せて微笑んだ。
「私……、公爵様……、フレディ様があの庭を訪れてくれるのをずっと心待ちにしていました。あなたが公爵様だということさえ忘れて、惹かれていたんです」
「アリア……本当に思い出したんだね……」
公爵様、と呼ばれる懐かしさと、信じられない、といった気持ちがフレディの瞳を揺らしている。
「私、公爵様が……フレディ様が好きです。だから、人殺しになんてさせたくない」
真っ直ぐに見つめるアリアの瞳に弾かれるように、フレディはアリアを抱きしめた。
「アリアっっ!!」
ぎゅう、と力強く抱きしめたフレディの身体をアリアも抱き返す。
「な、何なのよ……」
その様子を見せつけられていたローズは、ゆらりと立ち上がる。
「フレディ様!! 王女である私を殺そうとしたのですから、公爵といえど、極刑は免れませんわよっ!」
ローズの叫びに、アリアの身体がびくりと跳ねる。
フレディはアリアを隠すように抱きしめたまま、ローズを睨んだ。
「ふっ、ふふ、でもフレディ様が私と結婚なさる、というなら、私は貴方を救えますわ。もちろん、その女とは離婚してもらいますけどね。愛人なんて許しませんよ?」
そんなフレディに恍惚として微笑むローズは、彼に近付こうとする。
「俺の妻はアリアだけだ。お前となんか結婚しない」
「なっ?!」
迷いもなく答えるフレディにローズは驚愕して足を止める。
「し、死んでも良いっていうの?!」
「俺はアリアしか愛せない。他の女と一緒になるくらいなら死んだ方がマシだ」
「なっ……」
必死なローズにフレディは一ミリもブレない。ローズはくらりと目眩がする。
「フレディ様が死んでしまったら、私も死にます……」
話を聞いていたアリアが、フレディを見上げ悲しそうに呟くと、彼はアリアの目の上に唇を落とした。
「それは困る。アリアが死ぬなんて耐えられない」
「フレディ様……」
目の前でまた甘い空気を出す二人に、ローズが憤慨する。
「あ、あ、貴方たちっ! 私に逆らって、二人とも死罪にしてやるんだからっ!!」
ローズの叫んだ言葉にアリアは顔を青くさせたが、フレディは顔色一つ変えず、ローズの遥か後ろに焦点をやった。
「……?」
そんなフレディの態度を疑問に思い、ローズは彼の視線の先に顔を向ける。
コツ、コツ、とブーツの音が穴の空いた入口から中へと響く。
「いい加減にしないか、ローズ」
「お兄様?!」
部屋の中に入って来たのは王太子のルードだった。
ローズは驚いていたが、ルードが引き連れて来た近衛隊を見てにんまりとする。
「お兄様!! 私はあの悪女の男遊びに巻き込まれたんです! フレディ様はあの女に騙されて、私を殺そうとしましたが、悪いのはあの女だけなんです! フレディ様のことは、私が彼と結婚することで守ります。早くあの女を捕まえて!」
瞳をわざとらしく潤ませ、ローズはルードに縋り寄った。
「……お前はよくもまあ、そんな嘘が次々に出るなあ……」
ローズの言葉に溜息を吐くルード。ローズは兄が自身に見張りをつけていたことを思い出す。
(お父様と違って、何故かお兄様だけはいつも私の思い通りになってくれないんだったわ!)
「お父様は?! 国王陛下にお会いしたいわ! そこの三人を罰してもらうのよ!」
国王陛下である父には流石のルードも口を出せない。実際にこれまでのことは父と前宰相によって揉み消してもらっていた。窮屈ではあったが、見張りをつけることしか出来ない兄は敵ではないとローズは心の中でほくそ笑んだ。
「国王陛下は今回のことを私に一任された」
「はっ……?」
口の端を上げていたローズの表情が固まる。
「お前は、隣国の王太子に嫁ぐことが予定されていた。そんなお前を甘やかし、ここまで見逃してきたのは父上の責任でもある。こんな問題ばかり起こして……父上には一線から少し離れてもらうことにした」
「なっ……」
兄の言葉に、ローズは父が事実上、国王陛下の権限を兄のルードに委ねたことを理解する。
「ローズ、お前の嫁入りの話は無くなった。男遊びだけでなく、こんな犯罪じみたことまでしでかして……とてもじゃないが、隣国にそんな人間を国の使者として送り出せない」
「結婚なんて聞いてませんわよ……私はフレディ様と……」
隣国との結婚話が消えたことに、それがどうしたと鼻で笑うローズに、ルードが畳み掛ける。
「お前とは縁を切る。王女である地位を剥奪し、辺境の修道院に送ることになった」
「なん……ですって?」
容赦ないルードの決定に、ローズは美しいサファイアの瞳を溢れんばかりに見開いた。
「私が! フレディ様と結婚すれば、全て丸く収まるのよ?! こんな、貧乏で役立たずな落ちぶれた伯爵家の女と、王女の私、どちらを優先すべきかなんて、わかりきっていますわよね?!」
アリアを指差し、食ってかかって来たローズに対して、ルードは大きな溜息を吐いた。
「……愚かな。お前の罪を被り、ましてや王家に迫る危機を救ってくれたアリア嬢とお前なんて、比べるまでもない」
「お兄様……?」
冷ややかな兄の表情に、ローズは目を白黒とさせ、なおも縋ろうとした。
「お前は優秀なアリア嬢をくだらないパーティーの招待状管理として使っていたみたいだがな」
「嘘でしょ? ねえ……お兄様……」
もうローズの方を見ようともしないルードに、彼女は縋る。
「もう兄とは呼ぶな! お前とは縁を切った! 連れて行け!」
「うそよ、お兄様――――」
近衛隊たちに指示をし、ルードはローズに背を向けた。悲痛なローズの叫びは、近衛隊たちに連れて行かれた彼女の身体と共に、遠ざかって行った。




