26.過去と想い
「アリア、君はあの庭で暴漢に襲われたんだ。犯人は、ローズ王女殿下だ」
「えっ……」
王女から汚名を着せられクビにされたことは別に恨んではいない。悲しかったが、こうしてライアンに拾ってもらえたのだから。
「ローズ王女殿下が……?」
細かな嫌がらせには薄々気付いていた。しかし仕事を失うことに比べれば些細なことだと、アリアはずっと耐えていたのだ。
ライアンから出た言葉は、それらのくだらない嫌がらせの域を超えている。流石に、そこまで王女の反感を買っていたのだろうかとアリアは逡巡する。
「ちょっと待って……? 犯人の男は、王女に夢中のあまりアリーちゃんに逆恨みしたんじゃなかったの?!」
斜め向かいのレイラが驚いた顔でライアンを見つめて立ち上がったので、アリアは何事かと顔を向けた。
ライアンはそんなレイラの手を取り、ソファーに座らせる。
「……あの庭でアリーとフレディが会っていたことを知った王女が怒り狂い、自分にいいなりだった貴族子息にアリアを襲わせたんだ……」
「……フレディが自分を責めると思って、あの子に嘘をついたんですね……。私にまで……」
「すまない、レイラ……。あの時の俺はまだ力も無く、何も知らない一人だった。宰相の引き継ぎの時にこの事件の真相を知ったんだ……」
辛そうに顔をしかめるライアンの手を、レイラはそっと握り返した。
「あなたのせいではないわ。全ては当時の王家と宰相が悪いの。そして一番はあの王女だわ」
レイラの言葉にライアンも苦笑する。そしてアリアに向き直る。
「アリーがフレディとの思い出まで忘れてしまったのは、その事件と密接な関係にあるからだと思う。……すまない」
ライアンはアリアに向かって頭を下げた。
「ラ、ライアン様!! レイラ様の言う通り、ライアン様のせいではないのですから頭を上げてください!!」
アリアは慌ててライアンの方へ身体を屈ませて両手をバタバタとさせた。
「君が記憶を失ったのを良いことに、この事件は明るみに出ず、その男は領地から一切出さないとの盟約の元、罪には問われなかった」
「そうだったん……ですか」
どこか他人事のような話に、アリアはライアンを見つめた。
「私、一度、思い出そうとしたんです。でも……頭が割れそうになって……」
「それだけショックだったんだろう。アリー……、やっぱり記憶を取り戻したいのか?」
心配そうなライアンの顔にアリアはありがたく思いながらも、きっぱりと告げた。
「はい……。記憶が戻るかはわかりませんが、それでも私は取り戻したいです」
「そうか……」
アリアの決意にライアンはくしゃりと笑った。
「アリーは本当に強くなったな」
レイラと見合い、ライアンが目を細める。
「じゃあ、フレディを説得しないとな」
「フレディ様?」
急にフレディの名前が出て来て、アリアはキョトンとする。
「アリーちゃん、忘れてると思うけど、うちの弟は国一番の魔法の使い手なのよ?」
「魔法を使うことを避け、研究ばかりしているがな」
パチンと自慢気にウィンクをしたレイラに、ライアンは苦笑して言った。
「ええと、それは存じておりますが……」
魔法省の局長まで昇りつめた人。魔法を使っている所を見たことは無いが、凄い使い手だということは、この国の貴族ならば誰しも知っている。
(それを今更、どうしたのかしら?)
頭に疑問符を浮かべるアリアに、ライアンは眉尻を下げた。
「アリーの記憶を取り戻すことくらい、フレディなら簡単に出来るということだ」
「!? そんなことが?」
魔法とはそんなことまで出来るのかとアリアは驚いた。
「治癒魔法の一種だな。まあ、そんなことが出来るのはフレディくらいだが」
「ふふふ、義弟バカですわね」
「君もな」
自慢気なライアンと嬉しそうなレイラがうふふ、と笑い合う。そんな仲睦まじげな二人にアリアは少しだけいたたまれなくなり、顔を赤くした。
「フレディはライアン様以上に溺愛素質がありそうですよね?」
「そうだな。アリー、今から覚悟しておくんだな」
「ひゃい?!」
アリアの様子に気付いた二人は、からかい気味にアリアに言った。
アリアは更に顔を赤くして、口をパクパクさせた。
「記憶を取り戻したら、フレディの気持ちに応えてやって欲しい。アリーもそのつもりなんだろう?」
フ、と優しく笑うライアンに、アリアは目を大きく見開いた。
「はは、無自覚か。そこまでして過去に立ち向かおうとするのは、フレディへの愛ゆえだろうと思ったのだが」
「あ、い……」
楽しそうに笑うライアンの言葉を繰り返した所で、アリアは顔から湯気が出そうな程に顔を真っ赤にさせた。
(私、フレディ様のこと――)
この数日、フレディに甘やかされた日々は充実して幸せだった。それは仕事のやりがいではなくて――
「私……私……」
言葉に出来なかった気持ちがようやく心の中に形として現れた。アリアはそれを必死に抱き締めるように何度も呟いた。
「アリーちゃん、フレディはあなたを待ってる。だから急がず、慌てず、あなたのペースで自身を取り戻すのよ」
立ち上がり、アリアの横まで来てふわりと抱きしめてくれたレイラに、アリアはその腕に縋りつくように両手を添えた。
「フレディのこと、よろしく」
まだ整理がつかない自身の気持ちに心臓が早鐘を打つのを聞きながら、レイラの優しい言葉がアリアの耳のひだをくすぐった。