2.悪役令嬢の素顔
「も、申し訳ございませんでしたあああ!」
再びその身をベッドに伏せて、額を擦り付ける女にフレディは驚愕した。
「ア、アリア・クラヴェル……か?」
髪の色も喋り方もまるで別人だが、声色や、特徴的なアップルグリーンの瞳がアリアのものだった。
恐る恐るベッドの上の彼女に声をかけるフレディ。
「はい……」
涙目で顔を上げたアリアと目線が絡む。
どくん、と大きな音を心臓が立てる。
「君、は――」
フレディの脳裏に、昔自分を助けてくれた女の子の姿が重なる。
ラベンダー色の美しいストレートの髪に、優しいアップルグリーンの瞳。忘れたことなどない、唯一、触れられる女性。
思わず伸ばした手がアリアに届くよりも先に、アリアが叫ぶ。
「も、申し訳ございませんでした!! ご依頼とはいえ、失礼なことを! しかしながら、悪女令嬢のアリアはいつもあんな感じでして、悪女令嬢との契約結婚をお望みだとライアン様からも伺っており……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ」
「はい」
早口でまくし立てるアリアに、フレディは頭がついていかず、彼女を制した。
「君は誰だ!」
「アリア・クラヴェルです……」
当たり前の質問をしてしまい、場がポカン、となってしまう。
「いやいや、あの悪女は赤い髪で……」
ハッと我に返り、フレディはアリアの髪をじっと見た。
「ああ。あれは、フレディ様が作られた魔法薬のおかげです。髪が赤いほうが悪役令嬢らしいだろうってレイラ様がおっしゃって……」
「は?! 姉上が?!」
フレディはアリアの口から出た名前に驚く。
レイラ・シュミットは、宰相を務めるライアン・シュミット公爵に嫁いだフレディの姉だった。
二人は仲睦まじく、ライアンは義弟であるフレディにも良くしてくれていた。魔法省で研究に没頭出来ていられるのも、この敏腕宰相の義兄のおかげだ。
二人は、潔癖で女嫌いのフレディの将来を心配していたが、フレディは結婚する気は無かったし、元々爵位も返上する気でいた。魔法の研究さえ出来ればそれで良いと思っていた。フレディの意志を尊重するように、二人も見守ってくれてはいた。
しかし、毎年やって来る社交シーズンの誘い全部を断るわけにもいかず、王家主催の物には出席せざるをえなかった。
フレディは女嫌いで有名だが、王家の血筋である特有の金色の髪に、ラピスラズリのような濃い深みのある瞳で、見目麗しかった。しかも魔法省の局長で、女性たちが色めき立ち、彼を放っておいてはくれなかった。
冷たく接すると大体令嬢たちは去っていくが、次から次に湧いて来るので、フレディは煩わしくて仕方なかった。
そして一番煩わしかったのが、この国の王女、ローズ・デルリア第一王女の誘いだ。
彼女の熱い眼差しを煩わしく思いながらも、王族を無下には出来ず、フレディは困っていた。
それを義兄に相談した所、悪役令嬢と名高いアリアとの契約結婚を提案されたのである。
「義兄上からは、悪役令嬢と名高い女を紹介されたはずだが……」
フレディは、ライアンから「彼女は有能な悪役令嬢だから安心すると良い」と言われたことを思い返す。
二人は今日、初めてこの屋敷で顔を合わせた。
「はい。悪役令嬢役を仰せつかっております」
「は?!」
目を伏せて答えるアリアは、先程のふてぶてしい態度から一転して、自信なさげだ。
「あの……宰相様からは期間限定で悪役令嬢役を仰せつかっておりまして……」
固まるフレディにアリアは繰り返した。
(悪役令嬢……役?! 役って何だ?!)
「あの……?」
俯き考え込んでいたフレディをアリアがベッドの上から見上げた。
「――――っ!!」
そのアップルグリーンの瞳にフレディは吸い込まれそうになる。
「フレディ、様?」
「!!!!」
思い出の女の子がアリアだと、自身の胸が告げている。
忘れたことなど一度も無い。触れたかった女の子――その子が目の前にいて、自分の名前を呼んでいる。
この状況にフレディは増々頭をフリーズさせた。
「あの……?」
(か、かわ……)
上目遣いで自分を見るアリアに思わず顔を赤くさせたフレディは、ガバリと顔を上げて自身を落ち着かせる。
「と、とりあえず、さっきみたいに、悪役令嬢でいてくれないか?!」
顔を逸らし、アリアにそう言うと、一瞬の間ののち、アリアが呟いた。
「無理です……」
「は?」
「だから、髪の色を変えるあの魔法薬が無いと、悪役令嬢になれません……」
「え……」
見つめ合う二人、のち、
「も、申し訳ございませええん!! 役立たずで申し訳ございませええん!! まさかご一緒の部屋で寝るとは思わず!! 明日には魔法薬が届く手はずでしたので……!!」
アリアは再びベッドの上で土下座した。
(一体、どういうことなんだ?)
混乱する頭でアリアを見るフレディ。
「わ、わかったから、とりあえず頭を上げてくれ……」
ベッドに額を擦り付けるアリアにフレディは思わず手を触れた。就寝前のため手袋はしていなかった。
(やっぱり……)
アリアには触れられた。そのことから思い出の女の子だと確証を得る。
フレディに促され頭を上げたアリアの目には涙が溜まっていた。
じっと見つめるアップルグリーンの瞳に、フレディは「うっ」となる。
「と、とりあえず、明日義兄上に話を聞いてくるから、今日は休もう」
「はい……」
涙を拭って返事をしたアリアにホッとしつつも、フレディは眠れるか不安を覚えるのだった。