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魔術師団長の契約結婚  作者: Hk
本編
9/22

9

 王宮管理院の不正問題が落ち着いたブリジットは、ようやく定常業務に戻ることができた。

 当分、監査のフォローもない。毎日きちんと定時に上がって、家で夕飯を食べるのだ。溜まってしまった本も読みたい。


 その日も定時に上がったブリジットは、歩いて家に向かっていた。ブリジットのいる会計監査院と家の間はおよそ20分のため、いつも徒歩で通勤している。

 季節が変わり、だんだんと陽が沈むのが早くなってきた。今日もまだ早い時間なのに、辺りは暗くなってきている。


 国の関連機関が立ち並ぶ通りを過ぎると、人通りの少ない並木道に出る。木々も色づいてきて綺麗だ。

 次の休みは何をしよう。レイが薬草とは別に育てているバラがそろそろ咲きそうだ。週末に見ることができるだろうか。



 ブリジットはのんびりと歩いていたが、ふと、誰かが後ろをついて来ていることに気付いた。嫌な予感がする。

 出仕している人が履くような硬い靴の足音ではない。ブリジットとほぼ変わらぬ速度だが、少しずつ近付いている気がする。


 気のせいだろうか。ブリジットが恐る恐る振り返ると、10メートルほど背後にいた男と目が合った。周りには誰もいない。

 全身黒い服を着ているが、どこの部署の制服でもない。右手を上着のポケットに突っ込み、左手は黒い手袋をしている。無精髭が伸び、眼はギラギラとブリジットを見つめていた。



 ――襲われる。


 直感的にそう思った。ブリジットは持っていた鞄を放り出し、全力で走り出した。並木道の途中から分岐する遊歩道に入る。この遊歩道を抜ければ住宅街だ。


 男もブリジットが走り出したのと同時に走り出したのが分かった。自分の口から出るのは荒い息遣いだけで、恐ろしくて声が出せない。


 後ろから自分と同じように、落ち葉を踏む強い足音が聞こえる。


 全力で腕を振り、足を動かす。


 心臓が割れそうに打っており、耳の下で脈打っているのが分かる。


 呼吸が苦しく喉が痛い。


 自分の喉から出る、はあはあという息遣いがうるさい。



 吐きそうな気分で涙が出て来たところで、男に腕を掴まれた。ブリジットが振り向くと、男が叫んだ。


「てめえ!逃げるな!!女のくせに、余計なことしやがって!」


 男が上着から何かを取り出した。夕陽に当たったそれはキラリと光った。刃物だ。


 思わず、掴まれた腕と反対の手で、胸元の指輪を握った。



 ――レイ様、助けて!!



 男が刃物を振りかぶった瞬間、強く目を瞑った。同時に手の中の指輪が冷たくなった。


 ガキンッと高い音がした。ブリジットが薄く目を開けると、男が訝しげな顔で刃物を眺めている。先端が欠けていた。


「――このっ!!」


 再度、男が刃物を振りかぶると、強く風が吹いた。指輪がさらに冷たくなっている。


 ブリジットが身を縮ませると、ふわりと何かに包まれた。



「私の妻になにか用が?」



 頭上から望んでいた人の声がする。強い腕に抱きしめられ、いつもの黒いローブに包まれていた。

 ブリジットは心から安堵して、涙が出てきた。


「なんだお前、邪魔するな!」

「私が誰だか知らないとみえる。教えてやろう」


 ブリジットが黒いローブの隙間から窺い見ると、レイが男に手をかざして口の中で呟いた。


 すると、男が持っていた刃物がみるみるうちに錆び付いていく。

 キラリと光っていた刃身がくすみ、赤褐色に濁っていき、男が刃物の変化に驚き悲鳴を上げたときには柄の部分からポキリと折れ、地面に落ちた。


 恐れをなした男はその場でへなへなと腰が抜けて座り込んだ。


「怪我は?」


 レイがブリジットを覗き込む。

 ブリジットはしがみ付いていた体から手を離し、硬い背中に手を回して抱きついた。


「…ありません。助けてくださって本当にありがとうございます」


 レイもブリジットを抱きしめ直した。


「転移魔法が得意だって言ったでしょう。間に合って良かった」



 ♢



 男はリンクス社の不正問題で処分された王宮管理院のうちの一人だった。

 王宮管理院とリンクス社、今まで持ちつ持たれつ上手いことやってきたのに、ブリジットが監査に入ったせいで台無しだと述べた。

 これまでも監査で逆恨みされることはあったけれども、実害に遭ったのは初めてだった。ミミたち通報者をバレないように対応しておいて良かった。



 ブリジットも取り調べを受けて家に帰宅し、遅い夕食を摂った後、ざっと湯を使ってから寝室に入ると、レイはもうベッドでくつろいで本を読んでいた。


「どうして私が危険だって分かったのですか?」


 いそいそとベッドに入りながらレイに尋ねた。


「あの指輪、物理的攻撃が加わると防御魔法が発動するようにしてました。防御魔法が発動すると私に分かるんですよ」


 男が一回目に刃物を振り下ろしたとき、刃先が欠けたのは防御魔法によるものだったのか。


「疲れたでしょう。ゆっくり休んでください」

「――あの、」


 レイが魔法の壁を建てようとしてくれたので、それを遮った。


「とても恐ろしかったので…、差し支えなければ今日は壁のない状態で、手を繋いで寝てくれませんか…」


 レイは少し驚いたように目を丸くした後、柔らかく表情を崩した。


「構いませんよ」


 二人はいつもより少しだけ枕の位置を近付け、仰向けに寝た。

 レイがブリジットの手を取って包んでくれる。自分とは違う、男性の手だ。骨張っていて、でも温かく、自分を守ってくれた。


 ブリジットはドキドキしつつも、とても安心していた。同時に自分の心から滲み出した感情に気付き、ああそうか、と納得した。


 ――私は彼を好きになってしまった。



 ♢



 レイは穏やかで、親切で、落ち込んだときには慰めて前向きな言葉をくれて、危険なときに助けてくれた。そんな人、好きになって当然だ。


 しかしこの契約結婚の契約の二つ目は『どちらかに好きな人ができたら離縁すること』だ。


 これは相手がレイでも当てはまるのだろうかとブリジットは考えたが、そもそもレイは自分に好意を持つ女性から距離を置くようにしている。

 それは当然ブリジットも当てはまるだろうと思い至り、ひどくがっかりした。契約違反以前の問題だ。


 彼への恋に気付いた瞬間、それは終わりなのだ。


 いずれにしてもこの結婚生活を続けることはできない。あまりにも不誠実だし、叶わない恋心を抱えて彼の間近で過ごすのは苦しい。

 レイに想いを伝えると、きっと気味悪がられるか、嫌われるだろう。情けないが、好きな人ができたと契約の終了を申し出た方が自分へのダメージは少ない。



 この家を出て、また一人になることを考えたら涙が出てきた。

 家に待ってくれる人がいて、帰りを待つ人もいて、人と食卓を囲み、人の温もりを感じながら眠りについた。自分には過ぎた贅沢な時間だった。

 楽しかったし、幸せだった。レイと離れるのが悲しい。


 この家を出たら宿舎に戻ろう。どうせもともと結婚する気などなかったのだ。

 楽しく過ごさせてもらって、恋までさせてもらってありがたい話だ。しばらくは親もそっとしておいてくれるだろう。



 ♦︎



「…え?契約違反ですか?」


 刃物事件から数日経ち、就寝前に大事な話があるとブリジットに声をかけられた。何事かと思ったら唐突に契約違反を申し出られたのだ。


「…はい。短い間でしたが、お世話になりました。休みの日に少しずつ荷物は移しますので…」

「ちょっ、ちょっと待ってください。契約違反とは何のことですか?」


 レイは慌ててブリジットを遮った。急な話で頭がついていかない。


「…好きな人ができました。二つ目の契約に反します」


 レイは愕然とした。


 刃物事件の後、一緒に手を繋いで寝たのが数日前で、新婚旅行に行ったのが一ヶ月ちょっと前だ。

 刃物事件の後は少し元気がないように見えたが、事件のショックのせいかと思っていた。

 好きな人ができたなんて、全くそんなふうに見えなかった。

 

「明日から宿舎に泊まりますので、申し訳ありませんが、コニーさんたちにはレイ様からお伝え頂けますか、すみません」


 レイが問い返す間も無く、ブリジットはさっさとベッドに潜り込んでしまった。

 レイも混乱したままベッドに入ったが、一睡もできなかった。

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