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踊り子のミミは時間通りにやって来た。ライラの店の個室を借りており、部屋にはレイ、ブリジット、ミミの三人だけだ。
ミミは部屋に入ってすぐに状況を理解したようだった。
「監査官のテイラーです。いまはミラーといいますが。手紙をくれてありがとうございます」
「なあんだ、やっぱりこんな男前があたしを指名してくれるなんておかしいと思ったのよね」
ミミはけらけらと笑って荷物を下ろした。
「でもあの手紙だけで来てくれてありがとう。よく分かったね」
「半信半疑でしたが当たって良かったです。話をお願いできますか」
ブリジットは飲み物を注文し、三人は机を囲んだ。
「あたしの父親がリンクス社で蝋燭職人をやってるの。ほら、高級な品は表面に飾り彫りをしてるでしょ、あれ」
ブリジットは手元に筆記具を準備し、メモを取りながら聞いていた。
「それで少し前にたまたま不正に気付いてすごく怒って。でも通報する事で仕事がなくなる事を恐れてるの。だからあたしが内緒であなたに手紙を」
「なるほど。手紙の日付と数字は?」
「王宮用の蝋燭の出荷日と数量。これとは別に、受注数量の記録もある」
ブリジットはうーんと考え込んだ。
「ではこれは架空発注だろうというわけですね」
「そう。追及できる?」
「あの、それってどういうことですか?」
二人の話を遮ってレイが尋ねる。どういう不正なのかが分からない。ブリジットが紙に図を書きながら説明してくれる。
「例えば、王宮管理院が蝋燭100を金100で発注したとします。それをリンクス社が90しか納品せず、でも王宮管理院が100受け取ったことにして、金100を払います。すると金10が浮くわけですね」
「すると…両方に不正している人物がいるのですか」
「そうですね。王宮管理院の発注と納品のチェック体制が甘いんでしょう。でも監査に入ったらすぐ分かりますよ」
「父はたまたま自分の担当した製品の在庫確認をしたときに気付いたようなの。それでいつか通報できるかもと、日付と数字をメモしたみたい」
「ライラさんから、王都の役人たちが好き勝手してると聞きましたが、それは?」
ブリジットはメモしていた手を止めて尋ねると、ミミが悔しそうに顔を歪めながら答えた。
「そう。奴らグローシャーに頻繁に来て、酒場で大暴れしていく。リンクス社の幹部たちと一緒のことも多いの。あたしはそれも許せなくて」
「共犯が不正に得た金で遊んでるんですかね」
その後、いくつかミミに質問してブリジットはメモをしまった。
「ありがとうございました。概ね分かりました。ミミさん、通報してくださって本当にありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざ来てくれてありがとう」
ブリジットはライラを呼び、いくつか料理と酒を注文した。
「ミミさんも一緒に食べて飲みましょう。私の夫を酒の肴にして良いですよ」
「えっ」
「やった!こんな美形なかなかいないもんね。せっかくだからあたしの踊りも見てちょうだい」
うろたえるレイを尻目に、ブリジットとミミはよく食べてよく飲んだ。ミミは鍛えられた体で力強く踊り、ブリジットもそれに合わせて拍手している。
三人はミミに依頼した時間ギリギリまで飲み食いし、解散した。
♦︎
次の日、地方監査官を訪ねることにしたブリジットを宿から送り出し、レイはグローシャーの外れにある湖を目指した。
グローシャーは工業地域だが、中心部を少し離れると自然が豊かだ。湖に着いたレイは、周辺の植物を観察し、珍しいものは少しだけ採取して氷漬けにした。湖も汚れておらず透明度が高く、数種類の水生生物がいるのが見えた。
そこまで広くない湖を一周した後、湖の脇にある一際大きい木の下でごろんと横になった。風が気持ちいい。
魔力は自然の気の一つだと考えられており、たまにこうやって自然に触れると魔力が回復していることを実感する。
王都で魔術師として働いているとそのような機会はあまりないため、引退した魔術師は皆、自然を求めて田舎に引っ込むのだ。
レイは非常に魔力が強いことから師団長を務めているが、今や大きな魔法を使う機会はそうない。産業が発達してきているし、国は安定しているからだ。大きな魔力を持つ人間が生まれる頻度も減ってきている。
でも、レイはそれでいいと考えていた。魔術師の仕事がないということは、国が穏やかで満ちている証だ。
レイは、うーんと伸びをして少しだけ寝ようとまぶたを閉じた。
午後、レイが宿に戻ると、ブリジットが既に帰ってきていた。
「どうでしたか?」
「元同僚に話ができまして、なんとかなりそうです。ありがとうございました。帰ったら忙しくなりそうです」
新婚旅行の目的は果たしたので、二人は王都に帰ることにした。ライラに挨拶し、ミミによろしく伝えてもらうよう告げた。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「監査のためにいろいろ準備が必要ですし。また来ます。今度は仕事抜きで」
「必ずだよ」
帰りも、行きと同じ経路を辿った。港町ではまた市場でいろいろ買ってベンチで食べ、お土産もたくさん買った。
「新婚旅行というより宿泊遠足だなと思ってたのですが、宿泊遠足でもなかったですね。ほぼ出張でした。付き合ってくださってありがとうございました」
「行ったことない場所に行って、美味しいもの食べて楽しかったですよ。これが出張でいいなら魔術師団の経費で精算しようかなあ」
ブリジットは飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「それは不正出張ですね。私が監査に入って揉み消さなければいけなくなります」
レイはその様子を想像して笑った。
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もともと申請していた休暇から二日早く帰ってきたが、ブリジットはそのまますぐ仕事に復帰した。
班員たちは新婚旅行を早く切り上げたブリジットに驚いたが、ブリジットが持って帰った王宮管理院の不正問題にもっと驚いた。
そこからは迅速に、しかし情報が漏れないよう、抜き打ち監査の準備が進められた。
グローシャー側は騎士も不正に関わっている可能性があるため、会計監査院と同様に国から独立している司法機関に協力を要請した。
リンクス社は民間会社なので会計監査院の監査対象ではなく、地方の税務院が納税関係の対応をする。
ちょうど一年間の納税申告時期であることから、納税書類の確認のためと称し、司法機関から指定を受けた会計監査院と税務院が調査に入る形をとることにした。
グローシャー地方監査官と密に連絡を取りながら、王宮管理院とリンクス社の抜き打ち監査に入ったのは新婚旅行から三週間後だった。
一方、レイは予定通りの休暇を取り、仕事に復帰した。魔術師団でお土産を広げると、団員たちがわらわらと集まってきて、仕事中だというのにお茶の時間になってしまった。
せがまれるまま新婚旅行の話をすると、皆口々にいいなー、いいなーと羨んできたため、レイは自分の職場の緊張感のなさに苦笑した。
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抜き打ち監査で架空発注が明るみに出て、大勢の関係者が処分を受けてようやく、ブリジットは一息ついた。
「グローシャーの騎士もやはりグルでした。見て見ぬ振りをしてリンクス社の不正な金で好き勝手やっていたようです」
「無事に済んで良かったですね」
新婚旅行から帰ってきてから今まで、ブリジットはずっと忙しくしていた。今日は久しぶりにレイより早く帰宅している。
「レイ様とグローシャーに行ったのが遠い昔のようです。今度はちゃんと遊びで旅行に行きましょうね」
レイは笑って頷いた。
久々の家での夕食ということもあり、コニー、ミランダ、ジョンも一緒に食事を摂ることにした。
「もうブリジット様がいらっしゃらないとこの家は本当に静かで寒くて。お仕事が落ち着いて良かったですよ」
「私ももう当分、こんなに忙しいのは嫌です。ジョンさんのお料理を家で食べたいです」
急に話を振られたジョンは恥ずかしがって赤くなり下を向いた。
ブリジットは珍しく酒を飲み、散々喋った後にうたた寝し始めたので、レイがベッドまで運んで、夕食はお開きになった。