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ブリジットは夕食後にロッキングチェアでゆらゆら揺れながら、届いた手紙を読んでいた。なにやら難しい顔をしている。
「どうしましたか?」
レイが近付いて斜め向かいの椅子に座ると、読んでいた便箋を差し出された。
便箋は一枚で、日付と、日付の横に数字が並んでおり、それが十数行続いている。文章は書かれていない。
「これは?」
「以前住んでいた宿舎の方に私宛で届いていたのです。おそらく告発文書だと思うのですが」
封筒の裏は封蝋が押されているが印璽はなく、差出人は書かれていない。
「差出人が分かりませんが心当たりは?」
「ありません。監査院宛に内部告発や通報があることはよくあるのですが、これは私個人宛なのです」
ブリジットは封筒をぴらぴらと揺すり、発信場所を示す印を指した。
「ただ、ヒントはあります。手紙が発信されたのがグローシャーで、以前、私はここで地方監査官をやっていたことがあります」
「ああ、『鉄の女』の」
「ええ。それから封蝋が押されているのが何か変です。いまは一部の上級貴族しか封蝋を使いませんし、それも差出人を証明するためですよね。だけどこれには印璽もない。封蝋自体に意味があるのかと」
封蝋は、昔は手紙が未開封であることを示すものであったが、最近は郵便制度が発達してきて封蝋が擦れることが多いことから、使う人はほとんどいない。
「封蝋に意味があるとすると、グローシャーにあるリンクス社という会社を指しているのかなと思うのです」
「有名な会社なのですか?」
「はい。グローシャーでとても大きな会社です。リンクス社は王宮に多くの照明用の蝋燭を卸していて、封蝋も扱っています。これを告発文書と見るならば、私が地方監査官だったことを知っている人が、リンクス社関連の不正を王都にいる私に通報したと考えられます」
「王宮の照明用蝋燭を管理しているのはどこなのですか?」
「王宮管理院ですね。わざわざ王都の私に告発するということは、こちらに不正があると考えられますよね。ただこの情報だけだとちんぷんかんぷんで…」
ブリジットは悩んでこめかみを押さえている。確かに意味のわからない日付と数字の羅列だけで監査に入るわけにはいかないのだろう。
「地方監査官の時にいろいろ情報をもらっていた知り合いがグローシャーにいるので、その人に手紙を書いてみようかなと思ってます」
「あ、それなら直接聞きに行きましょうよ」
「えっ、少し遠いですよ」
「でも、新婚旅行も行ってないですし。しばらく監査もないし落ち着いていますよね」
「レイ様のお仕事は…」
「なんとでもなりますよ」
レイはふわりと笑って、持っていた便箋をブリジットに返した。
♢
仕事の調整をつけた二人は新婚旅行と称し、馬車でグローシャーを目指していた。
レイの転移魔法で一気にグローシャーに行っても良かったが、せっかくの旅行だ。レイとブリジットはのんびり行こうと気楽に出発した。
レイが副師団長のダニエルに新婚旅行に行くと告げると、はーい、とゆるい返事が返ってきた。いまは魔術師団に急ぎの仕事はほぼない。ダニエルは会議の出席や書類仕事も適当にやってくれるだろう。
ブリジットの方は新婚旅行に行くと告げると、班員たちが拍手で送り出してくれたと苦い顔をしていた。
「私みたいな上官がしばらく不在で清々してるんですよ、きっと」
「いやあ、班長幸せになって良かったね、楽しんできてね、の拍手だと思いますけど」
レイは苦笑したが、ブリジットはまだ不服そうだった。
グローシャーまでは馬車で丸二日かかるので、途中、最近開港した港町で一泊する。夕方、港町に着いた二人は宿に荷物を置き、夕飯がてら市場を散策することにした。
「少し前に部下の一人が姫の地方公務に同行して、ここでお土産をたくさん買ってきてくれまして。行ってみたいなと思ってたんです」
レイは屋台で買った揚げ物を頬張った。揚げたてで、まだ湯気が立っている。ブリジットは小さなお椀に入った麺を買って、二人で木の下のベンチで食べた。
「王都とは違う雰囲気で、活気があって良いですよね。私は領地とグローシャーにしか住んだことがないのですが、領地は田舎だし、グローシャーは工業地域なのでなにもないんですよ」
「帰りもここに泊まって、お土産買って帰りましょう」
宿泊する宿は夫婦として一部屋だが、いつも通りベッドに魔法の壁を作って一緒に寝た。
ブリジットは、新婚旅行というより宿泊遠足に近いなとこっそり思った。
次の日、早めに出発した二人は道が空いていたこともあり、夕方にはグローシャーの街に着いた。
「情報通の知り合いは食事処で働いているんです。連絡はしてあるので早速行ってみましょう」
グローシャーは確かに工業地域で、賑わっているのは大通り近郊だけだ。ただ、労働者が多いため、食事処や宿屋の数は多く、商店や酒場も並んでいる。
ブリジットが一軒の店の扉を開けて入ると、中から女性の声が聞こえてきた。
「すみません、まだ開店前なんですよー」
客はおらず、店内はまだ暗い。出てきた女性はブリジットを見ると、はっとした。
「ご無沙汰しています、ライラさん」
「ブリジット、久しぶりだね」
ライラと呼ばれた女性はブリジットよりも少し年上で背が高い。ブリジットを懐かしそうに眺めた後、レイに目を移してぎょっとした。
「なにこの人、今まで見た男の中で一番綺麗なんだけど」
「あー、結婚しまして。夫です」
「ええっ!!」
「はじめまして、レイ・ミラーといいます」
ライラにまじまじと見られてレイは居心地が悪く感じ、下を向いた。なんだかわからないが、へー、と感心したように言われた後、厨房に一言告げ、店の二階に案内された。
「手紙はライラさんが下さったのですか?」
店の二階はいくつかの個室になっているようで、一室の食卓に三人で座った。
「いや、違うよ。ブリジット、どこまで分かった?」
「予想ですが、王宮管理院とリンクス社の不正で、手紙の数字は、金額か物品の数量」
ライラは笑って拍手した。
「さすがだね!ほとんど当たり。でも通報者はあたしじゃない。あたしはブリジットに通報したらとアドバイスしただけなの」
「通報者に会えますか?」
「会えるけどね。通報した事をばれるのを恐れている。ブリジットだと分からない方がいいな。あんたの顔を覚えている人間がいるかも」
ブリジットはうーんと考え込んだ。
「通報者はどこに?」
「それが踊り子なんだよ。いずれにしてもあんたは入りにくいね」
酒場のステージで踊ったり、個別の宴席に呼ばれて舞を披露するのが踊り子だ。ブリジットのような若い女性が踊り子のいる店に出入りすることは少なく、目立ってしまうだろう。
「私が行ってきましょうか?ここのお店の個室に出張してもらえるようであれば話を聞けます」
レイの提案に、ブリジットとライラは顔を見合わせた。
「…あんたが行くのは目立ちすぎるね」
「派手すぎますね」
レイは苦笑して、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、呪文を唱えた。すると小さく風が吹き、思わずブリジットは目を瞑った。開いた時にはレイの髪と瞳が黒に変わっていた。
「どうですか?」
「あんた!魔術師だったの!魔法を初めて見た!」
黒髪のレイにブリジットはどきりとした。金髪碧眼よりは目立たないだろうが、金髪の時とは違う凛々しさがある。
踊り子の名を聞き、レイはそのまま彼女の所属する酒場へ予約を取りに行った。
「詳しくはその踊り子に聞いて欲しいんだけど、王都の役人たちがなかなか酷くてさ、視察と称して街に来ては好き勝手するんだよ」
「騎士は止めないのですか?」
「本気で止めようとしないね。騎士たちもグルなのかも」
王宮管理院の監査だけでは全てを叩けないかもしれない。グローシャーの地方管理官に協力を仰がなければ。
レイはすぐに帰ってきた。通報者の踊り子の予約が取れて、今夜すぐに大丈夫だという。
「出張予約はすぐ取れたんですけどね、サービスでたくさんの踊り子が来てくれるっていうので断るのが大変でした」
その様子が容易に想像できた。レイを見た踊り子たちが色めき立ったのだろう。
ブリジットは少し面白くない気分になり、自分が変装していくべきだったと後悔した。




