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「とてもお綺麗です」
国王の誕生日の夜会の夜、盛装したブリジットを見て、レイは正直に感想を口にした。
「あら、『気の利いた言葉』をありがとうございます」
ブリジットが、母が言っていたことを揶揄して言った。
「私だって女性を褒めることくらいできます。でも本当に正直にそう思ったのですよ」
今日のブリジットは栗色の髪を複雑に結い上げ、キラキラとした髪留めをつけて、お守りの指輪を指にはめている。ドレスはクリーム色で光沢があり、裾の方には刺繍が施されていた。ミランダが満足そうに頷いている。
いつもの監査官の制服姿だと凛々しく見えるが、今日は女性らしい柔らかい印象だ。喫茶室で会った時のように、監査官姿しか見ていない人は気付かないかもしれない。
「ありがとうございます。でもね…」
ブリジットは少し引いてレイを上から下まで眺めた。
「レイ様以上に美しい人はきっと今日いませんよ」
♦︎
王宮に着くとすでに大勢の人が集まっており、あちこちで談笑していた。
多数の蝋燭で照らされた大広間は明るく、見上げると高い天井に巨大なシャンデリアがぶら下がって輝いている。隣を見ると、ブリジットもシャンデリアを見上げていた。光が反射して瞳がキラキラしている。
「ブリジット殿は社交界に出入りしなかったのですか?」
「デビューした時期は顔を出していました。監査官になってからは…ここに着任したときに一度だけ夜会に出たことがあります。それからはもうないですね。年が年ですし」
ブリジットはきょろきょろと周りを見回した。
「目立ちますねえ…」
「え?」
「レイ様ですよ。皆、レイ様を見ています」
そうだろうか。レイも周りを見回す。いつからか、人の視線は気にならなくなってきた。気にしていられないというのもあるが。
騎士が国王夫妻の訪れを告げた。皆、頭を下げて入場を待つ。その後、貴族たちが順繰りに挨拶に行くため、レイたちもそれに加わった。
「陛下、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。そなたたちも結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
国王と王妃はブリジットを見つめている。
「ブリジット嬢…、いや、ミラー夫人だな。ドレス姿を見るのは久しぶりだ。よく似合っている」
「ありがとうございます、陛下。来月の監査は私もフォローに入りますので、ご準備よろしくお願いいたします」
王族も監査を受けるのはレイも知っていたが、来月とは知らなかった。
国王は少し身を乗り出してブリジットに話しかけた。
「うむ。くれぐれもお手柔らかに頼む。くれぐれも、だぞ」
「はい。精一杯、務めさせて頂きます」
会計監査院は国から独立した機関だ。おそらく監査で手加減しないであろうブリジットに、レイと王妃はこっそり目を合わせて苦笑した。
♢
国王への挨拶後は、結婚報告も兼ねて知り合いに挨拶に回った。
ブリジットは社交界に出ていなかったため、そもそも貴族たちにほとんど知られていない。監査官という職業も、監査対象でなければ縁がないので知らない人も多い。レイたちは出会った人それぞれに、同じ説明を繰り返した。
ブリジットは貴族たちの反応に身構えていたが、概ね皆、レイの結婚を好意的に受け止めているようで、祝福の言葉を受けた。
一部の女性からは不躾な目で見られたり、ほんのわずかに嫌味を言われることはあったけれども、表面上は穏やかに済んだのでブリジットはホッとした。
懇談している間から、ブリジットはだんだん緊張してきていた。ダンスの時間が近づいて来ている。
貴族たちの国王夫妻への挨拶が一通り済み、国王夫妻がフロアで踊り始めた時には、ブリジットの緊張は最高潮だった。まだ何もしていないのに汗がじんわり滲んできている。
国王夫妻の後、王族らが踊り、そのあとフロアが開放されて貴族たちが自由に踊り始めた。
「行きましょう」
ブリジットはレイに手を引かれてフロアに入り、音楽に合わせてステップを踏み始めた。
レイは穏やかに笑みを浮かべてリードしてくれるが、彼の顔を見る余裕がない。ドレスの裾が邪魔なのだ。練習は膝丈のスカートだった。失敗した。
音楽をよく聴いて、練習通りに足を動かせば良いのに、全く合っていないのが自分でも分かる。
背中に冷や汗が流れ、呼吸が浅くなってきた。レイの指先は温かいが、自分は汗もかいているのに繋いでいる指先が冷たい。
だいたい、昔から運動は苦手なのだ。学生の時のダンスの授業もパートナーに笑われるか拒否されるかだった。球技なんて目も当てられない。運動の授業は憂鬱だった。ああ嫌だ。
笑われるのが自分だけならまだ良い。しかしここではレイも笑われてしまう。今も、周りの人達がこちらを見て笑っている気がする。
こんなことになるなら、もっともっと練習しておけばよかった。パニックで頭の中が真っ白だ。音楽も聞こえない。
今までの嫌な思い出が走馬灯のように頭の中を流れる―――
「ブリジット殿、ブリジット殿」
自分を呼ぶ声が聞こえて、はっと我に返った。穏やかに自分を見つめるレイと目が合う。
「大丈夫、落ち着いて。もうすぐ終わりますよ。頑張って、肩の力を抜いて」
レイが繋いだ手の親指の腹でブリジットの手の甲を優しく撫でてくれる。ふっと力が抜けた。音楽が戻ってきた。
レイのいう通り、すぐに終わりの時間が来て曲が変わった。レイはブリジットを連れてフロアを離れた。
「一通り用事も済んだので帰りましょう」
二人は王宮を後にした。
恥かしくて、惨めで、申し訳なくて顔を上げられない。
ブリジットが一言も発さぬまま馬車は家に着いた。
心身ともにくたびれて、ぐったりとしたまま湯を浴び、ふらふらとベッドに潜り込んだ。
「…消えてしまいたい…」
強い酒でも煽りたいが、明日も仕事だ。ブリジットは頭まで布団を被った。
しばらくすると、レイも寝室にやってきた。魔法の壁を作り、反対側からベッドに入ってきたのが分かる。今夜のことを謝らなくては。
「…レイ様…。申し訳ございませんでした。仮の妻として全くお役に立てず。恥をかかせてしまい、申し訳ありません」
声が震えないよう抑えたつもりだが、声を出すと涙が溢れてきた。嗚咽がこぼれないように喉の奥に力を入れる。
すると、ベッドが軋んで、頭まで被っていた布団をずらされた。レイが魔法の壁を消してブリジットのすぐ隣に来て、濡れた瞳を覗き込んでいる。
「今日はお疲れ様でした。全然恥だなんて思いませんよ」
ブリジットの額に張り付いた髪を手で優しく払ってくれる。涙と汗でびしょびしょだ。
「というかですね、ブリジット殿にも苦手なことがあるんだと思って親近感がわきました。あなたはなんでも完璧で、本番に強いタイプだろうと思っていた。今日は嫌なことに付き合ってくださってありがとうございます」
「…でも、きっと私のせいでみなさん色々言いますよ」
情けなさに涙が止められず、レイがそれを指で拭ってくれた。
「何か言われても放っておけばよいのです。私は今日楽しかったですよ。美しい女性をエスコートして、皆からたくさんお祝いの言葉をもらいました」
慰めとは分かっているが、前向きな言葉をありがたく感じ、ブリジットは涙をゴシゴシと拭いた。
「…お義母さまに訂正しなければなりませんね。気の利いた言葉も言えないなんて、そんなことないし、『ぼんやり』ではなくて、器が大きくておおらかだって」
「それ!絶対、今度母に言ってくださいね」
レイが前のめりに主張したので、ブリジットは笑ってしまった。
それから少しだけ雑談して、レイは元の位置にいそいそと戻り、魔法の壁を建てた。
「お疲れ様でした、おやすみなさい」
「ありがとうございました、おやすみなさい」
惨めさは残るが、レイのおかげで最悪の気分からは浮上した。彼の優しさがありがたい。
ブリジットは深呼吸して、穏やかな気持ちで眠りにつくことができた。
♢
夜会の翌日の昼、ブリジットが職場の食堂で昼食を取っていると、向かいの席にトレーが置かれた。
「ブリジット、ここいい?」
「アニー、もちろんどうぞ」
アニーは第一班で事務を担当している女性で、ブリジットが王都で監査官に着任した時からの付き合いだ。社交界で顔が広いため、監査する上で色々情報をもらうことも多い。
「昨日、見たわよ、噂の旦那さまと一緒のところ。本当に王子様のようだったわね」
「昨日挨拶できなくてごめんね。バタバタだったの」
「いいのよ。遠目からでも見れて眼福だったわ」
アニーも昨夜の夜会に夫と参加すると聞いていたが、見つけられなかった。
「社交界の女性陣、昨日あなたを見るのを待ち望んでいたのよ。麗しの師団長を射止めた令嬢はいかがなものかしらって」
「ええー…、それで反応は…?」
ブリジットが恐る恐る尋ねると、アニーはにやりと笑った。
「ショックを受けないでね。なあんだ、って感じだったわ。ブリジットは社交界で全然知られていないし、仕事は謎だし、ダンスはひどいでしょ。だから、よっぽど師団長と気が合ったのか、それとも親が決めたのかしら、みたいな感じ」
ショックだ。女性陣から相手にもされていないということではないか。まあ仮の結婚だし、淑女としては太刀打ちできないのでそれでいいのかもしれないが。
「きっと多少名の通った令嬢だったら、妬み辛みが酷かったと思うわよ。ブリジットで良かったんじゃない?それにしても本当にいつの間にお近付きになったの?」
「話した通り、お見合いして気が合ったから結婚した、それだけ」
「ふうん」
元々は親からの圧力を遠ざけるための仮の結婚だ。
結婚相手がブリジットであることで、女性陣からのレイの評価は下がったかもしれないが、元々の目的はクリアしているので良しとしてもらおう。
ブリジットは強引に自分を納得させた。




