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両家への挨拶を終えて次の日、婚姻書類を提出してから魔術師団に出勤した。ブリジットは今夜、荷物を持って家にやってくる予定だ。
自席についた途端、団員たちがぞろぞろと集まってきて、ダニエルが興奮した様子で尋ねてきた。
「師団長、結婚したというのは本当ですか?」
「本当だが、先ほど提出したばかりなのに、なぜ知っている?」
団員たちが歓声を上げ、拍手が起こった。
「総務の担当者が驚いて教えてくれたのです。それで?お相手は?」
「テイラー監査官だが」
先ほどの歓声よりも大きな驚きの声が上がった。皆口々に、どうやって、なぜ、いつの間に、と、やいのやいのうるさい。
「先日テイラー監査官と個人的に話す機会があって、気が合ったので結婚した。以上だ。仕事に戻れ」
レイがしっしっと追い払う仕草をすると、皆文句を垂れながら席に戻った。
普段静かな魔術師団がこの調子では、ブリジットの方は大丈夫か、レイは心配になった。
レイが結婚したことは王宮中に広まっていたが、ブリジットはレイが心配したようなことにはならなかった。
ブリジットはその日の午後に荷造りのために休みが欲しく、猛スピードで仕事を片付けていたため、誰も話しかけることができなかったのだ。
仕事にキリがついたブリジットは班員に午後は休みを取ると告げ、今後の緊急の連絡は宿舎ではなく、ミラー魔術師団長の家にするよう伝えた。
班員たちはぎょっとしたが、彼らが声をかける間も無く、ブリジットはさっさと監査院を後にした。
レイがいつも通りに仕事を終えて自宅に帰ると、ブリジットの引越しは概ね終わっているようだった。
彼女の部屋を覗いたレイは驚いた。
「すごい量の本ですね、図書室のようだ」
「あ、師団長、お帰りなさいませ。すみません、荷物といってもご覧のように本ばかりなのです」
本棚に本を並べるために脚立に乗っていたブリジットはゆっくり降りてきた。
「それから、ドレスをご用意してくださってありがとうございます。部屋着も」
「足りないものがあれば言ってください。家の中は後日案内しましょう」
ある程度片付けを終えて二人が食卓につくと、料理人のジョンが料理を並べ始めた。いつもよりもはるかに気合が入っていることが分かる。
美しい料理の数々にブリジットが歓声を上げた。
「素晴らしいお料理ですね!私はずっと宿舎暮らしでして、あそこは騎士ばかりなのでとにかく安くて量が多いのがモットーなのです。こんなに素敵なお料理、久しぶりです!」
ジョンは大いに照れていたが、とても嬉しそうだ。ブリジットは嬉々として食べ始め、その細い体のどこに入るのだと心配になるくらいよく食べた。
「…テイラー監査官の異名は『鉄の女』だそうですが、とてもそんな風には見えませんね」
ブリジットは口の中の鶏肉を飲み込み、水を飲んだ。
「私のあれは元々、一般的に使われる『鉄の女』の意味ではありません」
「そうなのですか?」
「ええ。私、王都で監査官になる前に少しだけ地方監査官をやっておりました。そのときに地域で一番大きい鉄工所の大規模な脱税を摘発したことがありまして、その功績で王都の監査官になったのです」
「えっ、つまり…」
「そうです。正しくは『鉄工所の脱税摘発女』の略なのです」
レイは声を上げて笑ってしまった。
「今では一般的な意味でそのように呼ばれているのかもしれませんけどね。噂なんて本当、適当なものですよ」
その後もブリジットはよく食べ、よく喋った。
レイは普段は黙々と食事を取るが、今夜はブリジットにつられてよく喋り、大いに笑った。コニーもミランダもジョンも、家の者が皆笑っていた。
♢
非常に美味しい料理に大満足したブリジットはミランダに勧められて湯を使い、部屋に戻ったところでハッと気がついた。
どこで寝れば良いのだろう。
自室にはベッドはない。普通に考えると扉で繋がっている隣が夫婦の寝室なのだろうが、自分たちは契約結婚なのだ。そのような関係にはならないだろう。
ブリジットは恐る恐る隣室への扉を開けた。誰もいない。そっと中へ入り、広いベッドに座った。宿舎のベッドとは大違いでふかふかだ。
すると、反対側の扉が開いてレイが入ってきた。湯上がりのようで部屋着を着ており、下ろした金髪がまだ濡れている。あまりの色気にブリジットは目を逸らした。
「引越しもあってお疲れでしょう、明日も仕事ですから早く休んでください」
レイはそう言ってベッドに向かって手をかざし、口の中で何かを呟いた。すると、ベッドを縦に二分割するように薄い壁が現れた。
「申し訳ないが、しばらくは契約結婚であることを誤魔化すためにこれで我慢してください。しばらくしたら部屋にベッドを用意します」
「…お気遣いありがとうございます」
ブリジットは肩の力が抜けてほっと息をついた。自室に近い側からベッドに入ると、魔法の壁を隔てて隣にレイが寝たのが分かった。半分になっても十分な広さだ。それに隣にレイが寝ていると分かっていても、壁があることで気持ちの負担はかなり減った。
「あの、相談なのですが」
「はい」
壁の向こうからレイが話しかけてきた。
「呼び方ですが、私のことはレイと呼んで頂けますか。夫婦になったので、一応」
確かに、彼を師団長と呼んでいたし、自分は監査官と呼ばれている。
「承知しました。私のこともブリジットと呼んでください」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
レイの言う通り、引越しの疲れもあり、あっという間に眠たくなってきた。ブリジットは大きく欠伸をし、布団に潜り込んだ。
♦︎
次の日、レイが起きたときにはブリジットはすでにベッドにいなかった。昨夜は壁を設けたおかげでブリジットはすぐに眠れたようだ。
レイはベッドに設けた魔法の壁を消し、着替えて階下に降りた。食堂の方から笑い声が聞こえてくる。
「おはよう」
「あ、レイ様、おはようございます」
自分で提案したにも関わらず、実際に呼ばれるとなんだか照れ臭い。
「レイ様、今日は朝から会議なので先に出ますね。ジョンさん、お弁当ありがとうございます」
ブリジットは慌ただしくお茶を一気に飲むと、鮮やかな柄の袋を掴み、食堂を出て行った。コニーが見送りをしている。
ミランダがにこにこと笑いながらレイの前に食事を並べ始めた。
「若い女性がいらっしゃるとそれだけで華やかで楽しいですねえ」
「私は華やかでなくて悪かったな」
「坊ちゃんはねえ、見た目は華やかですけど中身が地味なんですよねえ」
ミランダの容赦ない批評に、レイは黙ってパンを口に入れた。
いつも通りに出勤したレイは、国王陛下に呼ばれて執務室に向かった。予定にない呼び出しだ。仕事だろうか。
「結婚したそうだな」
「はあ…」
今更ながら、思いの外、自分に影響力があったことを知った。魔術師団長とはいえ、一個人の結婚のために国王が呼び出すなんて。
「国中の女性が涙に暮れているのではないか?レイはずっと女性らの憧れのままでいるのだと思っていた」
完全に面白がっている声色だ。
「事後報告になり申し訳ございませんでした。相手はテイラー侯爵家の…」
「知っている。ブリジット女史だろう。彼女も結婚すると思わなかった。久しく会っていないな。レイ、来週の私の誕生日の夜会に連れて参れ」
「えっ!!」
レイは驚いてなんとか断ろうと試みたが、国王が絶対に連れてこいと念押ししたため、引き下がらざるを得なかった。
その日、ブリジットをどのように説得しようか悩んで仕事が手につかず、いつもより帰りが少し遅くなってしまった。ブリジットはすでに帰宅しており、コニーとともに出迎えてくれた。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、レイ様」
「お帰りなさいませ、王宮からお手紙が届いております」
招待状だ。速い。なんとしても連れてこいという国王の強い意志を感じる。
レイは食事の際に話を切り出した。
「ブリジット殿、実は来週の陛下の誕生日の夜会に二人で出席するよう陛下から言われまして…」
ブリジットは今日も嬉々としてもりもり食べている。昼の弁当もとても美味しかったとジョンに嬉しそうに礼を言っていた。
「先ほどのお手紙ですね、承知しました」
「いいのですか?」
「陛下直々に言われてしまったのなら『貴族夫人としての最低限の仕事』に入るでしょうから。ただ、問題があります」
「なんでしょう」
ドレスや宝石はなんとかなるはずだ。ブリジットは口元を拭い、まっすぐにレイを見つめた。
「私は壊滅的に踊るのが下手なのです」
食後、試しに踊ってみることにした。近くでコニーとミランダが見ている。
レイはブリジットの手を取り、腰に手を回した。そういえば彼女に触れたのは初対面での握手以来、初めてだ。その時と変わらない冷たくて細い指にどきりとした。
コニーがゆっくりとカウントを取り、それに合わせてブリジットはギクシャクと踊り始めた。なるほど確かにリズム感もないし、動きも硬い。
少し踊っただけでブリジットは肩で息をしていた。
「…ご覧の通りです。私は別に良いのですが、レイ様に恥をかかせてしまいます」
「恥だなんて。当日まで練習しましょうか」
「えーっ!!」
珍しく抗議の声を上げたブリジットにレイは苦笑した。宿題を嫌がる子どものようだ。
それから毎日、食後にダンスの練習をした。ブリジットの動きに大幅な向上は見られなかったが、お互いの体の距離感には慣れ、当日を迎えた。