風邪
契約結婚中のお話
「熱が高いですね、大丈夫ですか?」
「はい……」
ブリジットが発熱したのは今朝のこと。
朝起きたら、壁を隔ててレイの隣で寝ていたブリジットは頬を赤くし、ぐったりとしていた。
「今日は休みます……、レイ様、ご迷惑をおかけしてすみません……」
「とんでもない、監査院には連絡しておきますよ。ゆっくり休んでください」
ブリジットが体調不良で寝ていることをミランダたちに伝えると、彼らは非常に驚いた。おろおろと「お医者様には?」「なにか食べやすいものを」とそれぞれが動き出す。
この家の主であるレイは丈夫だし、妻としてやってきたブリジットが寝込むのは初めてのこと。病人の看病ということ自体が久しい。
すぐに準備された水と粥を渡され、レイは再度寝室の扉をノックした。か細い返事を確認し、中に入る。
食事の匂いに気付いてブリジットが身体を起こしたので、それを手伝ってやった。
「ブリジット殿、食欲は?」
「えっと……」
盆に載せられた水と湯気の立つ粥を見て、ブリジットが固まる。
食欲は無いらしい。それもそうだろう、熱も高そうだ。
「すみません、まだ食欲無さそうですね。もし少し何か口にできそうであればミランダに……」
「あ、いえ、大丈夫です。いただきます」
「無理しなくても」
「いえ、ありがとうございます」
少しずつ水を飲み、ふうふうと冷ましながらブリジットが粥を口にする。水分が摂れるなら大丈夫そうだ。
ブリジットが食事したのを見て安心したレイが部屋を出ると、ミランダが待っていた。
「坊ちゃん、ブリジット様のご様子はいかがですか?」
「とりあえず様子見て、悪くなりそうだったら医者を呼んでくれるか。私は今日は遅くなりそうだから頼む」
「分かりました。けど、心配ですねえ。坊ちゃんはお熱なんて出さないですし」
「ちょっと馬鹿にしてないか?」
レイが眉を寄せると、ミランダは「ほほほ」と笑って空いた器を受け取った。
♢
大人になってからの発熱というのは、子どもの頃に比べてひどくしんどいのは何故なのだろう。
発熱時特有の狂った悪夢を見てブリジットが目を覚ました時には、もう深夜だった。
まだ熱はあるが、朝よりは少し下がっているように思え、体を起こして部屋を見回す。
窓はすでにカーテンが引かれており、壁はなく、レイもいない。別室で休んでくれているのだろうか。
「どうしようかしら……」
少し迷った末、ブリジットは寝台を降りて音を立てないように部屋を出た。
行き先はキッチン。
目的は、肉を食べることである。
ブリジットの実家では、寝込んだ時には肉を食べさせられた。
弱った時ほど元気の出る料理を食べろ、という思想である。そのため、食欲があろうがなかろうが、分厚い肉が出されるのが通常であった。
大人になってからは体が温まるようにアルコールも追加されて。
それが一般的ではないことは一応知っていたが、実際に今朝、粥を見て改めて実感した。
今朝発熱してから、家の皆がとても心配してくれていたのであろう。ジョンが用意してくれたと思われる粥を始めとして、柔らかく煮た野菜、夕方には果物を出してくれた。
心配してくれて、親切にしてもらい、非常にありがたく感じた。
一方で、こうも思った。
──これでは治らない、と。
完全な刷り込みである。
絶対に体に優しい食べ物を食べた方が良いと頭ではわかっているのに、それでも肉を食べないと治らない気がするのである。
そんなわけで、暗い中こっそりとキッチンに降りたブリジットは、なにかがっつりした食べ物が残っていないかどうか物色した。
「さすがに料理するわけにはいかないけれど……、なにかないかしら」
宿舎暮らしが長かったので、料理はできないことはない。だが、ジョンによって綺麗に片づけられたキッチンを勝手に使うのは図々しすぎるだろう。
そう思いながら肉を探していたブリジットは、キッチンに据付の小ぶりの保冷庫の中に干し肉を見つけた。
「わ」
求めていたものからは遠いが、これなら食べてもよさそうだ。
明日、夜中に空腹で少し食べたのだとジョンには謝ればいいだろう。
「いただきます」
ブリジットがちぎった干し肉を口に入れようとした瞬間。
カタン、と入口で物音がした。
「?」
振り返ったら、レイが立っていた。
「…………」
「…………」
魔術師団のローブ姿。
今帰ってきたところらしい。ローブ姿は暗闇で見つけづらいわなどと場違いなことを思いつつ、ブリジットは自身の行動を目撃されて固まった。
体調不良の妻が、寝巻き姿でキッチンで肉をしゃぶろうとしているのだ。怪しむだろう。
レイは驚いたように目を丸くしてから、ローブを脱いでキッチンの丸椅子に乗せた。
「体調はどうですか? 熱は下がりましたか?」
「下がっていません」
また驚いたように目を瞬き、ブリジットに近付いて額に手を乗せる。それから「本当だ」と苦笑した。
「でも食欲が出てきたのは良いことですね」
「いえ、すみません、実は……」
ブリジットは自身の刷り込みを白状した。
まだ熱は下がってないけれど、肉を食べたいこと。幼い頃から、熱を出したら病人食ではなく、むしろがっつり食べて治していたこと。
呆れられるかと思ったがそんな様子もなく、レイは最後まで聞くと微笑んだ。
「言いづらかったんですね、気付けなくてすみません」
「いえ、私の方がちゃんと申し上げればよかったです」
「それで足りますか? 飲み物は?」
「十分です。飲み物は……、ブランデーを……」
「おおー」
「すみません……」
笑いながらもちゃんとリクエストを聞いて用意してくれるのだから、レイは優しい。
グラスにブランデーを少量注ぐ様子を見ていると、レイが言った。
「生まれも育ちも違う人間が一緒に暮らすんですから、色々違って当然ですよね。また何か困ったことがあったらなんでも言ってください」
「ありがとうございます」
そうだ。
全く違う環境で育った人間が一緒に暮らすのだ。考え方や習慣の違いがあれば、口に出さなければ伝わらない。
「早く良くなってくださいね、ブリジット殿」
「お肉食べたので大丈夫です、これからの私の回復に期待してください」
「ははは」
次の日、赤ワインソースのたっぷりかかった分厚い肉が朝から用意された。
レイがジョンに伝えてくれたのだろう。
肉を食べて、ブリジットはすぐに元気になった。
《 おしまい 》
2024/3/12、コミックス2巻発売です!!
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