2
監査が済んで日常に戻った。レイはいつも通り、会議に出たり、王族や団員の相談に乗ったり、新しい魔法の検討をしたりしていた。
そしてすっかり忘れていた。お見合いのことを。
「レイ様、明日はいかがいたしますか?」
「なにが?」
週末、帰宅後にコニーに話しかけられたがさっぱり分からない。コニーは呆れ顔で続けた。
「お見合いの件です、明日ですよ。大奥様の占いの」
「ああ…」
思い出した。見合いをすると返事してしまったのだ。あの時は監査で頭がいっぱいだった。今となっては面倒だ。
「…一応行く。適当に服を出しておいてくれ」
「承知しました」
過去のお見合いと同じように、適当に話をして切り上げよう。そして断ってもらえば良いのだ。ご縁はないようです、と。
♦︎
次の日、レイは家政婦のミランダに整えられていた。髪を丁寧に撫でつけられ、綺麗な貴族服を着せられた。
「坊ちゃんは整えればこの国一番ですよ。普段はあんな死神みたいな黒いローブで二割減ですもの、もったいない」
ミランダは子どもの頃からの付き合いだ。実家の家族と同様に、長い間レイの結婚を心配している。
「坊ちゃんはやめてくれ。それに私は縁談を断りたいんだ」
「なにを仰っているのですか。この家はこんなに広いのに人が少なくて寂しいものですよ。私が元気なうちに奥様のお世話が出来るよう、早く連れてきて頂かないと」
「ではミランダにはずーっと元気でいてもらわなくてはな。若返りの薬を調合してやろう」
そう言ってレイが笑うと、ミランダに背中をバシンと叩かれた。
実家からの指示では、王都の大通り沿いにある喫茶室で14時に待ち合わせをしているので行けとのことだった。レイは14時きっかりに指定の店に着き、ウエイターに名乗るとすぐに席に案内された。
席にはすでに女性が座っており、なにか分厚い本を読んでいる。
「遅くなりまして大変失礼いたしました。レイ・ミラーと申します」
レイが名乗ると、女性は本から顔を上げ、レイと目を合わせた。なんだかどこかで会った気がするが分からない。
「あら、師団長ではありませんか。先日は監査お疲れ様でした」
声で分かった。
テイラー監査官だ!
先日の監査の時と違い、髪は結い上げられて花飾りが挿してある。監査官の時は黒いズボンだったが、今日は淡い緑色のドレスだ。眼鏡もかけていない。
「…テイラー監査官、先日はありがとうございました。座っても?」
「もちろんどうぞ」
ブリジットが向かいに座るよう促した。
「師団長、一応確認なのですが、私は今日お見合いという体で来ております。ちょっと時間がなくて釣書も絵姿も見てこなかったのでお相手が分からなかったのですが、それは師団長でお間違いないのでしょうか?」
「…恥ずかしながら私も全く同じで分からないのですが、認識はテイラー監査官と同じなので間違いないだろうと思います」
レイが向かいに座るとウエイターが来たので飲み物を注文した。ブリジットも同じように注文している。
よく見ると今日の彼女は薄く化粧もしているようで、先日とは違い、普通の淑女に見える。実家の手紙には侯爵令嬢と書いてあっただろうか。
「テイラー監査官、私も釣書を見ていないので、監査官のことをよく存じておりません。お互い簡単に自己紹介でもいかがですか」
「構いません。では私から」
こほんと咳払いをして、ブリジットは居住まいを正した。
「ブリジット・テイラーと申します。侯爵家の出身、26歳です。現在は会計監査院第一班班長を務めております」
まっすぐレイの目を見て自己紹介をした様子は監査の時と同じだ。
「あとは…趣味は読書で、特技は帳簿から不正を見つけることです。以上です。次は師団長どうぞ」
淑女らしからぬ特技が出てきて面食らった。手元の本に目をやると「裏金と女」というタイトルで、レイは二度見してしまった。
「…レイ・ミラー、29歳です。王宮魔術師団長を務めております。趣味は…」
レイは考え込んだ。最近は職場と家の往復で、帰っても寝ているだけだ。休みの日も寝て過ごし、たまに庭いじりをしている程度だ。いかに自分がつまらない男であるかに気付き、レイは虚しくなった。
「趣味はたまに庭いじりを。特技は転移魔法です」
「転移魔法はかなり高度で優秀な魔術師しか出来ないと聞きます。さすが国一番の魔術師さまですね」
直球で褒められてなんだかむず痒くなってしまった。それから先日の監査の話を少しして、レイは気になっていたことを聞いてみた。
「大変失礼ですが、テイラー監査官はこれまでにご縁談は?仕事がお忙しかったのですか?」
26歳での独身女性は正直珍しい。特に侯爵家出身だと、幼い頃から婚約者がいてもおかしくない。今日のお見合いに来たのを疑問に思った。
「いえ、恥ずかしながら二回婚約して、二回とも破談になりました。正直申し上げると、今日は家から強く言われて来たのですが、結婚する気はございませんので、師団長から適当に断ってくださいませ」
「えっ、私の方からお断りするわけには」
ブリジットはにやりと笑った。
「そのご様子だと師団長も嫌々いらしたのでしょう。私と同じで釣書もご覧になってませんものね。でも私からお断りするわけには参りません。師団長ほどの美しい男性を私から断るなんて極めて不自然ですもの」
一応、ブリジットから自分の見目を評価されてレイは戸惑った。確かにレイから断る方がブリジットは家に言い訳しやすいのだろう。
「あの、差し支えなければ破談になった経緯を伺っても?」
「構いませんよ。二人とも親の決めた婚約者で、一人目は幼なじみの侯爵子息でした。私は実家の領地運営を少し手伝っておりまして、経営不振だったその侯爵家も少しお手伝いしたのです」
ブリジットはお茶を一口飲み、唇を湿らせた。
「侯爵家の経営は改善したのですが、婚約者からは可愛げがないと言われ、破談になりました」
「…それはお気の毒です」
「いいのです。二人目は領地の騎士でした。一回目の破談後、しばらくして王都で監査官になっていたのですが、私のお給料の方が格段に良かったことが気に入らなかったようで破談になりました」
確かに地方騎士と王都の監査官だと給料は雲泥の差だろう。
「しかしそれはどちらもあなたに非はない。それでもご結婚する気がないのですか?」
「そうですね。仕事が好きですし、この仕事をしていれば自分の食い扶持は稼げますから。ただ、家からの圧力が面倒なので、一度結婚、離縁して結婚不適合者の証を得られれば家の者も静かになるかなとは思ってるのですけれど」
その気持ちはレイにも理解できた。一度結婚したという実績があればとりあえず家族を黙らせることはできるだろう。
「師団長は引く手数多では?なぜご結婚なさらないのです?」
「その、まあご縁がなかったと言いますか…」
「独身には生きづらい世の中で嫌になりますね」
「そうですね…」
ブリジットとレイは共にお茶を飲んで、ふう、と椅子の背にもたれかかった。
「ところで、テイラー監査官のお持ちのその本は一体何なのです?」
「ああ、これは面白いですよ。地方の監査官が書いた、裏金の実録集みたいなものなんですが…」
それから二人は本の話をし、お互いの仕事の話をした。
ブリジットの所属する第一班は基本的には遊軍で、定期監査は第二班から第六班が行うそうだ。第一班は抜き打ち監査や、内部告発や通報があった際のイレギュラーな対応がメインだが、先日のように他班のサポートに入ることもあるとのことだった。
それからレイが魔術師団の話をすると、ブリジットは魔法を直接見たことがないと言い、目を輝かせた。レイはその場で呪文を唱え、彼女の飲んでいたお茶の味をロブスター味に変えてやった。
ブリジットは、こんなに不味いお茶を飲んだことがないと大笑いしたので、すぐに味を戻してやった。
ひとしきり話したところで夕方の鐘が鳴った。
ずいぶん長いこと話をしてしまった。
ブリジットは宿舎住まいだというので、近くまで送るため二人は喫茶室を後にした。