ローブ
「あら」
黒いローブ。
階段の手すりに無造作にかけられているのを見つけたブリジットは、それを手に取った。
帰宅したレイが放っておいて忘れてしまったのだろうか。シワになったらいけないと思い、そのまま階段を登ってレイの部屋に向かう。
部屋に入り衣装棚に掛けようとして、ふと思いついた。
──着てみちゃおうかしら。
ほんの興味本位だ。
どのくらいの大きさ、重さなんだろう。暖かいのだろうか。
悪いことをしているようにドキドキしながら、そっとローブを羽織ってみた。
「おお……」
全身がすっぽりと隠れる。丈は床につかないくらいだが、ぎりぎりだ。
意外と重くて、しっかりした生地であることが分かる。
頭のフードまで被ったら、レイの匂いがした。太陽のような、落ち着く香りだ。
そのまま鏡の前に移動する。ブリジットは自分の姿に満足気に笑みを浮かべた。なんだか、格好だけで魔術師のようだ。
なんの装飾もない黒いローブは地味だし、長いこと同じデザインなのであろう。
レイは魔術師団員のローブを新調したいと言っていたことがあるが、それは団員に断られているらしい。
確かに一部の団員の気持ちも分かる。
昔からのデザインのものを着続けるというのは、とても魔術師っぽいではないか。地味で、怪しげ。ミランダに言わせれば『死神』だけれども。
「いいなあ」
ローブをひらひらさせながら、ブリジットは独りごちた。
この格好で、華麗に魔法が使えるだなんてどんなに楽しいだろう。
もちろん、魔術師になるためには特殊な訓練を受け、レイも努力を続けていることを知っている。
それでも魔術師団員は皆、明るく仕事をしている。レイもそうだし、団員たちも研究熱心だ。楽しそうである。
机の上のペンを手に取り、杖代わりに小さく振れば、自分が本当に魔術師になったような気がした。
ふざけて、そのまま振りかぶってポーズをとる。
「えいっ!」
ペンの向いた先。
──レイが目を丸くして立っていた。
「…………」
しん、と時が止まる。
戻ってきたのだろう。レイは扉の前で立っていた。
対するブリジットは黒いローブを羽織ったまま、ペンをレイに向けた状態で固まった。
まるで、レイに魔法をかけたかのように。
一瞬の間を置いて、レイが「うっ」と胸を押さえて前屈みになった。
大変わざとらしく、よろめく。
「やっ、やられた……!」
苦悶の表情を浮かべながらも、口元は笑っている。
魔術師団長に空想の魔法をかけたブリジットは「ああああ」と呻いてその場でくずおれた。
その様子を見て、レイは大笑いし始めた。前屈みになったまま腹を抱え、呼吸が出来なくなるほど笑っている。
ブリジットは恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたい気持ちになった。いや、自分で今ここに穴を掘りたい。
勝手に夫のローブを羽織り、ごっこ遊びをしていたところを本人に見られてしまうだなんて。しかもレイがそれに乗っかってきたものだから、さらに居た堪れなくなる。
へたり込んだブリジットはその姿勢のまま、声を絞り出した。
「──だ、誰にも言わないでください……」
「え?」
「お願いします、今見たことは忘れてください!」
目尻に滲んだ涙を拭っていたレイだが、悲壮感漂うブリジットのその言葉に、また噴き出した。
「誰にも言いませんよ」
レイが手を差し出す。
見上げたブリジットがその手を取ると、引っ張られ、立ち上がらせられた。
「ブリジット殿、笑ってすみませんでした。あまりにも可愛かったから」
「……子どもじみた真似をしてしまいました。ちょっと着てみたかっただけなんです」
「好きに着て頂いて構いませんよ」
そう言われても、今見られたことは取り消せないし、やっぱり恥ずかしい。
本当に魔法が使えるのであれば、レイの記憶を消してしまいたいくらいだ。いや、そんなこと出来るのか分からないけど。
「じゃあこんなのはどうですか?」
ブリジットが変わらず顔をしかめていると、レイがおもむろにブリジットの腕を上げさせた。先ほどと同様、杖を構えているような体勢になる。
レイに促され、そのままブリジットがペンを振り下ろすと、シュッという鋭い音と同時にペンの先から白い粒が霧状に現れ、瞬時に消えた。
「えっ!?」
驚いて、何度も繰り返しペンを振り下ろす。そのたびにペン先からシュッシュッと霧が噴き出す。本当に魔法を使っているみたいだ。
「レイ様、これはなんですか!?」
「振り下ろすとペン先の方から瞬間的に温度を下げるように魔法をかけたんです。吹き出ているのは氷の粒です。見た目はそれっぽいですよ」
「すごいです!」
なんだか楽しくなって、シュッシュッとペンを振る。
先ほどの羞恥がどこかに消えてしまい、ポーズを取りながらついでに「えいっ」と掛け声まで。
二人はしばらく魔術師ごっこをして遊んだ。
《 おしまい 》
2022/2/7 SQEXノベルさまより書籍発売です!
読者の皆さまのおかげです、ありがとうございました!
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