預かった鳥
レイとブリジットは屋敷の一室で、一羽の鮮やかな鳥と対峙していた。
「こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは」
ぜんまい式玩具のように同じ言葉を繰り返すのは鳥ではなく、ブリジットである。籠の中の鳥は意味が分からないとでもいうようにちょこんと小首を傾げた。
頭は黄色で体は青みの強いエメラルド。手のひらよりも少し大きいくらいだろうか。籠の中の木にとまり、小さなまん丸の瞳を向けている。
「……喋りませんね」
「言葉がよくないんでしょうか」
首を捻ったブリジットを見て、レイは別の言葉を試すことにした。
「可愛い、可愛い、可愛い、可愛い」
しかし鳥は反応せず、今度は反対側に首を傾げる。
「レイ様、なぜ『可愛い』と?」
「え? 仕事から帰ってきて褒め言葉を言われたら嬉しいじゃないですか」
「飼い主は男性なんですが」
「おっと」
仕事でくたびれた男性が鳥から「可愛い可愛い」と愛でられる姿を想像して、二人はくすりと笑った。
ブリジットが鳥を預かって帰ったのは昨日のこと。
宿舎暮らしの部下が急遽実家へ戻る用事が出来て、三日間だけ預かることになったのである。
動物を飼ったことのないブリジットだったが、三日間だけだし、世話の方法を教えてもらったら出来そうだったので預かることにしたのだ。レイも特に反対しなかった。
さらに、この鳥は言葉を覚えるという。
言葉を教えてもいいか部下に聞いたら、まだ幼鳥でごにょごにょ言うだけであまり喋れないけど、と前置きの上で了承をもらったのだ。
そして早速、簡単な言葉を教えようとしている。
「うーん、レイ様のような美青年の褒め言葉にも反応しないとは」
「この鳥、メスなんですか?」
「いえ、オスだそうです」
「さっきからなんだかちぐはぐだなあ……」
苦笑したレイが肩をすくめる。
そもそも部下が言っていたような、ごにょごにょすら喋らない。鳥はただだんまりと籠の中で静かにしていた。
それも当然かもしれない。飼い主と離され、突然知らない場所に連れてこられ、さらにその家の住人が順繰り、物珍しげに籠を覗き込んでくるのだ。萎縮もするだろう。
「お二人とも、夕食の用意が出来ましたよ」
ミランダが呼びにきたので、二人は鳥に言葉を教えるのを諦め、食堂に向かった。
一人きりは寂しかろうと思い、広い食堂の隅に鳥籠を置く。ブリジットは餌を入れてやり、自分も席に着いた。
夕食は、具沢山のクリームシチューだった。
「わっ! 今夜はシチューなんですね、大好きです!」
大きめの野菜と鶏肉。ジョンの作るシチューはとろりとしていて味が濃厚なのだ。
「ブリジット殿ってほとんど好き嫌いがないですね」
「そうですね、あまり。レイ様は?」
「私も好き嫌いないですが、でも特別好きなものもあまりないかなあ」
「私、基本的に野菜が好きで、お肉も好きで、クリーム系の料理が大好きなんです。なのでクリームシチューは最高──」
「スキーーー!!!」
会話の途中で割り込んできた突然の大きな声に、ブリジットは飛び上がった。
「えっ、今のは」
「スキーー! スキーー!!」
食堂の隅の鳥籠の中で、鳥が大声で喋っている。二人は目を丸くして顔を見合わせた。
「……レイ様、喋りましたね!」
「喋りましたね!」
「スキー!!」
「…………」
しかし同じ言葉を繰り返す鳥に、ブリジットは顔を顰める。
「……もしかして先程の会話から『好き』を覚えたんでしょうか」
「そのようですね。さっき、ブリジット殿がシチューを好きだっていう話からなのかな」
「まずいですよ!」
慌てたブリジットがガタリと立ち上がったので、レイは目を瞬いた。
「レイ様、このまま鳥を返したら部下の家で鳥が『好き』を繰り返しますよね!?」
「はあ」
「私が家でよっぽど夫に好き好き言ってると思われてしまいます。上司の威厳台無しですよ!」
「あははは! それは確かに」
一応、『鉄の女』と呼ばれているのだ。それが本来の意味ではないにしても。
普段真面目に仕事をしている上司が家では夫にメロメロで、数日居候しただけの鳥が覚えるくらい「好き好き」言ってると思われたら。さすがに恥ずかしい。
うろたえるブリジットを尻目に、レイは「スキー」を繰り返す鳥を見てけらけらと笑っている。
「レイ様……、他人事だと思って……」
「え? 別に夫婦仲が良いのだろうと思われるだけじゃないですか」
「うーん……」
「じゃあ、もし部下の方から冷やかされたら、夫が言っているんだと言えばいいですよ」
「ええ……?」
魔術師団長であり飛び抜けて美しいレイが、実は家では妻に絶えず愛を囁く男である──
それはそれで、噂になってしまいそうだ。
「あっ、そうだ、他の言葉を覚えさせればいいんだわ」
「おっ、上書きするんですね」
ブリジットはそれから何度も他の言葉を教えたものの、鳥が新たな言葉を覚えることはなかった。
♢
帰ってきた部下に鳥を返した次の日。
朝、自席に着いたブリジットに、飼い主である部下が寄ってきた。
「班長、ありがとうございました。改めてこれ、お礼です」
そう言って菓子の包みを差し出す。
礼を言って受け取ったが、部下はその場から離れない。疑問に思ったブリジットが顔を上げると、部下の青年はあからさまににやにやしていた。
「あのう班長、あの子が覚えていた言葉なんですが……」
「ああ……」
やはりあの鳥は、帰った先で「スキー!」を披露したらしい。周りを見ると他の班員もにやにやとこちらを眺めている。皆、知っているようだ。
くそう、ばらしたわね、と目の前の部下に心の中で舌打ちし、ブリジットはため息をついた。
「……ごめんなさい。教えたとかじゃないのよ、本当に。勝手に覚えちゃったの」
「えっ、ということは班長はもしかして家ではずっとあんな感じなんですか……!?」
興味津々の瞳に囲まれ、やけになったブリジットはにっこりと笑った。
すると、周りから「おー!」という感嘆の声と拍手が上がる。
居た堪れなくなったブリジットは、やはりレイのせいにすればよかったと後悔した。
《 おしまい 》
本作、ありがたいことにSQEXノベルさまより書籍化いたします。
詳細は活動報告をご覧ください。
読んでくださった読者さまのおかげです。ありがとうございます!




