お茶会と恋文2
――恋文にかける『まじない』が流行っているという。
年若い王女の一人から怪しげな噂を聞いたレイは、帰宅前に城下街の文具店で色とりどりのインクを眺めていた。
王女の話では、とある文具店の裏にいる占い師の老婆に、その文具店で購入した桃色のインク瓶に『まじない』をかけてもらい、それで恋文を書くと読んだ相手が自分を好きになるという。女学生の間で流行っているのだそうだ。
レイは、老婆が野良魔術師の可能性を懸念し、確認のためやってきた。
野良魔術師とは、王宮魔術師団が把握できていない魔術師のことだ。
通常、王族と魔術公爵家以外で魔力を持った人間が現れた場合、王宮魔術師団が感知し、把握して、必要であれば魔力コントロールのための訓練を施す。
訓練が済むと、魔力が高ければ王宮魔術師になることもあるし、そのまま元の生活に戻ることもある。
しかし全ての魔力保持者を把握、管理できているわけではないのが実情だ。いわゆる野良魔術師もおり、魔法を悪用する者もいる。魔法を悪用している人物への対処も王宮魔術師団の仕事だ。
文具店内は若い女性で賑わっており、件の桃色のインク瓶はすぐに分かった。レイはそのインク瓶を1つ購入した。
購入後、占い師を探そうと店を出たところで声をかけられた。
「おや、師団長ではないですか」
声のする方を見ると、非常に長身で細身の男に手を振られた。ウィルソン監査官だ。
「ウィルソン監査官。ご無沙汰しています」
「こちらこそ。このような若い女性向けの店でお買い物ですか?目立っていますねえ」
レイは周りを見回した。確かに若い女学生が多い。怪しまれるかと思い、一応いつものローブは着てこなかったのだが。
ウィルソンにインク瓶の噂の話をすると、彼は頷いた。
「ああ、それなら知っていますよ。うちの娘も言っていました」
「娘さんがいらっしゃるんですか」
「ええ。それで師団長が調査のために買い物を?」
「そうです。これからその占い師にまじないをかけてもらおうかと」
レイは手に持った紙袋を振って見せた。
「それはそれは。でも師団長自らでなくても良かったのでは?」
「私が聞いたことですし、どこまで確証の持てる話か分からなかったものですから」
ウィルソンは首を横に振った。
「いやいや、そうではなくて。師団長のような方が恋文を書くはずがないじゃないですか。不自然ですよ。あなたは恋文をもらいすぎて困惑する側だ」
レイが否定する前に、ウィルソンはインク瓶の入った紙袋をさっと取り上げた。
「代わりに私がまじないをかけてもらいましょう。後ろからこっそりその様子をご覧になるとよろしい」
占い師に不審がられるよりは良いかと思い、ウィルソンに任せることにして、レイは彼の後を追った。
占い師の老婆の店先では数人の少女たちがきちんと順番待ちをしていた。そこにウィルソンが並ぶと違和感があるが、自分が並ぶよりはましなのだろうか。
レイが少し離れたところからまじないの様子を見ていると、少女たちは老婆にインクを渡し、それを老婆が撫で回しているところが見えた。少女たちはまじないが終わると小銭を老婆に渡してその場を去る。
1回あたりのまじないに大した時間はかからず、あっという間にウィルソンの番になった。
ウィルソンはなにやらにこにこと老婆に話しかけたが、老婆は意に介さず、流れ作業のようにまじないを終えたようだった。
レイが見る限り、特に魔力を感じられない。まがいものだろうか。
「済みましたよ」
老婆の元を離れたウィルソンが、インク瓶の入った袋をレイに差し出した。
「ありがとうございました。どんな感じでしたか?」
「まあ、せっかくですから、このまま飲みに行きませんか。美味しい鶏を出す店が近くにあるのです」
「いえ、私は帰ろうと…」
「まあまあ、酒でも飲みながらブリジットのことも聞かせてくださいよ」
ウィルソンは半ば強引にレイの腕を引っ張り、飲み屋街へと連れ出した。
♦︎
ウィルソンはたいそう酒が好きな男だった。店に入って料理が来る前にさっさと飲み始め、レイにも勧めた。
「一応、娘の代理で来たと占い師に告げたのですがね、無反応でしたね。まあ、『いま話題の恋のおまじない!』という俗っぽい宣伝紙は貼ってありましたけど」
「ありがとうございます。調べてみます」
レイも勧められて酒を飲み始めた。
城下街の飲み屋で酒を飲むのは久しぶりだ。最近はずっと、仕事の後はまっすぐ家に帰っていたのだ。
「さあて、新婚生活の話を聞かせてもらいましょうか。ブリジットが一体どんな新妻をしているのか」
それを聞くのが目的だったのか、ウィルソンが身を乗り出してきた。ブリジットと新妻という言葉がうまく結びつかず可笑しくなり、レイは笑みを漏らした。
「そんなお聞かせするような面白い話はありませんよ。ブリジット殿は仕事が忙しそうですし」
「そうです、仕事が忙しくて、ブリジットが結婚するなんて誰も想像していませんでした。彼女も男性にときめくことがあるのだろうかと。でも相手が師団長のような美形だったら、そうなのでしょうね」
「う、うーん」
実際のブリジットはレイの容姿にあまり興味なさそうなので、ときめかれているかというと非常に微妙だ。詐欺師ではないかと身構えられたくらいなのだから。
「ブリジット殿が私の容姿を気に入ってくれているかどうかは分かりませんが、あのように理知的な方が私を選んでくれて光栄だと思っています」
ウィルソンはぷーっと吹き出して笑い、酒の入ったグラスを煽った。
「理知的といえば聞こえはいいですけどね、あれは本当に『鉄の女』ですよ。私は彼女がここに着任した時から知っていますが、色恋の話なんて聞いたことがない!」
それからウィルソンは、ブリジットがいかに色恋沙汰から遠ざかっていたかをつらつらと語った。
仕事が忙しくなると机に突っ伏して寝ること、監査先で怒鳴られても全く怯まないこと、大きな仕事を終えると酒をしこたま飲むこと――。
「貴族令嬢ですから、中にはアプローチしようとした男もいましたけどね、一蹴でしたね」
黙って聞いていたレイだが、だんだん腹が立ってきた。ウィルソンが挙げる話はいずれも、ブリジットが一生懸命仕事をしているが故のことだし、うら若い頃から男社会の中で懸命に努力してきたということだ。
レイはまだなみなみと酒の入ったグラスを傾けて一気に飲み干した。
「お言葉ですが、ブリジット殿は素敵な女性ですよ。確かに普通の淑女からは遠いかもしれませんが、責任感を持って仕事をしているように見えます。それに、彼女が家に来てくれてとても楽しいし、私の怠惰な生活は改善しました!」
レイの言葉を聞いたウィルソンは大笑いした。
「師団長、ブリジットはお母さんじゃないんですから。ほらほら、次は何を飲みますか?他にないのですか、ブリジットの新妻らしい、良いところは」
「ええと、よく喋ってくれて朗らかです」
「あはは!お母さんじゃないですか!」
勧められるがまま飲むうちにだんだんとレイは意識が朦朧としてきた。ブリジットの良いところを挙げていったつもりだが、それ以降、記憶がない。
♦︎
湯を使う時間になってもレイが帰ってこないため、ブリジットは少し心配になった。仕事の後に用事があって遅くなるようならあらかじめ教えてくれるし、そもそもそのようなことがあまりない。
「坊ちゃん、お仕事でしょうか。遅いですねえ。ブリジット様、先に湯を使われてはいかがですか?」
「そうですね…」
ミランダに促され、ブリジットが準備しようとしたところで玄関の扉が叩かれた。コニーが扉を開けると、レイが男性にもたれかかっているのが見えた。
「すみません、ブリジット。旦那さんを潰してしまいました」
「ウィルソンさんじゃないですか!」
ブリジットは駆け寄って、コニーとともにレイを抱えた。ぼんやりまどろんでいるが、具合が悪いようではなさそうだ。
ウィルソンは非常に酒の好きな男であることは知っていた。なぜ二人が飲んでいたのだろうか。
「たまたま会って一緒に酒を飲んだんですけど、飲ませすぎてしまいました。明日謝っておいてください」
「ウィルソンさんは帰れますか?」
「馬車を待たせているので大丈夫です。それと、これを明日渡しておいてください。それでは」
ウィルソンはそう言うとブリジットに紙袋を渡し、ふらふらと玄関を出て馬車に乗って帰って行った。
♦︎
久しぶりに飲んでしまったレイは、二日酔いでぼんやりして目が覚めた。
今日が休日で良かった。
「大丈夫ですか?ご気分は?」
レイが体を起こすと、ベッドの横でブリジットがグラスに水を注いでいた。レイはそれを受け取ると一気に飲み干した。
「ご面倒をおかけしてすみません…、飲みすぎてしまいました」
「ウィルソンさんは大酒飲みで有名なんですよ。付き合ってはいけません。それから、これを渡すよう言われましたよ」
ブリジットは空のグラスを受け取り、ウィルソンからの紙袋を渡した。レイはその紙袋を受け取って中を見た。
「…ああそうだ。ブリジット殿にお願いがあるのですが…」
「なんでしょう」
レイは紙袋からごそごそと桃色のインク瓶を取り出してブリジットに見せた。
「これで私に恋文を書いてもらえませんか」
「ええ?」
意味が分からない。上位貴族は夫婦間でも恋文を書くものなのだろうか?
ブリジットの混乱が伝わったのか、レイはインクのまじないの件を説明した。
「私がまじないをかけてもらわないと真偽の判断ができませんから。であればブリジット殿に書いてもらわないとと思いまして」
ブリジットは桃色のインク瓶を見つめた。恋文など書いたことがない。
「あっ、別に内容は恋文でなくても構いません。まじないであれば内容が何であろうが効果が出るでしょうから、料理のレシピでも帳簿でも何でも」
レイはブリジットを気遣ったつもりだったが、それに反してブリジットはムッとした。
「どうせ恋文なんて書けないだろうと思ってます?書けますよ、恋文くらい」
ブリジットはインク瓶を握りしめると踵を返し、足早に寝室を出て行った。
啖呵を切って寝室を出たブリジットは、自室に戻って頭を抱えた。恋文なんて書けるはずがない。書いたこともないし、もらったこともない。
参考図書が欲しい…と思ったところで、はたと思い出した。アニーから借りた恋愛小説『恋の花』があった。
ブリジットは机に積んだ本の中から派手な背表紙の本を抜き取り、ページをめくった。
♦︎
恋文書きに熱中していたブリジットは昼を回ったことに気付かず、ミランダから声をかけられて昼食の席に着いた。レイの二日酔いはほぼ抜けたようだ。
「レイ様、ご査収ください」
昼食後、ラウンジで座って本を読んでいたレイに恋文を差し出すと、レイは驚いた様子で顔を上げた。
「ありがとうございます。早速読んでも良いですか?」
ブリジットが頷くと、レイは手紙を広げて目を落とした。自分の書いた恋文を目の前で読まれるとは、非常に気恥ずかしい。
しばらく手紙に目を通していたレイだが、読み進めるにつれ、だんだんと嬉しそうに微笑み始めた。最後まで読み終えると丁寧に手紙を折りたたみ、顔を上げてブリジットを見た。
キラキラと潤んだレイの青い瞳と目が合い、ブリジットはどきりとした。
「…本当に素敵なお手紙をありがとうございました」
レイは立ち上がり、ブリジットの手を取って見つめた。そのまま身を寄せてきたため、ブリジットは思わず一歩下がった。
これはもしかすると、まじないが効いているのだろうか?
「このように心のこもった手紙を頂いたのは初めてです。ブリジット殿の気持ちが伝わってきて嬉しいです。願わくば私も同じ気持ちであることがあなたに伝わると良いのですが」
レイがとろけるような声色で語りかけてきて、ブリジットは非常に困惑した。自分は恋愛小説の文言を切り貼りしただけだ。オリジナル性などあったものではない。
しかしこのようなレイの声を聞いたことがないブリジットは、心臓が早鐘のように打つのを止められないでいた。
手を引かれ、ブリジットはレイの腕の中に囲い込まれた。抱きしめられた形になり、ブリジットは固まった。頬に熱が集まっているのが分かる。
――これはどうしたものか。
ややあって、頭上からレイがくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「…少しはどきどきしてもらえましたか?」
驚いたブリジットが勢いよく顔を上げると、悪戯顔のレイと目が合った。先ほどとは変わり、普段と同じだ。
まじないは効いていないのだ。
ブリジットは自分がからかわれたことに気付いた。
「…私のこれまでの監査経験上の見解が正しいことを再確認しました」
「なんですか?」
「美しい男性は皆、詐欺師だということです」
そのままレイの腕の中から逃れようとしたが、笑ったレイに逆に抑え込まれた。
「悪戯してすみません。ウィルソン監査官が、ブリジット殿がときめくことがあるのだろうかなどと仰ったので試してみたくなったのです」
「先日、暴漢に襲われた時と同じくらいの動悸がしました」
ブリジットが悔し紛れにそう呟くと、頭上でレイが、微妙だなあ、とぼやいたので、ブリジットはなんだか可笑しくなった。
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泥酔して送り届けてもらってしまったため、一応お礼をするべく、レイは会計監査院でウィルソンを呼び出してもらった。
「やあ、師団長。先日はどうも。大丈夫でしたか?」
「送り届けて頂いてありがとうございました。久々の二日酔いでした」
レイは菓子の入った袋をウィルソンに差し出した。
「そういえばあのインクのまじないはどうでした?」
レイはブリジットの恋文を思い出した。
まじないはまがいものだったが、少し悪戯したら、思いがけず動揺した可愛らしいブリジットが見れた。でもそれは秘密だ。
「あれはまがいものでしたよ。まじないなんてかかっていませんでした」
「それはそれは。あの占い師はしょっぴくのですか?」
「いえ、実害もないのでそのままですね」
ただの宣伝のためなら、別に捕まえる理由はない。
「また飲みに行きましょうね」
「いえ、ウィルソン監査官は大酒飲みなので付き合ってはいけないと、ブリジット殿から言われました」
「ははは!またお母さんみたいなことを!」
真面目腐って答えたレイを見て、ウィルソンは大笑いした。
《 おしまい 》
 





