お茶会と恋文1
「テイラー、ちょっといいか」
昼食から戻ったブリジットは、上司である会計監査官長に呼ばれて席を立った。
通常、監査官同士は家名で呼び合うが、ブリジットだけは将来結婚により家名が変わることを想定し、ブリジット、と名前で呼ばれていた。
しかし監査官長からは、他の職員と差別しないためとの理由で旧姓のテイラーと呼ばれていた。結婚した今、どのように呼ぶか困惑したようだが、結局そのままだ。別にブリジットにこだわりはないのでどちらでもいい。
監査官長の執務室に入ったブリジットは監査官長席の前に立った。
「なにかありましたか」
「…業務と直接関係がなくて悪いが、王宮のお茶会に出てもらえないだろうか」
「お茶会ですか?」
監査官長は言いづらそうに続けた。
「その、社交界の女性たちが君と話をしてみたいそうで、私の妻がお茶会に誘いたいと言っているのだ。君が結婚したからだと思うが…」
上司の家の夫婦間パワーバランスが垣間見えた。しかしこれは、行っても大丈夫なものだろうか。
「王太子妃殿下の主催だから、ひどい扱いを受けるものではないと思う。皆、魔術師団長の結婚相手に興味があるだけ、だと、思う」
怪訝な顔をしたブリジットに気付いてフォローが入ったが、歯切れが悪い。しかし王太子妃主催で、かつ上司命令だと断るのは無理だろう。
事務担当のアニーの話だと、国王の誕生日の夜会ですでに自分の評価は高くないだろうから、あまり気負わなくても良いのかもしれない。
「分かりました」
ブリジットが出席を了承すると、上司は明らかにほっとした様子だった。
執務室を出たブリジットはまず、アニーを捕まえ、状況を説明した。
「アニー、どうしよう。何を着ていけばいいのか分からないし、どのように振る舞えばいいのか分からない」
アニーは、うーんと少し考えた後、なにかひらめいて口を開いた。
「いるじゃないの、適任の先生が」
「だれ?」
「お姑さんよ」
♦︎
王太子妃から正式に招待状が届き、ブリジットは早速レイの実家に連絡して義母と会う了承を取り付けた。
週末、ミラー家を訪れたブリジットは、また高価そうな調度品の置かれた応接室に通された。レイもついて来てくれている。
「ついて来て頂かなくても大丈夫でしたのに。お休みの日にすみません」
「いえ、うちの家族がブリジット殿に何するか分かりませんから」
義母に相談したいと言ったら、即、自分も行くと言い出したのだ。何故かレイは実家の家族を信頼していないようだ。
ブリジットが出されたお茶に手を伸ばすと、またレイに止められた。
「ブリジット殿、毎度すみませんが、それを飲んではいけません」
「レイ様、何を心配していらっしゃるのですか?」
レイは苦い顔でブリジットの前のお茶を遠ざけた。
「私は幼い頃から魔術師になるため、この家で訓練を積んできました。強くなるためなら薬を盛られたり、部屋に罠を仕掛けられたり、とにかく手段を選ばない家族なのです」
「それは嫁にも適用されるのですか」
「分かりませんが、気をつけるに越したことはありません」
「ブリジットさんにそんなことするわけないでしょう、レイ」
応接室に義母が入って来た。さらに義母の後ろから数人の侍女らが続き、大量のドレスのかかったラックをガラガラと引いて来た。
「お忙しい中、お時間頂きありがとうございます。よろしくお願いします」
義母には、王太子妃主催のお茶会に招かれたこと、何を着ていけばいいかアドバイスを欲しいことをあらかじめ伝えていた。
「ブリジットさん、私を頼ってくれたのはとても良い判断です。私も若い頃は王宮のお茶会に出席していました。一通り準備して差し上げますからご安心なさい」
「本当にありがとうございます」
「レイ、あなたは邪魔ですからどこかに行っていなさい」
「ええー…」
渋ったレイだが、女性陣にあっさり追い出されてしまった。
そこから約2時間、ブリジットは完全に着せ替え人形と化した。まずは服を引っ剥がされ、一通り寸法を測られた。そこからラックにかかった大量のドレスからサイズの合うものが選び出された。
選び出されたドレスもすごい量だったが、それを全て着て、批評された。靴も全て履いた。
次に椅子に座らされ、顔を濡れた冷たい布で拭われたと思ったら、何かを塗りたくられた。そこから様々な化粧を塗られ、拭われ、描かれ、批評された。
同時に髪も引っ張られ、結ばれ、解かれ、編まれ、色々な装飾品をつけられ、批評された。
最後に耳や指や首に宝飾品をつけられ、批評された。
全ての工程の間、ブリジットはほぼ口を開かなかった。自分にこのようなセンスは全く無いことは分かっていたし、なんでもプロに任せた方が良い。
一通り身に付けるものが決まった時には、その部屋にいる皆が、仕事をやり終えた大きな達成感を得ていた。
「とりあえずよろしいでしょう。お茶会はブリジットさんと同年代から年上の夫人が多いでしょうから、あまり若い服装だと浮きます」
ブリジットは黙って頷いた。一般的な新妻と比べると自分は若くはない。
最終的に、クリーム色の落ち着いたシンプルなドレスに、同色の靴を合わせ、装飾品も華美な色は抑えて小ぶりのものになった。髪はゆるく結い上げて耳飾りと同じ形の飾りが挿さっている。
一つ、心配なことを尋ねてみた。
「立ち居振る舞いや話題選びはどのようにすればよろしいですか?」
「もともとブリジットさんはマナーは問題ないわけですから、それで大丈夫です。付け焼き刃で何かする必要はありません。あとは聞かれたことに正直にお答えすればよろしいです」
「分かりました。ありがとうございます」
ブリジットが、髪と化粧を自分でできる自信がないと漏らすと、当日ミラー家で全て整えていけば良いと提案されたので、ありがたく全て任せることにした。
それからレイが呼び戻されて部屋に入って来た。
「とてもお綺麗ですね」
何を着ても同じ褒め言葉だなと思い、ブリジットが苦笑すると、義母が怒り出した。
「もっとなにか気の利いたことは言えないのですか」
レイはうろたえ、言葉を探して黙り込んでしまった。義母は、まったくあなたは、とぶつぶつ言っている。ブリジットは二人のやりとりが面白くなって笑った。
自宅に帰る馬車の中でブリジットはようやく息をついた。何も考えず着せ替え人形になっただけだったが、それでもくたびれた。
向かいに座るレイもなんだか疲れているようだ。
「レイ様は待っていてくださっている間、何をしていらしたのですか?」
「それが祖母に捕まりまして…、酷い目に合いました」
「ああ、占い師の。私もご挨拶させて頂きたかったです」
詳細は聞かなかったが、どうやらこっぴどく鍛えられたようだ。
「本当に、実家を出て、家にブリジット殿が来てくれて良かったです。私は今が人生で一番楽しい」
「そんなおおげさな」
ブリジットは笑ったが、よっぽど酷い目に合ったのか、レイは心底そのように感じているようだった。
「いえ、本当です。もし夫婦喧嘩しても私の方は絶対に実家に帰りませんからね」
♦︎
お茶会の当日、ミラー家で一式整えてもらったブリジットは馬車で王宮へと向かい、緊張しながら門をくぐった。
王宮へは何度も来たことがあるが、今日は王太子夫妻のプライベートエリアに近いところでお茶会が催される。
騎士に案内されてたどり着くと、庭園を一望できるテラスの入口で監査官長の妻が待ってくれていた。何度か会ったことがあるので、向こうもすぐに分かったようだ。
「こんにちは、ブリジットさん。今日は無理言ってごめんなさいね。来てくれてありがとう」
「ご無沙汰しています。今日はお声がけ頂き、ありがとうございます」
案内された席に座って待っていると、続々と出席者が集まってきた。王太子妃が現れたところで、監査官長の妻に促されブリジットは王太子妃に挨拶した。
王太子妃には夜会などで挨拶したことはあるが、このような少人数の場は初めてだ。
「妃殿下、ミラー夫人です」
「ブリジットと申します。本日はお招き頂きありがとうございます」
ブリジットはできるだけ丁寧に挨拶した。
「ブリジットさん、今日は来てくれてありがとう。固くならずに、楽しんでいらしてね」
王太子妃は3人の子どもを持つ母親で、自分より7〜8歳上のはずだが、とても若々しく美しい女性だ。にっこりと微笑まれ、ブリジットはどきりとした。
周りを見ると、出席者はブリジットと同年代から王太子妃よりも少し上くらいまでで、比較的若い集まりだ。
色とりどりのドレスが美しい庭園前に集まっている様子はまるで絵画のようだなと、ブリジットは目を細めた。
テラスには4〜5名が座ったテーブルが3卓設置されている。十数名の出席者の中で初参加はブリジットのみのようで、冒頭、王太子妃の挨拶で紹介された。
その後、女官たちがお茶や菓子を配り終えると、同じテーブルの婦人らが身を乗り出した。
「ブリジットさん、今日はお会いできて本当に嬉しいわ」
「お嫌かもしれないけど、レイ様のこと、いろいろ教えてくださる?」
「皆さん、せっついてはブリジットさんもお困りですわ」
立て続けに喋られて面食らったが、少なくとも自分を排除しようという雰囲気ではないので、ブリジットは安心した。
「夫は社交界で有名なのですね」
「気を悪くしないで頂きたいのですけれど、レイ様は皆の憧れでしたの。ご縁談があっても結婚なさらなかったから、女性に興味がないか、女嫌いじゃないかと思われていましたのよ」
「夜会などにもなかなか出ていらっしゃらなかったので、よりミステリアスで。でも皆、レイ様が実際はどんな方なのか興味があるのです」
ブリジットは夫がどのように見られているのかを理解した。物語の中の王子さまや、観劇の俳優などと同じ括りだ。であれば下手な嘘をつかず、義母のアドバイス通り正直に答えた方が良いだろう。
それからブリジットの仕事のことやレイとの出会いのことを聞かれたので、出来るだけ簡潔に答えた。契約結婚であったことは伏せて。
ただ、レイの普段の様子を聞かれたときだけ回答に困った。
「レイ様はお休みの日、どんなことをしてお過ごしなのですか?」
休みの日のレイは本当に、庭いじりをしているか、本を読んでいるか、昼寝をしているかのどれかなのだ。結婚するまではだらだらと寝て過ごしていたとコニーが言っていた。
少なくともブリジットがレイの家に来てから、友人が訪ねてきたことはないし、どこかに遊びに出かけると聞いたことがない。そもそも友人がいるのだろうか。
ブリジットは考えながら口を開いた。
「お休みの日は家の薬草園で植物の世話をしたり、魔法書を読んだりと、お仕事の研究をされていることが多いようです」
「まあ、想像通りだわ」
とりあえず合格の回答だったようで、ブリジットはほっとした。
しばらくして、話題は最近の観劇や服飾、本の話に移った。ブリジットはいずれの話題にも疎いので黙って周りの話を聞き、時折相槌を打った。
「そういえば先日出た、『恋の花』の新刊、お読みになりました?」
「まだなの。どうでした?面白かった?」
「それはもう…」
その場にいたほとんどの婦人がその本を読んでいるようで、皆、嬉々として物語の登場人物の話をしている。
「ブリジットさんはお読みになったことある?」
「いえ、どのような本なのですか?」
「恋愛小説なんですけどね、本当に面白くて、最近とにかく売れているのですよ。ブリジットさんは普段はどのような本をお読みになるの?」
質問されて言葉に詰まった。
一番最近読んだ本は『袋小路の小悪党』という推理小説だ。タイトルだけでも『恋の花』の真逆に位置するであろう。絶対に言えない。
「…悲しいことに最近は仕事関係の本ばかりなのです。でもそんなに人気の本でしたら興味がありますので、読んでみようと思います」
ブリジットは忘れないように心の中で本のタイトルを復唱した。
お茶やお菓子もなくなってきたところで王太子妃に促され、皆で庭園を散策し、お土産を持たされて解散となった。
ブリジットは皆に丁寧に挨拶し、王宮を後にした。そのままミラー家に行き、着替え、義母に丁寧に礼を述べて自宅に戻った。
仕事とは違う疲れを感じたが、当初身構えていたよりはずっと楽しかった。ありがたいことに、頼りになる義母が協力してくれたし、出席者は皆とても親切だった。
職場と家の往復だと、会う人も、話題も限られる。何事も経験だ。行って良かったとブリジットは思った。
自宅に着くと、庭でレイが苗を植えており、帰宅したブリジットに気付いて出迎えた。
「お帰りなさい。どうでしたか?」
「ただいま帰りました。レイ様、女性に興味がないか、女嫌いじゃないかと思われていましたよ」
「おや」
ブリジットの言葉にレイは苦笑した。
「それ、訂正しておいてくれました?」
「そういえば訂正しそびれました。すみません」
「まあいいですけど」
いいんだ、とブリジットは笑った。
今日はレイのことを婦人たちに少し話したが、きっとレイはある程度ミステリアスなままの方が良い。それで婦人たちはレイのわずかな情報を元に、想像したり噂したりして楽しむのだ。
本当のレイを知っているのは自分だけで良い。
「お土産を頂いたので、夕飯の後に皆で食べましょう」
ブリジットは家に入ると、ジョンにお土産を預けるためキッチンに向かった。
♦︎
休み明け、ブリジットはアニーとともに食堂で昼食を摂った。
「アニー、ありがとう。おかげでお茶会を乗り切れたわ」
「お姑さんが対応してくれて良かったわね」
「ええ。それで、『恋の花』って本を知っている?」
アニーは目を丸くしてブリジットを見つめた。
「むしろ、今知らない人がいる方が驚きだけど」
「そんなに人気なの…。話題についていけなくて。もし本を持っているなら貸してくれない?」
「いいけど、あなたは絶対に読まないであろう類の本よ」
「いいの。何事も経験だわ」
ブリジットの好みを的確に把握しているアニーは怪訝な顔でブリジットを見つめた。




