10
次の日の朝一番にコニーを捕まえた。ブリジットは簡単に荷物をまとめて早くに出てしまっている。
事のあらましを伝えると、コニーも驚いた。
「その好きな人とは、どこの方か聞いたのですか?」
「いや、聞かなかった。聞ける雰囲気じゃなかった」
コニーが呆れたように天を仰いだ。
「そんなところで格好つけてどうするんです。そもそも他に好きな人が出来たなんて本当ですか?他に何か理由があるのでは?」
「…例えば?」
「例えば先日の刃物事件の件、責任をお感じになってらっしゃるとか。真面目な方ですから」
その可能性はあるが、それで離縁になるだろうか。
「それか、レイ様がなにかしてしまったのでは?」
「いや、なにもしていない」
「なにもしていないからじゃないんですかねえ、坊ちゃん?」
ミランダが急に割って入ってきたのでぎょっとした。見るからに怒っている。
「ミランダ、知っていたのか」
「もちろん白い結婚であることは存じてましたよ。でもそのうち本当のご夫婦になるかもしれないと思ってたんです。仲がよろしそうだったので」
レイは頭を抱えた。自分もうまくいっていると思っていたのだ。
その後も三人でブリジットが出て行ってしまった要因を考えたが、答えは出ない。
コニーは諦めたようにため息をついた。
「…でも、もともと離縁するかもしれない前提でしたし、こうなってお互いにとってもよろしかったのではありませんか?当初の目標は達成されたわけですし。当分、母上様からせっつかれることはないと思いますよ」
確かにそうだ。うまくいかなかったら離縁すればいいと考えていて、契約を結ぶときにブリジットにそう告げたし、彼女も頷いていた。
しかしそれではだめなのだ。
彼女が家からいなくなることがもう考えられない。
♦︎
困り果てたレイは実家の祖母を訪ねた。初めにブリジットとの縁を勧めてきた占い師だ。
「来ると思ってたよ、レイ」
顧客から引っ張りだこの祖母だが、今日は在宅だった。不在なら帰るまで待つつもりでいた。
祖母は屋敷の中に占い業専用の部屋を設けており、その部屋は極端に暗かった。なにに使うか分からない薬や植物が所狭しと置かれており、子どもの頃は恐ろしかったものだ。
「おばあさま、初めにブリジット嬢との縁を勧めてくださいましたね。もう彼女との縁は切れてしまっていますか」
祖母は心底呆れたようにため息をつき、手元の水晶玉を撫でた。
「くれぐれも逃げられないように努力なさいと伝えたはずだけどね。本当にダメだね、お前は」
昔から厳しい祖母の言葉がぐさりと刺さったが、怯んでいられない。
「他に好きな人が出来たと言われたのです。しかし直前まで変わりありませんでした。心当たりがありません」
「お前は今後、どうしたいんだい」
祖母に問われてレイは考え込んだ。
ブリジットがいることで、毎日が楽しいし、もっと一緒にいたいと思う。
彼女は真面目で、仕事に一生懸命で、ユーモアもあり、でも完璧ではない。自分自身に厳しいあまり、脆さを感じることがある。
そんな彼女を支えたいと思う。彼女が抱える重い荷物を少し負担してやりたいと感じる。危険があるなら守ってやりたい。
「…これからも仲良く暮らしたいと思っています」
「じゃあ私が力を使って占うまでもないね。本人に言いな」
そう言って祖母はレイを部屋から追い出した。
祖母に追い払われたレイは、一度帰宅して正装に着替えた。
騎士服に似た魔術師用の礼服の上に、いつものものより上等の黒いローブを羽織る。ローブの上から首に魔法石をあしらった大振りのビブネックレスを下げた。
それからブリジットに渡した物と類似の、家紋の入った指輪をはめ、杖を準備した。
正装は正式な儀式や魔術師として戦闘に赴く際に着用するもので、滅多に着ることはない。
部屋から出てきたレイの姿とピリピリした雰囲気を感じとり、コニーが慄いている。
「大奥様のところでなにがあったのですか。戦争にでも行かれるのですか」
レイは自嘲気味に笑った。
「そんなところだ」
♢
定時を過ぎ、外は暗くなっていたが、ブリジットは黙々と仕事をしていた。
次の休みに荷物を取りに行くまでは宿舎暮らしだし、レイのことを考えると切なくなるので、しばらくは時間を気にせず仕事を頑張ろうと考えていた。
うーんと体を伸ばし、再度書類に向かおうとしたところで、席の後ろの窓がコツコツと音を立てた。
振り返って悲鳴を上げそうになった。
非常に険しい顔をしたレイが、暗がりに立って窓越しにこちらを見ていたのだ。
お化けかと思った。
驚いて心臓がドキドキしている。班員に少し外すと告げ、外に出た。
いつもと違い、ローブをきっちり着込み、首から派手なネックレスを下げている。それに見たことのない杖も持っていた。
いつも穏やかな彼が、眉間にしわを寄せ、人でも殺しそうな怖い顔で立っている。もしかして殺されるのは自分なのだろうか。
「…レイ様、何かあったのですか」
レイは怖い顔のまま、ブリジットを見つめた。美形の怖い顔は普通の人のそれよりはるかに迫力がある。
「……求婚に来ました」
「……は?」
ブリジットは驚愕して固まった。
求婚と言った?こんなに恐ろしい顔で求婚する人がいるだろうか?
「…あなたが家に来てから毎日が楽しくて…、出て行って欲しくないのです。初めに交わした契約をなくして、本当の夫婦になりたいと思いました」
怒ったような顔をしたレイだが、頬が赤く染まっている。ブリジットは求婚の意味を正確に理解した。
「私は魔法しか取り柄はありませんし、中身は地味ですし、気の利かない人間です。ですが、あなたが困っているときには力になりたいのです。…必要ないかもしれませんが」
ブリジットも顔に熱が集まってきた。今度は嬉しくて心臓がドキドキする。
「それでですね、」
「…はい」
「仰っていた、好きな人とは誰ですか?」
「はい?」
「挑んできます」
「はっ?」
レイは杖を握り締めて真剣な顔でブリジットを見つめている。
レイは国一番の魔術師だ。先日の刃物事件の時も、本当に強い人なのだと実感した。出来ないことなどないのではないかと。
「あの、レイ様に勝てる人間なんているでしょうか?」
「相手が相応の魔術師なら容赦しませんが、そうでないなら魔法は使いません」
つまりレイは、この仰々しい格好で恋敵に戦いを挑もうとしてくれているのだろう。
ブリジットはなんだか心がむずむずして温かくなってきた。彼は彼なりに一生懸命言葉を選び、求婚してくれているのが分かった。
レイが自分と同じ気持ちでとても嬉しい。
「レイ様なんです、好きな人」
ブリジットがはっきり告げると、レイがぽかんと口を開いて固まった。
「契約に反してしまってすみません。好きになってしまってごめんなさい」
「……あの、本当ですか?そんな、本気で相手の男性を害そうと思っているわけではありません」
ブリジットが相手の男性の身を案じ、嘘をついたと思ったのだろう。レイがうろたえたので、ブリジットは思わず笑ってしまった。
「本当ですよ。大変ですね、レイ様はご自身に戦いを挑まなければなりません」
レイの眉間がゆるみ、今度は眉を下げて慌てたような表情になった。自分と同様に頬が上気しているのが分かる。
「…で、では、仮の結婚を取りやめて、私と本当の夫婦になってもらえますか…?」
おずおずと握手を求めて右手を差し出してきたレイを見て、ブリジットは苦笑した。
求婚が叶って握手だなんて。もう契約結婚じゃないんだから。
ブリジットは出された右手を無視し、レイに抱きついた。
「喜んで!これからもよろしくお願いします」
抱きつかれてまた固まったレイだが、すぐにブリジットの背に手を回して、ぎゅうと抱きしめた。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
途端、拍手が起こって、二人はびくっと体を震わせた。
ここがどこかを完全に忘れていた。監査官たちが窓から顔を出し、拍手したり口笛を吹いたりしながら笑っている。
建物から距離が少しあるので、会話の内容は聞かれていないだろうが、抱き合ったところをばっちり見られてしまった。
レイとブリジットは恥ずかしくてたまらなくなり、手で顔を覆って上気した頬を隠した。
♢
会計監査院で抱擁を見せつけた後、班員たちから早く帰れと促されたブリジットはレイとともに家に帰った。
班員たちからは、新婚夫婦が痴話喧嘩から仲直りをしたと思われたようだ。
二人の様子で状況を察したミランダは涙を浮かべてブリジットを抱きしめ、でかしたとばかりにレイの背中をバシンと叩いた。
コニーも微笑んで、こっそりブリジットに耳打ちしてきた。
「とても険しい顔をして出て行かれたのでどうなったかと心配しておりましたが、うまくいって本当に良かったです」
「ええ、怖かったです。殺されるかと思いました」
ブリジットが冗談めかして肩を竦ませると、コニーも笑って頷いた。
後日、レイが祖母に報告すると、報酬として港町にある焼き菓子屋の菓子を食べたいと要求された。港町本店にしかないのだと言う。
そのため、また改めて港町経由で新婚旅行に行く予定だ。
その前に、二人は結婚式を挙げることにした。
せっかく本当の結婚をすることになったので、レイの婚礼衣装姿を見たいとブリジットがせがんだのだ。
普通、逆ではないかとレイは思ったが、レイもブリジットの花嫁姿を見たいと思ったので了承した。
♢
気候の良い晴天の日、身内だけを呼んで式を挙げた。
時間がなかったため、婚礼衣装は既製品に少し手を加えただけだったが、ブリジットの花嫁姿を見たレイは目を細めた。
「とてもお綺麗です」
「『気の利いた言葉』をありがとうございます」
「本当にそう思っていますよ」
以前、同じやりとりをしたなと思い出して、二人は目を合わせて笑った。
「レイ様は…、眩しすぎて、目が潰れそうです」
「…お褒めの言葉と受け取っておきます」
列席したブリジットの両親と兄だけでなく、司祭までもがぽーっと惚けてレイを見つめていた。
レイの両親も喜んで列席してくれた。レイの父親からは、改めておめでとうと言われたので、やはり仮の結婚であったことに気付かれていたのだろう。
司祭の言葉の最中、ブリジットは隣のレイをこっそり盗み見た。伏せた長い睫毛に光がキラキラと当たって綺麗だ。
始めは仮の結婚だったけれども、こうやって想いが通じ合って嬉しいと、ブリジットは素直に思った。
結婚するのもしないのも人それぞれ自由で、結婚しなくても、きっと監査官として楽しい日々を過ごせただろう。
でも、レイと過ごすこれからの日々も楽しいものになるはずだし、それを幸せだと感じている。
盗み見ていたことにレイが気付いて目が合い、優しく微笑んできたので、ブリジットも微笑み返した。
そのあと司祭の言葉に促され、二人は初めてのキスを交わした。
《 おしまい 》




