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レイは大量の書類に囲まれて机に突っ伏していた。三年に一度の会計監査が来週に迫っているのである。
魔術師団は他に比べて予算規模は格段に小さく、大したものも買っていない。これまでの会計監査で問題が指摘されたことはないのだが、それでも監査のための書類はきちんと準備しなければならない。魔術師団長であるレイは団員たちの作成した書類の確認に追われていた。
師団長になってから事務仕事ばかりだ。本当は、従来の魔術師の仕事である新たな魔法や魔法薬の検討、武具の開発などをやりたい。それなのに偉くなればなるほど、やりたい仕事から遠のいていくのだ。
団員の一人が、お願いしますと言って積み上げられた書類に新たな書類を重ねたのが分かった。
仕方ない、やらなければ帰れないのだ。レイは頭を上げて作業を再開した。
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くたくたで職場を後にしたレイは、王宮近くの自宅に帰った。
レイは五つある魔術公爵家のうち、筆頭のミラー公爵家に生まれた。幼い頃から群を抜いて魔力が強かったため、早い段階で王宮魔術師として出仕することになった。
実家を出てしばらくは宿舎暮らしだったが、師団長になったときに家を構え、実家に仕えてくれていた執事と家政婦に来てもらった。おそらくもう実家に帰ることはないだろうし、そのうち王都で結婚するだろうと思ったのだ。
しかし今も、自分と執事、料理人、家政婦のみで暮らしている。
結婚できない理由は分かっている。中身に対して見た目が派手すぎるのだ。レイは金髪碧眼で、すっと通った鼻、薄い唇に切れ長の目で、背は高く鍛えられた体躯をしている。
幼い頃からどこへ行っても女性に声をかけられ、しなだれかかられ、最終的には女性らが揉め始めるのだ。
そのうち結婚するだろうと思っていたが、これといった女性は現れず、とにかく女性と関わると厄介なことになるだけだった。
次第に、自分に好意を抱いてくれる女性からは距離を取るようになった。レイはもう結婚を諦め、仕事に没頭していた。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、レイ様、お手紙が届いております」
レイが自宅に帰ると、執事のコニーが手紙を差し出してきた。裏を見ると見慣れたサインが記してある。実家の母からだ。
なにか急ぎかもしれないと思い、びりびりと封を破って中を開いたが、ざっと目を通したレイは顔をしかめて手紙をそのままコニーに突き返した。
「急ぎのご用件でしたか?」
「縁談だった」
コニーにも手紙を読むよう促す。レイは上着を脱いで二階の自室に向かった。
縁談は久しぶりだ。一時期は母がうんざりするほどしつこく話を持ってきていたが、息子にその気がないことが分かってからはしばらく遠のいていたのだ。
荷物を置いたレイは階下に降りて食卓へついた。コニーは手紙を読み終わったようだ。
「大奥様の占いによるもののようですが」
「らしいな」
大奥様とは実家の祖母のことだ。祖母も魔力が強く、それは占いに特化していた。祖母は魔術師としてではなく占い師として有名で、遠方からも客が来るほどだ。
今回の手紙によると、祖母の占いでとある侯爵家令嬢との縁が見えることから、段取りするので面会せよとのことだった。見合いだ。
今まで祖母の占いで縁談を勧められたことはないが、祖母は実家で一番の権力者だ。逆らうと後がやっかいだ。
「ご面会の日程は少し先ですが…お会いになりますか?」
「…逆らうと面倒だからな…、形だけ一応会うことにするか」
「別途、釣書と絵姿も送られてきておりますが」
「いい、いい。見ても意味ない。それよりも監査を乗り切ることで頭がいっぱいだ」
レイはため息をついて食事を始めた。
♦︎
一週間後、なんとか書類を揃えて監査を迎えることができた。
国家関連機関の会計に不正がないか、収入・支出が不当でないかをチェックする会計監査は三年に一度回ってくる。監査は国から独立した機関である会計監査院が行っており、この組織は第一班から第六班で構成されている。
今回、魔術師団の監査は第三班が実施するとのことで、担当監査官との顔合わせを行った。
「第三班長のウィルソンです。今回はよろしくお願いします」
「魔術師団長のミラーです。こちらこそよろしくお願いします」
ウィルソンと名乗った男と握手をした。彼は長身で細身の男だった。監査官は皆揃いの黒い制服を着ており、黒を着ているせいでひょろりとより細身に見える。
ウィルソンの隣は副班長で、その逆隣にはウィルソンと比べると極端に小柄の監査官が立っている。
「こちらは第一班のテイラー班長です。実は魔術師団の前に監査を行った部署で少し延長戦となっておりまして人手が足りず。今回、第一班から応援に来てもらうことにしました」
「第一班長のテイラーです。よろしくお願いします」
声を聞いて驚いた。女だ。
他の皆と同じ黒の制服で栗色の髪をまとめ、すっきりとした化粧気のない顔で眼鏡をかけている。
「よろしくお願いします」
握手すると折れそうに細い指で冷たかった。監査中の監査官は激務だ。班長だと言ったが、女で耐えうるのだろうか。
監査は通常一週間で終了する。被監査部署が用意した資料を監査官が確認し、問題があれば呼ばれる。基本的には監査の間は待機していれば通常業務をしていてよい。
レイは無事に監査を迎えられた開放感からなにもする気にならず、席に座ってぼんやりと監査官たちを眺めていた。
「さすが鉄の女、師団長を見ても眉一つ動かしませんでしたね」
副師団長のダニエルが近寄ってきてこっそり耳打ちした。
「彼女は有名なのか?」
「そりゃあもう、ブリジット・テイラー嬢は有名ですよ。めちゃくちゃ優秀で監査も厳しいそうで、最年少での監査班長ですからね」
「ふーん」
「普通の女性だったら師団長を見たら、ぽーっと見惚れて固まるか、血圧上がって倒れるかでしょ。彼女、ぴくりとも反応しませんでしたよ。異名通りですねえ」
「人をメデューサみたいに言うな」
そのとき、ウィルソンから声をかけられたのでダニエルは席に戻った。ウィルソンは確認したいことがあるとのことだ。なにか不備があっただろうか。
レイは不安になりながら席を立った。
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意外なことに、監査中の呼び出しはその一回だけだった。内容は春先に購入したとある物品が何か、というものだった。それは薬草の種苗だったので薬草園を見せて説明しただけで済んだ。
他に不備もなかったようで、一週間の予定の監査は4日で済んでしまったのである。
「いやあ、魔術師団はお金の流れが明確ですし、非常に節約なさっている様子がわかります。おかげでさっさと終わってしまいました」
ウィルソンが笑いながら頭を掻いた。
別に団員に節約を強いているわけではない。出張はないし、業務に必要なのは筆記具と魔法陣を描く布くらいだ。
魔法薬に必要な薬草はたまに種苗を購入する程度で薬草園で育てているし、必要な薬品も自分たちで調合することが多い。そういうことが好きな連中ばかりなのだ。
レイは皆が着ている揃いの黒いローブを新調したいと思っているが、まだ着られるから…と皆に断られた。
金がかかるのは書籍くらいだが、これも毎年大量に購入することはない。たまに予算を使い切れない年もあるくらいなのだ。
「無事に済んで安心しました。ありがとうございました」
監査官たちは資料を片付けて帰っていき、監査の済んだ魔術師団員たちは、終わった終わったと口々に言ってそれぞれの業務に戻っていった。
レイも監査が済んでホッとした。今日は久々にゆっくり寝られそうだ。