第3話 成年の試練
今更ですが、この作品には差別的な表現や言葉が頻繁に登場します。そういったものに不快感を持たれる方はご注意ください。
遂に「成年の試練」の日が来た。
朝早くカイルたち試練を受ける少年たちは修練場に集められ、教官役の村人から改めて説明と注意を受けた。人数が多いときは数人ずつ日を分けて行うが、今年の参加者は五名だけなので、全員同時に実行される。
「これから銘々森に入ってもらう。武器は最初に持ち込んだもののみ。追加のため村に戻ることは許されない。二人以上で一匹の獲物を狩ることも禁止だ。森の各所には監督の者が配置されている。違反行為があった時は即失格だ。試練達成として認められる獲物は、赤毛熊、一角狼、鎧猪、暴れ鹿、銀ヤマネコ、以上の動物だ。しかし赤毛熊と鎧猪は単独で狩るのは難しい。まして君たち若輩者にとってはな。これらに遭遇したら無理をせず逃げたまえ。先ほど渡した土笛を吹けば監督の者が駆けつける。これらから逃げても失格にはならない。改めて別の獲物を狙えばよい」
「ふん、冗談じゃねえ」
アルルパがギラギラとした目で呟く。初めからアルルパはそのどちらかを狩るつもりでいた。というよりはっきりと赤毛熊に狙いを絞っていた。「成年の試練」で赤毛熊を狩ったものは過去ほとんどいない。成功したものは勇者の称号を与えられ、村では族長や祭司長に次ぐ扱いを受けると言われているのだ。既に族長家の人間であるアルルパにそんなものは必要なかったが、自分の力を村の者に見せつけるには格好の材料だ。兄ガイアスですら赤毛熊を単独で狩ったことはないのだ。
「それからやはり先ほど渡した宝刀は必ず持ち帰ること。万が一紛失した場合は例え獲物を狩っても試練を達成したことにはならない。それどころかきつい罰を受けることになる。これは村の宝である。努々忘れるな」
「「はい!」」
カイルたちが渡された宝刀とは長さ50cmほどの短刀で、村で一般に使われている石製の物や銅製の物と違い、銀色に輝く何とも不思議な鉄で出来ていた。古くからこの村に伝わっているもので、由来は明らかではないが相当昔からあるらしい。だがそれだけの年月を経てもこの担当の刃は全く錆びることがなく、普通の短刀とは比べ物にならない切れ味を誇っていた。普段は祭司長の家で管理されているが、今に至るまでこれを新たに作ることは出来ていない。そもそも何で出来ているのかがわかっていないのだ。「成年の試練」は多分に命の危険を伴うため、特別にこの宝刀を携帯することが許されている。しかし村の至宝であるため、当然その紛失は重大な罪とみなされるのである。それでも過去不幸にも狩りから戻らなかった者とともに失われた宝刀も何本かあり、今残っているのはカイルたちが受け取った五本のほかにはわずか二本しかない。試練が数人ずつ行われるのはこの宝刀の数に限りがあるからという理由もあった。
「狩りが済んだら首を斬り、監督者の元に持っていきなさい。試練達成の印を体に刻んで貰える。それで無事終了だ。村に帰った時から君たちは一人前の男として認められる。制限時間は特に設けていないが、陽が落ちるとともに監督者は引き上げる。それまでに達成できなければあきらめて森を出ることを勧める。夜の森は昼よりもずっと危険だ。赤毛熊などの猛獣は夜の方が攻撃的になる」
夜にしか姿を現さない猛獣も森にはいる。夜の狩りは想定していないので先ほどの話には出なかったが、勿論狩ることが出来れば文句なしの合格になる。
「最後に、わかっていると思うが、『禁断の場所』には絶対立ち入ってはならない。森に結界のロープが張ってあるのでわかるはずだ。あまり森の深くに立ち入らなければ問題はない」
森の奥には一族が決して立ち入ってはいけないとされる禁断の場所があった。そこに足を踏み入れることは最大のタブーとされ、まかり間違ってこれを犯すようなことがあれば、処刑も免れないと言われている。
「説明は以上だ。諸君らの検討を祈る。では解散!」
教官の言葉に一礼し、五人の少年は最後の点検を始める。カイルは弦を新しくしてもらった弓に、自分で軽量化の工夫を施した矢を十数本用意していた。宝刀を腰に差すための布製の鞘も自作である。あらかじめ実物を見せてもらえていたので、サイズもほぼ合っていた。土笛は最初から麻紐が通してあり首から下げられるようになっている。
「これはこれはアルルパ様。いよいよですな」
武具の点検に余念がないほかの少年を置き去りにさっさと修練場を後にしたアルルパに、いつの間に来ていたのか祭司長のバノアが声をかける。
「バノアか。何の用だ?俺は忙しいのだ」
ぶっきらぼうにアルルパが言い、バノアを睨み付ける。祭司長は族長と同じく世襲制を採っており、村の冠婚葬祭全てを取り仕切る実質上のナンバー2である。当然族長家とも関わりが深いが、アルルパはこのバノアという男が好きではなかった。慇懃無礼というか物腰は柔らかいのだが、腹の内では何を考えているかわからないどこか蛇を思わせるような雰囲気を持った男だった。
「承知しております。今日はアルルパ様にとって特別な日。不肖このバノア、試練達成を祖先の御霊に祈願いたし、守り札を持参いたしましてございます」
小さな袋状の布を取り出し、バノアが深々と頭を下げる。袋には族長家の家紋が描かれていた。
「無用だ。そのようなものなくとも、立派に試練を果たしてみせるわ」
「そうおっしゃらず。これはガイアス様の願いでもございます。アルルパ様のお力は私をはじめ村の者皆存じておりますが、狩りには危険が付き物。ガイアス様が族長をお継ぎなされたばかりのめでたい時に万が一御身に何かありましたら、村の者が嘆き悲しみましょう」
「このアルルパを愚弄するか、バノア!俺が獣ごときに後れを取るとでも思うのか!」
ガイアスの名を出され、アルルパはますます不機嫌になった。族長継承があと何年か遅ければ、という思いがまた頭をよぎる。
「滅相もない。しかしこれは村の民の願いにございます。なにとぞその想いをお受け取りくださいますよう……」
「ちっ、まあいい。気休め程度にはなろう」
家の紋が入った守り札を無下にするのはさすがに気がひけるところもある。アルルパは渋々それを受け取り、懐に忍ばせた。
「ありがたき幸せ」
「見ているがいい、バノア。村の者が皆腰を抜かすような獲物を狩ってくれるわ」
アルルパはそう言い残し、森の方へ歩き出した。それを見送ると、バノアはにやりと笑い、決して人には聞かせられないようなことを呟く。
「くく、やはり大物狙いか。無事にあの場所までたどり着ければよいが……。まあ獣に喰われたら喰われたで、ガイアスをけしかける理由にはなろう。期待しておりますよ、アルルパ様。くくく……」
装備を確認し、カイルは真新しい革靴の紐をしっかりと結んで森に向かった。森の入り口で監督者の一人に挨拶し、大きく深呼吸をしてから森の中へ足を踏み入れる。すでに他の参加者たちは中に入っているそうだ。入り口からしばらくは村人が開いた道が続いている。左右を茂みに覆われたその道をカイルは慎重に進んだ。鬱蒼とした森は道の頭上まで木々の枝を伸ばし、空を隠している。陽の光も多くは降り注がず、鳥の音だけがあちこちで木霊していた。カイルは神経を集中し、弓に矢を一本番えたままゆっくりと歩を進める。入り口近くのこの辺りにはまだ獰猛な獣はいないはずだが、用心に越したことはない。何度か実習で来ているのでこのあたりの地形は頭に入っている。カイルはこの先の小高い丘の方へ向かい、獣を待ち伏せするつもりだった。低地を歩いていて頭上から襲われるのは危険だし、対応も遅れる。
湿った苔の臭いが鼻を突く。左右の茂みから音がするたびカイルはビクッ、として弓を構えるが、たいていは何の姿も見えない。蛇や野ネズミなどの小動物が動き回っているのだろう。
「最初に出くわすとしたら暴れ鹿あたりか」
周囲に目を配りながらカイルは自分を落ち着かせるように呟いた。村に近い森の入り口付近にはそれほど獰猛な獣は生息していない。奥に行くほど危険な動物が増えるのだ。暴れ鹿は他の鹿と比べて異様に気性が荒く、縄張りに入ってきたものを容赦なく攻撃する。体長はそれほど大きくないが、枝分かれした大きな角は人間を殺傷するには十分な威力を持っている。しかしその角が目印になり、遠くからでも発見しやすいため、獲物としては他の猛獣に比べて比較的狩りやすい方だ。左右の茂みはそれほどの高さはない。暴れ鹿が近づいて来れば危険な距離になる前に十分弓を構えることができるだろう。
「うわあっ!」
いきなり前方から大きな悲鳴が聞こえ、カイルは飛び上がった。今の声は!?まさか他の参加者か。
緊張のあまりその場に立ち尽くしたカイルの耳にザザッ、と草を分ける大きな音が響く。ぎょっとして振り向くと、左右の茂みから弓を持った男たちが姿を現した。今回の試練の監督者だろう。今の悲鳴を聞いて飛び出してきたらしい。
「今の悲鳴は君か!?」
監督者の一人が鋭い眼光で尋ねる。
「い、いえ。もっと前方から聞こえました」
「そうか。様子を見てくる。少しここでじっとしていたまえ」
そう言って男たちは走り去っていく。カイルはろくに返事も出来ずにただ頷いて立ち尽くす。心臓が早鐘のように胸を打つ。はあはあと荒い息を吐き、カイルはじっと待った。
……どれくらい時間が経っただろうか。いつまで待っても誰も帰ってこないし、鳥の声以外の音も聞こえない。このままではらちが明かないと思い、カイルは意を決して歩き始めた。どちらにしろ獲物を狩らずに戻るという選択肢はないのだ。
しばらく進むと、苔蒸したそれとは違う、何か嫌な臭いが鼻を突いた。森を進むにつれ木々の密度は一層増し、地面は薄暗くなっていく。これまで以上に気を周囲に巡らせ慎重に歩を進めると、前方の地面に何か違和感を覚えた。明らかに土の色が変わっている。薄暗くてよく見えないが、周囲とは確かに違う。
「ひっ!」
ある程度近づいたとき、その正体を知ってカイルは悲鳴を上げた。それは血だった。前方の道が一面血で染まっている。一人の人間が流したものだとすれば完全に致命傷だろう。さっきから臭っていたのはこの大量の血だったのだ。
「あ、あ……」
恐怖のあまりカイルはその場に座り込んだ。滝のように脂汗が顔を伝う。誰かが襲われたのだ。誰が?何に?暴れ鹿の角で突かれただけでこれほどの出血をするとは思えない。それにこの血を流したものはどこに行ったのだ。周りを見ても死体らしきものはない。これだけの出血で自分で動けるとは思えないが。
バキッ!という轟音が轟き、真っ青な顔でカイルが振り向く。茂みの奥、木々が立ち並ぶ辺りからその音は聞こえた。さらにバキバキと乾いた音が続く。それはだんだんと近づいてきていた。
逃げなければ!カイルの中の生存本能が危険信号を鳴らす。しかし腰に力が入らずうまく立ち上がることが出来ない。
ザザッ!
「なっ!」
茂みのすぐ奥の低木の葉が大きく揺れ、その後ろから音の主がぬうっと姿を現すと、カイルはあまりの衝撃に言葉を失った。全身を覆う茶褐色の体毛。鋭い爪と燃えるように赤い瞳。カイルからその背中は見えないが、その中央に一筋の赤い毛のラインが伸びていることを、村の者なら誰でも知っている。
それはカイルを視界に捉えると、歯をむき出し、大きく吠えた。
この森の昼の支配者、赤毛熊であった。