1.5 「今時あんなローブは」
襲撃が始まる中、親友サイラスを気遣って家を飛び出した主人公ノヴェル。
もう一人の親友ミーシャを加え、「アグーン・ルーへの止り木」の裏庭で、ノヴェルたちの運命が回り出します。
ミーシャの外見について少し記述を追加。旧1-5削除に伴いサブタイトルの連番を変更(2020/06/12)
裏路を走りぬけて目抜き通りに入ると、冒険者の数がワッと増えた。
このまま緩い坂になった目抜き通りを上り、更に丘に向けて脇道を上ると「アグーン・ルーへの止り木」がある。
十二階建ての尖塔と、それを囲む壁のような居室区画。
尖塔は冗談みたいに高い高層建築だ。石を積み上げてあんなものが造れるとは思えない。
北の丘から街を一望する塔だ。実際には丘のさらに北側に住宅が広がっているため街全部じゃないが、街の中心を見下ろすには最高の立地だ。
かつてサイラスに聞いたところだと、鋼鉄の骨組みが入っているのだそうだが、そんなものをどうやって支えているのだろう?
「地面に深く打ち込んでいるとか?」
「それはないよ、ノヴェル。打ち込むためにはまず立てないと。鋼鉄の柱なんて、とても立てられないんだからさ」
「う~ん、なんとかなると思うんだがなぁ」
と、学堂のボードに図を書いて見たけど、サイラスの言う通り、自分にもできそうな方法は見つからなかった。
でももし自分にも魔法が使えたら、やれそうな方法は何通りか見つけた。
それほどでたらめな建築だ。庁舎よりも大きく、街のどこからでも見える。
オレの足で、走れば宿無亭から十五分かそれくらいだ。
普段真っ暗な尖塔には、今日は明かりが見える。
あそこはVIPルームになっているんだとか言っていたな。
一番安い部屋でもウチの四倍の料金。それと食事代が別にかかる。
道理で、すれ違う冒険者もペラペラのプレートメイルなんか着てる奴はいないわけだ。
土の神のご加護といって、鉄製装備を尊ぶ冒険者は多いと聞くが、何せ重い。フルセット鋼鉄鎧の客なんか、うちに来たら床が抜けちまう。
でも……今冒険者が街の西門へ向かっているということは、少なくともアグーン・ルーへの止り木が戦場になっているという最悪の展開はなさそうだ。
背後からは喧噪に混じって、遠く炸裂音が響いている。
アグーン・ルーへの止り木に着くと、不気味なほど静かだった。
ゴブリンどもを打ち倒して名を挙げてやろうという連中も、街を守ろうと集った者も、七勇者を一目見たいという野次馬も、ここにはもういないようだった。
門には警備兵が居た。
サイラスの友人だと言えば通してもらえるかも知れないが、宿無亭の居候――いや、自由な使用人だとバレると面倒だ。ミーシャでもいてくれたら顔パスなんだろうが。
こういうときは裏の通用口のほうが楽だ。いつも出入りはそうしている。
煙は裏手のほうから出ている。
裏へ回る途中も、高い塀が邪魔して煙の原因までは分からなかった。
ようやく裏門にたどり着いた。
門にくっついた小屋に、見知った守衛が一人だけいた。
その守衛に食って掛かっている女がいるぞ……待て、あれはミーシャだ。酒屋の娘で、ここにもうちにも酒を卸している。いわば幼馴染で、今や数少ない友人の片翼を担う。もっとも、彼女もそう思っているか尋ねたことはないが。
「よう坊主。お前もこんな日に出歩いてるなんて、よくよく不遜なガキだな。坊ちゃんなら今夜は無理だぜ」
「無理って、何かあったのか?」
「こう忙しくっちゃな。旦那様にコキ使われてる。まだてんてこまいだろうぜ」
「こっちで煙が見えたから来たんだ。ボヤか何かか?」
お前もかよ、と彼はうんざりしたような顔をした。
「何の報せも来てねえよ……あ~……マーリーンが何かやったのかな」
マーリーンだって!?
「あのマーリーンがいるのか!? 客で!?」
「馬鹿。何百年前の人間だと思ってるんだ。ウチで雇ってる旅芸人、偽物だよ」
「二百年前だ。あのマーリーンなら……」
「まぁ、本物だとしたらウチは世界一バチ当たりな宿だな。大賢者を見せ物にして、酒を売ってる」
「なら返しなさいよ! 罰当たりに飲ませる酒はないわ!」
勝気そうな赤髪の下、色白の小さな顔を膨らませて守衛に迫る。
こいつも強気な女だ。黙ってさえいれば相当なお利口さんに見えるし、学堂ではそうだった。でも商売のこととなると――。
もう開けちまったぜ、と酔いどれの門番は空になったエールの瓶を振る。
「ま、卸業者が来たならしょうがねえな。いつもの勝手口から入れ。宿泊客の子供の振りして、大人しくしてろよ」
門の脇の通用口が開いた。
無法の世だ。頼れるものは剣と魔法、そして賄賂。
オレ達は早速アグーン・ルーへの止り木へ這入り込む。
背後で、「絶対に尖塔には近づくなよ!」と守衛が怒鳴った。
いつもの勝手口はさらに右へと回り込んだ、離れとの外通路のことだ。
黒煙が上がるのもそちらの方向――。
一歩、オレが角を回るのが早かった。
妙な光景が目に入る。
咄嗟に身を屈めて、右手でミーシャを制した。
「ちょっと、何?」
「待った。何かおかしい」
「何かって?」
訊かれると思ったが、訊いても無駄だ。
はっきりとわからない。
裏庭は暗い。
誰かいる。一、二……四人? いや五人?
点々とランプは灯っており、雲に覆われた夜空はやけに明るいが、それでも顔までは見えない。
太った小男が、老人らしきローブの男を後ろから羽交い絞めにしている。
対峙するのは背の高いライトメイルの男女、そしてオレと同い年くらいの少年……サイラスだ。
シルエットで即座に分かったのはサイラスのみ。
フードを被った老人は……まさか。
「爺さん……?」
ゾディ爺さんが旅芸人の真似事をしているわけはない。
だが、夕食後姿を消してから一度も見かけていない。出かけているのは明らかだ。
あの出不精の爺さんが、だ。
魔術なんか誰でも使う。学堂でも習う。今時あんな時代錯誤なローブを着ているのは、うちの爺さんか、さもなきゃマーリーンくらいだろう。
だがまさか。
おずおずと、脚が前に出た。
「ちょっとノヴェル! あれ、君のお爺さんじゃないの? 今時あんなローブは……」
小声でミーシャが言った。
ああ、言われなくても、そんな気がしてる。
「ロイ! マーリーンを離せ! 俺たちゃ、そいつに話を聞くつもりだったろうが!」
「止しな! ありゃもうロイでもなんでもねえよ!」
ライトメイルの男女二人は、どうやら仲間割れだ。
マーリーンを抑えているあの太った男がロイか。
ロイは……左肩から先をだらりと垂らして、右腕だけでマーリーンを羽交い絞めしていた。
背後の、離れの壁が崩れて、そこから黒煙が上がっている。
どうやらマーリーンを離れに連れ込もうとしたかして、魔術で反撃を受けたのだろう。
だとすれば、もう十五分以上もこの膠着状態が続いているのだ。迂闊には飛び出せない。
ロイは手負いだ。ライトメイルの二人が飛び掛かれば簡単に済みそうだが、そうしない理由があるに違いない。
「ノヴェル、助けないと」
「待ってくれ。あのデブが何をするつもりか、それが分からないと危ない」
物陰から目を凝らす。
ロイは深手だ。肉の焦げる匂いがここまで漂ってくる。
「なぁ! どうしちまったんだよロイ! らしくねえじゃねえか!」
あたしが、と女が腰から刃渡りの長いナイフを抜いた。
到底人とは思えない、爛れた声を絞り出してロイが威嚇する。
ロイが何者かは知らないが、今あそこにいるロイと呼ばれた男は、とにかくまともじゃない。
「止せ、やめろ、ミラ。あいつを刺激するな。懐柔しろ」
「バカ野郎、死人に効く認識術があるかよ!」
今度はマーリーンが、自らの腕を曲げてロイの顔に掌を向けた。
震える掌に、わずかな赤い光が宿る。
「おい、マーリーン、止せ。そいつを殺すな」
「もう死んでるんだって!」
叫んだのは女だ。
マーリーンは、ここから見たって震えているのが判るくらい衰弱している。
「決めつけるな! いいか、ロイが操られてるのか、死んでから操られてるのか、それによっちゃあいつらの手の内が知れる。それを見誤っちゃ俺たちは一巻の終わりだ」
殺してから調べればいいじゃねえかよ、とぼやきつつミラはナイフを収める。
だがマーリーンは止まらなかった。
掌に生まれた二つの小さな光球が、捩れて大きくなってゆく。
「止めろ、マーリーン!」
男がそう叫んで飛び出したとき……オレも飛び出していた。
オレの足を、ミーシャが掴んだ。
そのまま思い切り前にコケる。
マーリーンの光球は、更に大きく捩じれて火球へと変化した。
ロイは、物怖じすらせず、何の躊躇もなく――マーリーンの首元に噛み付いた。
「爺さん!」
オレは叫んだ。
サイラスがこっちに気付き、悲壮な声を上げた。
ロイの頭は火球をまともに受けて後ろへ吹き飛ぶ。
飛び出した男が、倒れたマーリーンを抱き止めた。
全ては、一瞬のことだった。
「爺さぁぁん!」
オレは何度も立ち上がろうとして、失敗した。
なんてことだ。ミーシャがオレの頭を押さえつけている。
「離せ! オレの爺さんかも知れないんだぞ!」
「いいから! 黙って! アレ!」
ミーシャは押し殺したような声で、天を指差す。
見上げると、何かが空を横切った。
大きな宿とその離れに囲まれた狭い空だ。
そこを、鈍く光を反射する何かが、横切った。
銀色の翼――オレはその光景を、きっと生涯忘れることはない。
それがオレと奴らの、最初の出会いだった。
ようやく一章の役者が勢揃い。
明日(12/12)「こりゃもう死んでるな」でエピソード1が終わります。
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