16.3 「ほら、どっかしら不幸を呼び寄せるみたいな体質だし」
すみません、昨日メンテで予約更新忘れてました。
ジャックはサイラスとミーシャを連れてレストランを訪れていた。
テラス席で蟹の脚を齧りながらポート・フィレムの近況などを聞いていた。
彼らはこれから庁舎へ行き、免状の更新を行うのだという。
「それで、ノヴェル達はどこへ行ったんですか?」
「ああ、悪いが、そればっかりは教えられないんだ」
別にジャックとしてはこの二人には教えても良いような気はしていた。
ここへ来るまでは話してやるつもりでいたのだ。
だが――。
ジャックは周囲を見た。
――視られている。
どこからかは判らないが、先ほどからどうも、誰かに見張られている気がしているのだ。
元老院の手の者だろうか。
いや、そうだとすりゃ、俺達はとっくに囲まれてるはずだ――そう考え直す。
「まぁ、あいつらは大丈夫。護衛も一緒だし、ここにいるよか安全さ」
「そうだといいんですけど。ノヴェルって、ほら、どっかしら不幸を呼び寄せるみたいな体質だし――」
ミーシャが冗談なのか本気なのか笑えないことを言う。
違えねえや、とジャックは天を仰ぐ。
そこに――誰かがいた。
スッと建物の影に隠れて見えなくなる。
ほんの一瞬だ。
だが――。
「おっと、午後のリハビリの時間だ。ここの払いはこれで。ゆっくり食え」
ジャックはテーブルに金を置き、立ち上がろうとして立ち上がれないのだと気づく。
「ご馳走様です! とっても美味しいです!」
「見た目はアレだけどイケるだろ? ミソも食え」
「僕たちはそこの宿……」
おっと、とジャックはサイラスを遮る。
「外で宿泊先は言わないほうがいいぞ」
ジャックはテラスの階段をがたがたと車椅子で降りてゆく。
残されたサイラスとミーシャは、互いに顔を見合わせた。
***
畜生、何だってこんな街中に奴が――。
ジャックは車椅子で街を全力疾走していた。
さっき一瞬見えた人影。見間違えるわけはない。
スティグマ。
(真昼間だぞ)
これまで誰も奴を見た者はいない。
少なくとも生きている者にはいない。
ずっと雲隠れしていたのじゃないか。
(いや、「スカイウォーカー」……とか言ったか? 誰も信じなかっただけなのかもな)
七勇者の指導者も、焦っているのかも知れない。
七人の勇者も今や三人が殺された。
長らく単独で動いていたであろうオーシュはともかく、ソウィユノやゴアといった便利な手駒を、奴は失ったのだ。
加えてスカイウォーカーこそが勇者の指導者スティグマだと知る者が現れ、それはパルマ皇女の知るところでもある。
そしてその指導者は、元老院やモートガルド帝国、大国の名だたる中枢に繋がっている可能性すらでてきたのだ。
マーリーンの遺体――それに踊らされて出てきた者は皆、勇者について何かしら大きな秘密を握っている可能性があるのだから。
(まぁ、面が割れちまったのはこっちも一緒だがな――おちおち食事もできやしねえ)
今は身を隠さなければならない。
どこだ――皇女宮殿? ダメだ、袋の鼠だ。姫さんを巻き込むわけにゃいかねえ。
手近な家の軒先を通って、狭い土壁の間に侵入した。
白レンガの階段をがたがたと降り、家庭菜園の隅に隠れた。
上を見る。
壁は高く、死角としては申し分ない。
暫くここでこうしていれば――と思うより先に、壁と壁に切り取られた空をスッとスティグマが横切る。
更に反対側からもう一度。
――頼む。どっか行ってくれ!
また横切る。
横切る間隔がどんどん短くなっている。
この近辺にアタリを付けられたようだ。
ここは地下室でも屋内でもない。アタリを付けられてしまえば、あとは時間の問題だ。
ふと、ガラスの向こうに薄着のマダムがいた。
この家の人間だろう。
見るからに不審物を見るような目でこちらを見ている。
(――違う! ちょっと庭の隅っこを借りてるだけだ!)
どうにか首を振ったり手を振ったりするうち――マダムは一層不安そうに、怯えはじめた。
通報される。
スティグマに見つかるのも時間の問題。
――ええい、ちくしょう。
ジャックは車椅子を駆り、庭を横切って一目散に飛び出した。
急激な階段をガタガタと降りる。
この坂でも車椅子が転倒しない。重心移動に対する応答がまさに新型たる所以だ。しかし重い。
ようやく緩やかな下りの道にでた。
上を見ると、スティグマが確実にこちらを見ていた。
空中で狙いを定めると、しゃなりと垂らした無数の鎖を翻してこちらへ向かって歩いてくる。
――ああ! クソだ!
ジャックは急いで手近な路地に逃げ込む。
暗い路地の先に見えるのは、左に向かう明るい下り坂。だがその手前に、右へ折れる上り坂がある。
(イチかバチか――上るっきゃねえ)
車椅子なのは最初からバレている。路地を出て坂を下ることは、奴も予想しているだろう。
全力で路地を走り、車輪を鳴らして急ターンを決める。
上るしかない。奴を巻くには、予想の逆に行くしかない。
右へ曲がると、暗く長い急傾斜が続いていた。
――本当にクソみたいな街だ!
ジャックは坂を上り始める。
上り始めてすぐに後悔したが、上る。
重い。電気の抜けた最新の発動機と堅牢なギアボックスは、重い。
路地裏である。とても坂などと呼べたものではない。ただの傾斜だ。
でこぼこした路面は左右の車輪が同時に接地しないし、化粧壁から剥がれ落ちた細かい白砂で車輪が空転する。
これを。
上る。
腕の力だけで。
山の手の明るい通りはもうすぐそこだ。
だが油断すれば坂を真っ逆さま。スティグマに殺される前に事故で死ぬ。
「うおおおぉぉ、もう少し!」
――上りきった!
明るい山の手の通りだ。
間もなく冬とは思えないほど汗だくになっていた。
伊達眼鏡を外して目に入った汗を拭う。
左を見れば緩やかな下り坂に沿って、露天商が続いている。
――そうだ。人混みに混じればよかったんだ。人前でなら、いくら奴だって妙な力を使えねえ。
「おいお前、そんなところで何をしていた」
「怪しい奴だな」
不意に、右から声をかけられた。
ジャックはあまりの暑さに帽子をとっていた。
「肌寒いのにすごい汗だぞ……ん? お前、どこかで」
「お前、手配中のジェイクス・ジャン――」
いやぁ人違いですぜ、と言ってジャックは左向きにターンし、猛然と車輪を回した。
待て! と背後から大声がした。
前方には何事かとこちらを見る買い物客ら。
「退いてくれ!」
下りでスピードが乗っている。止まれと言われても止まりようがない。
車輪は高速回転しており、手が出せない。重心移動が頼りだ。
悲鳴を上げながら買い物客らが右へ左へ飛び退く。
その間を、ジャックは走り抜ける。
とにかく下だ。
ベリルは崖に臨む急激な山肌に作られた街だ。下町へ近づくと上下に構造が複雑化する。自分にとっての一階は、誰かの二階の高さだ。
重心を右へ乗せ、左の市民を避ける。
右へ迫る果物の屋台を空気魔術で吹き飛ばし、飛び散るリンゴの間を抜けた。
後ろを見ると、追手の警備兵二人がリンゴに足を取られて派手に転倒していた。
「誰か! そいつを止めろ! ゴア殺しだ!」
警備兵が叫ぶと、民家の二階や三階から次々に身を乗り出す者達があった。
彼らのうち何人かはこちらへ掌を向けている。
――魔術を使う気だ。
その向こうに――スティグマが現れた。
「やめろ! くそったれども! ゴアと同じ目に合わせてやるぞ!」
ジャックが両手を左右の家に向けてそう叫ぶと、こちらを攻撃しようとしていた者どもは怯んだ。
ただし勿論、スティグマは例外だ。
坂道の先に、黒い茨が現れた。
それは、注意しなければ気が付かないような、短いものだ。それが道の上に突き出ている。
――野郎、車輪を破壊するつもりだ。
止まらなければ――いや無理だ。
何とか横道は――ない。
道の左右はみっちりと家屋が並んでいる。入れるような路地はない。
(――ああ、もうクソだ。どうにでもなりやがれ!)
ジャックは、全体重を左にかける。
ギプスを巻いた左足を出す。
ポキリ……。
ギプスがまた砕け、繋がりかけた骨が折れる音が全身に響いた。
激痛。
それに耐え、やや減速した左車輪を掴み、勢いを殺さぬように急激に左へ回る。
向かう先は民家のドアであった。
全身でそれをぶち破った。
家人らしき悲鳴があがる。
だが悲鳴を上げたいのはこちらも同じだった。
飛び込んだ狭いリビングを一瞬で駆け抜け、大きな窓ガラスを粉々にするとそのすぐ先は小さなベランダ。
ベランダの柵をも粉々にして――ジャックは跳んだ。
短い飛翔で、道の反対側の家の二階のベランダに突っ込み、狭い廊下を進んだ。
廊下の先をターンし、またドアを破って子供部屋らしき部屋に突っ込む。
赤ん坊の泣き声、母親の悲鳴。
「すまねえちょい通らせ――」
早口でそう言い終わらないうちに、空いていた窓からベランダの柵を突き破ってジャックは再び飛んだ。
よく晴れた午後の空、白い雲、やや広い坂道、向かいの家の屋根、庇の下の外廊下。
そこまでは少し遠かった。
高低差もある。
向かいの家の二階外廊下に着地し、車椅子はようやく停止した。
運が良いのか悪いのか。
左足はまた折れたが、一応手も足もついている。
「くっそ、普通なら何回か死んだぞ!」
誰にともなく叫ぶ。
ジャックは空を飛んできたが、本来は表の路地から分かれた階段……というか、半分土を盛りつけた坂からこの二階外廊下に上がるようだ。
少し進めば屋根が張り出して庇になっており、空からも死角だ。
ジャックは迷わず廊下を進み、死角に滑り込む。
右手には手すり付きの壁、左手にはこの家の窓が並んでおり、その先に玄関らしき扉がある。
――二階に玄関?
この家は二階建てだが、一階部分は半分坂に埋まった一・五階建て。そのためなのだろう。
窓から中を見る。
――生活感はないな。
この街は土地が狭い上に地価が高く、空き家は多いのだ。
これ幸いと、ジャックは先の扉まで行き、ポケットから針金を出して鍵穴に入れた。
カチャカチャ動かしていると、さっき飛び出してきた家の方から声がした。
「この家の子か!? 車椅子の男はどこへ行った!」
何と答えたかまでは聞こえない。
少しの間の後、「ご協力に感謝する!」と張り詰めた声がして、大勢の気配がバタバタと坂の下へと遠ざかった。
どうやら――巻いたらしい。
ついで、壁のところから子供が顔を出した。
ミーシャだ。
「やっぱり。ジャックさんだ」
「慌てて席を立ったから何かあると思った」
サイラスもいる。
――全く、勘の鋭いガキどもだ。嫌いじゃない。
***
その家は殺風景だが空き家というわけではなさそうだった。
たまたま家人が留守なのだろう。
入ったところの部屋には、必要最低限の家具があった。カーペットもなくやけに傷だらけの床がむき出しだった。
ほとぼりが冷めるまでここに隠れているつもりだと話すと、サイラスとミーシャもそれまで残ると言い出した。
「いやお前ら用事あるんだろ」とは言ったがそれどころではないと、ジャックは怒られてしまった。
警備兵は巻いた感があるが、スティグマが諦めてくれたかはまだ判らない。
とても二人を巻き込むことはできないと、何とか追い出そうと説得したが、二人は頑固だった。
「そんなに危ないならジャックさんはいつでも逃げられるように一階にいてください」
「お前らは解ってない! 逃げてどうこうできる相手じゃないんだ!」
それなら自分は何なのか、と自問する。
逃げても無駄とは言え逃げているし、ここまで逃げ切った。まだ死んでいないのが不思議なくらいだが、生きている。
(そもそもスティグマは何を考えて俺を追ったんだ)
殺されると思ったが、自分一人殺したところでスティグマが喜ぶともまた思えなかった。
――俺を餌に仲間を誘き出し、一網打尽にするつもりか。
それもどうも微妙に思えた。
悪くはないが、もっと効率的なやり方がある。それに適した勇者がいるだろう。
考えているうちにも、ジャックはサイラス達の手によって階段を下され、一階に移されてしまった。
「何かあったときのためにこれを耳にいれておけ」
二人にイアーポッドを渡した。
一階からは外がよく見えた。外からもよく見えるということだ。
勝手口はあるものの幅が狭く、車輪がハの字になったこの車椅子ではギリギリ通れそうになかった。
(――あれ、これ詰んだんじゃねえか)
『ジャックさん、誰か来た。早く逃げて!』
「おい、マジか。これ、一階からじゃ俺は出られねえぞ! 居留守にしろ!」
二人は静かになり――却ってドアを叩く音が一階まで聞こえてきた。
家人が帰ってきたのだろうか。
『ドア叩いて呼んでる。ジャックさんの本名だ』
どうやら家人ではない。
官憲か、まさかスティグマか。
とにかく居留守だ。上にはサイラスとミーシャだけ。他に方法はない。
「おいっ、いいから黙っておけ!」
『あっ……』
「おい、なんだ! どうした」
返事がない。
「どうした! 誰か、応答を……!」
少ししてミーシャの声が聞こえた。
『ドアを……ドアを開けられました……』
次回は明日15:00頃更新予定です。