13.2 「ふざけるな! 本で見るのと全然違うぞ!」
「ここいらだ。ここいらから西へ流された」
海図と針路を突き合わせ、慎重に位置を推定していた操縦士が言った。
海の中だ。
スティグマが暴れた海域まで戻ってきたわけだ。
昨日のとんでもないパニックの中、ノートンが覚えている限りの速度・針路から推測して海域を絞り込んでいた。海図にはその印がある。
沈んでいる軍用船の残骸からしても間違いないだろう。
ここまで、生存者は無し。
ソナーという、音波を使った探査装置も備えるが、障害物が多く――専ら目視による捜索だ。
深海探査船の操縦室は前面が丸いガラスになっていて、歪みこそあるが透明度は高く、かなりの視認性がある。
とはいえ水は濁っている。キラキラした海の中はさぞ綺麗だろうなんて思っていた数時間前の自分を殴りたい。
水中を漂う海賊達は何人か見つけた。
煙のような濁りから、ヌッと四肢を脱力させた水兵が現れるのだ。
アームの操作は、左右それぞれに専門の技師が担当する。
彼らがアームを使ってひっくり返すと、見るからにもう息はない。
なにせ一日近く経っている。蘇生は不可能だ。
結構、魚に食われていたし。
「ランボルギーニだ」
ノートンが言った。
計画を駄目にしてくれた張本人だ。
もしこいつが余計なことをしなかったとしても、あのクジラの歌を引き金に、スティグマが来たかも知れない。それでも港か沿岸なら、スティグマもあれ程の大技で大災害を引き起こすことはなかったのではないか――とはノートンの見立てだ。
面識はないが、強いていうと望遠鏡で見た。情報局には名だたる海賊の資料があるのかも知れない。
海賊の生き残りの証言によると、ランボルギーニは偽マーリーンを運んでいた。日に日に様子がおかしくなっていったがあの朝突然乱心し、クライスラーを斬首した。
偽オーシュに買収されたのではないかとのことだ。
彼に何があったのかはもう想像するしかない。
偽オーシュの死体があったら証拠として回収したいと申し出があったが、ノートン曰く「原型もなく、難しいだろう」とのことだった。
そして一番探したかったディオニスの亡骸は、少なくとも水中では見つからない。
海底に沈んだコンテナをいくつか発見した。
研究員がアームを器用に操ってコンテナを開けると、中には静かに、物言わぬ死者が大勢詰まっていた。
滝に落ちた衝撃か、上からの落下物でコンテナの気密性が失われたのだろう。
「ああ……なんてことだ」
操縦士も技師も、深いため息を吐いて目を逸らした。
少し落ち着いてから一人一人確かめたが、やはりここにもディオニスはいなかった。
ノートンはちらちらと技師らの様子を気にかけていた。
技師らの精神状態が悪化しているのを心配しているのだろう。
勇者だ暗殺だというのとは無縁の人たちだとすれば、この死体の山を検分するのは堪えるのだろう。
海上では小型艇を使ってコンテナなどの漂流物に残る生存者を探しているようだ。ようだ、というのはここからは見えないので、母船を通じて伝聞でしかそちらの情報はないからだ。
数名、生存者を確保したという。
酷い脱水状態だが、回復の目はあるらしい。
よかった。それだけでも出てきた甲斐があった。
『雲が出てきた。時化そうだ。捜索を打ち切ろう』
母船から連絡があり、操縦室内には安堵と諦めの混じった力ない声が響いた。
「待て、ソナーに反応がある」
密閉された水槽の中で、魔力球が幾つか明滅する。
水槽の中心がこの探査船。
「さっきここに反応はなかった」
「魚では?」
「だとすればでかい。人間くらいの大きさだ」
「もう死んでいるのでは」
ノートンは、行ってみましょう、と言った。
「ディオニスかも知れない。それなら死んでいても我々に有用だ」
「あっまた動いた」
水槽を覗いた技官が、アームを操作してそちらの方向へ向ける。
アームを握る掌が一瞬軽く発光すると、アーム先端も光った。
「距離百五十。近付いているような」
「……」
厭な予感がした。
横を見るとノートンも、裸眼を窄めて蒼白になっている。
「距離百。近づいてきます」
「こっちは動いてないぞ」
「判ってます!」
「距離五十。離脱を」
「キュリオス、離脱します」
『クイーン・ミステス・ワン、了解』
旋回を始める。
そのライトの隅に――。
両腕を怒らせたように曲げ、掌をこちらへ向けて威嚇する姿勢の、白い異形が見えた。
「ライトを消せ! 船からの排出を停止しろ!」
「アイアイ」
オーシュから逃げようと急加速する。
ガラスの向こうでは死体や残骸が後方へと流れてゆく。
「この船の最大速度は?」
「補助推力四十ノット」
「補助があるのか!? 補助は切れ! 排出があると勘付かれる!」
「補助なしでは三十ノットが限界です」
「構わない! 上等だ!」
さすがオーシュとタイマンした男。ただの官僚じゃない。
テキパキと指示する。
「キュリオスからクイーン・ミステス・ワン! オーシュだ! 大至急海上の船を撤退! 戦闘になるかも知れません! 交戦許可を」
『こちらクイーン・ミステス・ワン。交戦は許可できません。その船では戦闘できない』
「操縦士だ。なぜだ。この船は深海千メートルの水圧にも耐える設計だぞ。アームもある」
『繰り返します。許可できません。離脱を』
「ノートンだ。離脱了解。だがオーシュを巻くまでは母船には戻れません。そちらも全速で離脱を。どうぞ」
『クイーン・ミステス・ワン、了解。健闘を祈……』
バンッと音がして、前面のガラスにオーシュが張り付いた。
操縦士らはヒィッと叫んだ。
オーシュは顔をガラスの球面にべったりと張り付けて、目に垂れ下がった襞を捲り上げる。
眼をぎょろ付かせ――船内を視ている。
そしてオーシュは、オレを見つけた。
また手を挙げて、どういうわけか少し嬉しそうに――嗤った。
(――!?)
なぜ嗤った?
船は全速力で旋回すると、どうにかオーシュを振り落とした。
あいつのことだ。手が吸盤に進化していてもおかしくない。離れてくれてよかった。
「振り切れそうか?」
「あいつが三十ノット以上出せなければ振り切れる」
操縦士は言わずもがなのことを言った。
「本当にあいつが勇者? 人間なのか?」
それも言わずもがな。
「ふざけるな! 本で見るのと全然違うぞ!」
それももう本当に……。なんだかこっちが申し訳なくなってくる。
三十ノット。パッと計算できないが、時速五十キロくらい。相当なスピードだ。
視界が極端に狭いこともあり、海上の三十ノットよりも全然高速に感じる。
船は一直線に――とはいかない。
ライトを消してしまっている。
この速度でも、沈没した軍用船は急に目の前に現れる。それをあわや避けながら進む。
今度は屹立した海底の真っ黒な岩。
やや船首を上に向け、もう障害物はないかと思ったら――。
目の前にコンテナ群が現れた。
浸水で浮力を失い、ゆっくりと沈みゆく昨日の小舟たちだ。
「危ない――!!」
ノートンは、もう顔面を両手で覆っていた。
操縦士は操縦桿にしがみつくようにしてコンテナを避けてゆく。
右へ、上へ。
コンテナ同士がぶつかり、大きく開いた片側の隙間を見つけて。
落ちて来るコンテナの中身をまた右へ。今度は上へ。
下へ、左へ。
やっとの思いで――コンテナ群を抜けた。
これは補助推力を切って正解だ。これ以上の速度では、絶対に避け切れない。
「オーシュ、距離二を維持」
二。
ぴったり尾けられている。
『こちらクイーン・ミステス・ワン、海上の撤退を確認した。オーシュを巻き次第、こちらへ合流を』
「簡単に言ってくれる」
『ミハエラです。ノートン、作戦行動を中止してください。今すぐ自らの命を守るための行動を』
「皇女陛下!?」
ノートンは更に蒼白になった。
「なりません、皇女陛下。オーシュを貴方様の船に近付けるわけには」
『ノートン、聞いてください。この船にも戦力がございます』
「失礼ながら皇女陛下、貴方様はオーシュの力をご存知ない」
『あなたの報告を受けました。わたくしは、あなたの報告を信用しているのです。最前にも述べた通り、その船ではオーシュには敵いません』
「オーシュ、喪失しました。繰り返します。目標喪失」
水槽を見ていた技師が、突然吉報を告げる。
それでも――巻いたか!? などとは口が裂けても言えない。
「巻いたか!?」
操縦士が言った。なんとなく、そういうことを口にしてはならない気がしたのだ。
「ノヴェル君、機関室へ行って機関士の調子を聞いてきてくれ。あとどれくらい全力が出せそうか」
わかった、とオレは操縦室を出、狭い居住区画を通る。
ギギ、と妙な音がした。
上を見ると、船外へ出入りするハッチに通じるダクトがある。
そこを覗き込むと、ハッチに付いたバルブが、ゆっくりと回転している。
外から開けられつつあるのだ。
「ノートンさん! オーシュだ!」
オレは慌ててダクトを駆け上がり、バルブにぶら下がった。
ギギギ……ギギギ……。
体ごと、ゆっくりと回転する。
ダクト内壁に足を踏ん張ってこれに対抗する。
ノヴェル君! と、異変に気付いたノートンが出てきて、これに加勢した。
やがて回転が止んだ。
「諦めたか……? いや、静かに!」
ノートンが指を立てて耳をそばだてた。
オレも耳を澄ます。
ビタン、ビタン……。
不気味な音がダクト内に反響する。
それは、円筒状の深海探査船の外壁を伝って、前方、底面のほうへと動いていった。
「下だ! いや、前だ! 下を通って操縦室へ移動してる!」
オレ達はコックピットへ戻る。
――前面球体ガラスの下のほうから、球面に沿って這い上がってくるオーシュがいた。
手には、吸盤を付けている。
そのへんにいた大イカの足を奪ったのだ。
イカの足を手袋のようにして、ガラス面に張り付いている。
「うああああっ!」
操縦士は、まともに目を合わせてしまった。
水流に揉まれてぶよぶよと靡く襞の奥の眼――。
そのあまりにも人間離れした、怪物の眼を。
オーシュは、ガンガンとガラス面を蹴る。
「クソがあああっ!」
技師の一人が、アームを操作した。
「これでも食らえ!」
技師は、握ったアームの操縦桿に魔力を込め、その手を発光させる。
次の瞬間――数本の水の刃がオーシュを襲う。
それは見えはしなかったがゴツゴツとガラスに当たる音で、何らかの水魔術が放出されたとわかった。
オーシュはあちこちから煙のごとく出血したが、致命傷にはならなかったようだ。
ガラスは無傷だ。
『こちらクイーン・ミステス・ワン! キュリオス、何が起きているのです!』
「くそっ! ならこれで!」
皇女様の呼び出しをも無視し――アームを操った。
オーシュの脇腹を、腕を、そのアームで横から器用に突いてゆく。
オーシュは邪魔そうにそれを避けている。
『キュリオス! 報告なさい!』
技師は操縦桿を握る両手に力を籠め、その手が発光し始める。
不意に、オーシュがそのアームを掴んだ。
そして淀みない動作で、アームの先端を自らの足の裏に付ける。
「――?」
殺気だった技師は、虚を突かれたような顔をした。
ノートンが物凄い剣幕で叫んだ。
「おい、まさか、やめろ! 手を離せ!」
彼が慌ててアームを操る技師に飛びつこうとする。
次に何が起きたのか――オレには解らなかった。
オレが気付いたとき、アームを操る技師はおかしくなっていた。
技師は、操縦席の上で、縦に引き伸ばしたように長くなっている。
強力な力で首を引っ張ったみたいに――隣に座る操縦士と比べて、三割ほどニュッと伸びていて、そのぶん細っていた。
痙攣のような細かい震えがあり、その首がぶちりと折れて、頭が背中側に落ちる。
首から飛び出した一本の柱。
それは血で出来ていた。
柱の先端が鋭角に曲がり、次の瞬間には――横にいた操縦士の頭を刺し貫いた。
血の槍はバシャリと溶け、崩れ落ちた技師と操縦士の間に広がってゆく。
『キュリオス! キュリオス! 報告を!』
これが。
これが、体液操作というやつなのか。
それがなぜこの技師に――。
「なんてことだ、魔力が逆流した――」
ノートンが、唖然と呟いた。
オーシュは足で魔術を使う。
アームには魔力を媒介する能力があった。
それは、船内の術者から船外へ作用するばかりでなかった。
逆も可能だったわけだ。
「うああああっ!!」
一人残った技官が叫んで椅子から転げ落ちる。
船は操縦士を失って、あらぬ方向へと進んでいた。
『ノー……の位置……さい! ……信が、不安……』
「まずい。通信をロストしかけている」
ノートンは倒れた技官の頬を張って呼び掛けたが、技官の反応は鈍い。
「ノヴェル君、船の操縦は得意か? 姿勢を立て直してくれ! 私はアームを操作する!」
「無理言うなよ! いきなりそんなことできるわけないだろ!」
「いきなりとは言わん! 五秒で頭に叩き込んでくれ!」
再度、オレはガラス越しにオーシュと対面する。
船は……おそらく海底へ向かっている。
五秒。
操縦桿を握り、上へ。
二秒。
左右へ。操縦桿を倒してから反応が遅い。
ゼロ秒。
「……なんとなくは、判った」
「水深を維持してくれ。補助動力のスイッチは判るか?」
「たしか、この紫のボタンだ。これを押して、下のレバーを下げ戻すのを見た」
「補助を全開にしてオーシュを振り落とす。技官! 機関室へ行って備えるよう言ってくれ!」
え? ああ……と呆けていた技官は弾かれたように起き上がり、フラフラと後部へ向かっていった。
ノートンは右のアームを操作し、器用にへばりついたオーシュの体を横から突いてゆく。
「離れろ! この! この!」
恐る恐るだ。
オーシュが左側のアームに向けて這うので、ノートンは血でべたべたになった操縦桿へ移ってアームを退避させた。
アームをオーシュに奪われれば、この操縦室にいる人間は全員死ぬ。
外から火でも空気でも爆発させられるのだ。
『ノートン、アームをオーシュに対して使ってはなりません! 即時帰還を!』
彼はアームからソナーを撃ち、水槽に周辺の図を浮かび上がらせる。
オレはそれを確認した。光点が平面に広がる場所が海面だ。そこにあるひと際大きな二つの点。
それが霧の船団だ。距離感までは皆目判らなかった。
「魔術の逆流で操縦士と技官が殺されました!」
『ああ……なんてことでしょう』
「なぜ……なぜ教えていただけなかったのです! このノートン、それほどまで」
『信頼しています。ですが、他の者の手前、どうしても船に致命的欠陥があることを知られるわけには参りませんでした。謝罪します。わたくしの判断の誤りでした』
「アームの収納方法を!」
『……ございません』
「ここにはもう私とノヴェル君のみです! 何か仰るなら今のうちですよ! 脅迫ではなく事実です! オーシュがガラスに張り付いて離れないんです!」
『オーシュを連れてでも、船に帰還してください。言い換えましょう。オーシュはその船の性能を知り尽くしています。なぜなら、その船の設計者は……オーシュだからです』
「は……?」
オレとノートンが、同時に言った。
ガラスに張り付いたオーシュを見る。
こいつが? こいつは――怪物だ。ぶよぶよの襞で覆われた目では本も図面も読み難そうだし、手にしているのはペンでも計算尺でもなく、ゲソだ。
待っているだけで勝手に死ぬような漂流者を襲って、三十人以上殺しているんだぞ?
殺意なのか何なのか、その執念といい凶暴性はまさに危険生物そのもの。いや、それ以上だ。
おまけに妙に機転が利く。
オレはこいつと直に話した。寝起きとはいえ、知性なんてものは全く、否、殆ど――。
こいつは、ミラの境遇を憐れんで、殺したくないと――。
そこへ「機関室、了解だそうです」と技官が戻った。
「ノヴェル君、最大加速を」
あ、ああ――オレはボタンを押し、一気にレバーを押し上げた。
機械推力による補助推進。
椅子に張り付けられるような加速。オレは操縦桿を思い切り上下させる。
オーシュは、その水流の変化に対応しようと体全体を使って反応する。
「今だ。急上昇を」
急上昇すると、腕がイカの足から抜けた。
一瞬だけ、怪物の驚いた表情があった。
オーシュはガラス面に叩きつけられたが、数秒の後、水流に揉まれて後方へと消えた。
ソナーを撃つと、オーシュは後方をどんどん離れてゆく。
「やった。巻けそうだ」
「補助推力を使ってしまいました。例の鮫形態で追跡されます。距離を稼いで時間差を利用するしかありません」
「ノートンさん、ソナーを。上手くいくかどうかわからないけど――昔爺さんに聞いたことがあるんだ」
オレは操縦桿を倒し、船体が大きく円を描くように一周した。
補助動力を止め、再び逆方向に旋回する。
「これは……そうか、斥候の知恵だな」
「昔の狩人はこうやって猛獣を巻いたんだそうだ。オーシュに効くかは判らないけど、あの鮫なら少しは騙せそうだ」
「まだ待て。充分離れてから補助をオンにして逃げ切る」
そうしてオレ達の乗る深海探査船は、辛くも海域を脱した。
私事ではありますが、コンテストの締め切りは明日までなのですよね。
さすがにちょっと休みたい。
14ptでジタバタしても足切りは必至なのでどうでもいい気はしますが、第三章も折り返しを過ぎましたので、なんとか三章描き切るまで頑張ろうと思います。
次回更新は明日17:00頃を予定しています。