12.2 「勇者のランチはビュッフェ式」
ミラを乗せたノートン達のコンテナは、海賊・デルタらの助力で海域を脱しつつあった。
後方を見れば水飛沫やら水柱が上がり続けている。
「ジャック君がいたら『勇者のランチはビュッフェ式だ』とか言うのだろうな」
官僚は、憚りあるユーモアをジャックのせいにして言った。
あそこでは、未だ勇者・高潔のオーシュのランチが続いているのだ。
いくらジャックでもそこまで不謹慎な軽口を叩くだろうか、とノヴェルは思った。
海賊が溜まりに溜まった疑問を爆発させる。
「なんなんだありゃ! 化け物か!?」
「ああ、あれが本物の、高潔のオーシュだ」
「勇者!? どう見たって鮫だろうが!!」
誰しもそう思うだろう。
ノートンですら声を潜め、ノヴェルに訊いた。
「本当にあれが勇者の姿だというのかね。我々の知るオーシュとは違い過ぎて眩暈がしそうだ……」
「勇者の指導者ってやつが使っていたと同じで……あの黒い力をああいう風に使っているみたいだ」
「スティグマか? あの茨や、ブラックホールか」
「ソウィユノは実際あれを使ってでっかい腕を作って、爺さんを掴んだりジャックを抓みあげたりしてた」
「そんな複雑な動きができるのか。それなら鮫の真似くらいできそうだ」
なんでもありなのかね、とノートンは飲み込みきれない様子で呟く。
あの黒い力で体を包みこみ、オーシュは鮫になっている。
「情報局員としての分析はどう?」
「……まだ何も考えられない。大きさからして、普通のホオジロザメでいうと二、三匹ぶんの脅威度と見込んでいる」
「一瞬で三人やられて、さらに別の奴らを狙っていったぞ。鮫っていうのはあんな風に次から次へと獲物を襲うのか」
「種類にもよるが、凶暴なものならそうだ。知能が高く、捕食を目的としない。三匹集まって狩りをすれば、クラーケンだって死ぬこともある」
「マジかよ」
実のない会話を続けるうち、次のコンテナ群が近づいてきた。
「鮫っていうのはどれくらい遠くの獲物に気付くんだ」
「さぁ、そこまでは。目は悪く、鼻先の器官で臭いには敏感だとは聞くがね」
「臭い? 獲物の? ってことはコンテナの上なら安全か?」
「残念だがそうではなかったようだね。コンテナにも付着した物質がある。それが海水に溶けて勘付かれるのだろう。……だが海流に乗って西へ向かうぶんには、我々に分がある……かも知れない。飽くまで鮫ならばの話だ。オーシュには通じないのではないかと思う」
「強ちそうとも言えないぜ。あいつには眼がなかった」
次のコンテナ群に着いたが、見たところ誰もいない。
着いてみれば群などと言えるほどの場所でもない。コンテナが三つばかり、たっぷり三十メートルほどの距離を開けてプカプカと浮かぶのみだ。
正確に言えば、生存者がいないだけで――死者はいた。
背面を向けて浮かぶ死体が十体ほど。
「……ジャックがいるかも知れない」
「――!」
ノヴェルが絶句したので、ノートンは咳払いをした。
「彼は一人だった。コンテナの中にいるかも知れないだろう」
その場合はコンテナを施錠できずに浸水したことになる。
だからこれは飽くまで気休めであった。
「おい! 貨物を洗え!」
デルタの合図で海賊らがコンテナに乗り移ってゆく。
片側に数名が乗って全体を傾けると、開口部が海上に出る。
彼らは慣れた様子で手際よくコンテナを開けた。
このぶんならば時間はほとんどかからなそうである。
海賊の運行で別のコンテナにまで行き、数名をドロップしてまた次へ向かう。
「我々も手伝おうか。彼らが終わるまで動けそうにないので」
三つ目のコンテナに乗って、ノヴェルとノートンもコンテナを開けるのを手伝った。
「商船ならわかるけど、なんで軍用船にこんなコンテナがたくさんあったんだろう」
「開けてみればわかるかもね」
コンテナの中には誰もいなかった。
代わりに謎の白い粉などが少量あるのみで、あとは水、雑誌や布団、派手な布などだ。
「……誰か住んでいたようです。それとこれは……禁輸品のモルヒネですね。こちらは禁輸でこそないものの、関税の高い織物」
どちらも小分けされており、販売目的のようである。
つまり密輸だ。
海賊らは喜んで持ち出したが、ノートンは「管轄外ですので」と黙認した。
「そっちゃどうだ!」
「畜生! こっちゃ乾きモンばっかりだぜ!」
他のコンテナは非常食などが多いようであった。
多数は沈んでしまったのだろう。
「密輸……には違いなさそうですが、小規模ですね。海軍自体ができたばかりだから、まだこんなものなのでしょう」
ノートンは官僚の顔になって、メガネを直しながら値踏みした。
「私の知ったことではないが、ノヴェル君。君が服の下に隠したものも、捨てていかないと面倒なことになるかも知れないよ」
ノヴェルは服の下から雑誌を取り出した。
神聖パルマ・ノートルラント民王共和国では流通していない、踏み込んだ内容のポルノ雑誌である。
「これには強力なエンチャントが施されていてね……」
「何を言っているんだ君は」
こんなことをしてる場合ではないのだよ、とノートンは冷たく言った。
ノヴェルは諦め、ポルノ雑誌を海に棄てた。
棄ててから、海に漂うそれを見てふと厭な予感がした。
捨てろとは言われたが。
海に棄てろとは。
ポルノ雑誌は超高級品で、その製造には撮像技術は元より極めて精緻な印刷技術が使われている。
新聞などに使われる印刷と異なり、様々な色を持つ物質を紙面に塗布し、コーティングで保護しているわけだ。
――さぞ、変わった臭いがするんじゃないか。
「来たぞ! 逃げろ!」
海賊の叫び声でノヴェルが顔を上げると、遠くの海面に動きがある。
海上を水飛沫を上げて、黒い背ビレがこちらへ一直線に進んでくる。
「くそ!」と海賊の一人が叫んで、両手から水魔術を放った。
急発進だ。態勢も良くない。
ノヴェル達の乗るコンテナは、右へ左へブレながらなかなか推進を始めない。
「固まるな! 別々に逃げろ!」
ミラを乗せたままのコンテナの海賊が叫び、脱出を始める。
ノヴェル達のコンテナは回転し、進まない。
見れば、コンテナの扉が開いたままである。
「コンテナが開いてる! 浸水するぞ!」
ノヴェルはなんとか扉を閉めようと、斜めになったコンテナ上で手を伸ばす。
扉に手をかけるが、水圧が邪魔をして動かない。
コンテナは急速に沈没を始める。
「だめだ! 間に合わない!」
そこへ、横から飛沫が上がった。
海から跳び出した、黒い鮫だ。
大きな口を大きく開けている。
大きすぎる――百八十度に近いような、非生物的な口の開き角。
これは黒い力の作り出した偶像。生き物ではないのだ。顎にも骨格はない。
その口の中に、無表情なオーシュ本体が見えた。
血に塗れたその姿は、もはや本体というより内臓の一部である。
ノヴェルとオーシュの目が合うと、オーシュは一瞬、笑ったように見えた。
「やぁ」とでも言いたげな。
咄嗟に身を屈めて、ノヴェルはオーシュの飛翔をやり過ごす。
オーシュは、コンテナの反対側に着水した。
なんとか横からの一撃を躱しはしたが、足元はもう靴まで水に浸かっている。
横たわるミラの髪も海水に浸り、広がっていた。
「誰か、空気魔術でコンテナ内の海水を排出……難しいか」
海賊の顔を見渡して、ノートンはメガネを外す。
「私が行こう。私の拙い空気魔術でどうにかなるかわからないが……」
ノートンは、オーシュが反対側に泳ぎ去った隙をついてコンテナを降り、海に入ってゆく。
「ノヴェル君、これを持っていてくれたまえ」
僅かに微笑む。
ノートンはコンテナに掴まりつつ肩から上を水面に出し、メガネを渡してきた。
有無を言わさぬ清々しさ。彼は思い切るように表情を引き締めると、そこには官僚でもスパイでもない、ただのノートンの表情があった。
そして――海中に消えた。
次回更新は明日11:00を予定しております。
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