10.1 「最高かよ。絶対上手くいく」
オレ達の船は洋上を爆走し、軍用船とその先の海賊船まであともう少しまで迫っていた。
しかしどうも無理な加速が祟ったのか、先ほどから船員らが厳しい表情で何かを言い争っている。
「現在対水速度三十三ノットです。定格を大幅にオーバーしています、サー」
「補助動力によるブーストも間もなく切れるかと、サー」
航海士二人が将校に報告した。
「あと十五分持たせられないか。前の軍用船三隻が邪魔だ。とても追い越せない」
ザリア人将校は状況をそう説明する。
「……メートル法で言ってくれなきゃわからん」
憮然とジャックが言う。
「およそ時速六十キロです」
「それでどれくらい持つ?」
「十分前後かと。前の軍用船からの妨害が予想されます。海賊船には追いつけません」
「前の軍用船が邪魔なんだな? じゃあそいつに乗り換えて、ちょっと急いでもらう。前の軍用船に寄せてくれ。できるか?」
「十分以内にぶつけてみせます」
ジャックは振り返って、オレたちに「準備を」と言った。
前方でドンドンと小爆発が起きた。
「火魔術による妨害です」
「こちらの船にとって火は大きな問題ではありませんが……飛び乗るときに狙われますね」
「俺達は船尾側デッキで待機する。船首側で陽動を頼めるか?」
「速度を二十八ノットまで落としてよければ、船員を回します。その速度でも、軍用船までは追いつけそうです」
「俺達が軍用船に飛び乗ったら引き返して構わない。水魔術の手練れを二人貸してくれ」
「パルマ語を話せませんが、それで構いませんか」
「もちろんだ」
オレ達は船尾側で合流し、船が敵の軍用船に並ぶのを待った。
真後ろでも真横でもない、絶妙な角度で蛇行しつつ急接近してゆく怪しい動きだ。
当然前方の軍用船からは割と容赦ない攻撃の対象となる。
船首側では、火魔術の激しい応酬だ。
どうも妙に見えるが、あの距離で撃ちあっていてもなかなか当たらない。蛇行が効いているのだろうか。
一方で流れ弾は船尾側にまで来る。陽動としては充分だが、安心はできない。
「なぁ、なんであんなに当たらないんだ」
「魔術で作る火球には、慣性が働かないんです。術者の系を離れるとね。光球が火球になって飛んで行く間にも、どんどん後ろに流れてしまいます。惑星系の自転は問題ないようですが、乗り物で動いているとそれが難しい。術者が時速六十キロで移動しているわけですし、お互い波で高さが変わりますから、当てるのは至難の業ですね」
「それで相手の船の真後ろにつけるのはご法度なわけか。しかも真横は砲撃の有効圏内。斜め後ろの死角からこうやって……あの船長は相当な腕だ」
よくわからんが難しそうだ。
オレ達がすぐ横にまで並ぼうというタイミングで、船首が急速に左側へ流れ始めた。
「ドリフトしてるぞ。船尾だけをくっつけるつもりだ」
「荒っぽいどころの話じゃない。どうなってるんだ」
オレとノートンが船尾から左舷側の横っ腹を見下ろすと、大砲が顔を出す窓から手を突き出し、水魔術を使って推進している。
左側面全体を使って推進しているのだ。
「なるほど……いや、なるほどではない。聞いたことないぞこんな航法は」
船首側は離れてゆく。
船尾側はどんどん近づいてゆく。
「ザリアの未来を! 頼んだぞ!」
船室から顔を出し、将校が叫んだ。
オレ達は手を振って、船尾があと一・五メートルまで接近し、こちらの高さが相手軍用船より高まる瞬間――。
飛んだ。
ジャックを先頭に、オレ、ノートン、そして二人の船員魔術師。
足先から着地し、体を曲げて前転して衝撃を吸収する――予定だったが、微妙に高さが変わった。たぶん波のせいだ。
オレは勢いを殺しきれずそのまま甲板上で二回転してブリッジの外壁に顔面をぶつけた。
「船用のトレーニングが要るな」
ジャックが小声で嫌味を言ってきたが、見ればあいつも真っ赤になった鼻と口を押えている。
ブリッジは二階建てで船尾側だ。
その陰に転がり込んで、オレ達は目で合図した。
両側面にある階段を駆け上がり、オレたちは左舷側から、ジャックは右舷側からブリッジを包囲した。
『やれ』
ジャックの合図でオレ達はブリッジに飛び込む。
「な、なんだお前達は……!」
ノートンは航海士二人に両手を向け、「動くな!」と命じた。
オレは船長の背後から首元にナイフを突きつけ、ジャックが正面から迫る。
「ザリア人か!?」
船長は頷く。
「皇帝を殺すチャンスをやる。言う通りにしろ。俺達が失敗しても、脅されたと言えばいい」
「母と妹の子宮にかけて、ザリア人はディオニスを許さない」
ここでも船長はザリア人将校だ。
待ってましたと言わんばかりの話の早さで、将校はこちらへ寝返った。
船長は航海士に抵抗をやめるよう説得した。
こうしてオレ達は、軍用船の乗り換えに成功したわけだ。
三隻ある軍用船のうち、後ろから見て一番左側にあった船だ。
「ですがどうやってディオニスを討つおつもりです」
「まずディオニスより早く海賊船に行きたい。君たちにはそれ以上の迷惑をかけない」
「……高潔のオーシュはどの船だ?」
「中央の、煙を上げている海賊船です。左右の二隻は中央を護衛しています」
「船長はオーシュか?」
「おそらく。あれは海賊ランボルギーニの船でした。奴の船の上で戦闘が始まったため、オーシュが乗っています。ランボルギーニは、自分で処刑したクライスラーの船に乗っています。左の船です。右の船がダイムラー」
「左の……元クライスラーって奴の船の旗、あのとき島の船着き場に停泊してた旗だぞ、ジャック」
「クライスラーは海賊の長。船員も一番多かったと聞きますが」
「……ということは、ミラは左の元クライスラー、今はランボルギーニの船に居る可能性が高いな」
「船長、四十ノットまで加速できますか。水魔術のエキスパート二人を提供します」
「対水四十は無理です……。この船の記録は二十九までです。ディオニス船ほど水兵がいればともかく、この船では二人増えてもせいぜい三十二、三でしょう」
計器によると今の速度は二十六ノット。
「時速にするとせいぜい十キロ程度しか増やせませんね」
「前の海賊船三隻、横のディオニスの船との差が時速十キロになるわけか」
軍船ともなると手練れがいても走るくらいの速度アップに留まるのか。
航海士二人がおずおずと手を挙げた。
「船長、自分らも加勢します、サー」
「助かる」
「恩に着るぜ。これで都合時速二十キロ期待していいか? 割と本気で走るくらいの速度で差を詰められるな」
「海賊船までは五百メートルほどです。風向きが向かい風になってきて、速度は下がってきています。ここから離されることはないでしょう」
百万の味方を得た思いだ。
海賊船は五百メートル先の海上。
速度差時速二十キロでなら、一分半で海賊に追いつける。
この広い洋上で、それは手が届くほどの距離にも錯覚する。
「よし。じゃあ三十七ノット全力で中央と左の船の間につけろ。さっき火魔術を撃ってきた奴らを甲板の左右に散らし、充分近づいたら海賊船を攻撃させろ」
「撃って、君達のお仲間は大丈夫か?」
「すぐには沈まん。煙が出るほうがありがたい」
「煙ならこの船にも発煙筒があります。それで後方に煙幕をかけてディオニスの大型船を巻きましょう」
「最高かよ。絶対上手くいく」
オレは左の船でミラを。ジャックとノートンは皇帝を。
武器は煙、陽動、向かい風。
うまくいく気がする。
オレ達は互いに固い握手を交わした。
***
オレが左舷で待機していると、船が加速を始めた。
何にもない海の上だからその速度感はわからないが、船団の他の船と比べれば明らかに速い。
ヒヤッホゥ! と叫びたくなるくらいには速い。
三十秒ほどで警笛が鳴り出した。
ディオニスの船からの警告だ。
更に後方からはボンボンと爆発音がする。威嚇射撃をされているようだ。
六十秒。
発煙筒が炊かれ始めた。
船後方は真っ白になっており、時折煙幕を突き破って奴の船が見えるが、またすぐに見えなくなる。
七十五秒。
前方は、海賊船のすぐ近くにまで迫った。
やっぱり船は木造船が格好いい。ポート・フィレムの港を思い出す。マストも帆も、風を利用するのは推力のひとつに過ぎないとは言え、その力は圧倒的だ。
甲板上には、海賊の顔が見える。
こちらの船の方がやや高さがある。
海賊達は慌てて主砲甲板へ降りてゆくが、それは無駄な努力だ。下手をすれば右側を航行する味方の船に当たるだろう。
九十秒。
ほぼ追いついた。
こちら側の船から、次々と爆炎が飛ぶ。
海賊船の後部に火の手が上がり始めた。
『いいぞ! ノヴェル、船首側へ移れ!』
船首は煙に満ちていた。
煙の中から海賊が飛び出してくる。海賊船からこちらへ飛び移ってきたのだ。
奴らは剣を持ち、首目掛けて水平に剣先を薙ぐ。
これを上体を逸らせて躱すと、体勢を崩した胸目掛けて立て続けに斬り下ろしてくる。
オレの武器は、さっき航海士から借りた飾りみたいな剣だ。
どうにか弾くので精一杯。
弾ききれず左腕をわずかに斬られた。
「ま、待てっ! オレは別に」
言葉が通じないかのように、奴らは迷いなく続けてまた首狙いの水平の一撃。
オレは視界のあやふやな煙の中で、それを掻い潜る。
ヒュッという音と、渦巻く煙で剣先が通り過ぎたことを知る。
「通してくれ! オレは、お前らの仲間の……誰だっけ、女海賊に用があるだけなんだ!」
「メルはお前になんか用はねえよ!」
どうやら言葉は通じる。
だが攻撃の手は緩まず、次から次へと剣撃が繰り出される。
こちらは攻撃の意図はないから、とにかく流すことに集中しているが……剣撃が重い。
早々に手の感覚がなくなりそうだ。
「頼む! 危害は加えない!」
「危害だぁ? 何なんだよその上から目線はよ!」
さらに二人、煙の中から飛び出してきた。
埒が明かない――とか言うとまた上から目線を咎められるんだろうな。
このままだと次撃を避けられずに殺される、っていうのが率直な感想だ。
そのオレの横を、一発の火球が、まるでスローモーションのように通り抜ける。
アッ、と思ううちに、それは海賊の一人に命中し、周囲の二人を巻き込んで吹き飛ばす。
奴らは空中を飛んで、船外へ落ちてゆく。
爆風で、一瞬煙が晴れる。
敵の甲板が見えた。
今しかない。
オレは何の考えも、躊躇もなく――船から船へ飛んだ。
間抜けに手足を広げて。
助走は充分か?
船間の距離は?
落差は?
甲板に海賊は何人?
そんなことを空中で考えつつ、もう全てが手遅れと悟り、半ば奇跡的にオレは――海賊船の甲板に着地した。
すげえ! まさか本当に海賊船にまでたどり着くなんて!
ザリア万歳! 皇女様万歳!
アイ・ラブ・ザリアのシャツを着てきて本当に良かった!
「敵が乗ってきたぞ!」
「どこだ! 見えねえ! 何人だ!」
「ガキ一人だ!」
「馬鹿かそいつは!? 消火を優先しろ!」
煙は一層濃く、黒い。
海賊船上は酷いパニックになっていた。
これなら、これならなんとかなる。
「ミラ! どこだ!」
返事はない。
でもまだチャンスは続いている。
メル、いや、ミラを探さないと――。
次回は明日18:00頃更新予定です。
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