1.1 「名もない町人として勇者様を労いたいもんだよ」
微調整で修正 (2020/06/28)
ポート・フィレムの街は人口三万人。
十五万、三十万、五十万人の大都市もある中で、人口だけ見ればここは小都市だ。
田舎だと思って船を降りた者は、大抵その港の活気に驚く。
港に通じる目抜き通りは昼間でも行商人、旅人、冒険者の溢れる一大リゾートのようだし、広場を抜けた市場通りの人通りといったら首都にも引けをとらない。
東に海、南北と西の三方をぐるりと壁で囲われたその貿易都市は、よその都市よりだいぶ狭く、密度が高い。
城塞都市と呼ぶ者もいる。
城こそないが、街の丘に立った巨大な尖塔は壁の外からも見ることができ、城のような風格がある。
元々は先住民の小さな町だったという。湾があれば港ができ、港ができれば無理やりにでも街ができる。
そばに広がる森が火の神フィレムの名を冠していたから、ポート・フィレムは港の名だった。しかし港に火の女神の名をつけるのは縁起がよくなかったのだろう。すぐにこの街の名前になった。
物流の要、モノだけでなく人の出入りも多い。
それがポート・フィレムの街だ。
そしてここは隠れて住むのに丁度よい。
例えば隠遁した賢者がちょっと珍しいものを手に入れようとしても、大きなキャラバンを派遣して悪目立ちすることもない。何せ、モノのほうからこの街を通ってゆくのだから。
西の門から続く市場通り。その石畳を行き交う荷馬車の音が飛び込む広場。
広場は、市民らの喧噪に満ちていた。
このところ目立つのは、日に日に増えてゆく冒険者たちの姿だ。
ゴブリン襲撃の噂が流れたのは、もうひと月近くも前だ。そこから荒くれ者たちが集まりだしたのを皮切りに、今やどうみても駆け出しの若者まで街で見かけるようになった。
臨時に立てられた追加の掲示板には、収まりきらないほどの新聞が張り付けられている。
「魔物ったって、ゴブリン程度のもんだろ」
「衛兵が捕まえた何匹かは、武装してたって話だ」
「でもそれってもう何週間も前の話だろ。また何も起きねえんじゃねえか?」
そこへ「通せ。元老会の通達だ」と二頭の馬が、人垣を分けて広場の中心へとやってきた。
従者がボードの公示をあらかた剥がして空きを作ると、馬上の役人から受け取った紙をボードに広げた。
市民らが「おおっ」と歓声を上げる。
「七勇者、来る」
見出しにはそう書いてあった。広場に集まった者たちを夢中にさせるにはそれだけで十分。
彼らは皆両手を挙げ、手に杯がないだけで今にも乾杯を始めそうな様子であった。
「七勇者、来る」と書いた紙は沢山刷られていて、それはもう盛大に、ボードというボードに張られてゆき、最終的には聴衆に向けてバラまかれた。
***
このとき誰も、広場の脇の市場から、人目を避けるように滑り出た二つの人影に気付くことはなかった。
二人は古めかしい、時代遅れのローブで身を隠し、そのうちの一人――十代と思しき少年がビラを拾い上げた。
「……勇者、勇者だって? あいつら、それで浮かれてるのか」
すぐ横で、やはり古めかしいローブの老人が苦々しく言う。
「無駄だな。バーキンズの第二法則といったかの。役人の浪費を研究した学者がおってな」
「その話はもう飽きたよ。それより勇者だって!」
「顔を上げるな、孫よ。嵐の過ぎるまで、往来で悪目立ちするでない」
老人の顔には、深い皺が刻まれている。
「嵐といったって爺さん、こればっかりは黙って通り過ぎるものじゃないだろう? 何せゴブリンだ。それがこの街に攻めて来るってなら、大人しく税関を通って東へ出荷ってわけにはいかないだろう」
「そうだな。だがわしらには何もできん。こうして隠れて暮らすことだけが、お国のためになるのだ」
「へいへい。勇者様ご一行に任せよってか」
「……」
老人が無言で歩きだしたのを後ろから眺め、少年はやや鼻白んだ面持ちでため息を吐いた。
「せめて、こう、なんだ? 名もない町人として、勇者様を労いたいもんだよ。ここで宿屋はありふれてるからな、定食屋にでも生まれりゃ良かったよ」
周囲を森と海で囲まれたこの街は、玄関口でありながらいわば陸の孤島。
船旅を終えた者、船を待つ者、そうした旅人を相手に、この街では宿屋の商売が発達していた。
少年と老人は、そうした宿屋のひとつに身を寄せる、いち市民に過ぎなかった。
もっとも、そこらの勤勉な市民を捕まえて聞いてみれば、この二人が真面目な市民ではないことはすぐに知れるだろう。
人種、職業の多種多様なこの都市にあって、彼らは尚、はみ出し者であった。
まだ話が始まってもいない感じですが続きが読みたいと思っていただけましたらブクマ、評価をお願いします!