7.4 「神官はクジラの歌が得意」
メルセデスは焦っていた。ミラがメルセデスになって十日が過ぎる。
本来ならもうとっくにモートガルドに着いているはずだ。
海賊達は北寄りの進路を取って、途中の街に寄港したりしていたため、かなりの時間がかかっている。
彼女にとっては都合がよかった。未だ何ら、勇者の情報を得られていないからだ。
ここまで彼女は完璧以上に彼女を演じていた。
日記によれば元のメルセデスは、どうも他の水兵に腫れ物に触るような扱いを受けていたようだ。
嫌われているわけでも疎まれているわけでもないが、どこか溶け込めていない。
無理もない。彼女は元々望んで海賊になったのではなく、半殺しの目に遭っているところを船長のクライスラーに拾われたのだ。
彼には何度か会ったが相当な変わり者である。
日記は四年分。船に乗ってから毎日だ。
日々のメモには事欠かない。
ミラはたった数時間でメルセデスとして生まれ変わり、メルセデスを続けるうち、オリジナリティを出したいという欲求に囚われるようになった。
(何考えてんだ、あたいは)
発端は料理のメニューを少し変えてみたところからだ。
酒を少し嗜んでみたり。
クック=ロビンに優しく話しかけてみたり。
便所掃除を手伝ってみたりだ。
カードという、これも実に奇妙な遊びを知った。
夕食後、海賊たちは決まって酒を飲みながらこれを遊ぶ。
五十枚ほどの絵と数字の書いた紙切れを二枚ずつ配り、中央に五枚を伏せて置く。
プレイヤーは、手札二枚を見せない。
手札と、中央に伏せられた札のうち最大五枚を使って役を作り、より強い役を作ったものが勝つ。
他人の手より弱いと思ったら降り、強いと思えば掛け金を吊り上げる。
このゲームの奇妙なところは、強気に見せて相手を欺くところにある。ブラフというらしい。
なぜこんなものがゲームとして成立するのか、メルセデスにはわからなかった。
ブラフなんて意味がない。目を見れば相手の考えていることが、少なくとも手の強さくらいはバレてしまう。
それなのに男どもは――雁首を揃えてお互いの顔色を読み合いながら、勝ったり負けたりに一喜一憂しているのだ。
それを見ているうちにメルセデスは気付いた。
(こいつら、認識阻害ができないのか――?)
本当にできないのか、それともお互いの信頼を掛けて敢えてやらないことにしているのか。
メルセデスもそのゲームに誘われた。
メルセデスなら絶対に断っただろう。
だがこのメルセデスは乗った。
(相手の顔色だけ見ながら、認識阻害をしない、しない、しない――)
難しいことだった。
どうしても相手の手が見えてしまう。
(ブタじゃねえか。しかもろくな数字がねえ)
一巡してテーブル上の札が一枚、捲られた。
(ハートの五。手元の札と合せりゃワンペアか)
このゲームでは、テーブル上の五枚を全員が共有している。
手元に配られた札は二枚で、運の要素がそれだけ少ない。
一巡ごとに捲られてゆく共有カードを見て、あとはプレイヤー同士腹の探り合いになる。
それでも――。
「だめだ。フォールド。降りるよ」
ミラは勝てる勝負を降り、カードをテーブルに伏せた。
「なんだメル、弱気だなぁ」
「ふざけんな。お前がレイズして俺にオールインさせろよ!」
(こっちはもうワンペアなんだぜ)
降りたらカードを公開することはない。
だが、隣の男が彼女のカードを捲った。
「なんだおめえ、手元でワンペアじゃねえか。なにやってんだ」
本気で心配そうに彼女を見る。
何かがバレそうで、ヒヤリとした。
いや、少なくとも演技したことがバレたのである。
一瞬だが、彼女は心底落ち込んだ。
「落ち込むんじゃねえよ! なぁ! もう一ゲームやろうぜ!」
――認識阻害もできないくせに。
なぜ落ち込んだことを悟られたのか。
海賊たちは不思議に満ちている。
例えば彼らの親玉、船長兼神官のキャプテン・クライスラーからしてそうだ。
彼は海賊のくせに、なぜか神官ぶった僧形をしている。
メルセデスの日記によれば、彼は元々西方の小国の宣教師であった。
万物の神・オートライブとかいう変梃子なものを広めに乗った船がクラーケンに襲われて沈没し、海賊になったのだそうだ。
『神官はクジラの歌が得意』
日記にはそうあった。
意味はわからないが、脈絡なく書かれたその一文が、これを読んだだけのメルセデスに突き刺さっていた。
これを書いたメルセデスの気持ちはわからない。クジラの歌とは、そういう歌があるのだろうか。たぶん讃美歌のように唄うのだろう。
どちらのメルセデスもこの宗教家というのを心底嫌っていたのだが、クライスラーは宗教家としてはかなり不良であった。
海賊なのだから当然だ。
彼の宗教では海の神は男であり、女の乗った船を沈めないという伝説がある。
そういうわけでメルセデスは、港町で村八分に遭い殺されかけていたところをクライスラーによって助けられた。
四年前の話だ。
同じく日記によれば、メルセデスが乗船したときすでにクック=ロビンは船員であった。彼にしたって似たような状況で船に拾われたのだそうだ。
歯向かう者には容赦ないが、食み出し者には温かい。
それがこの男たちだった。
尤も、クック=ロビンもただの便所掃除係ではない。奇妙な特技があった。
例えば海が荒れるのを予期して泣く。
ここ数日でも一度だけあった。
夜のことだ。船団は北寄りのルートへ変更し、寒々とした海を進んでいた。
夜中にクック=ロビンの居る貨物甲板で日記を読んでいると、彼が妙にむずかる。
ランプを消してクライスラーに報告すると、夜中に急に波が荒れ始め、これほど揺れるのかというほど揺れた。
主甲板に出ると、十メートル以上の波が甲板を洗っていた。
平時、海面から主甲板まで八メートル以上あるはずだ。
クラーケンだのリヴァイアサンだのがいなくたって、波が立つだけで船は沈むのだと知った。
三隻のうち、一隻、船がいないのに気付いた。
沈んだのではない。
沿岸の漁村を襲いに、別行動をとっているらしい。
ダイムラー船長の船だった。
「火事場泥棒さ。蜂起だとよ。大陸北部の小せえ漁村だな。酒はいまいちだが美味ぇ塩漬けを作るんだぜ」
そう、デルタという赤ら顔の甲板員が言った。尤も、全員が日焼けして赤ら顔をしている。
カードゲームを教えてくれた男である。
(まずい。もうモートガルドが近いのか)
まだ何もつかめていない。
海賊達の奇妙さに圧倒され、クック=ロビンからは何一つ得られないまま時間が過ぎた。
メルセデスは焦る。
「――ダイムラー達とは入港してから合流になるのか?」
「いんや。どうも面倒くせえことになってるらしくて、港で合流なんか無理だ。ダイムラーの合流を待ってから入港する。どうせ明日の晩にはサン=オルギヌアだ」
「いつ戻るんだ」
「もう呼び戻した。間もなくよ。焦るんじゃねえよ! どうせここまでゆっくり来ただろ」
呼び戻すって――どうやって? 海の上だぞ。
いや、それよりもう時間がない。
――勇者達の尻尾を掴むと誓ったはずだぞ。どんな手段を使ってでも。
メルセデスは後ろポケットのナイフを押さえた。
柄にもなく、彼女は焦っていたのだ。
エピソード7最後の更新になります。
明日からエピソード8としたいところですが、仕事の都合があって土曜まではこっちが書けません。
一応第三章の頭までは書いてあるのですが読み直したりルビ振ったりと追加の作業もありますので、土曜あたりまではお休みしようと思います。
楽しみにされている方にはすみません。
ブックマークなどしてお待ちください。